軌跡を辿る夜5
「ハーラン卿、あなたが学園都市周辺に手勢を配置したかった理由、今なら僕にもよく分かりますよ」
エドアルトお兄様がハーランの方に顔を向けて言った。
地図を眺めていたハーランが、深くため息をつく。
「血啜りの標的がリーンデースなのは、何となく連中の動きから読み取れましたから。だから無理筋でも騎士を配置したかった」
ハーランが地図の赤い線を指で辿りながら、過去の心情を吐露していく。
この赤い線の上で、どれだけたくさんの人間が死に、そして人生を狂わされてきたのか。
ハーランやウトファル修道騎士たちはもどかしい思いをしたのだろう。
「でもハーファンという土地柄、絶対に反発が起こってしまう。実際には不可能でしょう」
「北と東の関係には、いまだに憎しみが残る。双方が加害者であり被害者だった」
クラウスが複雑な表情で口を挟んだ。
北と東は、吸血鬼関係なしに壮絶に戦った歴史があるから、それはどうしようもない。
だからこそ、その隙を敵に突かれてしまうのか。
「で、これらの禍は何が狙いでこの都市に集まっていると思いますか、ハーラン卿?」
「金狼の探索の命を受けていた化け物も、なぜ金狼王子が既にいないこの学園に集まったのか……謎が募りますが、おそらく都市リーンデースが保持する物でしょう。おそらく第四屍都地下遺跡に何かが、ある」
リエーブルに化けていた吸血鬼は、金狼を追っていた。
そして、それとは別の何かの意図があってこの学園に潜り込んでいた。
「僕もそう思っていました。ここに彼らの欲しがるような何かがあるってことですよね?」
欲しいもの。
モノだけに限らず、なんらかの呪いの可能性もあるよね。
あの地下祭壇で何をしようとしていたんだろう。
兄とハーランの推理が進んでいく中、ブラドが手を上げた。
「私がここにいるが故の可能性もある。私の存在が吸血鬼たちに感知されて狙われている可能性だ」
全員の視線がブラドに注がれる。
「なぜ、感知されているってわかるんだい、ブラド?」
「この記憶化石を見れば理解しやすいだろう」
ブラドは記憶化石をテーブルに置いた。
兄は鞄から最初の授業で使ったプラネタリウムに似た装置を取り出す。
いくつかの部品を組み替えると、装置に記憶化石をはめ込んだ。
しばらく待っていると、部屋の上部に映像が展開された。
おお〜、こんな風に映像を投影もできるんだ……。
夜、長椅子で寝ているブラドが映っていた。
ざらっと映像が歪む。
ブラドの腕の輪郭が黒い靄のようになってぼやけていた。
靄の中で、黒い何かが凝集する。
形作られた小さな何かは、ゆっくりと分離していった。
蝙蝠?
いや、違う。もっと小さい蝶のような、黒い欠片だ。
胴体のない、羽だけの蝶。
黒い蝶の一群は、雲母のようにキラキラとした輝きを纏って羽ばたいていく。
やがて、それらは夜空に溶けるように消えていった。
「君の体から……眷属が分離している……?」
「何らかの情報を他の吸血鬼に伝えている可能性があるが、観測開始後は分離が発生しなくなってしまった。故に依然として監視を続行中だ」
えっ。
ブラドは、今も就寝中の自分自身の監視を続けているってこと?
「私の部屋に、観測開始から今日までの記録がある。気になるようなら後で確認してくれたまえ」
「ブラド、君はずっとこんなことをやっていたのかい?」
「万が一、怪しいものが出てくれば、次こそは捕獲するつもりだったのだがね」
監視を始めるとすぐに発生しなくなったというのは、けっこう怖いな。
狂王はブラドの行動をなんらかの方法で知っているってことだ。
つまり彼に埋め込まれた狂王の肉片は、現在もなんらかの意志を持っている可能性があるの?
