軌跡を辿る夜4
2回目の夜会の日。
その日も前回と同じく、関係者全員の出席となった。
皆が集まって席に着くと、アクトリアス先生が中央のテーブルに砂時計を置いた。
「一時間で砂が落ちきる時計を持ってきました」
「砂が落ちきったら、どんなに込み入った会話でも中断する。それが今晩からのルールになるよ」
エドアルトお兄様が時計の意図を補足してから、時計を逆さまにした。
細く砂が落ちていく。
「さて、昨晩も話しましたが、今夜の方針を共有しましょう」
エドアルトお兄様が運び込んでいた黒板に、金狼、吸血鬼、狂王と書き込んだ。
「僕らが直面している危機については、おおよそこの三つが関係します。この前提はいいですよね? 今、我々は狂王の産んだ怪物への切り札たり得る幻獣の協力を得ましたが──」
兄が確かめるように皆を見回す。
「敵は極めて狡猾です。どんなに小さな事柄からでも、奴らは僕らを切り崩す隙を見つけて襲ってくることでしょう。だからどんなに些細なことでもいいので、今この場で情報を精査していきましょう」
というわけで今夜は昨晩皆で話し合った内容の再確認を行うことになったのである。
「では自由に質問を出し合って、答えを持っている人が自由に答えるという方針で行きましょうね!」
兄は極めて明るい声で呼び掛けた。
ともすると気分が地の底みたいになる話題が多いから、兄なりの気の使い方なのかもしれない。
「ふむ。じゃあ、俺からいいですかね?」
「ええ、どうぞ」
ハーランが手を挙げて、お兄様が発言を促す。
握っている情報の広さから主にこの二人が進行役になりそうだ。
「件の首飾り・鐙・杯、これらの出どころはすでに調査してます?」
「ええ。ただしどれも途中で手詰まりになってますが、いいですか?」
「十分ですよ、そういうのには慣れっこですから」
ハーランはにっこりと笑う。
吸血鬼の情報は雲を掴むようなもの。
だってキーとなる人物が簡単に消されてしまうのだから。
「まずは首飾り。これは鎖と装飾部に魔法が仕掛けられていたものだった。若干の偽装魔法も込められていて、一見しただけでは石と首飾りのどちらが呪いの発生源なのかわかりづらくなっていましたけどね」
なるほど。
あれって石じゃなくて周りの貴金属部分に魔法だったのか。
「露骨な魔法使い対策だな。狙いは俺とエーリカの不和、ひいてはハーファンとアウレリアの不和というところか。人死にでも出ればこれ幸いと祝ったのだろうな!」
クラウスが忌々しげに舌打ちした。
まだたった十歳の頃とはいえ、吸血鬼の策略に嵌ったのは屈辱だろうなあ。
私とクラウスが仲違いするくらいでも、彼らの目論みからすると十分だったのかもしれない。
もし私たちの誰かが死亡していたら、吸血鬼としては予想外の大金星になる。
「そういえばエドアルト卿は例の〈来航者の遺跡〉の夜は急用で不在だったそうですね。そちらの件について聞いても?」
「あの日はリーンデースの地下……屍都への眷属の侵入対応で学園に呼び出されました」
「計画的ですね。一見すると重大そうな屍都侵入の事件の方が陽動だったわけだ」
エドアルトお兄様は頷く。
二つの事件の裏には、一人の犯人がいるってことか。
しかも、それは眷属を使い捨てにできるような上位の吸血鬼だ。
「呪いの実行者はカイン・グレンデルとなっています」
「狂王本人だと?」
ブラドが眉を引きつらせた。
「おそらく眷属による偽装だよ。不世出の呪術の天才だった狂王にしては構築が荒くてね……うん、実物を見てもらうのが一番早いかな?」
言いながら、兄は石を取り外された首飾りをテーブルに置く。
みんなの視線が俄に首飾りに集中する。
そのうち何人かは腰を浮かし、手を伸ばそうとしていた。
あ、これは……!?
