軌跡を辿る夜3
私の告白が済んだことで、最初の情報共有は終わった。
おかげでお兄様やブラドのお話が聞けて、過去に何があったのか大体のことが理解できた。
そしてホレの協力を仰げばクロードの救出可能性があることや、私の友人であるティルナノグやパリューグに助けを求められることも、他人と共有できるようになった。
うん、無理を言ってこの夜会を開いてもらった甲斐があった。
私も洗いざらい語ったおかげで、なんとなく肩の荷が降りた気がする。
「もう時間も遅いし、一旦お開きとしよう。情報を噛み砕いて整理する時間も必要だからね」
エドアルトお兄様が見回す。
全員異論なし。
確かに、みんな過剰な情報で頭の中が飽和していて、これ以上情報を受け入れるなんて無理だろう。
お兄様が明日以降の夜会の案をあげる。
まず、全員の視点から今までの情報を精査すること。
どんな些細な違和感でも、だ。
また、吸血鬼が金狼と既に合流し協力関係にある可能性を踏まえて対応すること。
金狼と吸血鬼はどちらも狂王の配下だ。
最悪の形で連携する可能性まである。
こちらも異論は無しだった。
日程については、情報を精査し、方針決定が終わるまでは毎日一〜二時間会合。
頻度は高く、一回ごとの時間は短く、という方針だ。
方針決定後は各自の活動を優先し、全員の会合は週一回くらいとする。
数人で集まった場合でも、他の参加者のために記録すること、などが挙げられた。
みんなは兄の提案に同意し、その日の夜会は解散となった。
各人、様々な表情で帰っていく。
☆
自室にたどり着くと、私はベッドに倒れ込んだ。
「つ、疲れたああ〜〜〜〜〜」
近年まれに見る精神的疲労だった。
秘密の告白がこんなに疲れる作業だったなんて知らなかったよ。
話す側でも、聞く側でも、精神力をたくさん使うね。
呻きながらベッドでゴロゴロしていると、ティルナノグが頭を撫でてきた。
『何故俺を生かしたのか、今なら分かるぞ。お前の前世の境遇は、少し俺にも似ているな』
「だよね。だからずっと同情だって言ってたでしょ?」
私もお返しにティルナノグの頭や背中を撫でる。
「あなたの憎しみに共感したの。でも、こんな話いきなり信じてもらえないだろうし」
『うむうむ。お前もさぞかし悔しかったのだろうな』
「ええ、悔しくて悲しくて……すごく怒っていたことに、あなたの感情に共感したことで、やっと気がついたの」
そうしていると、パリューグが手元に擦り寄ってきていた。
「ねえ、エーリカ。妾、あの子に悪いことしてるのかしら?」
「オーギュストのこと? あなたが無理なら急ぐ必要なんてないわ」
にゃん、とパリューグは小さく鳴いた。
気まずいのに無理する必要なんてないよね。
「あんなに泣かせてしまうなんて……」
「いつか、ちゃんとあなたの姿で会いに行けばいいじゃない」
「ええ、そうねえ……」
考えれば考え事が尽きることはない。
でも、今は考えていてもどうにもならない。
そう判断した私は、必要最低限の身の回りの手入れを終えると、さっさと二人を抱きしめて寝てしまうことに決めた。
☆
次の日、私たちは素知らぬ顔をして日常に戻った。
私たちは生徒として学業に勤しみ、兄たちは教師として、ハーランは保険医として、職務をまっとうしている。
本校舎の鐘の音が鳴る。
「では、みなさん殺人蜂の檻は二重に施錠してくださいね」
アクトリアス先生は教室を見回してそう言った。
はあ、やっと終わりだ。
今回の魔獣の授業は相変わらずハードだった。
今日の魔獣は殺人蜂。
全長三十センチメートルで、マルハナバチに似た可愛らしい見た目の魔獣だ。
蜂蜜や蜜蝋が利用できるため、商業的にも重要な魔獣でもある。
しかし、名前の示す通り、致死性の猛毒を持つ危険性でも有名だったりする。
今日の授業では生態系を学んだ後に、無毒化する処理方法を体験したのである。
「刺されてしまった人は、身代わりの刻印石を身につけたまま、早めに保健室で治療を受けてくださいね」
施錠を済ますと、うっかり刺された人たちが大急ぎで教室を出て行く。
魔法で身代わりできるとはいえ、刺されなくてよかった。
私は刻印石をアクトリアス先生に返却し、そのまま大食堂へ向かった。
トリシアとマーキア、クロエとベアトリスと主に他愛のない話をしながら回廊を歩く。
「先ほどは殺人蜂から守ってくださって、本当に感謝いたしますのよ」
「あはは、さっきは危なかったね」
トリシアが目を潤ませながらクロエに感謝していた。
取り逃した殺人蜂に襲われかけた彼女は、即座にクロエに助けられたのである。
「これがあの蜂からとれた蜜蝋を使った軟膏でしてよ。お試しくださいませ」
「ええっ、いいんですか」
「唇に使いますと、とってもふっくら艶やかになりましてよ?」
マーキアは殺人蜂からとれた高品質の蜜蝋を使った軟膏の缶をベアトリスに渡していた。
私も授業前におすすめされて使ってみたけど、確かに唇が艶々になった。
そうして、他愛ない話が盛り上がった私たちは、そのまま五人で一緒に中央寮のテーブルについた。
料理の塩加減について文句を言ったり、パンの味に舌鼓をうったりして食事を楽しむ。
私としては、今日の料理は総じて上出来な印象かな。
「んん……?」
食事中、珍しくベアトリスが険しい顔をした。
どうしたんだろう?