それにしても、何年もそんな生活をしていたブラドにも驚きだ。
意識のない間も自分を監視し続けなければならない状況なんて、想像できない。
「君が観測するようになったのはいつ頃だい?」
「七年前、学園の地下に吸血鬼の眷属……猟犬と呼ばれる異形が侵入した夜からだ」
兄は目を閉じた。
七年前の記憶を詳細に思い出しているようだった。
「猟犬以外にも、学園の上空に蝙蝠型の眷属の大群がいたのを覚えているか」
ブラドが記憶に潜っている兄に問う。
「ああ、あの夜は空にも地下にも吸血鬼の眷属が溢れていたね。地下で四十九頭の猟犬をなぎ払った後、学園上空に蝙蝠の大群を確認された。すぐさま駐屯していた竜騎士二騎に依頼してリーンデース上空を徹底的に焼き払ってもらった」
まるで日記を読み返すように、兄はスラスラと過去の記憶を引き出していった。
「あれらは何かを探索してるように見えた。故に私は、あれらがこの身に埋め込まれた狂王の肉体を探しているのではないかと推測した。まあ、今から考えれば例の首飾りのための陽動だったのだろうがね」
ブラドは自分自身が狙われたと思ったのか。
たしかに、万が一でも彼が吸血鬼に連れ去られたら、大変なことになる。
「そうだね。それでも警戒していたのは賢明だと思うよ」
「就寝中に彼らに干渉されることを恐れたのだが、自分もまた眷属の発生源だったと知って驚愕した」
ブラド曰く、この件は学園の要人には周知済みとのことだった。
以降、市内の魔法塔から魔力を供給してもらって作った強力な結界の中で就寝していたのだという。
結界の機能は『不死者が結界内に発生した場合、完全に抹消可能な分解を行うこと』だという。
「リエーブル氏の事件の後は昼夜問わず常に結界を展開している。この結界は術者が死ぬまで有効であり、私はこれを寿命の尽きるまで行う予定だ」
ブラドの覚悟が透けて見える。
これってブラドが何らかの方法で吸血鬼化、つまりは狂王化したら絶対に分解されるという意味だ。
自死をも厭わぬ、壮絶な覚悟だ。
「あなたの意志はよく分かりました、ブラド卿。あなたは真の勇気と誠実さを持ち合わせた方だ」
ブラドの対処法は、ハーランも満足するレベルのものだったらしい。
「……そうか、これが牢獄なのだな」
クラウスが突然呟いた。
「牢獄? クラウス様、どういう意味なのですか?」
意味のつながりが分からなかったので、私はクラウスに尋ねる。
「狂王は牢獄にいるようだとエドアルトと話したことがあったんだ。黒幕がまるで自由を奪われているかのように、手下の血啜りどもの手口が杜撰だったからな。そうか、牢獄はブラド卿、貴方だったわけか」
なるほどね。
ブラドが自分自身を結界に閉じ込めることによって防がれていたのか。
「うん、そうだね、クラウス君。その年の後半に呪具を用いた干渉が減少していて……春に監視を始めてから、夏をピークにして秋以降収まった……そういうことか」
春の夜の事件以降、墓荒らしと呪具の事件が減少したということか。
呪具が出回っていたピークは、オーギュストの鐙の件や、その前後の時期が最後になった。
「なるほど。ブラド卿の観測開始と前後して、血啜りどもの動きが切り替わりますね。吸血鬼自身がもっと表立って動き回るようになった。件数は少ないが、それまで姿を隠していた大物の血啜りの存在も確認されている」
ハーランが黒板を裏返して時系列を描き始めた。
なるほど。
くっきりと七年前が境目になっているのが分かる。
これで辻褄はあったわけだ。
私の体感としても、首飾りや、鐙、杯のような呪具の関わる事件から、詐欺事件などのように吸血鬼の関わる事件に切り替わった。
あ、でも──
