怪物狩り3
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。もうちょっと説明をしてください、エドアルト卿」
ハーランが説明をするようにエドアルトお兄様に促した。
金狼王子とアアル仮説の情報が繋がったせいで、何に気がついてしまったのですか、お兄様。
「俺だけでなく他のみなさんも、おそらくついていけてないと思うので、その、お願いします……」
「おっと、失敬。少々取り乱してしまいました」
ハーランの言葉で兄は多少落ち着きを取り戻したようだった。
兄が深く長い深呼吸を何回か繰り返すと、紅潮した頬の色が多少引いていく。
「これはホレの話を聞いた時から感じていた違和感なのですが」
照れ隠しにこほんと咳を一つしてから、兄は説明を始めた。
「ホレは金狼王子が膨大な魂の断片を蓄積していると言っていました。しかし、金狼王子はそんなに膨大な魂を保持する必要はないはずなんです。吸血鬼ならば保有する魂の分だけ強く殺しにくくなります。しかし、金狼は殺されることを前提にして、因果を遡及してまでして乗り移っていく怪物です」
吸血鬼は保有する魂の分だけ、殺しにくくなる。
魂は多く保有すればするほど有利だ。
それに対して、金狼王子はかなり特殊だ。
因果を遡及して、自分自身を殺した相手を呪う怪物。
「金狼王子の能力なら、たくさんの魂を持って死ににくくなるより、適度なタイミングで殺されて次の体に乗り移る方が合理的ではないでしょうか。それなのに、なぜか金狼王子は膨大な魂の断片を持っている。……ここで魂を大量に保持すること、それ自体が目的と僕は仮定してみたんですよ」
無数の魂を保持する、絶対に破壊されない怪物。
なぜそんな怪物が必要なのか。
「ホレは幅広い年代の多岐にわたる魂という表現を使っていました。ところが金狼王子が狂王配下で活動していた期間は限定されている。クロードに乗り移った後のことを含めても、幅広い年代とは言えない。つまり金狼王子が実際に捕食したもの以外の、より古い年代の魂を保持している可能性がある」
なるほど、確かにそうかもしれない。
では、なぜそんな古い魂の断片を取り込ませたのか。
「僕はふと自分の行動を振り返りました。僕はこの部屋を作った母たちと同じように、沢山の資料を持っています。ねえ、クラウス君なら知っているよね」
「……ああ、長らくお前の遺産の番人をやっていた」
兄がクラウスに向かって申し訳なさそうに笑った。
クラウスは表情を変えずに、ただ頷く。
「そして僕は、それを、自分勝手なのを承知でエーリカへ残そうと思っていた」
エドアルトお兄様は、許しを乞うような、控えめな態度で私を見た。
私はどんな顔をしていいか分からず、とにかく兄のために微笑み返した。
そして兄は安心したように長いため息を吐いた。
「自分の死を意識した時、僕はそうしたいと思ってしまった。どうやら僕は、自分自身の意思と記憶こそが自分なのだと思っているみたいなんですよ。だからこそ意思と記憶を記録に残して自己の複製として大事な誰かに伝えたかった」
兄は一同をぐるりと見回した。
「だからこの冥府と呼ばれる魂……その人間たちの膨大な記憶を持つ狂王もまた同じだったのでは無いか……僕は、狂王が金狼を作った目的の一つが自己の複製なのだと、思ったわけですよ」
狂王の持つ冥府の如き魂を複製する。
そんなことが可能なのか、そんな呪術はありえるのだろうか。
「えっと……金狼王子はものすごーく壊れにくい幻獣だから、その中に自分の日記の写本を隠してるってこと?」
「うん、いい例えだね。その通りだよ」
クロエが尋ねると問いかけると、兄は頷いた。
それを聞いて私の脳裏に浮かんだのは、バックアップデータの入った外部記憶装置だ。
破壊されたら因果を弄って複製する最強のバックアップ。
たしかに便利そうだ。
「さて、ブラド。君の体は狂王の魂が呪術として埋め込まれているんだよね?」
「ああ」
「そして狂王として完成するには、別の呪術によって沢山の人間を屠り、その血肉を受ける必要があるだろうと、リーンデースの魔法使いたちに判断されている。それ故に、なかば軟禁状態でこの学園で生きている」
ブラドは無言で頷く。
なるほど。
このリーンデース以外には竜の身体を借りて移動しているのはそういうことか。
万が一の場合を想定して、ブラドはこのリーンデースから出ることはできないのだ。
「その特定の呪術に相当するのが、金狼王子の保持する魂の集積だとしたらどうだい?」
「……ほう」
「沢山の人間は、もうずっと昔に屠ってあるから、あとはその血肉を魂として受けとるだけ。そう仮定したら?」
狂王に捧げる犠牲者を集めたりするようなことを今からする必要はない、というわけか。
ああ、だからリエーブルは金狼を探していたの?
