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顔のない男の正体3

 私の仮説はとても単純なものだ。


 万霊節神隠し事件全体を制御するためには、反乱分子の動きとハーラン自身の動きを制御する必要がある。

 反乱分子の動きは、内部にいさえすれば例えばシトロイユでも制御できる。

 ハーランを制御できるのはハーラン本人だけにも思えるが、吸血鬼の情報をリークするタイミングを工夫すれば、あの時点を狙って動かせたかも知れない。


 ハーラン・ルーカンラントの指示で、シトロイユが反乱分子の凶行を煽った。

 ジャック・シトロイユがハーランへの情報を操作し、あのタイミングでの来訪を誘った。

 万霊節神隠し事件に黒幕が居るとすれば、この二つのパターンが考えられる。


 しかし困った事に、目的や動機が分からない。

 なぜこんな茶番劇をやる必要があったのか。


 反乱分子の一掃?

 でも、そうだとするとあまりにもリスクが大きく、実際にハーランやシトロイユが被ったダメージも大きい。


 未来視や過去視の素養があるベアトリスが欲しかった?

 でも、それならなぜあっさりと私たちに返してしまったのか分からない。


 事件の黒幕になりうる人物が、得をするどころか損しかしていないように思える。

 もしかして、私が気づいていないだけで、何か利益を得ているのだろうか?


 というわけで、今回の事件で気になる部分を一つ一つ検証していこう。


       ☆


 まずは、ヤンが誰から指示を受けたかが気になる。

 しかし彼はもうその人物を憶えていない。


 確かなことは一つ。

 ヤンに会った人物は記憶を消去する薬を用意できる人物という事である。


 というわけで、広い情報網をもつハロルドに調査をお願いしておいたのだ。

 万霊節の祭から一週間後、私は彼の工房に向かった。


「おお、さっそく来たね。ちょうど昨晩セルゲイのおっさんから報告書が届いたところだよ」


 私はソファに座りながら、ハロルドから書類の束を受け取る。


 ノットリードからウルス辺境伯に納入している薬品や素材のリスト。

 シトロイユが保健医をやっていた間に学園に納入された薬品や素材のリスト。

 そして、それらの材料からどんな薬が作れるかという解説だ。


 セルゲイは素材のサンプルも一緒に送ってくれたらしい。

 ハロルドはリストと照らし合わせて、サンプルの入った小壜や小箱を並べていく。


「さすがね、ハロルド。仕事が速いわ」

「まあね。セルゲイのおっさんも仕事が速いからさー」


 私はリストにならぶ薬品名とその効能・素材などを眺めていく。

 ハーランが購入した素材と、シトロイユが購入した素材はほぼ一致していた。


 魔法的な効果のある麻酔薬。

 非魔法的な麻酔薬。

 強烈な自白剤。

 身体に負担のかかるタイプの強力な強壮薬。


 ここの辺りは無関係かな。


 幻覚剤や、数種類記載された睡眠薬や睡眠導入薬なんてのも記憶に関わりそうで、怪しい感じがする。

 でも、解説をよく読むと、どれも服用すると記憶が鮮明になるらしい。


 あてが外れたのだろうか。


 何度もリストを見返しているうちに、一種類、何の薬剤にも使われていない素材がハーラン側のリストにあることに気がついた。

 その用途不明の素材は、乾燥した水苔(・・)だった。


「……水苔?」

「梱包時の緩衝材なのに、わざわざ産地が指定されていたらしいよ。関係ないかもしれないけど、一応記載しておいたんだってさ」


 ノットリードでは、緩衝材には乾燥した白詰草を使うのが主流だ。

 だからこそ、セルゲイも気になったのかも知れない。


「なるほど。産地はどこなの?」

「リーンデース北部。雑多に十四種類ほどの水苔が混合しているってさ」

「ふむ……」


 リーンデース北部の水苔。

 なにか記憶に引っかかるような気がするけど、なんだったっけ?


