軌跡を辿る夜1
エドアルトお兄様からの協力依頼に対して、私はほぼ即答で了承した。
そのために、余すところなく洗いざらい告白することを兄に求め、私も全てを告白することを決めた。
金狼と本気で戦うことになったら、私の友人たちの秘密も隠しておくことは出来ないからだ。
そして私は、私だけではなく色々な人の助けを借りるように兄に提案した。
☆
翌日の夜。
奇譚蒐集者の会の書庫には、一連の事件の関係者が集められた。
昨夜に引き続き、私、クロエ、エドアルトお兄様、ハーラン。
私と同じく犠牲者になる可能性の高い、ベアトリス。
私の人生に大きく関わってきた、クラウス、オーギュスト、ハロルド。
兄と多くの情報を共有するアクトリアス先生、ブラド。
そして話の途中で紹介する予定のティルナノグ、そしてパリューグ。
私が書庫についた頃には、既にみんな揃っていて、前日中に運び込んでおいた椅子に着席していた。
そうして合計十二名にも及ぶ大人数での夜会が始まった。
主催者であるエドアルトお兄様が、みんなの前に進み出て姿勢を正す。
「今宵はお集まりいただき、ありがとうございます。今回の目的は、僕たちが直面しているとある困難に打ち勝つために、相互に情報や知識を出し合って助け合うことです。どうかお力添えを」
兄が一旦言葉を切って頭を下げると、拍手が起こった。
「今夜からこの部屋の会話は全て記録されます。後から確認したいことがあれば僕に申請してください」
そう言って兄はソファの横にあるサイドテーブルに記録化石を置いた。
もう記録は開始されているのだろう。
「この夜会に同席する人間はあらゆる隠し立てを行わないこと。同意できない方は、今のうちに席を立ってください」
しばらく待つが、誰も立ち上がらなかった。
「全員が同意してくれたみたいだね。では、まずハーラン卿からお願いします。一連の事件と僕たちを取り巻く因果の始まりについては、貴方から説明いただくのがもっとも早いですからね」
兄に促され、ハーランが立ち上がる。
そしてその夜、最初の告白が始まった。
☆
ウルス辺境伯ハーラン・ルーカンラントは仮面を外して、一同を見回した。
昨晩不在だった皆はその顔を見て、息を呑んだ。
「さて、きっと皆さんは俺の顔を見て驚いたことでしょう」
ハーランは昨晩よりずっと清々しい表情をしていた。
彼は微笑を浮かべ、今までの説明を始める。
シグリズルやボルツと出会い、いかにして彼が吸血鬼狩りになったのか。
ボルツの死。
そして人狼虐殺事件によって、北の旧王家の血族が殺されたこと。
クロードの捕獲と引き換えにして、シグリズルを殺さざるを得なかったこと。
クロエの秘匿。
長きにわたる監禁からクロードが逃亡したこと。
手がかりを求めて学園に入り込んだこと。
そして万霊節での誘拐事件と書庫の複製の企み、ウトファル修道騎士団の反乱のこと。
「そうして俺には、もう打つ手がなくなったのです」
ハーランは目を伏せて、口元だけで自嘲的に笑っていた。
「どうすれば、助け出せるのか……いや、何故クロード様が化け物になったかも、何故そんな凶行をしたのかすらも、いまだに俺は辿り着けていません」
「ハーラン卿、それについては僕から話をさせてください。ここからは僕が告白する必要があるでしょう」
エドアルトお兄様は一度目を閉じて深く呼吸をしてから、目を見開いた。
「僕にとっての始まりは、母から短杖を受け継いだときだったかな」
私の知らないお兄様の物語が始まった。
母や幼馴染みのブラドとの幼少時代の思い出。
いかにして兄が怪奇に惹きつけられていったのか。
リーンデースへの入学、アクトリアス先生やクロードとの出会い。
少年時代のキラキラとした冒険と友情の物語。
突然の母の死。
母から受け継いだ遺産と、その裏に隠れていた複雑怪奇な母の人生。
「母が何者であったのか。何に抗って生きてきたのか。いつの間にか僕も彼女と同じ航路を辿ることになっていった。そして、あの事件が起こったんだ」
人狼虐殺事件の少し前に起こった、リーンデース魔法学園内の暴力事件。
それは、首なし王子の霊安室で三人の少年が暴行・拷問を受けた事件だ。
犯行後に逃亡した犯人の名はクロード・ルーカンラント。