「だからこそ、吸血鬼たちは必死で金狼王子を追跡していた……ほら、それらしい話になってきただろう?」
私が思いついたタイミングで、兄が補足してくれた。
そうか、あの狂王配下の強力な吸血鬼は、狂王復活プロジェクトの真っ最中だったんだ。
「ならば何故あの霊安室で私にその魂の譲渡が行われなかった? 最高のタイミングではないかね?」
ブラドの問いに、兄は複雑な表情を浮かべた。
言いにくそうに口を開く。
「ブラド、魔法使いとして完成するには精神的・肉体的成熟に加えて血の滲むような鍛錬が必須だよね? それに、精神感応だって精神の安定と成熟が関連するだろう?」
兄の言葉に、ブラドが目を見開く。
「なるほど……吸血鬼に取り込まれた肉体と魂は、擬態はできても成長はできないですからね」
ハーランが手をぽんと叩いた。
「金狼王子が僕とエルリックを捕食していかなかった理由は不明だけど、君に魂を移譲することもせず、拐うこともしないで去った理由は分かったね? 金狼王子は八年の時を経て、君の体と魂だけでなく、君の辿った人生を、君の積み上げた努力を……一切合切を根こそぎ奪いにくるつもりなんだ」
「……!」
ブラドは眉間に深いシワを刻んだ。
「確かに、それなら辻褄が合う。私の肉体的成長と、精神感応者及び魔法使いとしての完成を待つため、か……」
ブラドの声はわずかに震えていた。
それは、恐怖からなのか、屈辱からなのか。
あるいはその両方の所為なのかもしれない。
「やっと俺にもわかりましたよ、エドアルト卿」
兄とブラドの二人が結論にたどり着いてから、ハーランが会話に参加した。
「八年間不活性化していた金狼王子が我らの手を逃れたのは、機が熟したからだということですね。ブラド卿、あなたを手に入れるために」
ハーランの言葉に、ブラドは無言で頷いた。
「そして吸血鬼たちの元には狂王の器を奪還のための大道具が揃いつつある。今は総攻撃の一歩手前といったところでしょうね」
器の成熟を待って、活性化した金狼王子。
それに合わせて、飢餓天使や幻獣のために悪性変異祭壇を秘密裏に作っていた吸血鬼たち。
「つまり金狼王子が目指す場所は、ブラド卿のいるここ、リーンデースだ」
「その通りです、ハーラン卿」
「だとすると狼を狩り出す計画を立てる予定が、狼を待ち伏せる計画へと変わるわけですね?」
「ええ」
それを聞いてハーランが長いため息を吐いた。
「こんな状況でこんな事を口に出して良いか分かりませんが、金狼王子に限って言えば、神出鬼没の彼を追跡するより、ずっと好都合に思えますよ」
確かにハーランの因縁に限って言えば、好状況とも言える。
「でも、この仮説には決定的ないくつかの抜けがあって、ところどころ辻褄が合わない部分があるんですよ」
兄はハーランとの会話を一旦切ってから、他のメンバーをぐるりと見渡した。
「まず一つは、監禁されていた金狼がどのように時期を察知したのか」
「二十代も半ばを過ぎれば充分だ、ということじゃないのか?」
クラウスが答える。
ほどほどに歳を取れば成長しているだろうと見込んで、かあ。
ちょっと行き当たりばったりのような気もするけど、ありえないことではないな。
「もう一つは、なぜ狂王はこんな手間のかかる呪術で身体を乗り換えたようと企んだのか」
「もしかして、キャスケティアがイグニシアに滅ぼされた時から、ずっと弱体化していたとか?」
オーギュストが答える。
ギヨームとの戦いに負けて、狂王は滅びたはずだものね。
「七百八十四年間もずっと回復することもなく、ですか? 吸血鬼は人を食べればまた強化されるのに」
「あ〜、昔すぎるってことか」
敗走して雌伏していたであろう期間は七百八十四年……ほぼ八百年だ。
人の世に紛れて、人を捕食して、八百年もあれば十分な力を取り戻せるだろう。
では、何故?
「それについては、俺に少しだけ思い当たる節がありまして……時間をいただけますか?」
ハーランが複雑な表情を浮かべて手を上げた。
「たった一人で狂王の殺害を試みた人物を知っています。もし彼が狂王に大打撃を与えていたならば……」
「……たった一人で狂王殺しだと? 正気か? だれだ、そんな無謀な奴は」
クラウスがツッコミを入れた。
たしかに無謀というか、もはや狂気の沙汰だ。
「……その人間の名はオスヴァルト・ボルツ。アアル仮説を書いた、その人ですよ」
ハーランはものすごく言いにくそうに答えた。
え?
今なんて言いました?