ちらっと彼女の手元を覗き込むと、彼女のちぎったパンの中に紙片が見えた。
あ、これがウィント家の干渉方法って話だっけ?
信じてないわけじゃなかったけど、こんなのがあるとは……。
「嫌だわ、なんてことですの!」
「ひどい異物混入でしてよ!」
「あはは、うっかり混ざっちゃったのかもですね。田舎育ちなのでこれくらい大丈夫ですよ」
その紙片を確認してからベアトリスは何事もなかったように会話に混ざる。
後でこっそり内容聞いてみようっと。
「エーリカ、ちょっといいかな〜〜?」
異物混入騒ぎが治まった頃合いに、こそこそと自然を装った不自然な態度でハロルドがやってきた。
「何かしら、ハロルド」
「いや、ほらさっきの授業、たしか殺人蜂だったんでしょ? 刺されてないか心配でさ」
なんだかハロルドからソワソワするような雰囲気を感じる。
……あ、これはもしや本題は別だな?
「あなた、何か別の用事でしょう?」
「うわ、バレたか……!」
「長年の付き合いだもの、態度でわかるわよ」
ハロルドはため息をついた後、背筋を伸ばした。
昨夜の話なんだけどね、と前置きして、ようやく本題を切り出す。
「で、なんで、現代知識で儲けようと思わなかったのさ……?」
「は?」
この人はいきなり何を言い出すかと思ったら。
いや、そういう暇がなかったとしか言いようがないんだよね。
私も現代知識で稼げるものなら稼ぎたかったよ。
「忙しかったのよ。それにこの世界の法律で縛られることも多かったし」
「ふぅん……そっか、まあ、そりゃしょうがないか。それでさ、ここからが真面目な相談なんだけどさ」
ハロルドが声を潜めてコソコソと話す。
「俺、その石油王っていうの? そういうのになってみたいんだよね」
こいつ……! 石油王になりたいだと……!?
「石油とか電気を使った文明っていう話じゃん? すごく良いよね?」
「まあ、悪くはなかったわよ」
まあハロルドらしいというか、お金に対する嗅覚がむちゃくちゃ良いね。
いや、そういえば。
「ねえ、ハロルド、ニーベルハイムって確か、瀝青が採れたんじゃなかったかしら?」
「ある! あるよ!」
「その周辺、掘ったら可能性あるかもね」
「マジで? やった〜〜〜!」
ハロルドは両腕を上げて歓声をあげた。
とは言え、石油を掘っただけでは、それを売る先がない。
併行して需要を作っていかなければ。
「石油を使う便利な道具も売らなきゃね。ハロルド、あなた文明ごと作りかえる気なの?」
「あはは、そこまでできたら最高だなあ……!」
ハロルドは満足そうな笑顔を浮かべ、ゴーレム工房に走って行った。
まさか、いまから採掘用のゴーレムでも作成するんだろうか?
ハロルドにかかると、本当にそのうちこの世界にも科学文明が発達しそうだね。
☆
午後の授業を終えて、放課後。
私は錬金術の準備室へ向かった。
昨晩のことでエドアルトお兄様に聞いてみたいことがあったからだ。
「どうして君が転生者だと気がついたかって?」
エドアルトお兄様は明日の授業に使う資料を一旦机においてから、私の問いを復唱した。
「はい」
「うーん、はっきりとこれだって答えるのは難しいなあ」
目をつぶって、兄は記憶を辿り始めた。
「そうだね、ごく自然に、君はきっと転生者なのだろうと思ったのさ」
「それは、その、お父様もお気づきだったのでしょうか?」
「もちろん同様に気がついていたよ」
そういえば、アウレリアの古層の宗教は輪廻転生説だったっけ。
なるほど。
さすがです、お兄様。
隠してるつもりだったけど、むしろ泳がされてたのか。
「でもね、過去の人生は君だけのものだから。君が明かすまでは聞こうとは思わなかった」
そう言ってお兄様は笑った。
私の家族は優しい人たちばかりだ。
そのうち父にも、ある程度私のことを伝えたほうがいいかもしれない。
一応納得した私は兄に別れを告げて、本校舎の大食堂へ向かった。
「エーリカさん」
「エーリカ様! エーリカ様もこちらで夕食ですか?」
クロエとベアトリスを探していると、先に声をかけられた。
「ええ」
クロエの隣に座って一緒にお茶を飲む。
よし、これで例のウィント家の干渉の内容が聞けるかな?
