クロード・ルーカンラントの断片1
あいつが短杖を振り、目の前から消失する。
ほんのわずかに遅れて、俺の剣が空を薙いだ。
これは場所替えの杖じゃねえな。
あいつがばらまいた極小ゴーレムは全て投石で撃墜してある。
幻影や目眩しの類でもない。
魔法使いや錬金術師には避けられない速度で攻撃したはずだ。
それに匂いもしない、足音もない。
空気の動く音は歓声にかき消されて聞こえないが、皮膚感覚で空気の動きがないのは読める。
あいつはここにいて、同時にここにはいない。
イカサマのカラクリが見えた。
俺はあいつが消えたのと全く同じ地点に剣を突き出す。
思った通り、その場所に現れた。
俺と目が合って、あいつは驚愕する。
俺は身体強化でゆっくりと刺し貫くつもりで力を込めた。
あいつの手元で短杖が消え、短いナイフが現れる。
ナイフが実体化した瞬間、金属同士が火花を散らす。
存在が実体化するまでの須臾の攻防。
あいつはナイフの刃で俺の剣を横に押すと同時に横っ飛びに地面を蹴っていた。
剣はローブだけを裂き、錬金術師は間一髪俺の攻撃を逃れて十数メートル先に着地する。
なかなか良い反応じゃねえか。
錬金術師にしておくには惜しい。
俺は対戦相手の戦力評価を一段階上方修正した。
俺は風に舞ったローブの切れ端をつかむ。
思った通り、剣で割かれた跡は途中からで、残りの断面は不自然なほど綺麗だ。
まるで、その部分は存在できなかったみたいに。
こいつがやったのは、二者間の場所替えではなく、自分と自分の場所替えだ。
ずいぶんと奇妙なことをしやがる。
意図的に仕組んだ時間差によって、こいつは一時的に世界から完全に消失した。
それがこいつの使うあり得ない完全回避のカラクリか。
「よく分かったね。参考までに、決め手はなんだったか教えてくれないかい?」
「さあな。一度見た手品が二度も通用すると思うな、ってとこかな。それと──」
あいつまでの距離を一歩で踏破し、俺は首目がけて剣を振りかぶる。
「俺は余計なおしゃべりは好きじゃねえ」
「くっ」
あいつが消え、代わりに現れた極小ゴーレムが砕ける。
今度は本当に場所替えの杖だ。
さっき俺の一撃を受けながら、同時にその勢いに乗せてゴーレムを放っていたのか。
即座に出現位置を見極め、俺は地面を蹴った。
──が、その足が数歩目で滑り、もつれる。
踏ん張ろうとした逆の足もとられ、俺は咄嗟に剣を地面に突いて止まった。
「俊足が自慢のようだが、これならどうかな?」
気づけば闘技場全体の床石が鏡面のように磨かれていた。
しかも、このぬめりは脂か。
まともに動けない上に、無理に走ろうとすればいい的だ。
この程度でこの俺に勝てるとでも?
俺は床石に剣閃を走らせ、左手の指で石の表面を貫いた。
そのまま床石を力づくで引き剥がし、持ち上げる。
身体強化による膂力があれば、数トンの石塊だろうと物の数ではない。
「なっ……!?」
目を見開いた間抜け面に向かって、俺は石塊をぶん投げた。
石塊は錬金術師の眼前で分解される。
いい反応だが、これならどうだ?
俺は次々に石塊を投擲する。
あいつは全て回避するか分解していなしていく。
回避された石塊が観客席に突っ込み、傍観していた学生たちはパニックになって逃げはじめている。
あいつはまだ余裕があるのか、女生徒に当たりそうな石塊も律儀に分解してやっていた。
気に喰わねえな。
俺は一際巨大な石塊をあいつに向かって投げる。
その陰に隠れ、俺は長剣の柄を足場にして跳躍した。
分解された石塊の後ろから現れた俺に、余裕かました面が驚きに歪む。
俺は回避不能の速度で、短剣を突き出す。
その瞬間。
俺とあいつの刻印石は同時に砕けた。
前代未聞の結果に、審判も観衆も沈黙したままだ。
相打ちだと?