「フレデリカ・ボルツがなぜ吸血鬼殺しにならざるを得なかったのか、彼女に聞いたことがあるんですよ。その時に嘘だと思っていいよ、私は嘘つきだから、とあの人は笑いながら、この話をしてくれました」
ハーランは目を伏せて、懐かしそうに語った。
「私の兄が吸血鬼の王様を殺しかけたせいだよ、と彼女はそう言ったんです」
ハーランが私と兄を交互に見てから、意外そうな顔を浮かべた。
「西のお二人はご存知かと思っておりましたが、違うようですね。俺としても真偽不明なため言って良いか判断に迷っていましたが」
「いいえ、僕もエーリカも初耳です。だよね、エーリカ?」
「ええ、お兄様」
初耳どころか、寝耳に水すぎる。
「つまりは、伯父はあの仮説からさらに進展して、なんらかの結論と対処方法に至ったということか」
「そしてその果てに、実際に狂王を見つけ出して、実演してしまったってことですね、お兄様」
「困ったね、エーリカ……西の血筋なら普通にあり得るね」
仮説を立てたので、証明したくなってしまったんだろうね。
西の血の悪いところだ。
未知の海路を切り開いては死んでいった、祖先も同じ気質なんだろう。
「その結果は鞄に詰められた白骨死体……もし本当に彼が戦っていたとしても彼は負けたのだ、と俺は判断していました。しかし、今日の話を聞いて、果たして本当に負けたのか……いや、彼は善戦していたのでは、と思い至りました」
狂王相手にたった一人で戦い、狂王本体を追い詰めたという事だろうか。
それも、狂王が己の魂を別の体に移さなくてはいけないほどに。
「しかし、前代未聞ですね。八百年前のイグニシア征服以降、狂王は滅びたことにされていたし、誰もそんなものを発見していない。そんな狂王をどうやって狩り出したのか、想像が及びませんよ」
アクトリアス先生が思い切り首を傾げていた。
「お兄様、伯父様のアアル仮説以外の遺産みたいなもの……より詳細な日記などはないのですか? それこそ、お母様やお兄様の資料庫のようなものは?」
「ところが伯父にはそのようなものはなくってね……」
兄は困り果てた顔で笑った後に、目を見開いた。
「いや、思い当たる節がある。母方の家の財産目録の中の一つに、誰も相続していない小島があった。たしか母の意思で相続対象外になっていたものだよ。今までは気にも留めなかったけれど」
「気になりますね、お兄様」
「だよねえ、エーリカ」
母が私たちに引き継ぎたくなかったオスヴァルト・ボルツの秘密が、そこにある可能性がある。
母は親心から、そんな事故物件みたいな島を相続から外したのだろう。
私たち子供には吸血鬼の王様に関わり合いになって欲しくなかったのだろう。
でも、今はそれを知らないことが怖い。
「僕は伯父と狂王の間に何が起こったかを確認するため、その島へ調査に向かってみようと思う。狂王の暗躍に、伯父の件が関わっているのならば、徹底的に調べておく必要がある。そうでなければ、根本的に方向性を間違う可能性があるからね」
兄は、部屋にいるみんなに目を合わせながら言った。
私も同意見だ。
「お兄様、私も同行してよろしいでしょうか?」
「うん、君も当然知る権利があるからね」
私に続いて、ベアトリスがそっと手を上げる。
「私も同行させていただいて良いでしょうか? 狂王殺しはウィント家の悲願の一つです。だから関与の痕跡がないか調べさせてください」
「うん、感謝するよ」
この話の最中に顔が青かったのはそういうことだったんだ。
ベアトリスも実家がらみが多くて大変だよね。
まあ、他人事じゃないんだけど。
「そうだ、クロエ君、ハロルド君、二人にも助力を願えるかな?」
兄はクロエとハロルドにも助力を乞うた。
「うん!」
「え、えええ? 俺? 俺もですかあぁ???」
クロエの力強い答えと、ハロルドの困惑がとっても対照的だ。
怖いものが嫌いなハロルドは、鞄入り白骨死体になってた人物の島になんて行きたく無いだろうなあ。
「ありがとう、クロエ君。未解析の魔法・錬金術・呪術対策には雪銀鉱があると助かるからね」
兄はクロエに満面の笑みを浮かべて感謝を示した。
そしてその後に、ハロルドにすがるような視線を送る。
「ハロルド君が来てくれると、同じ錬金術師としての意見が聞けて助かるのだけど。これから探るのはもしかしたら狂王をあと一歩まで追い詰めた前代未聞の錬金術師だ。もしかしたら狂っていたのかもしれない……何があるか何がおこるかまったくわからない。だから優秀な錬金術師の視点があればあるほど、助かるんだ」
そう言って兄は、ハロルドの手を握った。
ハロルドの方が年下なのに高身長だから、堂々とした兄が華奢に見えてちょっと面白い光景だ。
「僕、エーリカは同じアウレリアの錬金術師だ。ニーベルハイムのハロルド君がいれば、僕たちの気づかない何かを見つけてくれると思うんだけど……ダメかな?」
「……は、はぃぃ。つ、ついていきまぁす!!!」
そうして哀れなハロルドは秒で落とされてしまったのだった。




