怪物狩り1
その日の夜会にて。
私は今回の探索行の結果を全員に伝えた。
「リエーブル名義の借家には、汚染祭壇につながる魔法陣が仕掛けられていました。一軒目の魔法陣を破壊後、吸血鬼二体に襲われましたが、ベアトリスが撃退してくれました」
皆の視線がベアトリスに集まった。
意外そうな表情を浮かべているオーギュストとハロルド。
お兄様やアクトリアス先生・ハーランは前日の準備の件を知っていたのか、そこまでは驚いていない。
クラウスやブラドは納得ずくの顔をしている。
「汚染祭壇は五つの魔法陣の中心に建てられていた、とある礼拝堂の地下にありました」
礼拝堂については、万霊節の件を絡めて端的に説明する。
現在の警備体制と褐色ワーム撤去作業の概要をクラウスが補足してくれた。
「汚染祭壇を解呪後、現場を掘り返すと骨の欠片が見つかりました。……疫病天使によって飢餓天使のもので間違いないと鑑定済みです」
そこまで一気に語って、私はぐるりと見回す。
事態の深刻さが伝わったのか、みんな暗澹とした表情をしている。
「それはエーリカたちが屍都遺跡で見た、生命を歪めて悪性変異させる魔法陣と同じものと考えていいかな?」
「はい。その通りです、お兄様」
「つまり吸血鬼は、飢餓天使を堕落した存在……言わば堕天使として新たに生成する計画を立てていたと言うことだね」
エドアルトお兄様が最悪の予想を私の代わりに口に出してくれた。
「ええ、そうです。お兄様」
「想定はしていたものの、ここまで計画が進んでいたのは、なかなか衝撃的だね……だとすると、他の魔獣・幻獣由来の組織も見つけたのかい?」
「天使の標本以外に祭壇で見つかったのが、こちらになります」
私は天使の標本箱の横に、もう一つの銀色の破片の入った箱を置く。
帰宅後すぐに手持ちの書籍をひっくり返して調べてみたが、私では特定できなかった。
「今のところ正体は不明ですが、天使に比肩する怪物なのではないかと疑っています」
「その分析、私にやらせてもらえませんか?」
ありがたいことに、まっさきにアクトリアス先生が立ち上がってくれた。
ちょうどこちらからお願いしようとしていたところだ。
「ええ、是非お願いします。アクトリアス先生」
私は謎の標本箱を渡す。
箱を覗き込むと、アクトリアス先生は僅かに目を見開いた。
「もしかして……」
「先生、なにか心当たりがあるのですか?」
「ええ、まだはっきりとは断言できないのですが、心当たりがあります」
さすが、アクトリアス先生だ。
もともと専門家だし、幻獣についての造詣も深いものね。
「エルリック、それについては私にも関わらせてもらえるかね? 汚染祭壇に使われている呪術と照合することで、幻獣の特定に役に立てるかもしれない」
「ああ、君が助けてくれるなら心強いよ、ブラド。おそらくこれは南方の幻獣だからね」
「南方の、か。鱗ではなく、外骨格のような甲殻……銀色の金属光沢……これは……」
ブラドは言葉を切り、驚愕の表情でアクトリアス先生を見つめた。
二人とも心当たりがあるのか。
反応から考えて、かなり脅威的な幻獣のようだ。
「頼むよ、二人とも。不安要素は早めに洗い出したいんだ。そうでなくたって、僕は飢餓天使の件だけでも不安でたまらないんだから。君たちもこれだけで終わるとは思ってないだろう?」
兄がさらりと恐ろしいことを口にした。
アクトリアス先生とブラドの二人も静かに頷いた。
「どういうことですか、お兄様」
「骨標本として出回っていたものは、本当にこれだけだと思うかい? この骨標本の断面は他の部分とは風化の度合いが違う。近年になって細かく分割したものだろうね」
何のためにやったのか?