最後の攻撃だけは、何も見えなかった。
なるほど、まだ奥の手を残してたってのか。
おもしれえ奴。
「……君はただの愚か者じゃないらしいね」
「お前もただのインチキ野郎じゃないみてえだな」
射抜くような緑の瞳を見つめたその時、暴風が吹き荒れた。
真鍮色の竜が降りてくる。
「主は仰られた。神の赦しは万民に与えられる恵みなれど、人の法を免ずものにはあらずと。なれば、我は大蛇と猛牛を一度に捕えし古の勇士の如く、汝らを打ち伏せん。我が腕には神罰の宿るものと知れ」
褐色肌に白金髪の監督生の長が、高らかに演説とともにご登場ときた。
「はあ〜〜? 何て言ってるんだ、あいつ?」
「それは僕にも分からないけど、シャルル先輩が激怒しているのは確かだね」
「いや、誰にだって見りゃ分かるだろ」
竜が翼の一打ちとともに立ち上がり、二足歩行になる。
二十メートル級竜騎士サイズの刺叉を二本抜き放ち、竜の両前腕で保持して構える。
身のこなしを見た感じ、竜に人の槍術や捕縛術を使わせるような芸当か?
「もう誰にも手に負えない。逃げよう」
「よお、初めて意見が合ったな」
錬金術師は同位置場所替えを連発して、竜の繰り出す刺叉を回避して逃げていく。
俺は脚力強化で高速回避しつつ、地面に刺さっていた長剣を回収した。
頭から数ミリの場所を、竜の揮う刺叉が通り過ぎていく。
身体強化せずに受ければ、かすっただけで五体が吹っ飛びそうな威力だ。
「なにすんだよ、てめえ! 殺す気か!」
暴れ回る監督生の長に罵倒の声を投げ、俺は全力で逃走した。
逃げに逃げて、ようやく追っ手を撒いた末、ここまで来ればもう安心と学舎の裏で座り込む。
ふと横を見ると、対戦相手の錬金術師が汗だくで座っていた。
「さすがにここまでは追ってこないよね」
「だろーな」
うっかり目が合って、お互いに噴き出す。
いけ好かない奴だと思っていたけど、案外面白い奴じゃねえか。
しばらく大笑いをしてから、俺は手を差し出した。
「ほらよ」
「……これは何のつもりだい?」
「ダチになろうって言ってんだよ」
そう言うと、あいつは──エドアルト・アウレリアは心底意外そうに俺の顔を見つめた。
☆
「こんなことは君にしか頼めない」
エドアルト・アウレリアは相変わらずの嘘っぽい笑顔を浮かべる。
朝っぱらから俺の部屋にやってきたこいつは、早々にロクでもない相談を俺に持ちかけてきた。
「ははぁ、魂胆は分かったぜ。俺なら悪事に加担させてもいいってことか」
「その通り。ブラドやエルリックに手伝わせるわけにはいかない」
綺麗な顔と悪気のない言葉で、自分にとって俺はどうでもいいと主張する。
「だいたいブラドとエルリックは舞台があるし。それに比べて君は暇だろ?」
「はあ、そうだけどよ」
「でもほら、君は汚れ仕事に向いてるだろう? 元から決闘裁判のやり口で風評も最悪だし、今さら落ちるような評判もない」
「俺は誇りを大事にしているだけだぜ」
自分の行いを棚に上げすぎだ。
決闘裁判のやり口で言えば、エドアルトは俺よりひどい。
それにしても、俺が断るとは微塵も思ってねえようだな。
どうやら、相変わらず俺はロクでもない役割にだけは選ばれるらしい。
「いまさら工房棟に忍び込みたいって、無理があるんじゃねえの? いったいどんな用があるんだよ?」
今日は万霊節。
いつもは徹夜している錬金術工房棟の教師や生徒も出歩いたり、ゴーレムの管理に引っぱり出されている頃合いだ。
確かにあそこに忍び込むなら最適のタイミングだろう。
「目的は、没収されたゴーレムの核五百個」
「……はあ〜〜!?」
何言ってんの、こいつ。
いくら何でも数が多すぎじゃねえの。
何をどうしたらそんなに没収されるんだよ。
「大丈夫。超小型化しているから、数の割にかさ張らないし重くは無い」
「や、そういう問題じゃねーだろ! お前なら教師に頼めばいいじゃねえか」
こいつが頭のおかしなことを言うせいで、俺の方がまともな指摘をする始末になった。
エドアルトはバツの悪そうな顔を浮かべる。
「一年生の時に工房棟を破壊してしまってね。僕は工房棟にいる教師の心象が特に最悪なんだ」
「そりゃまあ、お目出度いことで。もちろんお前の頭がな」
エドアルトの額を少しだけ強めに小突くと、簡単によろめいてソファに倒れ込んだ。
錬金術師は、反応速度は悪く無いが、脆い。
工房棟に忍び込む暇があったら、もっと体幹を鍛えたほうがいい。
「そうそう、これを君に用意してきたんだ」
エドアルトは鞄からよく分からない毛皮っぽいモノを取り出した。
なんだこりゃ? 耳と尻尾か?
