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約束の土地

「さあ、クラウス様、この花もちゃんと持っていて下さいね」


 ほのかな薄紅色の薔薇を、また一つ剪定鋏で摘み取る。

 私はそれを、花束作成マシーンと化したクラウスに渡した。


 クラウスは昨晩ご両親からきっちりとお叱りを受けたらしく、目の下にクマが出来ていた。

 大怪我はしなかったけど、全身打ち身と擦り傷だらけなはずだ。

 頬や額にも大きな絆創膏が貼ってあり、まるで少年向けホビー漫画みたいな格好になっている。

 それでも肌が荒れてないところが、若さなのか美形キャラの特権なのか。


 あ、私のエーリカ・マーベラス・悪役ボディにも肌荒れはないよ。

 普段の運動量が少ないのに筋肉痛もなかったのが、地味にありがたい。


「うふふ、クラウスお兄様。今日は私のいうことをちゃんと聞いていただきますよ?」


 今日は約束通り、〈春の宮殿〉の結び目庭園の散策をしている。

 はしゃぎ回るアンを、庭師の皆さんが微笑ましそうに見ていた。

 その後に続くのが剪定鋏を持った私と、たくさんの花を抱えたクラウス。

 アンがお姫様で、私とクラウスがお付きの者といった感じのご一行だ。


 春の緑が目にしみる。

 クラウスも目をしぱしぱさせていた。おお、同志よ。


「エーリカ、お前も徹夜なのか」

「ええ、少し後片付けを……クラウス様はお説教ご苦労さまでした」

「ご苦労様ではない」


 あれ? お疲れさまだっけ?

 などと日本語で思考してみるが、実際はこちらの言語による会話である。

 こっちは敬語とかファジーだから、そういう縛りはないはずだ。


「……説教というかな、……父上の教育は、まだ終わっていない。小休止しただけだ」

「ひいっ」

「その後は、母上のターンだそうだ……」

「ひいいっ……クラウス様、生きて下さいまし」


 なかなかに厳しいご家庭らしい。

 でも、ハーファン公夫妻なりの、愛情の示し方なんだよ。

 厳しいのは心配とかの裏返しだよ。きっと。


「あちらに、とっても綺麗な薔薇が!」

「しょうがないな。あと二、三本だけだぞ」

「お兄様! 反省が足りないのでしたら、お父様やお母様に……」

「くっ……! 行くぞ、エーリカ! こうなれば、この庭園じゅうの薔薇を刈り取ってくれる!」

「それは極端すぎです!」

「はいはい。アン様の好きなだけお切りいたしますからね」


 クラウスはしぶしぶと妹君の我がままに付き合っていたし、妹君はおもいきり奔放に楽しんでもらっている。

 兄妹が仲良しさんで何よりである。


(ああ〜〜、これでようやく、私の死亡フラグが完全に一個折れたね……手強い死亡フラグだった……)