「エド……呪いが無力化されていないのではないのかね……?」
「うん、当然そのままにしてるけど? そうじゃないと呪いの構造も確認できないし」
「分からないでもないが、そういう危険なものをほいほい取り出すのは止めたまえ」
ブラドに注意されて、兄は件の首飾りを急いで仕舞い込んだ。
この呪いはアウレリアの人間にはあまり効果がないから、うっかりしたんだろうな、お兄様。
「うーん、確かにこんな状態じゃ仕方ないか。代わりに調査結果をまとめた資料をどうぞ」
お兄様は悪びれず、そそくさと書類を取り出した。
呪いのデータだけでなく、流通経路や加工者など、さまざまな方面から調査していたようだ。
ハーランはパラパラと資料をめくり、内容を確認する。
「加工はアウレリア領内の有名宝石商お抱えの職人が行ったわけですね。この職人の、その後の足取りは?」
「納入した七日後、行方不明になっていました。家人が目を離した一瞬の隙に、何の前触れもなく消えていたそうです」
このパターン、おそらく生きてないだろうな。
「杯を作った職人も、同様の状況で失踪していました。リーンデースに住んでいた、その道四十年にもなる熟練職人だったそうです。杯の異変が発覚した時点で職人の失踪から十五年も経過していたせいもあり、こちらの捜査は完全に手詰まりです」
「なるほど……しかし、十五年経っていたにしては、関係者の証言がしっかりしすぎじゃないですか?」
ハーランが受け取った資料に目を通しながら、兄に問う。
「失踪したのが、彼の末娘の結婚式の当日だったそうで……だからこそ印象に残ったようですね」
わずかに目を伏せて兄は答えた。
確かに、どんなに時間が経っても忘れられない最悪のタイミングだ。
口封じのためだろうけど、酷いことをする。
「ええっとですね……では、鐙の方はどうでした? 何か分かったことなどは?」
いたたまれなくなったのか、ハーランが話題を変える。
兄は鞄から鐙と一緒に微量の土が入った硝子壜と書類を取り出した。
「これは発見当初の推測通り、ハーファン領にあるキャスケティア統治時代の墳墓から盗掘されたものでした」
「七年前の墓荒らし事件で名前が挙がっていた、ハーファンによって封印処理されていた墳墓の一つですね。南方大陸式の呪術によって八百年以上前に作られたものだという鑑定結果も出ています」
「付着した土の成分も、墳墓のものと一致しているんだったな。あの時期に掘り出された呪具はすべて追跡し、回収済みだ」
当時の調査に同行していたクラウスが補足すると、兄は頷いた。
クラウスは回収された呪具について、要点だけをかいつまんで説明した。
盗掘品のリスト自体は数十点にも及ぶらしい。
全部に目を通す時間はないので、呪具の調査資料は書庫に置いておくことになった。
資料を流し読みしていたハーランが眉を顰める。
「なるほど。我々にすら追跡依頼が来たはずだ。これほどまでに数が多く、大陸中に拡散していたとはね」
「当時は東が不甲斐ないばかりに、尻拭いに協力させてしまったな」
「いえいえ。隠蔽されるより何倍も良い。相手がキャスケティアなら、北はいくらでも協力しますよ、クラウス様」
ハーランはクラウスに微笑んだ。
「鐙の呪いも無力化していないけれど、こちらは触れない限り大丈夫でしょう。体に巻きつけておくとワインを何本も呷ったような状態になりますよ」
兄がさらっと酩酊の呪いの鐙の呪いについて補足した。
人間にもちゃんと効くのか。
「いや、エドアルト卿、それは人間にも有効なんですか? というか、なぜそんな詳細を……」
「待て、エド。もしかして君はよりにもよって自分を使って試したのかね?」
ハーランが言い淀むと、ブラドが代わりにツッコミを入れた。
ええっ、自分で試したんですか、お兄様?