「おっちゃんでも、この苔の種類までは全部分かんなかったそうだよ」

「セルゲイさんでも分からない種類……」


 これは、ちゃんと調べてみる価値がありそうだよね。


「このサンプル、持っていってもいい?」

「ああ、あんたの役に立つならね」


 苔の詰まった小箱を受け取り、私は立ち上がる。

 私の知る限り、珍しい生物に一番詳しい人と言えば、アクトリアス先生だ。


       ☆


 その日、アクトリアス先生は鳥舎にいた。

 伝書梟を鳥籠から広めの檻に移す作業をしているアクトリアス先生に声をかける。


「アクトリアス先生! お願いがあるのですけど」

「おや、私に出来る事でしたら、何でもおっしゃってください」


 アクトリアス先生はほわほわと微笑む。


「ふむふむ、この水苔の種類と薬効を調べればいいのですね?」

「はい。お忙しいところ申し訳ありませんが、調べていただけると大変助かります」

「ええ、お易い御用ですよ」


 梟にまとわりつかれながら、アクトリアス先生は快諾してくれた。

 しかし、ここの梟ってこんなにいたっけ?

 既にいくつかの檻は伝書梟でいっぱいで、かなり過密状態だ。


「ところでこの子たち、増えました?」

「ええ、例の事件で保護された梟もこちらで飼育することになりましてね」


 あの洞窟城で保護されたウトファル騎士団の伝書梟か。

 確かによく見ると、人懐っこい梟と、警戒心剥き出しの梟の二種類がいるようだ。


「二十羽ほど増えてしまいました」

「すると梟が増えて、もっと連絡しやすくなった感じですね」

「ところが、そうでもないんです」


 アクトリアス先生が困り笑顔を浮かべた。


「まだハッキリしていないんですけど、この子たちは特殊な調教を受けているみたいで困っているんですよ」

「特殊な……?」

「特定の相手以外の指示を受け付けないようなんです。現在使われている方式ではなく、百年ほど前に廃れた、イグニシアの魔獣使いだけに伝わる方式だとか」


 ウトファル騎士団の伝書梟たちは、古い通信の設定を上書きするのが難しいらしい。

 試しにアクトリアス先生がエドアルトお兄様に手紙を送る指示をしても、一羽も飛び立たない。


「制御した人間以外では、この設定を解除するのは難しいようですね……」

「……そんな」

「調査に協力してくれたイグニシアの調教師にもどうにもできなくて、困っているんですよ」


 なるほど。

 たしかに困りものだ。


「方式自体が上書き困難なのに加えて、強力な感応力を持った人が調教したんでしょう。でも──」


 アクトリアス先生は悲しげな表情で、ウトファル騎士団の梟を撫でる。


「これから一度も空を飛べないなんて……」


 梟のほうは嘴でつついたり爪でひっかいたりと嫌がっているが、先生は気にしていないようだ。

 さすが、防御力が高い。


 上書き不能な伝書梟かあ。

 人だって道具みたいに使っていたのだから、動物も使い捨て扱いなんだろうね。


 あ、でも、これって使えるのでは?

