天使の標本箱2
私とクロエは、地下での吸血鬼の言動について覚えている限り話した。
その上で、先ほど二人で話し合った内容もみんなと共有する。
兄が口元に手を当てて考え込む。
「調べてみる価値があるかもしれないね」
兄によると「死を貪り喰らう者」はリエーブル名義で複数の家を借りていたらしい。
今のところ、リエーブルの借家は市で管理されているらしい。
なにしろ借り手が借り手だ。
「僕も調べたかったんだけど、拘束されたり尋問されたりで抜け落ちていたよ」
誘拐事件の犯人疑惑で拷問とかされてたから仕方ないよね。
兄にしては珍しい落ち度だとは思ったけど、確か薬物で記憶も弄られてたんだっけ。
「ではこの調査は──」
「私がやります」
兄が言いかけたタイミングで、クロエが手を上げた。
速いな!?
「この件は私とエーリカさんの獲物だから最後まで追いたいんだけど、ダメかな?」
ひっ、御指名まで来てしまった。
「獲物……うん、そうか、そういうタイプなんだね。じゃあ、せっかくだしお願いしようかな」
兄は多少困惑しながらもOKを出した。
「うーん、エーリカ様には例の天使様と西の幻獣が随行なされるでしょうし、問題はないでしょう」
ハーランもさらっとOKする。
「えっ! 皆さん判断速すぎじゃないですか? 私の意思は?」
「え……私とじゃイヤかなあ?」
クロエに潤んだ目で見られる。
とても可愛らしい見た目である。
乙女ゲーのヒロイン力をこんなところで使われると……うう、逆らえない。
「そんなこと、あるわけないわ」
「よし、じゃあよろしくね!」
うう、これで引き返せなくなってしまった。
自分でやりたいなんて拘りはなかったのに。
「そこら辺にいる雑魚吸血鬼が、お前たちをどうこうできるわけがない。大丈夫だろう」
「クラウス様、あまりにも扱いが酷くないですか? 無責任というか」
「お前の後始末ならいつでも呼んでいいぞ? 無責任どころか、いくらでも責任を取ってやろう。どうせお前のことだから、ヘマしたら都市ごと滅びそうになるに決まっている」
クラウスは片方の口の端をあげて笑う。
「死を貪り喰らう者の後始末、ありがとうございました、クラウス様」
これについては前科があるので言い訳しにくい。
「あはは、こういうのはクラウス君が便利……優秀だよね、ほんと」
「本音が漏れているぞ、エドアルト」
「まあ、いつものごとくエーリカと僕の後始末をよろしくね、クラウス君」
お兄様も大概に破天荒だ。
兄妹そろってクラウスに後始末してもらってるなんて、いいのだろうか。
「とはいえ、やっぱり万が一ということもありますし。念のため俺が隠密についていっても大丈夫ですか?」
「だったら僕もついて行きますね、ハーラン卿」
ハーランがせっかく保護者を申し出てくれたのに、兄が張り合い出した。
「はあ? 怪しい保護者と見苦しい保護者がズルズル増えても、いいことはないだろう?」
「ううーん、ひどいなあ、クラウス君!」
「おやおや、これは手厳しいですね」
クラウスの毒舌に、兄とハーランがしょんぼりと肩を落とす。
「あ、あの!」
ベアトリスが手を挙げた。
「ええっと、私もお二人についていって良いでしょうか?」
「ベアトリス嬢もかい?」
兄が意外そうな声をあげる。
「お二人にはいつも助けてもらっているので、何か役に立ちたいんです。絶対に足手まといにはなりません」
ベアトリスが真剣な目で言った。
「うんうん、休日に仲良し三人で街に遊びに出掛けたって感じに偽装できるし、僕は良いと思うな」
兄はにこやかに微笑む。
確かに私とクロエに加えて他の大人とか男子だと、ちょっと目立つ。
だけど、ベアトリスを足して三人の女の子なら、市街地に遊びに行くのも自然だね。
というわけでトントン拍子に私・クロエ・ベアトリスによる荷物探索が決定した。
その後は、引き続きいろいろな事柄について微に入り細を穿つような質問が続いたのだった。
☆
そして調査当日の休日。
学園の門の前で、私たちは落ち合った。
今日は馬車で現場まで移動する予定になっている。
待ち合わせ場所に最初についたのは私で、次にクロエだった。
クロエは腰に帯剣していた。
「おはよう、クロエさん。今日は剣を持っているのね」
「一応はね。でもこれは普通の剣だよ」
そういえば、彼女の雪銀鉱の剣は前の事件で折れたままだっけ。
さすがにウトファルの騎士から略奪したものをそのまま使うわけはないか。
雪銀鉱は装身具で保持しているから、いざという時はそっちを使えば良いわけだしね。
そして最後に到着したのはベアトリスだ。
「す、すいません、遅れてしまって……」
よくよくベアトリスの顔を見ると、目の下にはうっすらとクマが出ていた。
おや、何か遅くまで勉強とかしていたんだろうか?