「うん、なかなか面白い体験だったよ」
「君はもう少し自分を大切にするという考えはないのかね……?」
「いやいや、別に致死性の呪いじゃないんだし、大丈夫さ。何より僕は無事だったし」
兄が即座にブラドに反論した。
この二人、学生時代からこんな感じだったんだろうなあ……。
隣にいたクロエが私の耳元でこっそりと呟いた。
「エーリカさんのお兄さんって、もしかして、すごーく変わった人なの?」
「クロエちゃん、そういうのは心のうちに留めて!」
クロエにベアトリスが小声で叫ぶ。
心遣いありがとう、ベアトリス。
でも、何ていうか、その、アウレリアは変わり者が多いけど、お兄様は特に……。
身内でもフォローできないレベルで……。
私は無言で頷いた。
エドアルトお兄様は咳払いし、本題に戻る。
「あの頃は、この鐙だけではなく、古い有害な呪具を使った事件が各地で起こっていました」
「この件も本命はオーギュスト殿下を狙ったもので、他は陽動ですかね?」
「いいえ。その可能性は低いでしょう。鐙をつけられた竜に殿下が騎乗したのは、まったくの偶然でしたから」
あれは偶然の出来事のはずだ。
オーギュストが騎乗できることを予想できたのは、あの時点では乙女ゲーム知識のあった私くらいだろう。
本人ですら、ダメで元々のつもりで挑戦したようだし。
「じゃあ、いったい何が目的だったのか……いや、そうか」
ハーランがはっとした表情を浮かべた。
「明確な方針はなく、ただ不幸や不和を起こすこと自体が目的、か。人の心や情勢が不安になればなるほど、吸血鬼は暗躍しやすくなりますからね」
「ええ。実際にこの程度の呪具によってすら、我々は何度も取り返しのつかないことになりかけました」
兄が目を閉じて頷く。
「避けがたい事故で何か大事なものを失う。そしてその心の隙を狙われる。そういう犠牲者はいます」
「それはつまり……ルイのことか?」
オーギュストが兄に問う。
ルイ・オドイグニシア。
王族でありながら、オーギュストを陥れようとして敵国と繋がっていた人物だ。
「ええ、そうですね、殿下。彼もまた、不慮の事故で両親を失いました。それ故に、何者かによって歪んだ情報と呪詛を与えられた」
兄はあのルイ・オドイグニシアについて語った。
その何者かによって、ルイは自分が先代の第一王子の継嗣だと思い込まされていたのだという。
挙げ句の果てに、祖国を裏切り、凶行に至った。
あの人、そんな複雑な罠にはめられてしまった人だったのか。
単に性格が悪い人だと思っていたよ。
「誰がそんなことを……いや、私に伝えていなかったってことは、まだはっきりしたことは分からないってことか。エドアルト卿はそういう人だもんな」
「ええ。せめて分かっている限りのことをお伝えしましょう」
オーギュストの言葉に、兄は頷いて詳細を答えた。
事件の後、ルイの側近の中に複数名の失踪が確認されていて、その中の誰かに吸血鬼が化けていた可能性があるのだそうだ。
しかし、南方大陸での失踪者の追跡は困難を極め、兄ですら特定することができなかった。
結局、ルイが狂気に至った正確な経緯は不明のままだったという。
近年ルイの狂気は薄くなりつつあり、義兄シャルルにだけは微笑むようになっているらしい。
シャルルはゆっくりとルイの理性と人間性の回復を待っているのだそうだ。
……なんだか可哀想だな。
ルイも、そのお兄さんのシャルルも。
しかし、意外に私の知らない事件の顛末ってあるね。
この質問会は確かに無駄ではないな。
「あとは僕とクラウス君が対応した事件と、その拾得物についても説明しておこうかな。これはニーベルハイムの詐欺事件に関わる可能性が高いのだけど──」
兄はあの「消えた男」のレポートを読み上げた。