──そして被害者の名は、エドアルト・アウレリア、ブラド・クローヒーズ、エルリック・アクトリアス。
事件についてリエーブルから聞いたことを思い出す。
その当事者が、お兄様たちだったなんて。
それからは事件の被害者である三人が、代わる代わるその日のことを語った。
クロードは事前に首無し王子の霊安室について、人工精霊ドロレスを介して入念に下調べしていたようだ。
当日はエドアルトお兄様が好きそうな話と仕掛け、つまりは隠し文字を仕込んだ例の日記をさりげなく見せることで興味を惹き、地下室に呼び出した。
不意打ちにより、アクトリアス先生が昏倒。
金狼王子の死体を使って地下室を転移させ、密室化させた。
「ブラドが迷宮に避難し、エドアルトがクロードの拷問を受けている最中、私は意識を取り戻しました」
アクトリアス先生は兄を守るためにクロードと戦った。
あの空間内でいかに二人が攻防したか。
クロードは身体強化と再生を繰り返し、恐るべき攻撃を繰り返したこと。
「クロードは自らの身体が損壊するような攻防を楽しんでいながらも、悲しそうだった。いや、泣きそうだったんです。例えるならば、居場所のない今にも泣きそうな子供。私はそんな彼と殺し合いをしていたんです。何度拳を止めて訳を知りたかったか」
アクトリアス先生の目の端にわずかに涙が光った。
ハーランはそれを見て静かに押し黙った。
彼の手がわずかに震えているのがわかる。
長らく監禁していたクロードへの憐憫なのか、彼を救えなかった自分への怒りなのか、私には推し測れない。
私は隣に座っているクロエをちらりと見た。
一族の顛末も、兄の事件も、ずっと彼女が知りたかったことのはずだ。
クロエはただ静かに、凛と背を伸ばして聞いていた。
「徐々に私が押していました。粘りきれば勝てると思ったそのとき、クロードは首無し王子を盾がわりにしました。私はそれを貫いたことで混乱し、彼に主導権を奪われました」
この時点で、アクトリアス先生は呪いが自分に感染したと誤認していたらしい。
それは混乱するなと言う方が無理だよね。
「その隙を突かれて、敢えなく私はクロードに倒されました。その時ですよ、彼が戻ってきたのは」
アクトリス先生が、ブラドを見つめる。
「せっかく助けてくれたエドの言葉を裏切ってでも、私は彼らを助けたかった」
アクトリアス先生が倒れた後の説明を、ブラドが引き継ぐ。
お兄様によって第四屍都廃墟に逃がされたブラドは、不安に駆られて戻ってきたのだという。
しかし狭小空間での戦闘で、あっという間にクロードに優位を奪われ、殺されかけた。
ブラドは悔しそうに眉根を寄せた。
仕方ないことだ、と思う。
研究者気質のブラドでは、生粋の戦闘狂らしいクロードには分が悪い。
しかも、兄エドアルトが拘束されて意識を失っていて、アクトリアス先生は釘を抜かれている状態。
ただでさえ魔法使いには不利な接近戦で、動けない二人を守らなければならないのだから。
ブラドは少しだけ間を置いた後に言葉を続ける。
「お前はなんで俺に殺されるのか本当は分かっているんだろう。これが彼との最後の会話だ」
しかし、クロードはブラドにとどめを刺すことなく、突如迷宮に去っていった。
これ以降、人狼虐殺事件の日にルーカンラントに現れるまで、クロードは行方知れずとなる。
「私は、私が殺されるべき理由を分かっていた」
「殺されるべき人間なんていないよ、ブラド」
兄がブラドの言葉を否定すると、ブラドは複雑な表情に顔を歪めた。
「私の出生を告白しよう。そうでなくては、なぜクロードがああ言ったのか理解できないだろうからね」
ブラドは兄から視線を切り、私たちを見回した。
そして、淡々と事実を羅列していく。
現イグニシア王の兄──当時のイグニシア第一王子の血を引いていること。
胎児の段階で両親とともに誘拐され、吸血鬼たちからある種の呪術による施術を受けたこと。
その後にブラドを取り戻すため、第一王女エレオノールが死んだこと。
「その施術は、狂王の肉片から魂を取り出し、生ける人間の中に埋め込む呪術だった」
一同が息を呑んだ。
「つまり私は、狂王カインの新しい身体として選びだされ、狂王の魂を呪詛として埋め込まれた存在だ」
ブラドが口元を痙攣らせるように笑った。