お昼からずっと気になってたんだよね。
「ねえ、ベアトリスさん。お昼の紙片は、やはりあなたへの指示だったの?」
「はっ、はい、エーリカ様」
ベアトリスはローブのポケットから紙片を取り出して、開いて見せてくれた。
クロエと一緒に覗き込む。
──とにかく走りこみの訓練をして、来たるべき日に備えて足腰を鍛えなさい。
どういうことだ?
「これは何かの暗喩なの?」
「言葉の通りだと思います。因果干渉なんて凄そうですけど、私にはこんな指示ばかりなんですよ」
鍛錬を怠るな、心を平穏に保て。
この人物は信じていいけど、こっちはダメ。
友達を作れ、信頼がおける腹を割って話せる相手を二人くらい適当に作れ。
もっと笑え、愛想笑いでいいから笑っておけ。
できるだけ機会を見つけて、親や妹・弟に会っておけ。
もっとたくさん美味しい物を食べておけ。
美味しい物を云々は、本家で出たお菓子を残して実家に持って行ってた時のメッセージとのことだ。
「口うるさいけど、ベアトリスのことをちゃんと愛してる人だと思う」
クロエがそんなことを言いながら蜜のたっぷりかかった胡桃入りのパンをかじる。
同感だ。
私も手を伸ばして、パンを摘んで齧る。
とても甘くて美味しい。
「ん?」
クロエがパンの中から紙切れを引っ張り出した。
同じタイミングで私は二つに割ったパンの中から同じような紙切れを見つけた。
「もしかして」
「まさか」
「え……ええええ……」
私とクロエとベアトリスの三人分の視線が、しばしの間錯綜する。
なんて不自然な出来事だろう。
まるで誰かがこの場を見ていて、リアルタイムで仕組んだみたいだ。
これがウィント家の仕業だとしたら、あまりにも驚異的だ。
決心して紙片を開く。
──私のことはもう知っているわね。
──あなたも走り込み必須だから、ベアトリスと一緒に鍛えなさいね?
──有能なコーチを用意しておくわ。
へえ、私も足腰を鍛えたほうがいいのか。
ていうか、因果干渉してまで伝えることが走り込みの指示って、どういうことなの?
それにしても、コーチって誰だ。
あ、もしや。
「私のはこうだったよ」
クロエが彼女の紙片を広げる。
──二人の指導をよろしく。
──あなたが納得できるレベルまで鍛えてあげて。
もう十分鍛えているクロエには、コーチの依頼がきていた。
クロエがにっこりと微笑む。
「北国式の訓練しかできないけど大丈夫かな? 私、本気で頑張っちゃうよ!」
「えっ……クロエちゃんの本気……?」
ベアトリスがびくっと震えた。
これは、恐ろしいシゴキが始まってしまうのではないだろうか……?
☆
「うん、今日はここまででいいかな。二人とも、もう少しで本当の限界だよね」
「え、ええ、もう限界よ」
や、やっとクロエの拷問──いや、訓練から解放された。
足がなんだかガクガクしてて、地面から浮いてるような感じだ。
「……っ、う、うんっ…」
ベアトリスは声も出ない様子である。
クロエの走り込み訓練を終えて、よろよろと訓練場のベンチに腰をおろす。
なんだかまだ口の中に血の味がするような気がするぞ。
「うんうん、まずしばらくは、こんな感じに軽いジョギングからやっていこうね」
えっ、アレが軽いジョギング? 私、どれくらい走ったんだっけ?
でもまあ、足がつったり挫いたりしてないのは、クロエの指導のおかげだろうか。
訓練の後は保健室に寄って、私とベアトリスは交代でクロエからマッサージを受ける。
「うん、こうしておけば明日に響かないからね」
「いやあ、いい訓練始めましたねえ」
保健医ジャック・シトロイユに扮しているハーラン・ルーカンラント辺境伯もいい笑顔だ。
クロエに頼まれたらしい丸薬3種類と湿布を、いそいそと楽しそうに用意してくれている。
栄養剤とマッサージで強制的に走る体に仕立て上げていくのか。
しかも、これを今日から毎日……?
やっぱり拷問では……?
新たな死亡フラグか……?
でも、何らかの危機回避のための訓練だろうから従っておこう。
逃げ足が早くて損することはないよね?
「ではまた夜に会いましょうね、クロエ、ベアトリス」
そうして私はいったんクロエやベアトリスと別れた。
自室でシャワーを浴びてから、再び制服を纏う。
課題を終えた頃には、もう深夜になっていた。
さて、夜会の時間だ。