怪談そのものと言っていい部分にさしかかると、ハロルドが椅子ごとガタガタと震え始めた。
「き、消え……ゆ、ゆうれ……」
「おや、怖いかな? 大丈夫かい、ハロルド君」
あからさまに怖がっているハロルドを見て、兄が優しく微笑んだ。
「だ、だって……そんなことあり得るんですか!?」
「答えは簡単だよ。全然怖くなんてないから安心さ。そう、その男は吸血鬼化していた! 自分自身がもう吸血鬼になっていることを知らずにね!」
「ひ、ひぃぃ、こ、怖いじゃないですか〜〜〜、知らない間に吸血鬼化って最低最悪ですよ〜〜〜!!」
まあ、幽霊の代わりに吸血鬼が出ても怖いものは怖いだろうなあ。
むしろアグレッシブになって余計に危険だし、理不尽さは変わらない。
「そ、それに、俺の家の詐欺事件周辺でそんなことが起こってたってことは、もしかして、俺や俺の家族も消されてたかもしれないってことで……」
ハロルドはギュッと唇を噛んだ。
顔面は蒼白だし、目の端には涙が滲んでいる。
「大丈夫ですよ。ニーベルハイム伯の周囲で何か起こりそうなのは予測していたので。最悪、俺の騎士団で皆さんを匿う準備はしていました。恩義がある方々ですしね」
ハーランがハロルドにさらっとフォローを入れた。
そんな風に保護しようとしていたなんて、露とも知らなかった。
むしろニーベルハイムの危機的状況で融資を引き上げる可能性すらあると思い込んでいた。
分かっていれば、あの時あんなに怯えなくて済んだのだろうけど、あの頃じゃ無理だったよね。
たしかに、ゲームでのハロルドは、クロエと同様に中央寮だった。
没落後のハロルドがハーランによって匿われて、クロエのように育成された結果ということだろう。
それからも、兄の口から四十二件もの吸血鬼関連の事件の概要が語られた。
その内、四件ほどが古い吸血鬼が裏で糸を引いていると突き止めたのだそうだ。
リエーブルによる乙女誘拐事件もその一つだ。
「流石はエドアルト卿。どの事件もよく調べていらっしゃる」
「僕の気が済むまで調べていたら、自然とそうなっただけですよ、ハーラン卿」
「こうして反対側から見てみることで、なぜこちらの捜査線上に毎度毎度あなたが浮かんでくるのかよく分かりましたよ」
「ははは。やっぱり吸血鬼が調査のふりして証拠隠滅しているように見えましたか?」
兄が笑って問うと、ハーランもにっこりと笑って無言で肯定した。
この二人、なかなか修羅場めいた関係だったんだろうなあ。
まあ、本当は笑い事じゃないよね。
実際に乙女誘拐事件では、犯人だと誤解された挙げ句、拷問を受けたわけだし。
お兄様は全ての事件の資料を移動式の黒板に貼り付けていく。
黒板の中央には地図を貼り、詳細に場所を書き込んだ。
「こうすると分かりやすくなりますよ」
お兄様は吸血鬼事件に関係する場所に鋲を打ち、赤い紐で繋ぐ。
あ、こういうの、海外のドラマでよく見たアレだ。
兄が調査した事件の五割はリーンデースからハーファンにかけて分布している。
四割がアウレリアとイグニシア、残りの一割は離島や南方大陸だ。
「なるほど。やはり……」
ハーランが何かに確信したように呟いた。
彼は黒板に貼った地図に向かい、ペンを取る。
「俺はウトファルを使って、長年北部全域に目を光らせていたんですがね。元々ハーファンやイグニシアに近づくほど年を経た血啜りが多いのが気になってはいた」
「ふん。俺たちからすると、ルーカンラントとの境界に多いイメージだがな」
クラウスが不機嫌そうにツッコミを入れた。
「そうでしょうね。だから、こうなるわけです」
ハーランもまた地図に鋲を打ち、紐を張った。
エドアルトお兄様とハーラン。
二人分の情報が繋ぎ合わされ、リーンデースをぐるりと囲む歪な包囲網が浮かび上がったのだった。




