軌跡を辿る夜6
呪物とアアル仮説についての話の後。
兄は伯父オスヴァルトの死についても説明してくれた。
「彼の死体が発見されたのは、リーンデース学園の西寮のとある一室で……」
「ええっ! 西寮なんですか!?」
思わず大きな声が出てしまった。
でも、事故物件だなんて聞いてないですよ!!
「大丈夫だよ、エーリカ。男子棟の方だし、今は誰も使ってないはずだからね」
「ええ、そうなのですか。安心しました、エドアルトお兄様」
私は胸を撫で下ろした。
とはいえ、あんな近い場所で三親等の死体が発見されたなんて、やっぱり怖いなあ。
ハロルドがオドオドした様子で挙手する。
男子棟と聞いたから、不安になったのかな。
「だ、男子棟のどの部屋なんですか? 本当に誰も使ってないんですよね?」
「今は確か、掃除用具室になってるよ」
「いやぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 俺の部屋の斜め向かい〜〜〜!?!?」
ハロルドが絶叫した。
ご愁傷様である。
斜め向かいが事故物件じゃ、この絶叫も仕方ないよね。
「失踪から二ヶ月後、伯父の部屋を調べると、軽量化の鞄の中で綺麗に整頓された彼自身の白骨が発見された、とのことだよ」
むちゃくちゃ怪死だ〜〜〜〜〜〜〜!!!
ぜんぜん安心できない!
なんで白骨化してるのとか、誰が鞄に詰めたのとか、つっこみどころ満載だ。
まごうことなき怪奇事件である。
「僕も吸血鬼を追っていた身からすると他人事じゃなくてね──まあ、本当に近親なんだけど──いざと言う時のためにエーリカに残す遺産をクラウス君に預かってもらっていたくらいだよ」
「ああ、これだな」
クラウスが懐から鍵を取り出す。
「そんな、お兄様……そんな悲しい覚悟をしないでください」
その覚悟はわからないでも無いけど、似合わないですよ、お兄様。
第一、そんな悲しいお別れは嫌ですよ。
「あはは、こんなにあっさりエーリカに話すことになるとは思わなかったよ。そして今まで黙って預かっておいてくれてありがとう、クラウス君」
「深刻な場面で受け渡してたまるか。お前の妹が泣くぞ。そうならないように、俺はお前を見張っていたんだからな」
せめてもの救いは、兄にクラウスがついていてくれたことか。
この二人が揃えば魔法的にはほぼ最強だろうし、性格も性質も違うので大抵の状況には対応可能だろう。
「エーリカには吸血鬼のことに関わって欲しくなかったから、極力遠ざけていたつもりだったんだけどね。彼ら血啜りの暗躍に気がついていたのは、エーリカの方だったわけさ」
兄は瞳を伏せて自嘲的に笑った。
「お兄様……」
私も出来るならば肉親や友人を吸血鬼から遠ざけたいから、分かる。
所詮は似たもの兄妹だということだろうか。
「水を差すようで悪いんだが、エーリカに質問してもいいかな?」
たっぷりとした沈黙の後、オーギュストが挙手して尋ねた。
おっと、限られた時間を私たち兄妹だけで使っちゃ悪いよね。
「エーリカの気づいた暗躍、つまりは例の祭壇の件に関して、もっと詳しく教えて欲しいんだ」
「なるほど。そこは僕も知っておきたいね。詳細の説明をお願いできるかな、エーリカ」
次の議題は、吸血鬼の暗躍──長年にわたっていた汚染祭壇の詳細か。
私は今まで破壊してきた汚染祭壇を記した地図を張る。
その数はおおよそ百。
範囲はイクテュエス大陸からカルキノス・イグニシア領まで。
その規模と範囲の広さに、皆が驚きの表情を浮かべた。
「では、まずは祭壇汚染についての詳細な説明を始めますね」
吸血鬼たちによって、霊脈上の祭壇が狂王のための祭壇へと祭式が塗り替えられていること。