北と東の人間からは、皮膚がヒリヒリするほどの敵意が感じられた。
あのベアトリスさえもだ。
一方、アクトリアス先生とお兄様の二人は、長年の友人の告白を静かに受け入れていた。
「さて、これが私が殺されるに足る理由だが、何か異論はあるかね?」
「クロード様の判断は……確かに理に適う。クロード様はその時点では狂ってはいなかったのか。少し救われた気がしますよ」
いや、でも、リスクの芽を早期に摘むのは合理的ではあるけど、あまりに酷い判断じゃないかな。
まだ吸血鬼にもなっていない人間を、早期に殺すなんて。
「彼の得た情報は正しく、判断も正しかった。この世界をより良くしたいなら、私を滅ぼすのが一番早い」
ブラドの言葉に、場が静まり返る。
兄がブラドに歩み寄って肩を掴んだ。
「僕は僕の友人を傷つける者は誰だろうと絶対に許さない。ブラド、君が何者であろうとも」
「エド、君は相変わらずどこまでも幸福な人間だな。君が幸福なままであることを祈っているよ」
二人は睨み合う。
しばらくして、ブラドが根負けしたのか、視線を逸らした。
二人が離れると、オーギュストがブラドに問いを投げかけた。
「何故あなたは、イグニシアの天使の奇跡を自分のために使おうとしなかったんだ……?」
「私には奇跡に支払う価値がない。古い記述によると、奇跡を購う条件はヒトであることだ」
「……!」
オーギュストはブラドの告白に虚をつかれた顔をした。
私はパリューグの喉を撫でる。
彼女はブラドを肯定するように小さく鳴いた。
あの契約の儀式だけは、吸血鬼を判定することができたと言うことか。
「確かに殺されるべき人間なんていない。だが私は、厳密な意味ではもう人間ではないだろう?」
悲痛そうな表情で、ブラドはお兄様を見つめる。
兄は何か反論しかけて、唇を噛んだ。
オーギュストが立ち上がる。
さきほどまで彼が座っていた椅子が大きな音を立てて倒れる。
オーギュストには珍しく、一切取り繕っていない動きだ。
「教授、それじゃあ、ずっとあなたが私に教えていたのは、あなたと如何に戦い、どう滅ぼすかって方法じゃないか……?」
「オーギュスト……君に言った、神も天使も奇跡も信じきれないから、というのは言い訳でしかなかった」
私たちが思っているより、ずっとブラドの状態は悪いと言うことだ。
「私は奇跡も天使も神も信じたいし、今でもすがりたい思いだがね。そういうモノに愛される資格がない」
不思議なことに、ブラドの表情がものすごく優しい。
でも、その優しい表情は、なんだか不吉な感じがした。
「だが簡単に口に出せるわけがないだろう? もはや奇跡を購う条件すら満たせないなんて」
オーギュストが竜に乗れないだけでも、あれだけ醜聞に揺れたイグニシアだ。
王家の血を引く人間が狂王になるかもしれないなんて話が広まったら、それこそ何が起こるかわからない。
だからこそ、ブラド・クローヒーズは隠されたのだ。
☆
「僕らの告白は以上です。これが過去から今現在までの金狼にまつわる出来事のすべて……何か聞きたいことがあるなら質問をどうぞ」
エドアルトお兄様が、まわりを見回して尋ねた。
みんな何から問うべきか戸惑っている様子だ。
まあ、そうなるよね。
私も兄とブラドの告白をまだ飲み込み切れていない。
だって、あんな過去があったなんて。
でも。
「質問……とは少し違うんですが。いいですか、お兄様」
「エーリカ、何だい?」
首なし王子の霊安室で起こった暴力事件について、少しだけ兄に話したかった。
「あの頃、お兄様がそんな事件に巻き込まれていて、しかも大怪我してたなんて……私、知りませんでしたよ!」
「そりゃあ、まだ七歳の子供には言えないよ」
「そ、それはそうですけど」
言い淀んで、結局なにも言えなくなってしまった。
でも、兄がそんな怪我をしているなんて知らなかったのはショックだ。
「クロードの拷問はどこまでも洗練されていたんだよ。思いやりたっぷりの拷問だ」
拷問に思いやりなんてあるんだろうか。
復元可能なように調整された、抑制された暴力という意味なのだろうけど。
「幸い、僕は一番軽症だったから二週間程度で完治することができた。だけど、エルリックは……」