 伝書梟の行く先を辿れば、事件を起こした騎士達の連絡網が浮かび上がるのではないか。


「人並みはずれて強い精神感応の異能を持った人なら、彼らに手紙を運んでもらえるんでしょうか?」

「ええ、そうですね。でも、そんな強力な魔獣使いとなるとなかなか……」

「例えばオーギュスト殿下ならどうでしょう?」

「……なるほど、その手がありましたか!」


 アクトリアス先生は、ぽんと手を叩く。


「とは言え、臥せっている一国の王太子にお願いしていい案件なのか、迷いますね……」

「うっ、そうでしたね……」


 そもそも、最近オーギュストを酷使して寝込ませたのは私だ。

 だいぶ回復しているとはいえ、これ以上無茶なお願い事をするのは避けねば。


「適任者がいました。とても強力な感応能力を持っていますけど、とても頼みにくい人物で……」


 アクトリアス先生は言葉を切り、躊躇いがちに続けた。

 何となく、それが誰なのか察してしまった。


「ブラドなんですけどね」

「確かに、クローヒーズ先生には頼みにくいですね」

「昔はあんなに素直で優しかったのに……」


 気安さゼロだけどオーギュストに頼むよりは罪悪感少なめだ。

 今回は先生に頼っておこう。

 一羽の梟を鳥籠ごと借り、私は鳥舎を後にする。


「では、水苔の調査結果は分かり次第お伝えしますね」

「ありがとうございます、アクトリアス先生!」


       ☆


 ブラドの部屋は相変わらず興味を惹かれる資料がたくさん置いてある。


 机の上に置いてあった資料に視線を向けると、ブラドは急いで資料を引き出しに仕舞った。

 そんな鍵までかけなくてもいいじゃないですか。


 確かに『冥府』とか何とか書いてあったので、読まない方がいいかも知れないけど。

 新たな死亡フラグになりかねない。


「それで……伝書梟を再調教することで、真犯人を探そうと言う話だったかね」


 何かを隠そうとするように、ブラドは本題に戻った。

 ブラドは眉間に皺を刻み、渋面を作る。


「良い考えだ──が、なぜ君はまたこのような件に首を突っ込んでいるのだね?」


 冷淡な瞳で睨まれる。

 私は春の日差しを思い出しながら、微笑み返した。


「はい。裏に誰もいなければ、ただ辺りを飛んでから帰って来るくらいで安全ですよね」

「裏に誰もいなければ、か……真犯人が野放しだったならば危険だと、自分でもよく分かっているじゃないか」


 なるほど。

 よく考えれば、あくまでも暫定的に怪しいのがハーランとシトロイユっていうだけだ。

 もしも他に真犯人がいて、それが捕縛されていない人物だったら、完全に薮蛇じゃないか。


 ブラドは眉間の皺をより深くし、長いため息を一つ吐いた。

 借りてきた梟を、ブラドは鳥籠から出す。

 アクトリアス先生には反抗的だった梟がブラドに対しては大人しい。


「ウルス辺境伯は機密保持のために梟の心を閉ざすという噂は聞いたことがあるが……」


 ブラドは梟を撫でながら瞳を閉じた。

 ローブの袖から竜が顔を出して、その様子を眺めている。


「特定の場所の二点間の往復……そして場所にはそれぞれ一人ずつ紐付けられた人物がいる」

「どういうことです?」

「修道騎士同士の直接連絡に使われていたようだな。もう少し深く潜ると……何度も同様の方式で、別の場所や人物を指定された形跡がある」


 ホットラインってことかな。

 魔法を使わない、専用の伝書梟回線を網目のようにつなげて、通信網を作っていたのだろう。

 一人に情報を集約していたり、ハブとなる人物がいれば特定が簡単だったんだけど。


「つまりは、集約された通信者はいないってことですか?」

「いや……厳重に閉ざされた深部に、一人の人物の影がある……おそらくは、梟に調教を施した人物……」

「そ、それって、誰ですか!?」


 まさに、それが事件の真犯人である可能性がある。

 ブラドは、目を閉じたまま眉間に皺を寄せた。


 しばらく待っていると、ブラドは大きく息をつき、目を開けた。

 眠りについたらしい梟を、ブラドはそっと鳥籠に戻す。


「これ以上は梟の心を壊してしまう。今日は残念だが、ここまでだ」


 ブラドはいつも人間的に優しい。

 梟をモノ扱いのウトファルとは大違いだ。