方法としては、祭壇への生贄を含む儀式が行われていること。
生贄には、十人以上の人間が用いられること。
何十年、或いは百年以上も間隔を空けて、人知れずゆっくりと人々が攫われ殺害された可能性があること。
「汚染されてしまった祭壇に干渉するには、キャスケティア時代の祭祀を行う必要がありますが、祭祀に関わったものはゴーレムですら呪いに侵食され、怪物の類に変質します」
私の説明を聞いたハーランが思案顔になる。
「想定よりも強力な呪術が仕込まれていたようですね。仮に我々の騎士団が発見していたとしても、雪銀鉱を持たない者によって二次被害が起きた可能性がある」
「私も天使の協力がなければ調査は難しかったと思います」
「なるほど……人の手には余るものだったのですね。しかし、これは……」
ハーランは黒板に貼られた地図を見つめる。
「この数の汚染祭壇を探し尽くして浄化したわけですよね。かなりご苦労なさったのではないですか?」
「大丈夫ですよ、七年もの時間がありましたから。協力してくれる天使様も優秀ですし」
ノットリードの事件から長い年月をかけた。
パリューグが回復する前、調査期間を含めると七年間。
実際に浄化にかけた時間は約四年。
潜入のための予備調査や下準備に平均二週間ほど。
重要な祭壇はノットリードのように祭壇群になっているので、中心となる祭壇を潰せばまとめて浄化完了できた。
それ以外の辺境の祭壇は散在している代わりに、準備期間が短くて済む。
天使の炎による浄化は、人の手を使うよりずっと早い。
破壊そのものは一瞬で終わる。
むしろ、再建しなければいけない教会や魔法協会の人々の方が大変だったと思う。
「汚染祭壇を教会ごと焼き尽くすという、少々手荒い方法をとってしまったことをお詫びします、オーギュスト様」
「謝らないでくれ、エーリカ、むしろ本当に感謝してる」
そう言ってオーギュストは微笑んだ。
イグニシア王家にそう言ってもらえると、少し助かる気がする。
いや、ほんとに宗教施設に破壊の限りを尽くしてたからね……。
「それで、これらの汚染祭壇が何をしていたか、ですが──」
続いて、魔力の横流しについての詳細だ。
本来の祭壇は、人々の信仰を魔力に変換して天使に捧げるためのシステムであること。
本当なら天使に捧げられるはずの魔力を、汚染祭壇が海に破棄していたこと。
そのせいで、天使は「人々からの信仰を失って」魔力が尽きてしまうのだと認識していたこと。
そして破棄された大量の魔力が海域を汚染していたことも伝える。
近年、クラーケンなどの魔獣による海難事故が増えていた理由がこれだ。
私やティルナノグが魔獣狩りを行っていたのは、海難事故を少しでも減らすためだった。
「もしかして」
アクトリアス先生が小さく声をあげた。
「カルキノス大陸の南方海域でのシーサーペントの増加も、祭壇汚染が原因である可能性があるということですか? ここ数年での事故が増加して、いくつか塞がれた海路もあるほどなんですよ」
パリューグに対応してもらったのは、私の調査の手が届く連合王国領の祭壇だけだ。
広大なギガンティア領の祭壇も既に汚染されているのならば、その可能性が高い。
「ええ、そうだと思います」
「南方大陸カルキノスにも天使の伝説があるのですが、その天使もまた滅びかけている可能性があるということでしょうか……?」
足元にいた猫が私に体を擦り付けて不安そうに鳴いた。
元同僚の状況は、パリューグにとっても心配事だ。
「南方大陸の天使か……あれを確保していれば、確認も出来たのだろうか……」
「あれってなんのことだい、ブラド」
ブラドの呟きに反応して、アクトリアス先生が尋ねる。