「遅れてないわ。みんな約束の時間の二十分前に揃ってしまっただけよ」
というわけでしばらく、馬車待ちになりそうだ。
ぼんやりと今日の天気のことや、行先についてのことを何とはなしに話しておく。
すると、クロエが私の肩にいるパリューグの喉を撫でながら尋ねてきた。
「そういえば、エーリカさん、ちょっと聞いて良いかな?」
「ええ、なにかしらクロエさん」
「天使のヒトって、この猫のヒトでいいの?」
「そ、それは……」
私は言葉をつまらせた。
な、なんでバレてるの? クロエ、恐ろしい子!
『うむ! その通りだ!』
私が言い澱んでいるうちに、勢いよく返事したのはティルナノグだ。
「やった〜〜! 当たったーー!!」
両腕を天に突き上げて喜びを表現するクロエ。
朝から元気マックスである。
「クロエちゃん! いきなり核心をつくのはやめて! 心臓に悪いよ!」
ベアトリスが小声で叫ぶ。
クロエがパリューグを私の肩から持ち上げていった。
「あは、やっぱり天使様なんだ。なんでみんな気がつかないのか、不思議だったんだ!」
「にゃ……にゃ〜〜〜ん?」
「もうごまかしは効かないよ、天使様。あなたはぜんぜん普通の猫に見えないもの」
「にゃ、にゃーーん!」
この猫はシラを切る気のようだった。
でも、もう無理じゃないかなあ。
「本人はまだごまかせると思ってるらしいけど、正解よ」
「だよね、だよね」
クロエの表情がキラキラと輝いた。
そんなにバレバレとは、何が決め手だったんだろう。
「えっと、西の伝説の幻獣ティルナノグ……さん……だっけ」
『ティルでいいぞ』
「ティルと一緒で、時々すごい圧力を感じるっていうか、存在感が強いっていうか? 気配や雰囲気が普通じゃない感じがしたんだあ」
野生の勘、恐ろしいなあ。
「ふう、ここまで見抜かれていたんじゃ、正体をバラしてもいいかしら……」
パリューグはクロエの手から逃れて地面に降りると、私の後ろ側にいったん隠れた。
私が振り向くと、年齢と身長を私くらいに調節した制服姿の金髪褐色肌の美少女が現れた。
この獣は相変わらず器用この上ない。
「わあ……綺麗な女性だったんだ……」
「うふふ。クロエ、あなたの見抜いた通り、妾は普通の猫ちゃんじゃないのよ」
パリューグはクロエに向かって挑発するかのように、くいくいと招くような手つきをしながら、へらりと笑った。
「試してみる?」
答える間もなく、クロエが高速で抜刀してパリューグを斬りつけた。
普通ならば回避不可能な間合い。
しかし、クロエの剣閃が届くより速く、パリューグの姿は消えていた。
振り切った剣の上に、パリューグは軽やかに降り立つ。
「あらあら、人間も鍛えるとそんなに速くなるのね。素晴らしいわ」
「あはは、天使様にそう言ってもらえて光栄、かも」
クロエが剣の上に立つパリューグを見上げて苦笑する。
「でも、よかった。これなら本気を出しても大丈夫そうだね」
クロエがすっと剣を引いた。
間髪入れず、クロエは落下するパリューグに後ろ回し蹴りを放つ。
パリューグはそれを予測していたかのように、ふわりと跳んで回避。
クロエはキックの回転力をそのままに、更に斬撃。
再びパリューグが回避。
二人の攻防はどんどん加速していって、目にも留まらない速度になっていく。
不意にクロエが呼吸を乱し、わずかに遅れた。
流石に人間の限界か。
そう思っていたら、次の瞬間、クロエは今までで最速の踏み込みで突きを繰り出した。
フェイントからの渾身の一撃。
バランスを崩しながらも、紙一重でパリューグは避けた。
と思ったら、クロエが突き出した右手から剣が消えていた。
いつの間にか、剣は左手に握られている。
ええっ、これもフェイント!?