「でも祭壇の汚染はずっと続いていましたよ。その影響が各地で発生してましたし」
私は少しだけあった違和感を口に出した。
「我々が手薄にしてしまった部分ですね。本来なら修道騎士たる我々こそが気がつくべきでした」
ハーランが頭を下げる。
「お許しください、天使様。そしてご苦労をおかけしてしまいました、エーリカ様」
「いえいえ、私はそれで金銭的に潤ったところがありますから」
祭壇汚染からの魔力流出、そして海域が魔力汚染されて大蛸などの大型魔獣大発生。
びっくりするくらい大蛸で儲けさせてもらったのは事実だ。
「祭壇は古い時代から攻撃対象だったと僕は想定しています。おそらくはイグニシア建国時点からの吸血鬼たちの目的でしょう」
「確かに竜を駆る騎士達のおかげで、血啜りは支配階級には戻れなくなった」
兄が祭壇について説明を付け足すと、いい気味だと言いたげな表情でハーランが同意した。
「群れて都市でも支配しようものなら、百騎の竜騎士に高域から都市ごと焼き尽くされる。これではもう影に潜んで寄生虫のように生きていくしかない」
クラウスもうんうんと頷いた。
ルーカンラントからもハーファンからもイグニシアは大人気である。
まあ遠域から飛来して上空から焼き尽くされては、成り代わりとかほぼ不可能になるしね。
「あとはアレだ、竜葬も吸血鬼対策として始まったって話だぜ」
「ええ、合理的だと思います。たとえ高位貴族に化けても、結局は騎乗竜に捧げられるのですからね」
「そうそう。だから他国みたいに悪事はできないだろ?」
「死んだふりをして数日から数年後に墓穴から出てくる……あれがないというだけでもイグニシアが羨ましい」
死体を騎乗竜に捧げる竜葬、何気に大変なお葬式だなって思ってたけど、そういうことだったの?
確かに安全だけど、壮絶さが風習に残っちゃったわけなんだ。
「まあそれもこれも例の天使様のお陰なんだけどな。な、エーリカ?」
「ええ、そうですね、オーギュスト様」
膝上の猫が「妾に感謝してもええんやで」という態度でドヤ顔をしていた。
まあその、人間に竜との共生という対吸血鬼能力を与えたのは事実だから、ドヤってても良いと思うよ。
「ええ、竜はあまりも強力だった。故に血啜りどものイグニシアへの恨みはかなりのものでしょう。だからこそ、王家、そしてその王家を作った天使を念入りに滅ぼしかったんでしょうね」
「そしてエーリカの話によると、吸血鬼たちの目論みは成功目前だったってことだな」
ハーランの言葉にオーギュストが深く頷いた。
吸血鬼達は、イグニシア建国時点から長期計画として祭壇汚染を狙っていた。
イグニシアという宗教国家の根幹を崩すには適切な方法だ。
狂王は、敵である天使の脆弱性にいち早く気がついて崩しにきたのだ。
幾重にも国を破壊するための工作が仕掛けられていて、パリューグは力を失いつつあった。
……稀代の呪術の天才と言われる狂王だけはあるね。
「さて、では俺の関わった事件について──」
続いてハーランの関わった事件についての共有だ。
あっさりとした説明だったが、かなり生々しい話だった。
例えば、百人規模の町に吸血鬼と思しき事件が発生する。
容疑者をどう絞り込んでも、五人は残ってしまう。
吸血鬼なのか人間なのか判断に迷う人間を五人殺して、残りの住民を救う。
例えば、とある港町で吸血鬼と思しき事件が発生する。
容疑者が寄港したある船に潜伏しているところまで判明する。
それ以上の絞り込みが不可能になる。
やむなく船ごと燃やして、次の港の住民を救う。
例えば、とある館で吸血鬼と思しき事件が発生する。
たまたま遅れて到着した一人を除いて、残り全員の容疑を晴らすことができない。