 一段落して、私はすっかり気合いが抜けていた。

 寝不足も手伝って、さながら全自動庭園解説機能付き花摘みマシーンといったところだ。

 こんなにぼんやりしてても死なないなんて、素晴らしい。


「エーリカお姉様、あちらの黄色いお花は?」

「南の大陸原産の木香薔薇ですね」

「素敵! エーリカお姉様、ちょっと近くで見てきますね!」

「ええ、いってらっしゃい、アン様」


 アンは昨晩のアレ以来、私を「お姉様」って呼んでいる。

 なんなんだろう、この古典的少女小説感。

 ちょっと嬉しい気もするけど、その代償にかなり恥ずかしい。

 ロザリオの交換とかさせられるのか。

 この大陸に十字架を首にかける文化はないから、やっぱりあれか、星水晶の首飾りか。不吉だなあ。


「まったく……、誰に似て落ち着きが無いんだ、あいつ」


 クラウスの両手には、アンの選んだたくさんの花が抱えられていた。


 昨日の冒険の興奮冷めやらぬハイテンションのせいか、今日のアンは兄に容赦が無い。

 私もぼーっとしてアンに命令されるままに薔薇を切ってクラウスに渡していた。

 その相乗効果で、いつの間にか彼はとんでもない量の薔薇を抱えることになってしまった。


 何が恐ろしいって、今クラウスが抱えてる大量の花以外にも、既にその三倍くらいの量の花がアンの部屋に運ばれてるってことなんだよね。

 冗談や比喩じゃなく、本当に庭園じゅうの花が刈り取られかねない。


「クラウス様にそっくりですよね。好奇心旺盛ですし。ああでも、クラウス様にはアン様の礼儀正しさが足りないですけど」

「おい、エーリカ……いや、レディ・エーリカ。今、何と仰せられましたか?」

「あーら、クラウス様、ご覧下さいませ。なんと美しい大輪の薔薇でしょう」


 悪口は人の耳に届きやすくて困るね。

 不機嫌になった彼から目を逸らしつつ、剪定鋏で目についた薄紅色の薔薇を切り取る。

 切り取った薔薇は、誤摩化(ごまか)しと揶揄(からかい)を兼ねて、クラウスの髪に飾った。

 ふはは。どうだ。両手が塞がっていては避けられまい!


「あら、とってもお似合いですわ、クラウス様」

「ちょ、おまえ! やめろ!」


 クラウスは頬染めて恥ずかしがっている!

 こうかはばつぐんだ!

 髪に挿された薔薇を振り落とそうと、クラウスは慌てて首を振る。

 しかし、トゲがうまく髪に絡まってくれたようで、なかなか落ちてくれない。

 やった、楽しい! 薔薇さんグッジョブ!


「おや、クラウス君、ずいぶん可愛らしいことになっているね」

「まあ! エドアルトお兄様、お帰りなさいませ!」

「げ、エドアルト!?」


 薔薇の生け垣の間から、エドアルトが姿を現した。

 なんという絶妙なタイミング。


 兄は出かけたときと同様の旅装のままで、手には例の貯蔵庫(ヴンダーカンマー)である革鞄をもっていた。

 いつも通り、隙のない身だしなみと優雅な所作ではあるが、顔色などにわずかに疲れが見える。

 エドアルトお兄様も、徹夜だったのかな?


「くっ……! やめろ! 俺のこんな姿を見るな!」


 クラウスは薔薇の束で自分の顔を隠した。

 耳まで真っ赤になっている。

 それにしても、その言い回し、なんだかイヤラシイからやめた方がいいよ、クラウス君。


「隠さなくてもいいよ。とても可愛らしいじゃないか」

「ぐ……覚えていろ、エドアルト・アウレリア! この屈辱は必ず晴らす!」


 余計に恥ずかしい捨て台詞を残して、クラウスはアンのいる方向へ走って逃げていく。

 お兄様に見られるのが、そんなに恥ずかしいのかな。

 錬金術師エドアルトを一方的にライバル視してるのかも知れない。


「伝書梟で知らせが届いたから、大急ぎで帰ってきたんだけど……ごめんね、エーリカ。僕の仕掛けた罠で死にそうになったんだって?」

「いえ、無事に解呪できましたので、大丈夫です」


 むしろ、その超強力な死の罠のお陰で命拾いしました。

 お兄様には足を向けて寝られません。


「それよりも、探索用の物資を荒らしてしまって申し訳ありません」

「いいんだよ。父から昨日のことは聞いたよ。僕の物資の使い残しが可愛い妹の生還に役立ったそうじゃないか。むしろ誇らしいくらいだよ」

「お兄様……」


 お兄様は私に視線を合わせるようにかがみ込み、柔らかな微笑みを浮かべた。

 ちょっとじんわりと来てしまった。

 いいなあ、兄妹って。


 しかし、次の一言と共に、兄の天使の微笑は暗黒微笑へと一瞬で変化する。


「あ、でも一応、誰がどのくらい使ったのかの明細を、覚えている範囲でいいから後で教えておくれ」

「……何にお使いになるのですか?」

「内緒。エーリカには迷惑をかけないから、安心してね」


 クラウス……お兄様は杖や水薬(ポーション)の代金を請求する気満々みたいだよ。

 なんという泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。

 兄の請求書が届いたら、相続予定のどこかの森を売り払う事になるんじゃないかな。


 せめて私から兄に嘆願して、出世払いにしてもらおう。

 いずれクラウスがハーファン公爵となった後に、頑張って領地経営して赤字を補填して頂きたい。


 それにしても、迷うなあ。

 〈来航者の遺跡〉で起こったことを、全て家族に教えてしまっていいのかどうか。

 あの大怪獣ザラタンは、西のアウレリアの醜聞になりかねないのだから。


「僕も何度かこっそり遺跡に行ったんだけど、なかなか目的の場所まで辿り着けなくてね」

「目的の場所というと?」

「僕の友人が文献なんかをあたって調査してくれたんだけど、あの遺跡の深奥部には、未知の巨大生物の遺骸が眠っているそうなんだ」

「へ……へえ……、そうなんですかー。存じ上げませんでしたー」

「周辺の土壌や、星水晶や星鉄鋼の鉱脈分布と照らし合わせると、〈来航者の遺跡〉中心として、小さく見積もっても直径五キロメートルくらいがその生物の遺骸を基盤として形成されているかも知れないんだって」