お兄様とブラドは心配そうにアクトリアス先生に視線を向ける。
「大丈夫ですよ。ノットリードのあの事件の後、釘を身体に戻してからは、かなり回復してます」
何事もなかったような顔でアクトリアス先生は笑った。
そうでは無いことを、雪銀の洞窟での先生の様子で分かっているので、なんだか心苦しい。
先生の人生の決定を変えてしまった事件の一つじゃないですか。
「もしかして、その釘というのは、南方大陸の釘なのか? しかも聖釘と呼ばれる真なる王の釘じゃないのか?」
オーギュストが問うと、アクトリアス先生は静かに頷いた。
兵器として巨人を作る釘ではなく、吸血鬼による浸食を拒絶する身体に作り替える呪具だ。
本来ならギガンティアの王や貴族が受けるはずの施術なのだ。
「それにアクトリアス家は最古の呪術を扱う血筋で、施術する側だ。本来なら施術される側ではないはずじゃないか?」
「よく南の事情をご存じですね」
「ギガンティア王家の重臣であるアクトリアス家が、王のための聖釘を打ち、偽名を名乗らせ、内乱から遠ざけるために亡命させた」
「その通りです」
「つまり、あなたはギガンティア王家の、正統後継者ってことじゃないか?」
オーギュストの結論に、アクトリアス先生は頷く。
場にざわめきが広がる。
「さすがですね、殿下。証拠を並べたら、こういうのもわかってしまうんだなあ」
アクトリアス先生は静かに微笑む。
「そのせいで私の人生は苦痛そのものでした。でも私は救われたんですよ。救ってくれたのは愛すべき友人達です。彼らのおかげで、私は今の幸福を受け入れられるようになりました。……だからこそ、あの時クロードを止められなかった自分を許せない」
アクトリアス先生は辛そうに目を伏せた。
場に沈黙がおりる。
また、とんでもなく重い情報だ。
みんな消化するのに精一杯だろう。
私もいまだ必死に飲み込んでいるところだ。
長い沈黙を破るように、ハーランが手を挙げた。
「どうやってクロード様は狂王の器となる人物を知ったのでしょう?」
「それについては、クロードが事件を起こす直前に何者かから荷物を受け取っていた痕跡がありました」
ハーランの問いに、兄が答える。
その荷物は、治療の終わったお兄様たちが調査を始めた頃には、もう寮から消えていたのだという。
「クロードが北に帰るときに持っていったんだと思っていましたが、彼の持ち物にはなかったんですか?」
アクトリアス先生が尋ねると、ハーランは首を振る。
「クロード様の持ち物のなかで不審なものは、例の赤革の手帳だけでした」
「僕らを霊安室に呼び寄せるときに使った、あの?」
「この手帳だよね? 魔法学園に来る前に、差出人不明で私に送られてきたよ」
クロエが鞄から手帳をゴソゴソと取り出した。
あの手帳だ。
それを一目見て、兄の表情が険しくなった。
「……よりにもよって、こんなものを誰が彼の妹の手に?」
「それは俺ですよ」
ハーランが手を挙げる。
「あなたがそんなモノを彼女に渡したんですか?」
「クロード様のものなら、最も近い血縁者が持つべきです。違いますか?」
発狂したと目されている肉親が記述した「怪しい手帳」なのに大丈夫なのかな?
いや、北の人には雪銀鉱の守りがある。
多少の呪物など気にしないのだろう。
「ハーラン卿、あなたは彼女をクロードから隔離しようとしていたのではないのですか?」
「クロエ様の幼い頃は、金狼の情報を遮断していました。しかし、この歳になったら話は別だ」
ハーランはクロエを見つめる。
「情報を奪うことは、クロエ様の思考を奪うことになります。自分の頭で思考しない人間は無力です。だから、過去を探るにしても過去を振り払うにしても、クロエ様の選択肢として残したかったのです」
クロエが静かに頷いた。
彼女はじっと手帳を見つめる。
ここまで話した時点で、もうすっかり深夜になっていた。
ブラドが時計を見て、口を開く。
「もう学徒たちには遅い時間だ。続きは明日ということにしてはどうかね」
「いや、少し待って欲しい。もう一人、重要な人物の情報を聞いておきたい」
お兄様はそう言って、私を見つめた。
「さて……次はエーリカ、君の番だね?」
ついに私の番になってしまった。
言いにくいことが多いけど、頑張らねば。