「普通に考えれば、その人物はハーラン・スレイソンだろう。緊急時に情報を掌握するための設定を、通常の感応者では潜れない深層に隠しておいたと考えれば自然だ」


 なるほど、そうだろうなあ。

 頷きながら、私は記憶にひっかかりを感じた。

 調教者がハーラン以外にいるという証拠を、私は知っているような気がする。


「万が一の時のために、この件は君の兄にも伝えておく」

「ええっ」

「当然だろう。終わった事件の真相なんてものを興味本位でほじくり返しているのだからな」


 おおっと、保護者に連絡を入れられてしまった。

 でも、当然かな。


「では、この梟は預かっておく」

「えっ……それはどういうことですか?」

「今日はここまでだ、と言っただろう。君の思惑通り、真犯人の元へ飛ばせるようになったら連絡しよう」


 時間かけると可能なのか。

 さすが、瞑想者(シーアージ)なだけなことはあるね。


「ありがとうございます」

「君たち兄妹は真実から遠ざけられると却って興味を抱くようだからな。これはこれで安全のためだ。調査はくれぐれも保護者同伴で行うように」


 そろそろ手札が揃ってきた気がする。

 もう数手で、裏で糸を引いていた人間を引きずり出せるかも知れない。


       ☆


 万霊節の祭から二週間ほどたった頃。

 それは秋にしては一際寒く、そして風の強い日だった。


 ジャック・シトロイユは学園に帰ってきた。

 そして、彼は何食わぬ顔をして、再び学園の保健医として収まったのである。


 いったいどうやって舞い戻ったのか。

 それに、お兄様ならシトロイユの疑惑について私よりも深く推理しているはずだ。

 お兄様の追及を逃れることができたのか。

 それとも、何か理由があって追及することができないのか。


 シトロイユが戻ってきた日の放課後。

 私はシトロイユに会いに保健室に向かった。


 ノックして保健室に入る。

 患者のいない、がらんとした保健室。

 シトロイユは部屋の奥の椅子に座って、うたた寝しているようだった。

 多分、これは寝たふりだ。


「シトロイユさん、戻ってこれたんですね」

「ええ、約束ですからね」


 洞窟城での約束のことだろう。

 やはり、記憶を消されたわけではないようだ。

 シトロイユへの疑惑が更に深まる。


「色々な筋から手助けしていただきましてね。自分で思っていたより、俺は自由にさせてもらってますよ」


 瞳を閉じたまま、シトロイユは答えた。


「立ち位置は変わりましたが、俺はもう少しだけここにいられます」


 疲れ果てたような雰囲気で、彼はそう言った。

 それでいて、どことなく重荷を下ろしたようにも見える。


「ところで、一つお聞きしても良いでしょうか?」


 私はシトロイユに問いかける。


「ええ、答えられることでしたらいくらでも」

「私がゴーレムの野外調査を行っていた日、学園の北部で採取していたのはノッケン──苔の魔獣でしょう?」

「おや、鋭い」

「あの水苔で、何を作ったんですか?」


 シトロイユはゆっくりと目を開けて、視線を私にあわせた。

 落ち着いた湖みたいな青さだ。


「悲しみや憎しみを思い起こすための薬ですよ。いつまでも新鮮で強烈な意志を保つために使うんです」


 そう言って、シトロイユは底の見えない笑顔を浮かべた。


「でも困った副作用がありまして最近は使われていないんです」

「良かったですね。今回の件でシトロイユさん自身が飲む事にならないで」

「バレていましたか。ええ、これこそが記憶を消す薬なんですよ。服用した者は過去の鮮烈な記憶を想起することで、短期記憶が阻害される。己を失わない代償に、先に進むことができない。そんな薬です」


 万霊節の初日、ヤン・カールソンに使いましたよね?

 とは、口に出して言わず、私は曖昧に微笑む。


 ヤンにベアトリス誘拐の指示を直接行ったのは、やはり彼で確定だ。

 その日の夕方、私は一羽の梟に手紙を頼んだのだった。


     ☆


 静かな夜だ。

 私はクロエを連れて〈奇譚蒐集者の会〉の資料庫へ向かう。


 梟を使って呼び出した相手との待ち合わせのためだ。

 なぜこんな場所を指定したかと言うと、彼の目的の場所だからである。


 資料庫でドロレスが起動しないということは、誰かが禁則事項を犯したということだ。

 誰がそんなことをしたのか?