血族全員を殺して、やっと一人の命を助ける。
どれもこれも放っておくと、似たような別の集団が増えるのだそうだ。
「こういう、初期症状のうちに対処できればいいんですがね。そうはいかない場合もある」
「どうなるんですか?」
「潜伏に成功した血啜りたちのやり口としては、まず元々不和のあった二つの家系や地域・宗教の集団に近づきます。わざと対立するように煽っていくわけです」
連合王国は一枚岩ではないのが強みだが、四つの民族間の感情は複雑だ。
脆いところに楔を打って、崩れる様を狙うのだろう。
「俺が思うにこの工作の最終的な狙いは、戦争でしょうね」
ハーランが部屋中の人間の顔を見回しながら言葉を続けた。
「彼らの理想としては、イグニシアとギガンティアとの紛争の最中にでもイグニシア王を暗殺。その後は疑心暗鬼にかられたルーカンラントがハーファンの要人暗殺を繰り返す。そして小競り合いからの侵攻が始まり、苦難に直面したハーファンが霊脈確保のためにアウレリアを侵攻する。最後にアウレリアの反撃が始まり、東西間で最悪の広域魔法戦争が勃発……」
国内の不安定な部分に亀裂を入れる。
そうして疑念と怒りを動力に不和の歯車が回り始めたら、どんな人間だって止まれない。
「それこそ血啜りの思う壺になります。戦争は彼らの最も愛する状態です」
アクトリアス先生は悲痛な表情で呟いた。
「人が自ら人と人との間に線を引いて、あいつらは人間じゃない悪魔だと叫べば、化け物どもの勝ちなんです……そうなってしまったのが私の祖国なのですが」
内戦の続くギガンティアの内実。
「線を引かれて分かたれた人間同士が憎み合い、殺しあってしまえば、もう元には戻れない」
アクトリアス先生の声がわずかに震える。
お兄様がアクトリアス先生の肩に手を置いた。
「アアル仮説によるならば、狂王もまたそのような人間の成れの果てだからな」
オーギュストがブラドをチラリと見てから言った。
アアル仮説?
一体なんのことだろう。
「おや、詳しいですね、殿下」
兄が意外そうな声をあげた。
「南方大陸の呪詛と吸血鬼の起源についても、ずっとブラドから教えを受けていたからな」
オーギュストの言葉にブラドが頷く。
ふむ、どんな内容なのだろう。
「あの、お兄様、アアル仮説とはどのようなものなのですか?」
「そうだね、一言で言えば狂王現存説の一説だよ。僕らの伯父オスヴァルト・ボルツが書いたものでね──」
伯父様の書いた狂王現存説?
あのフレデリカ・ボルツのお兄さんで、彼女の養育者だった人って認識だったけど……。
もしかしてけっこう尖った学者なんだろうか。
「伯父は何ていうか、ある種の天才というか、かなりの特殊な人で……」
兄がなんとも言いにくそうに説明を始めた。
その仮説とは、主に狂王がいまだに現存しているのではないか、という論なのだそうだ。
なるほど、伯父は秘匿されていた真実を暴き立ててしまったのか。
「そしてアアル仮説とは、狂王の起源についての仮説でもある」
二つの民族と宗教革命。
過酷な支配を受けていた民族が、支配していた民族を大規模虐殺し、虐殺された一族の一人が世界を呪った。
そうして、生を弄び死を望む化け物が生まれた。
その名は狂王カイン・グレンデル。
未曾有の暴力の被害者にして加害者。
稀代の呪術の天才にして、呪われた化け物達の創造主。
そして、数多の魂をその身に宿した冥府。
「これが、この世界の吸血鬼の始まりのお話だよ」
そう言って兄はアアル仮説の説明を締めた。
二つに分たれて憎み合った、ウェシル族とセトカー族のことを考える。
彼らがどうすれば良かったのか、どこで止まるべきだったのか、私にはぜんぜんわからない。