「南方大陸で出回っていた、天使と疑わしき骨標本だ」
「天使の骨標本だって?」
アクトリアス先生がブラドに問う。
そうだった、標本として出回る程度には南は信仰が荒廃してるんだよね。
「ああ、エルリック。学園で調査するために確保しようとしていた標本の一つだ。しかし例のリエーブル学芸員の事件の前後で紛失してしまった」
「それは怪しいね、ブラド」
まったくの同感だ。
あのリエーブルに化けていた怪物がうろついていた博物館で、そんなものが紛失したのだ。
関わっていないハズがない。
「標本自体が吸血鬼の目的の一つだった可能性もあるね。工作が僕らにバレて介入されたら厄介だろうし」
例の天使の骨標本が本物だとわかれば、連合王国が動く可能性がある。
混乱中の敵国ギガンティアとはいえ汚染祭壇が明るみになれば、どんな犠牲を払っても人々はそれを焼くだろう。
「南の大陸で最も信仰されていた天使の名は、飢餓天使フェミン」
アクトリアス先生が補足する。
「飢餓から民を救った聖女伝説が各地にありました。押し寄せる魔蝗を前に天使に選ばれた聖女が大河に身を投げると、大河が氾濫して全ての魔蝗を押し流し、そして大地ごと食い荒らされた土地を復活させた説話などがありますね」
そうなの、とパリューグに目線を送るとにゃんと小さく鳴いた。
肯定だ。
パリューグは前脚を頭の前に持ち上げた。
なんだろう?
あ、もしかしてツノ?
「牛頭として描かれていた天使なのかしら?」
「ええ、そうです。よく知ってますね」
小声で呟いたつもりが、アクトリアス先生に発言として拾われてしまった。
「人々を飢餓から守り、豊穣をもたらす聖女の伝説には、必ず有角の天使が現れます。有角天使単体でも剣を持って魔蝗を切り払う絵画があったり、イナゴの悪魔を踏む牛の像も有名ですね」
そこまで説明して、アクトリアス先生ははっとした表情を浮かべた。
「ここ三十年でカルキノスは魔蝗による飢饉が七度も起こっていますが……まさか」
「吸血鬼による計画的なものだった、ということだろうな」
アクトリアス先生の言葉を、ブラドが補足する。
「では、私の父の死は……」
「そういえば先代のギガンティア王が弑逆されたのは、飢饉の時期と前後していましたね」
ハーランの言葉で、アクトリアス先生が何に気が付いたかわかった。
アクトリアス先生の父親、ギガンティア王が吸血鬼の計略によって汚辱の中で殺された可能性だ。
「治水を怠った暗愚の王と、王の徳の無さが化け物を跋扈させ飢饉を招いた、と」
飢餓が起こったのは暗君が王座にいるせいだと、民は怒り狂った。
その怒りに乗じて、先代王の兄弟たちがギガンティア王を弑逆。
我こそが救世主だと真の暗君たちが叫んだ。
そうして残った王族たちが血で血を洗う抗争を始めて、ギガンティアは荒廃の一途を辿った。
そこまで解説した後、アクトリアス先生は押し黙る。
穏やかなアクトリアス先生の目の奥に、いつもとは違う光が見えた。
抑えてはいるものの、これは怒りだ。
「エルリック」
その変化にいち早く気がついたらしいお兄様が、アクトリアス先生に寄り添う。
「一時間経ちました。今晩はこの辺りまでとしましょう」
兄の声が静かな室内に響く。
砂時計を見れば、確かに砂が落ちきっていた。
後味の悪い思いを抱えながらも、今夜の会合は解散となった。
☆
昨晩は早めに終わったおかげで睡眠不足にはならなかった。
代わりに筋肉痛である。
たしか今日も走りこむ予定なんだけど、私大丈夫なんだろうか。
無難にその日の授業が終わった。
私はクロエやベアトリスと落ち合うために、一旦大食堂へと向かう。
その途中、お兄様がアクトリアス先生やブラドと連れ立って歩いているのを見かけた。