広まっていた噂と合わせて考えれば、自ずと答えは導きだせる。
「好事家向けに、砕いて売り払った輩がいる、ですね、お兄様?」
「そうだよ、エーリカ。誰がやったか……吸血鬼だったのか、信仰心のない人間だったのかは不明だけど、とにかくこの天使はバラバラにされている」
死体を無残に漁られて売り払われた飢餓天使のことを思うと気が重い。
ちらりとパリューグを見ると静かにオーギュストの膝の上で丸まっていた。
「そして、どこか別の汚染祭壇で、今まさに堕天使が生成されようとしているんじゃないか……ってね」
兄は不安そうに目を伏せた。
「各地の幻獣標本の売買を調べる必要がありますね。ねえ、ハロルド、調査をお願いしてもいいかしら」
「任せてよ。一週間ほど時間もらっていい?」
「ええ、よろしく頼むわ、ハロルド」
ハロルドへの依頼がまとまると、ハーランがそっと手を上げた。
「ハロルド君では犯罪者の非合法ネットワークは追えないでしょう。俺がそちらを調査を担当しますよ」
「例の施療院や診療所を使って、ですか?」
「ええ」
ハーラン配下の荒事担当ウトファル修道騎士は軟禁状態だ。
しかし、ウトファル修道騎士系統の施療院や診療所にいる諜報員までは咎められらなかったのである。
というか「各地の希少な医術師も兼ねているので軟禁したくてもできなかった」が正解かもしれない。
「我々の医療機関は大陸の至る所にありますので、諜報活動なら可能です」
「では、よろしくお願いいたします、ハーラン卿」
確かに人の世の暗い部分を漁るなら、ハーランが最適だろう。
「アクトリアス先生、伝書できる鳥をたくさん貸してもらえると助かりますが、大丈夫ですかね?」
「もちろんですよ、ハーラン卿」
こうして、天使の標本に関する再調査の割り振りが決まった。
緊急かつ危機的な事態ゆえに、各国の要人にも飢餓天使についての情報を伝えることになった。
兄から父と学園長へ、オーギュストからイグニシア王へ、クラウスからハーファン公爵へ。
これで連合王国の各地で秘密裏に対策が取られるだろう。
祭壇の調査も大陸全域で徹底的に行われることになる。
汚染祭壇の浄化は、イグニシアの竜騎士かウトファル修道騎士ならば十分可能だ。
飢餓天使が悪性変異した堕天使が、まだ完成していないことを祈るばかりである。
☆
次の日の放課後。
私たちは今日も走り込みをしていた。
敵の陰謀で何が起こるかわからない現状、逃げ足を鍛えるのはとても有意義に思える。
「私ももっと鍛えなきゃいけないし、ちょっとだけ本気で走ってくるね〜! グラウンドじゃなくて学園一周してくる!」
そう言ってクロエは加速していった。
あっという間に彼女の背中が小さくなっていく。
どれだけ鍛えれば、あんな身体能力になるのか……ひたすら謎である。
あとで聞いてみようかな。
残された私とベアトリスは、いつものコースを無理のない速度で走る。
「おーい! エーリカ〜〜!」
少し離れた場所──図書館から本校舎へむかう小道を、オーギュストとクラウスが歩いていた。
オーギュストのほうは元気にぶんぶん手を振っている。
「頑張ってるな〜!」
「放課後に走り込み? エーリカにグラウ嬢……何をやっているんだ?」
私は少しペースを落として、答える
「ウィント家の指示ですよ。北国仕込みの訓練です」
「は? なんだと? 過去からの干渉で走り込みの訓練なんて初耳だぞ?」
「あとで役に立つから鍛えておけとのことでした。逃げ足は鍛えておいて損はないかなと思いまして」
「……ううむ、一理あるが、お前たちは短杖や魔法が使えるだろう……いや、だとすると魔法が使えないような事態に巻き込まれるのか? ……判断に迷うな」
クラウスが思いっきり眉を顰めた。
「へえ、面白いな〜〜。走るには良い時期だし、私も走りたいくらいだ」
オーギュストは仲間になりたそうにこちらを見ている。
クラウスはそれを見て嫌そうな顔をした。
「もし一緒に走り込みしたければいつでもどうぞ」
「あー、じゃあせっかくだし、着替えて私も混じってこようかな……」
オーギュストがふらりと踵を返しかけると、クラウスは穏やかな笑顔を浮かべた。
あ、これはオーギュストに釘を刺す時の本気顔だ。
「オーギュスト殿下。本日の生徒会のお仕事はどうなさるんです……?」
「ぐ」
「お互い例の緊急事態で、これから数日リーンデースから離れる可能性もありますよね」
「ぐぬぬ」
クラウスが釘をザクザク刺すと、オーギュストが言葉を詰まらせた。
「というわけで、オーギュスト殿下は仕事をきちんと終わらせて、その他の用事も済ませてから訓練に付き合うそうだ。俺も少し体が鈍っているから、後日こいつと一緒に混じらせてもらおう」
そう言って、クラウスはオーギュストの首根っこをつかんで引っ張っていった。
なんとなくだけど、将来もあんな感じなんだろうな、あの二人……。
二人が去ったので、私はペースを戻す。
ちょうど私がベアトリスに追いついたタイミングで、クロエが戻ってきた。