 答えは彼だ。

 おそらく彼の目的はこの場所に集積された怪物の情報なのだ。

 私たちのものとは別の鍵を使って、資料庫にアクセスしていたのだろう。


 私の推測が正しければ、資料庫の鍵は四つある。

 ボルツ、エレオノール、シグリズル、そしてドロレスのそれぞれが持っていたはずの鍵だ。

 彼はそのいずれかの鍵を何らかの方法で手に入れたのだろう。


 資料庫の扉が開く。

 部屋の中央には、銀狐の豪奢な外套に白騎士服を身に纏った仮面の男が、一人佇んでいた。


「……ハーラン・スレイソン」


 クロエは剣をいつでも抜けるように手をかけながら、私を庇うような位置に立つ。

 ティルナノグとパリューグも緊張したような様子で、いつでも動けるように身構えた。


「これはこれは、ボルツの娘だけでなく、クロエ様もご一緒とは。姫君におかれましては、ご機嫌麗しく拝し奉り、恐悦至極に存じます」


 ハーランは口元に笑みを浮かべて慇懃にお辞儀する。

 クロエたちの警戒を意に介さず、身構える様子もない。


「ウルス辺境伯ハーラン・スレイソン……いえ、シトロイユさんと呼んだ方がいいですか?」


 私が呼びかけると、ハーランはゆっくりと仮面を脱いだ。

 顔のない男が、ついに私たちの前にその素顔を晒す。

 仮面の下から現れたのは、ジャック・シトロイユの顔だった。


 やはり、ハーランとシトロイユは同一人物だった。

 伝書梟全てにアクセスできたこと、記憶消去薬の製法を知っていたこともこれで説明がつく。

 おそらく万霊節の夜やってきたハーランは影武者だろう。


「はは、バレていましたか。本当に、あなたたちには敵わないな」


 北部で最も獰猛で残酷な男として名高い彼は、やれやれと頭を掻いた。

 獰猛な印象の抜けた声は、いつも通りに優しい響きだ。

 クロエのハーランを見る視線が冷えていくのが、横目にちらりと映る。

 事件の真相をほぼ理解してくれたのだろう。


「今回の誘拐を事細かに指示したのはあなたですね?」

「ええ、俺ですよ。きっとあなたのことだ、俺の目的も分かっているでしょうね」

「反乱分子側にクロエさんの奪還を焚き付けて、隠れた反乱分子を炙り出して一掃すること……」


 私が答えると、ハーランは口だけで笑う。


「あれはお嬢さんたちの手際が素晴らしかった。感心していますよ」


 不都合な人材を一斉除去できたら嬉しいだろう。

 だけど、自分が育成した部下に対してあんまりじゃないかな。


「でも、それは真意を隠すための表向きの目的ですよね。本当の目的は別にある」


 ハーランの表情から不敵な笑みが消える。

 懐かしい思い出を辿るかのように、彼の視線が私とクロエを往復する。


「本当に、お二人は、あの人らによく似ている」


 ハーランは俯いて、呻くように呟いた。


「困ったな、二度と見たくない顔だったのに、今は懐かしくて仕方がない」


 その時、聞き慣れた声が背後から響く。


「ハーラン卿、そんな月並みな台詞で僕の妹を口説くのはご勘弁願いましょうか」


 現れたのはエドアルトお兄様だ。

 お兄様は私とハーランの間に割り込むように身体を滑り込ませた。


「口説くなんて人聞きの悪い。俺はただの老いぼれですよ」

「貴方は老いぼれと言うには若作りしすぎです」

「やれやれ、そんなつもりはないんですがね。早く身体強化なしで老後を過ごせる身分になりたいものです」


 険悪な会話を、お兄様とハーランはにこやかに交わす。


「術後の経過はいかがですか? 内耳の組織が馴染むまで、聴覚や平行感覚が狂っていてお辛かったでしょう」

「お陰さまで、今は後遺症もありませんよ。ルーカンラントの拷問は実に洗練されていますね」

「その節は、部下が早まってご無礼を働いてしまって申し訳ない」

「ええ、それも貴方の治療のお陰ですべて忘れてしまいましたので、どこまで本当か確かめることもできませんけどね」


 なにやら恐ろしい会話が聞こえてきた。

 ──お兄様、内耳に何をされていたんですか!? というか、まさかお兄様にも記憶消去の薬を??

 私が声をあげる前に、ハーランが兄に問いかけた。


「さて……エドアルト卿は、俺を罰しに来たのですか?」


 ハーランは、視線を上げて微笑んだ。

 兄は微笑み返す事をせずに、いつになく真剣な表情で返す。


「いいえ、僕は〈奇譚蒐集者の会〉の者として──貴方がずっと一人きりで背負っていた物語を聞かせてもらいに、ここに来ました」

「はは……それはまた、参りましたね……俺を赦すって言うんですか、手厳しい人だ」


 力なく笑い、ハーランは観念したようにソファに腰を下ろす。

 そうしてハーランは彼の知る物語を私たちに語ることになったのだった。

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