「ひい……五キロ、ですか……?」

「ロマン溢れる話だよね」


 都市サイズとは聞いてたけど、全長五キロを越える生物だったとは。

 なんだかもう、色々想像を絶しすぎだ。

 私たちが会ったザラタンがまだ小さくてよかった。

 成体になったザラタンが相手では、全く勝てる気がしない。

 古代の錬金術師たちが、航海者の歌の杖なんて、命がけの最終奥義を使わざるを得ないはずだよ。


「そうそう。もう遺跡には行かないと思うけど、仮に何かの拍子に迷い込んじゃっても七階層から下に降りてはいけないよ」

「う…………何があるんですか?」

「八階層目に手強い怪物の集団が棲みついていてね。辛うじて一掃できたのはいいけど、少し大きな魔法を使ったら、運悪く迷宮にも致命的なダメージが入ってしまったんだ。最悪、階層そのものが崩落するかも知れない」

「そ、それは危険ですね……」

「迷宮を補強修繕するか横穴を掘るかと、共同研究者と協議していたところさ。どちらにしても、父に内緒で調査できる範囲を越えているから、魔法学園都市(リーンデース)を通じて正式な調査団を送る手筈を整えなきゃね」


 その調査団にはちゃっかりお兄様の席が確保されてるんですね。

 わかります。

 ああ、それにしても、しらばっくれるのが白々しすぎて胃が痛い。


「そういえば、昨日、私たちが潜っているときに、階下で大地が割れてしまいそうなほどの大きな音が聞こえてきましたわ」

「ああ、それではもう崩落してしまっているかも知れないね。やはり横穴が正解か。それにしても……何がきっかけだろう。他階層と連動した機械式機構は無かったはずだけど……見落としたか……」


 これ以上突っ込まれると辛い。

 やっぱり下手な嘘や隠し事はボロが出るなあ。


「ところでお兄様! そんな大きな生物がいたなんてすごいですね!」

「おや、エーリカも巨大生物に興味があるのかい?」


 興味があると言うか、本人に会ってきました。


「錬金術師ヤコニウス、通称ザラタンの伝説は、エーリカも知っているよね? そのザラタンという人物が、もしかするとその巨大生物の名前かも知れないっていう説があるんだ」

「魔法学園都市(リーンデース)には、すごいことに気づく方がおられるんですね……」

「他にも空間制御機構が組み込まれた古代の超エネルギー発生設備だったって説とか、秘密組織説とか、異星人説なんてのもあるよ」


 流石にそれはトンデモっぽいです、お兄様。

 本職編集者のトンデモ陰謀論大好き集団が来ちゃいますよ。


「お兄様、巨大生物説というのは……」

「ああ、それを裏付けるいくつかの伝承があってね」


 エドアルトお兄様は、躊躇うように言葉を切った。

 相変わらずの優しげな微笑だけど、少し悲しそうな雰囲気が織り込まれている。


「アウレリアの一族が正史として記録している錬金術師ヤコニウス──賢者の石造りし孤高なるザラタンの話と、アウレリアの古い諸名家に伝わる伝承には、いくつもの相違点があるんだ」

「私はお伽噺に出てくるザラタンのお話しか知りませんでした」

「うん。それも実はアウレリア公爵家に伝わる、隠された言い伝えなんだけどね。我が家の言い伝えではザラタンは星を落とす魔法で殺されているけど、まだエーリカが教わっていない正史では、寝ている間にナイフで殺されるんだ」


 どきりとした。

 確かにザラタン本人が言っていた。彼は疲れ果てて眠った隙に殺されたんだと。

 アウレリアにとって禁忌(タブー)であるはずのザラタン殺し。

 その真実が、小さな断片となって、現代に残っていたなんて。


「そういう話が大好きな友人がいてね。最初僕は彼の手伝いをしてたんだけど、いつの間にか彼以上にこの話にのめり込んじゃって……寡黙な僕らの祖先が、遠い子孫に何かを残したかった……なんて、何だか興味深い話だろう?」