バランスを崩したパリューグの脚を刈るように、クロエの剣が低空を薙ぐ。
今度こそ回避不能の一撃が、パリューグを切り裂いた。
……かのように見えた。
しかし、それは網膜に残ったパリューグの残像だった。
クロエの手から、剣が落ちる。
パリューグはいつの間にかクロエの背後に回っていて、彼女を静かに拘束した。
「はい、捕まえた」
「くっ……!」
クロエは目を見開いた後に、項垂れるように首を下げる。
モゾモゾと体を動かすことは出来るが、逃げ出せない。
パリューグの膂力には、さすがのクロエも敵わないようだ。
「うふふ〜、どんなに足掻いても無理でしょ?」
パリューグが楽しそうに声をかける。
すると顔を上げたクロエもまた、楽しそうに口を笑みの形した。
「……?」
パリューグがクロエの笑顔に気を取られた須臾の間に、クロエは肘から先の腕を軽くスナップさせる。
何かがパリューグの肩に触れた。
「……!」
パリューグはとっさに肩を押さえた。
肩から耳にかけて、人の姿から獣人の姿に変わっていく。
雪銀鉱の装身具か。
奇襲で作った隙をついて、クロエはパリューグの前方に低く跳んで剣を拾った。
クロエは軽く剣を拭い、静かに鞘に納める。
「それがあなたの本当の姿なんだ。本当に獣身の天使なんだね」
「ええ、こちらが本当の妾。なかなか美しいでしょ?」
「私はその姿が一番好きだよ」
二人はにっこり微笑み合った。
「天使様、私の手の動きが見えていたのに、避けなかったのはどうして?」
「うふ、あの状況から何をするのか、すこーしだけ興味があったからよ。思った通り面白かったわ」
なんとも楽しそうだ。
この雰囲気なら、さっきみたいな攻防はもうしないな。
「同じ素材の針も持っていたのに、そっちを選んだのは、あなたが優しい子だからよねえ」
「うう、やっぱり針もバレちゃってるよね……」
「他にも、暗器みたいなのをたくさん仕込んであるわよねえ……?」
針状の雪銀鉱の道具なんて持ってたのか、クロエ。
幻獣がそんなものを差し込まれたらどうなるんだろう。
しかし、たくさんの暗器ってどういうことだ?
「あはは、そっちもバレてるんだ。うん、ハーランにたくさん貰っちゃったんで、持ってきたんだ」
過保護な保護者のせいか……。
ハーランはクロエに近づきすぎないようにしているのは見てわかるんだけど、内心はむちゃくちゃ心配なんだろうなあ。
「ひ……ひぃ……」
いつの間にか、私の後ろにベアトリスが隠れていた。
ぱっと見、本気のやりとりに見えるもんね。
「大丈夫よ、ベアトリスさん」
見た感じ、クロエとパリューグの二人にとっては他愛ないじゃれあいだ。
だって本当に本気の二人は、もっともっと怖い。
クロエの瞳は凍った湖みたいになるし、パリューグはずっと獣らしくなる。
「二人とも。ベアトリスさんが怯えているわよ」
「にゃ〜ん」
「あ……、ごめんね」
私が声をかけると、やっとパリューグとクロエがベアトリスに気がついた。
『まったく、脆い人間相手に手加減なしか、猫よ』
「あ〜〜ら、あんたには言われたくないんだけど?」
皮肉を漏らしたティルナノグにパリューグが舌を出す。
「しかしまあ、賢い子ねえ、気に入ったわ」
「あはは、ありがとう」
この地味ながらも苛烈な攻防が学園敷地内で良かった。
街に出てこれだと困っちゃうからね。
そんなことを話していると、いいタイミングで予約していた馬車がやってきた。
そうして私たちは馬車に乗り込んで、リエーブルの借家がある地域へと向かったのだった。
☆
「あ〜〜、でもスッキリした! 」
馬車の中でクロエは背伸びをした。
「夜会でバラしちゃダメそうだったから、いつ聞こうか迷ってたんだ〜!」
「空気を読んでくれてありがとう、クロエさん」
ちらりとオーギュストのことを思い出す。
可哀想なことをしているって、わかってはいるけど……。
「あはは、本人が嫌がってるならしかたないよね」
「あ、そういえば私も……」
ベアトリスが低く挙手した。
「あの場で言うのは場違いかなと思って、その、言えなかったんですけど」
「あら、どうしたの、ベアトリスさん?」
ベアトリスは一旦ぎゅっと目を瞑ってから、目をぱっちりと開いた。
「ええっと……ティルナノグ様、でいいのでしたっけ?」
『うむ! ティルでもいいぞ』
「あの、その節はずっと守っていてくれてありがとうございます」
『な、なに!!』
ベアトリスのいきなりの感謝の言葉に、ティルナノグは動揺した。
「よく私の上に落ちてくるレンガとか石塊を破壊してくれていたのは、あなたですよね?」
『俺に気付いていたのか? 何故それが分かった?』
うわ、ストーキングさせてたのがバレていたとは。
トゥルム家開発の透明化アイテムで隠密してたのに、気づいていたなんて。
どういうことだろう。
「私、未来視の訓練を一日一時間ランダムに行っているんですよ」
「それはすごいわね」
「いえいえ、とんでもないです、エーリカ様。私なんて初歩の初歩なので。ええっと、それでですね」
ベアトリスは極まり悪そうに後頭部に手を当てて頬を染めた。
「訓練メニューの中に、一分間隔で五分先の未来視を繰り返すというものがありまして」
「五分先の未来視を? 一時間に六十回?」
またとんでもない話がベアトリスの口から出てきた。
「私の未来視は精度が低くて、無数の可能性が見えてしまうんです。平均して百ほど」
「百?」
そんなに違う未来があったら、どう可能性を選択するのだろう。
一分に百なら、一時間に六千だ。
とてもじゃないが、人力では無理なんじゃないかな。
「それを複数起動した人工精霊に差分調査してもらって精度を上げます」
「人工精霊で解析……なるほどね」
それで、可能性の高さを計算するわけか。
なかなか未来予知も簡単にはできないわけだね。
「それでですね、時々、ごくたまに、その未来の結果が全て同じ結果になる時がありまして」
「百の未来が?」
普段いろいろな未来が見えているのに、一斉に揃ってしまうってわけか。
素人でもわかる異常事態だ。
「それも……突発的な事故・トラブルに私が巻き込まれかけた場合に限ってです。しかも、なぜか必ず助かるようになっておりまして……これは何者かの絶対の意思が干渉しているなと怪しみました!」
うわ〜〜、絶対の意思って、ティルナノグの「この娘を守る」という絶対の意思でしょ?