珍しい光景だ。
長らくブラドが距離をとっていたようだけど、夜会が彼らを再び繋いだのか。
特に昨晩はアクトリアス先生がかなりショックを受けていたみたいだから、兄もブラドも心配なのだろう。
食堂にはベアトリスが先に来て待っていた。
ところがベアトリスは私に気づかず、何やらテーブルに羊皮紙を広げてペンを執っていた。
ちょうどやってきたクロエがベアトリスの手元を覗き込む。
「課題?」
「クロエちゃん、その、それはね」
クロエが尋ねるとベアトリスは周りを気にしてヒソヒソ声で答える。
彼女は私もいることに気づき、軽く会釈して続けた。
「お爺様と情報交換しております。因果干渉の件について、どうしても情報を引き出したくて」
ベアトリスによると、彼女はウィント家と手紙で交渉中なのだという。
「基本的に私には心を許してくれているのですが、因果干渉の件になると、とても頑なになってしまわれて」
「お爺さまって、あのドロレス・ウィントの実父なのですよね?」
「は、はい! その通りです、エーリカ様」
実の娘を失った老齢の男性というだけでも、聞き出すのは難しそうだよね。
「伯母様のこともあってでしょう。でもそれ以前にお爺さまは因果干渉に否定的な方なのですよ」
「元から?」
「ええ、お爺様が因果干渉者になるのを拒否したため、伯母様が幼くしてその役目を継いだんだそうです」
粛々と家業を続ける者もいれば、反逆する者もいるわけだ。
一族の業深さに耐えられなかった?
でも幼い娘や孫娘に任せて、本当に気楽でいられるのだろうか。
「よし、書けた! これで夜まであと一往復くらい書簡をやり取り出来そうなので、がんばってみます」
ベアトリスが意気込む。
「じゃあこれから走り込みだね!」
「あの、申し訳ないんだけど、今日は筋肉痛が酷くて……」
やる気満々のクロエには申し訳ないけど、ちょっと今日走るのは無理かも。
「えっと、クロエちゃん、実は私も……」
ベアトリスもそっと同意してくれた。
「いいね。筋肉痛は筋肉が育っている証拠だよ。今日は走り込みで使った筋肉は休ませて、使わなかった筋肉を重点的に鍛えようかな。よし、今日は体幹から行くよ!」
おおっと、隙が無い。
確かに体幹は大事だけど。
「お手柔らかに頼むわ」
「……う、うん、よろしくね、クロエちゃん」
ああ、今日もまた地獄の時間がやってきてしまった……。
☆
私は真っ白に燃え尽きていた。
例の有名ボクシング漫画のあれみたいな感じに。
「二人とも、すっごく良い感じに仕上がってるよ!」
「えっと、クロエちゃん……よく分からないけどありがとう……」
絶え絶えにベアトリスが答える。
私は声も出せずに頷いた。
今回はベアトリスより私の方が先に限界だった。
ベアトリス、意外にインナーマッスル強いみたいだね。
魔法使いの訓練の賜物だろうか。
「エーリカ様は大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
ベアトリスも私も、びっしょりと汗をかいていた。
季節が季節だし、風邪をひかないように注意しないとね。
ちなみにクロエはほとんど汗をかいていない。
私たちの十倍くらい筋トレしてるのに、涼しい顔のままだ。
「でも、二人ともこのまま鍛えれば一人前の剣士になれるよ」
「クロエちゃん、さすがにそれは無理かな……」
こんな鍛錬を常とする剣士なんて、絶対なれないと思う。
魔法使いも竜騎士も訓練がそれなりにあるし、やっぱり錬金術師こそが最高である。
夜会まで時間があるので、せめて休もう。
あとは多少カフェインを摂っておこうかな。
きっと今夜は気を抜いたら最後、泥のように眠ってしまうことだろう。