「お待たせ〜!」
「今日も絶好調だね、クロエちゃん」
「いつでも臨戦態勢だからね!」
例の天使の件を聞いて、クロエは戦意喪失するどころか、やる気満々になっていたようだ。
実に頼もしい。
その後、三人でもう少し走ってから、ストレッチを行った。
次は保健室でマッサージに薬物投与である。
三人で保健室に行くと、いつもの通りハーランがにこやかに待ち受けていた。
私とベアトリスはクロエにマッサージしてもらったり、体の確認をしていく。
「膝や足首には負担がかかっていないみたいだね。しっかり筋肉量も増えてるし」
「ええ、あなたのお陰よ、クロエさん」
「ふむふむ、だったら、もっと厳し目の訓練にしても大丈夫っぽいね!」
厳し目の……訓練……え、私もう限界じゃ無いかな……。
クロエの言葉に心が燃え尽きそうになりながらも、耐える。
「さて……今日は湿布もでしたっけ?」
「うん、よろしくお願いするね」
クロエに言われて湿布の用意に向かったハーランが何もない床でよろけた。
「大丈夫ですか、ハーラン卿」
「いやあ、すみません。昨晩寝てないもので」
よく見るとハーランの髪には黒いほわほわした綿毛がついてる。
あ、伝書烏の羽だ。
「各都市に連絡を入れたんですね」
「大量の烏や梟を精神感応で一気に調整したら、ヘトヘトになっちまいましたよ」
ハーランは自分用に水薬のコルクを抜いた。
何を飲んでいるんだろう
「疲労回復薬ですか?」
「あ、これですか。覚醒効果のある植物の根から抽出した成分が入ってまして……」
「もしかして、今夜の夜会の後も徹夜で働く気ですね?」
「ふふっ」
ハーランは誤魔化すように笑った。
この人も大概にブラック労働気質だよね。
商売相手や取引先としては義理堅くて良いけど、上司には欲しく無い感じがするぞ。
あ、そう言えば。
「そういえばクロエさん、どんな鍛え方をしたら、クロエさんみたいに強くなれるの?」
「へっ? いきなり?」
「走っている時に、ふと気になってしまったのよ」
「そうだね、毎日欠かさず訓練していたら、いつの間にか、かな……?」
毎日訓練しただけで、そんな強さになるのか。
ルーカンラント人、すごいなあ。
「そうそう。それと、いい先生に恵まれたせいもあるかも」
「どんな人だったの?」
「ええっと、私を鍛えてくれたのは家庭教師に女中、庭師……この三人だったかな。体術は家庭教師、暗器の扱いについては女中、剣は庭師が私の先生だったよ。専門分野で戦ったら、まだ勝てるかどうか分からないなあ」
商家の家庭教師や女中や庭師が、今のクロエと同じかそれ以上に強いの?
ルーカンラント、恐ろしい国だな。
あの国に支配はされたくないけど、敵にも回したくない。
やはり同盟を組むのが正解な気がする。
「それってクロエちゃんを教育するための特殊な人材だったんじゃないかな」
「はっ! そういえば、普通そんなことないよね? なんでみんな普通の商家の使用人なのに強かったんだろう??」
「えっ!? クロエちゃん気付くの遅いよ??」
すかさずベアトリスがクロエにツッコミを入れた。
なるほど、確かに普通は戦闘の専門家が示し合わせたように三人も同じところに就職しないよね。
臣民全員が戦闘要員みたいな国じゃなくて安心した。
「体術・暗器・剣の達人……。クロエ様、もしかして」
ハーランが複雑そうな表情で手を上げた。
「首に三つならんだ黒子のある黒髪・褐色の肌の家庭教師、左の目の色が紫で右の目の色が青で黒髪の女中、長い銀髪を結い上げている緑の目の庭師ですか?」
「えっ、どうして知ってるの?」
「旧知の仲とでも言いましょうか。クロエ様のお母様とよく一緒にお仕事をしていた仲間です。そうか、あの人たち俺に秘密でクロエ様に護身術を……」
ハーランが感慨深そうに呟いた。
なるほどね、クロエのお母さんの忠臣はハーラン以外にもいて、クロエに尽くしていたのか。
三人がかりで鍛えられたら、そりゃ強くもなるよね。
「では薬物については俺が担当しますね」
「わ〜〜、ありがとう、ハーラン! あ、私、銃にも興味あるかも!」
「剣に拘らない思考というのは、いい傾向ですね。では、いずれ銃も練習しましょうね」
勇猛な剣士で名高いルーカンラントは、本当は手段を選ばないから強いのだ。
暗器の扱いが護身術のカテゴリに入るような国だものね。
そうだ、銃といえば。
「ハーラン卿。ハロルドにも護身のために銃を用意してもらえるかしら?」
未曾有の危険がせまっている現状だ。
短杖の使えないハロルドのために、多少は武器を用意してあげたい。
ハロルドが用心深く賢いことは知ってる。
でも、それでも万が一、独りっきりになってしまった時に彼の助けになるように。
「ええ、承知いたしました」
特に説明しなくてもハーランは察してくれたのか、さらりと私の提案を受け入れてくれた。
面白いものに目がなくて、珍しいものに興味津々のハロルドのことだ。
きっと銃も気に入ってくれるだろう。