すごい、バレバレだったんだ!
「それで、そのケースで得た未来視を精査すると、ホコリの密度の薄い空間を見つけてしまったんです」
「ホコリの密度……?」
「はい、エーリカ様。その空間の形はだいたい同じ大きさでした」
ベアトリスはじっとティルナノグを見つめる。
そんな差分が検索可能なの?
未来視にしても、人工精霊にしても、むちゃくちゃ性能良すぎる。
この未来視、なかなか恐ろしい能力だ。
世が世なら女王と考えればおかしいことじゃない。
次期ウィント家当主候補なのは伊達じゃないってことか。
「あ〜……なるほどね。それが導く答えは、透明な何かが側にいる、だね」
少しの間の後に、クロエがポンと手を叩いた。
魔力の空白で弾丸を察知したクロエと、埃の空白でティルナノグを予想したベアトリス。
能力も性格も正反対に見えるけど、この二人って実はよく似ている。
「でも、どうして私に相談してくれなかったの!?」
「ごめんね、クロエちゃん。埃のない空間がエーリカ様のゴーレムと同じくらいだって気がついちゃったから……」
ベアトリスが言い澱みながら話す。
しかし、もしクロエにそんな情報が漏れていたら、私は更に不審な人物だと判断されていただろう。
あの地下での対クロエがもっと危険だったかもしれない。
怖!
うう〜ん、ベアトリスが黙っていてくれて助かった。
「あなたの守護をお願いしていたの。あなたに断りもなく護衛を付きまとわせてしまってごめんなさい、ベアトリスさん」
『不用意に怯えさせてしまったな。さぞかし不審だったろう』
「いえいえ、不安になんて思いませんでした。決闘裁判のあったすぐ後ですから」
そう言ってベアトリスは微笑んだ。
「エーリカ様、ティル様、いつかこの御恩はぜったいにお返しします」
真面目な頑張り屋さんらしい、真剣な言葉だ。
でもこれは、頑張りすぎて死亡フラグ立ちそうな勢いじゃない?
「恩返しなんていいわ。あなただって何が起こるかわからない身の上なんだから」
「あ〜、そうだっけ、エーリカさんが第一時報でベアトリスが第二時報なんだっけ?」
クロエが的確なツッコミを入れてくれた。
そう、我々は哀れなる時報的存在なのである。
もうね、生き残るので精一杯だ。
「ああ! 私ったら、身の程知らずなことを……!」
「いいのよ、二人で生き残りましょう……!」
「は、はい!」
「そう、第一が保身。その後に余裕があったらみんなのために頑張りましょう!」
今度は私からベアトリスの手を強く握り返す。
「え……エーリカさんの第一が……保……身?」
『ほう、お前が保身か』
「へ〜〜え、あなたが保身ねえ?」
クロエ、ティルナノグ、パリューグの三名が訝しげな目で私を凝視してきた。
「保身第一のヒトが護身のための武器を敵対者の前で放棄するなんてダメだよ」
『うむ、後先考えずに致死性の魔法から他人を庇うのもダメだろう』
「勢いにまかせて修羅場に突っ込むのもダメよね〜〜」
耳がモゲそうなほど痛いお言葉だ。
どれも、全力で保身してたのに、その場の勢いに流されてしまった案件である。
そういえばこの三名全員、私を殺そうとした過去があったわ……。
特にクロエとの一件は、もっとうまく立ち回れば回避できたはずだから、尚更耳が痛いな!