「これは仮装だよ。どうせ用意してないだろ? 人ごみに紛れなきゃいけないから仮装は必須だよ」
「はあ?」
「君は狼で僕は狐だ。ちなみにエルリックは熊でブラドは栗鼠」
エドアルトは衣装を放り投げる。
「なんで俺までこんな──」
「僕に友人になろうと言ったのは君だ。だから友人らしく馬鹿騒ぎに付き合いたまえよ」
君は少し真摯過ぎる、とエドアルトは子供のような無邪気な顔で笑った。
☆
連合王国北方に位置するルーカンラント。
我らが祖国は、古代においては二人の王が世襲により並立する国だった。
金毛の狼を象徴とする王と、銀毛の狼を象徴とする王のうち、現在は銀毛の血筋だけが残っている。
なぜ今その王家の一つが途絶えているのか。
それは、その金毛の狼王が血啜りの狂王により完全に滅ぼされたせいだ。
ルーカンラントにとって国辱の象徴である怪物金狼王子は、金毛の王の血族の最後の一人だ。
風の噂で聞いた話に、そいつの死体がここリーンデースに隠されているという奴がある。
もし俺がそれを見つけて国へ持ち帰ったなら、それは積年の国辱を雪ぐことになる。
例え今後父の後妻が男児を産んだとしても、父は俺を継嗣に選ばざるを得なくなるだろう。
つまりは、俺の不安定な足場を固めることができる。
そんな思いで必死に魔法図書館で情報を漁ってみたが、俺はあいにく資料との格闘は向いていない。
二年の冬休みには、自分だけでの探索に手詰まりを感じていた。
いつも図書館にたむろしているあいつならば、何か知っているかもしれない。
その日、俺は藁にも縋る思いで、エドアルトの部屋のドアを叩いた。
「なあ、そういやお前って金狼王子を知ってるか?」
カード遊びに飽きた頃に、俺はなにげない風を装って尋ねてみた。
暖炉の火が爆ぜる音が部屋に響く。
「知っているよ。バリエーションとしては北部、北東部、西北部の三種類の伝説がある」
カードを片付けながら、エドアルトはすらすらと答える。
曰く、北部の話と北東部の話が最も古い。
それらは歴史的事件をルーカンラントとハーファンのそれぞれの立場で語ったものだ。
二者を比較すると、真実に近い情報が得られる。
西北部のものはトゥール家からトゥルム家が分化する前後に持ち込まれたバリエーションだ。
説話集を売り込むために、民衆の好む恋愛譚風の味付けがされている。
真実からは遠いが、年代ごとの変遷が最も大きいので文化研究の題材には最適だ、とか何とか。
「それで、君が知りたいのはどれ?」
「どれでもいい。回収できなかった遺体がどこにあるか分かる奴が聞きたい」
「場所についての記述か。どこかにあったような、ないような……」
エドアルトは目を瞑って額を押さえて考え込み始めた。
自分の頭ん中で資料を探してんのか。
器用な奴。
しかし、十分ほど待っても反応はない。
「はあ。お前でも無理かよ。まあ、しかたねぇけど」
「いや、待った。手立てがないわけじゃない」
エドアルトはゆっくりと目を開いた。
「運が良ければの話だけどね。伝説や怪しい話の資料がたっぷり手に入る宛てがあるんだ。その資料があれば何かわかるかもしれない」
「おお、助かる。そん時はよろしくな。約束だぜ?」
「君には例のゴーレムの件で恩もあるしね。……あ、そういえば──」
「そういえば?」
エドアルトはしばらく考え込んでから口を開いた。
「雰囲気の近い怪奇が学園にあった。首なし王子の霊安室の怪談だ」
エドアルトはさらっとその怪談の概要を伝えてくれた。
首のない、滅ぼすことの出来ない化物。
何者かは不明だが、仮説の一つに狂王の時代の産物であるという推測がある。
確かに、似ている。
「もし、この首なし王子が金狼王子なら、遺体の場所はこの学園ということになるね」
「じゃあ、その霊安室ってやつに俺を連れて行けよ」
「誰も知らないみたいでね。僕もまだどこかも分からない」
「まだ、か。じゃあアテはあるんだろうな?」
エドアルトはニコリと笑った。
「アテはさっき話した資料だよ」
「へええ、そんな資料をどうやって手に入れるんだよ」
「それは、僕の母とその友人が、リーンデース在学中に怪物やら伝説の蔵書のたっぷり詰まった書庫を作っていたらしくてね」
たしかエドアルトの母親は悪名高い戦争の英雄ボルツだ。
そんな冷酷そうな女が、奇妙な趣味のある息子のために書庫ごと本を譲るってわけか。
「へえ、面白いな」