「お兄様は、ザラタンに何が起こったか知っているんですか?」

「散逸している伝承もあるから、完全ではないのだけど──」


 そう前置きして、お兄様は語り始めた。


 私たちの祖先は、星々の輝く遠い海の彼方に住んでいた。

 でも、災害か、何かの理由によって、彼らはその土地を追われる。

 ヤコニウスとして伝えられている古代の偉大な錬金術師は、航海に際して一匹の人造生物を作り出す。

 その生物の名が、ザラタンである。


 ザラタンは永い年月を経て巨大な島のような大きさに成長し、老朽化した船の代わりに祖先たちを運んだ。

 ザラタンの甲羅には都市が築かれ、ザラタンの骨は星水晶や星鉄鋼をはじめとする貴重な鉱石になった。


 人間たちが代替わりするほどに長い航海の末、彼らはこの大陸(イクテュエス)に辿り着く。

 しかし、当時の指導者だった錬金術師たちは、功労者であるザラタンと、ヤコニウスの息子あるいは娘とされる人物を殺してしまう。

 ザラタンの体内に隠されていると考えられていた賢者の石を得るためだという。

 でも、ザラタンの体をどんなに解剖しても、賢者の石は見つからなかった。


 錬金術師たちは自らの行いにおののき、その罪を悔いた。

 彼らはヤコニウスの子をザラタンの体内の深奥に丁重に葬った。

 錬金術師たちは墓守となり、誰も深奥に近付く事が出来ない、深い迷宮を作った。

 何者もヤコニウスの子とザラタンの眠りを妨げることがないように。


 生き残ったヤコニウスの末弟の元には指導者の娘が嫁ぎ、〈来航者の一族〉の新たなる長となった。

 それが、アウレリア公爵家のはじまりである。


「錬金術師たちは、人造生物ザラタンを殺す際に一つの契約を破ったそうだ。その契約が何だったのかは、まだ分かっていない」

「悲しい、お話ですね……」

「全てが真実かどうかは分からないけどね。でも、僕はこの話のどこかに真実が隠されているんじゃないかと思う。それを解き明かすのも、ヤコニウスの末裔である僕たちの役目かも知れない……なんてね」


 お兄様は私を元気づけるように、明るく微笑んだ。


「僕の仮説では、彼らは葬られただけでなく、神として祀られたのではないかと思う。ヤコニウスの一族とザラタンをひっくるめて、祖神ブレンの信仰が作られたんじゃないかとね」

「ザラタンが、神に……」

「あの遺跡でブレン信仰の祭壇が見つかれば、仮説の裏付けになるんだけど……迷宮が崩落したとあっては、本格的な調査まで何年かかるかなあ……」


 ああ、菅原道真公や平将門さま的なものか。

 祟り怨むものだったのに、人間によって神様にされてしまったのか。


 裏切られて、殺されて、鎮められたことにされて、崇められて──

 どおりで、なんだか共感しちゃうと思った。

 理不尽に定義されて、身勝手に愛されて、不条理に殺された、私と同じじゃないか。


 鈍器で殴られた仲間でもあるしね。

 まあ、バールのようなものと星(メテオ)では比べ物にはならないけど。


「ところでエーリカ、そのゴーレム……星鉄鋼製かな? いつ作ったんだい?」


 おおっと!

 私は慌てて足元を見る。

 大きめのぬいぐるみサイズの鋼鉄の全身甲冑っぽいものが、ちょこんと鎮座していた。

 いつの間に、庭園までついてきちゃったの!?


「あーー……。そ、それはですね、昨日、お兄様の酸のゴーレムを死(メス)してしまいまして、その核(コア)を再利用して……」

「あはは。大丈夫だよ。アシッドヒドロゲルゴーレムくらいなら、いくらでも作れるから」

「そう言っていただけると、ありがたいです」

「でも、星鉄鋼のゴーレムとは考えたね。魔力である程度変形するから、生物っぽい自然な動きができるわけか」

「そ、そう! そうなんですよ!」

「なかなか面白いねー……おや? もしかしてこれ、二層構造?」

「ひいい! それは現在実験中の極秘技術です!」

「そっかー、残念……おっと、もうこんな時間か……」


 これ以上誤摩化すのも限界だ!

 って思っていたら、兄は時計を確認し始めた。

 よ、よし! 誤摩化せそうだ!