「だろう? で、僕は今その鍵を探しているところなんだよ」
今年の九月から探しているけど中々見つからなくてね、とエドアルトは続けた。
「じゃあ、その書庫の鍵が手に入ったら、色々と希少な資料がいっぺんに手に入るってことか」
「分かり次第、速攻で突撃する気?」
「まあな」
「雪銀鉱があれば平気だと思ってるんだろうけど、金狼王子はあらゆる解呪がきかない、不滅にして不可避の呪いって話だよ?」
「殺した人間が呪われる、回避不可能にして解呪不可能の呪い……だったか」
俺は、ハーファンの魔法使いどもの話なんて、信じるに値しないと思っている。
およそ不可能なんてものは存在しないと相場が決まっている。
どの程度、解呪に耐性があるのか、俺が確かめてやる。
「どんな手段を講じても、必ず一人が選ばれて呪われる。その一人が次の金狼王子に変化する」
「考えてみれば妙な話だな。同じ狂王の呪いでも、血啜りが伝染病に似てて、いくらでも増えちまうのとは正反対じゃねえか」
「おそらくは狂王カインの試作の一つなんだろうね……君はそんなものを、どうしても見たいのかい?」
エドアルトの緑の瞳が俺の目を捉えた。
「ああ、見たい」
俺はまっすぐに見つめ返して、答えた。
「……じゃあ、仕方ないね」
「約束だ」
「ああ、でも君が忘れたら履行はしないから、よく憶えておきたまえよ」
エドアルトは感情の読めない笑顔を浮かべた。
こいつは困ったときにこういう顔で笑うのだ。
☆
「君に、エドアルトを頼みたいんだ」
濡れたような赤紫の瞳が俺を見上げた。
ブラド・クローヒーズ。
エドアルトの後ろによく隠れている、女みたいに細っこくて眼の大きい魔法使いだ。
そういや俺とエドアルトが決闘した理由は、俺がこいつを揶揄ったからだったな。
ようやく春らしい日和になってきたある日。
ブラドは竜舎に俺を呼び出して、厄介な相談を持ちかけてきた。
「しかし、お前も随分気が強くなったな。もう俺が怖くねえの?」
「私は君を怖いと思ったことなんて、まだ一度もないよ」
ブラドが静かに俺を見つめる。
その時、俺は竜舎にいる竜たちが一斉に自分を見たような錯覚に陥った。
「で、具体的にお前は俺に何をして欲しいんだ?」
俺は錯覚を振り払うように、ブラドを強く睨んで問う。
「あんなことがあったのに、エドは変わらないんだ」
あんなこと、というのはエドアルトの母親の死のことだ。
あいつは冬の終わりに訃報を受け取ったばかりだった。
だというのに、あいつは少しも衝撃を受けているようには見えない。
いつも通り過ぎて、あまりにも不安だと、ブラドは言った。
さすが幼馴染みだけあって良く観察してる。
「つまりあいつは、お前らに気を使ってるわけか」
「彼は私やエルリックの前ではずっと気丈にしているけど、本当ならそんな状況じゃないと思ってる」
訳ありで伯爵家の養子になったらしいブラド。
近親は生きのこっちゃいない上に、生きのこった親族からは暗殺対象扱いのエルリック。
寄りかかるには忍びないって気持ちは分からなくもない。
だからあいつは、友達に気を使って泣きもしないどころか、悲しい顔すらしねえのか。
「支えてくれ、とは言わないけど、その……」
「寄り添っていろって?」
「君は……エドに似ているから」
確かに傍から見りゃあ、あいつは俺に似た状況になったと言えなくもない。
だけど、実際は大違いだ。
俺の母は俺を産んだときに死んでしまった。
当然顔も憶えていない。
生憎、実母に対しては仕方なかったのだな、程度の感傷しか持ち合わせていない。
むしろ実母によく似てるせいで父からまともに省みられなかったことのほうが俺には──
「……そうは言ってもよ、あいつが一人で抱えるつもりなら、俺だって何もできやしねえよ」
悲しさは共有なんて出来ない。
お前とエルリックだって、背負っている悲しさは似ていても、何かがどうしようもなく違うはずだ。
結局、お前たちもエドアルトを挟んで距離を取ってるじゃないか。
「そうか。すまない、無駄に時間を使わせてしまった」
ブラドは申し訳無さそうに、目を逸らした。
俺は居心地の悪い気分を抱えながら、竜舎を去る。
俺はいつもこうだ。
せっかく選ばれても、俺の手に負えないことだ。
期待に応えられなくて、後味の悪い思いをするばかりだ。
泥混じりの残雪を踏みながら、俺は寮へと戻った。