「僕は一度、自分の部屋に戻るよ。エーリカに散々荒らされているだろうしね」

「う」

「落ち着いたら今度は例の首飾りの件でも話そう。あっちも面白いことがわかったからね。では、またね、エーリカ」


 そう言って、エドアルトお兄様は自室に戻っていった。


 足元に目を向けると、ぬいぐるみサイズの星鉄鋼ゴーレムの後頭部が見えた。

 本当は、それはゴーレムでは無い。

 とあるものが、星鉄鋼製の小さな甲冑を着込んでいるだけだ。


「どうして、ついてきたの?」

『気になったからに決まってる』

「なにが?」

『なんで俺を生かしたんだ』

「同情、かしら?」

『俺は同情は嫌いだ。俺の気持ちは、お前には分からない』

「そうね」

『でも、いい事も聞けた』

「さっきのお兄様のお話のこと?」

『ああ』


 黒い空洞からポロポロと涙がこぼれてきてる。


『俺はあいつに裏切られたわけじゃなかったんだな。あいつも殺されたんだな』

「みたいね。あくまでも伝承だけど」

『俺は』

「はい」

『あいつの為にも泣いていいのだろうか』

「ええ」


 昨晩、解呪の儀式の後、クラウスからザラタンの封印された壜(びん)を渡された。

 「お前の好きにすればいい」と彼は言った。

 なので、私はお言葉に甘えて即行で封印を解いたわけである。


「私は、あなたの復讐は正当だと思う。それに、私の祖先がした契約を履行したかったの」

『何故だ』

「同情よ。私の気持ちを、あなたは理解しなくていいわ」


 封印を解除されたザラタンは、クラウスによる空間圧縮魔法の影響か、更に小さくなってしまった。

 猫ほどの大きさの奇形の竜(ドラゴン)。

 それが今の彼の姿だ。


 夜空のように黒い鱗。羊のように湾曲した二つの角。

 ノコギリのような鋭い牙は、鮫のそれのように何列も並んでいる。

 十本の指には水かきと、短く鋭い鉤爪。

 背の部分の鱗は特に分厚く癒合していて、甲羅のようにも見える。

 成長前の姿をとっているのか、頭部や前腕が大きく、上腕や尻尾が小さい。

 全体のバランスはまさにテディベアだ。


 鱗や水かきによって魚と呼ばれ、甲羅によって亀と呼ばれ。

 賢者の石と呼ばれ、神と呼ばれ、悪霊と呼ばれ。

 でも、ついには彼自身を呼ぶための名を与えられなかった。

 世界にたった一匹の孤独な奇形の黒竜。


 私は夜なべして小さな一つの甲冑を作った。

 素材は魔力に反応し、いくらでも形を変える星鉄鋼。

 呪文はアセイミナイフで物理的に刻んで構築した。


 呪文の構築も魔法の充填もできない私ができる、数少ない錬金術師らしいことだ。


 そして、彼の魂をその甲冑の中で解放した。

 一つは彼をゴーレムに偽装するため。

 もう一つは、際限なく膨張する彼の肉体の檻とするために。


『……俺の復讐は、終わりだ』

「いいの?」

『俺はお前を一度は殺したと思った。

 そのとき、俺の心は何もかもどうでもよくなるくらいに、喜びで満たされたのだ。

 お前は、あいつによく似ている。

 俺はアウレリアなんて本当はどうでもよかった。

 俺はあいつさえ殺せればよかった。

 俺にはあいつだけが特別だった。

 だから、いいんだ。もうあいつはいないんだから』

「本当は意趣返しに〈錬金術師の星〉で殺したかったのよね?」

『……よく分かるな』


 六百年以上の歳を経た小さな黒竜は、甲冑の向こうで楽しげに笑う。


「もし私にできるなら、契約の履行も代行しておくけど」

『俺の願いは、今も昔も変わらない……俺に友を、そして、俺に新しい名を』

「そんな事でいいの?」

『俺は、まさにそれを何百年も渇望していたんだ』

「……そうだったわね」


 私はかがみ込み、黒竜ザラタンの鉤爪に手を触れる。


「では、あなたに新しい名を──」


 その時、ハーファンの麗しく勇ましい兄妹が沢山の薔薇を抱えて帰ってきた。

 花盛りの〈春の宮殿〉を、爽やかな風が吹き抜けていく。


 こうして、私の最初の冒険は幕を下ろしたのだった。


       ☆


「来れ、我が友、この海を越えて、我らが約束の土地(ティル・ナ・ノグ)に、新しい名を授けよう」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怒涛の展開から、この小噺の終わりまで 最後鳥肌が立ちました。 大切に読んで楽しみたいと思います。
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