巨石の祭壇3
ある程度逃げ進むと、背後からザラタンによる破壊の音が聞こえなくなってきた。
何度も分岐点を曲がり、伽藍からかなりの距離を移動した場所だ。
完全に道に迷っているけど、最終的に通り抜けと浮遊で脱出する予定だから問題ない。
……問題ないよね?
「要するに、時間稼ぎが必要だったんだ」
少しは落ち着いたところで、クラウスが話を切り出した。
「体が大きな怪物が相手の場合、脚の長さや脚力の差で逃げ切れない場合が多い。どんなに相手が鈍重に見えても、甘く見てはいけないのだそうだ」
「確かにすごい速さで突進されました。あんなに早く距離をつめられるなんて……」
「ああ、そうだな。距離があっても遮蔽物の無い場所であの怪物と向かい合うのは危険すぎる」
「足を一本を欠損した状態であの速度は想定外でしたわ、クラウス様」
あの時の突進は本当に怖かった。
いきなりの恐怖を感じると、体が固まってしまうものなのだと知った。
「でも、なぜアン様に攻撃させるなんて無茶を……私には攻撃しないように言っておきながら」
「それは、やむを得なかったんだ」
「エーリカ様、魔力の集束が私の特性だからです」
アンがおずおずといった風情で手を胸元まであげて話す。
そういえば、ハーファンの魔法使いには個人の資質が大きく関わるのだと聞いたとこがある。
「アンは使った魔力の量に対して、普通の魔法使いよりも高い威力の魔法を放つことが出来る」
「その分、時間もかかりますし、広範囲攻撃なんかは苦手ですけどね」
「こいつは精密操作も得意だから狙撃にはうってつけだったわけだ」
「なるほど……。幼いのにすごいですね、アン様」
妹のアンは広域魔法を使えないかわりに、魔力を集中させることが得意ということか。
集束した密度の高い精密な魔法だから、アウレリアの杖やクラウスの呪符で貫けなかったザラタンの体を貫通できたのだろう。
「だからって、普通は攻撃魔法初心者にいきなり焦熱光線なんて、大火力魔法は使わせませんよ、お兄様」
「低威力の魔法を撃って外皮を貫通できないよりはマシだろう?」
「あれ? クラウス様が焦熱光線で攻撃してはいけなかったんですか?」
クラウスは万能の魔法使いになるはずの人だ。
ならばある程度どんなタイプの魔法でも使えるんじゃないのかな?
「俺は防護陣で手一杯だったんだ。呪符を最大展開しなければ、あの怪物の腕力に圧し負けていた」
「なるほど……」
「そう言えば、お兄様。そろそろ防護陣を解かないんですか? 急いで通り抜けを発動させて逃げないと」
「そのことなんだがな……。懸念していることがある。二人とも見ただろう? あの怪物の能力を」
「はい、お兄様」
「え? どの能力ですか、クラウス様、アン様?」
あの怪物の得体の知れなさはわかったけど、能力の詳細なんて分からなかったよ。
なんのことなんだろう?
「霊視の魔眼の効果が切れていたのか。そう言えば、短杖から使った霊視の魔眼の効果時間は短いんだったな」
「はい。戦闘中に霊視の魔眼の杖を振り直す時間はありませんでしたので」
「あの怪物に魔法が効かなかったのは分かるな?」
「はい、そのくらいなら私にも」
「魔法がかき消されたとき、僅かにだが空間制御の能力が働いていたようだった。その時から怪しんでいたんだが、あの怪物が火を噴いたとき、その火焔の矢の制作者がエドアルト・アウレリアだったのを見たとき疑念が確信に変わった」
あの炎が、兄の作った魔法だった?
確かに火焔の矢に似てるとは思ってたけれど、もしかして。
「魔法を吸収し、反射してくる怪物なのですか……?」
「ああ。そういう事だろう」
なんて厄介な能力だ。
防御が堅くて、力が強いってだけでも強敵なのに、魔法も効かないなんて。
いや、それなら、あの攻撃だって吸収されていないとおかしい。
「アン様の焦熱光線が反射されなかったのは何故です?」
「おそらく、自動的に発動する能力ではないからだ。攻撃に反応して、手動で吸収や反射を行っているんだ。だから、不意打ちは有効だったんだろうな」
「アウレリアの錬金術師と同じなんですか。古のアウレリアの怪物らしいですね」
ということは、あの怪物は二度目の狙撃は効かない。
狙撃されているということを前提に、今度はその狙撃した魔法自体を吸収してくるという事だ。
恐ろしい。
「でもクラウス様。それでどうして通り抜けを後回しにすることになるんです?」
「通り抜けであの怪物に接触した瞬間、俺たちが焼死する可能性がある」
「え……!?」
「あの怪物はあと一発火焔の矢を取り込んでいる。つまり内部に焔が燃え盛っている可能性あるんだ」
なるほど、内部が強酸のアシッドヒドロゲルゴーレムと同じだ。
焔を保存している物体を通り抜けたら、焼死確定だよね。
危険極まりない。
「ではどうするんですか、クラウス様?」
「俺が防護陣を張って怪物への接触を防ぐ。その間に、アン、お前が通り抜けを俺たち全員にかけるんだ」
クラウスが怪物への接触を防ぎ、万が一でも怪物の体を通過しないようにしてから通り抜けを使うということか。
そこまでやれば、今度こそ上手く逃げ切れるかもしれない。
「……また私がですか?」
「ハーファンの巻物は、魔法使いが使うしかないからな」
「すみません、アン様、クラウス様……」
「い、いえ! エーリカ様が謝ることなんてないです」
役に立てなくて申し訳ない気持ちで一杯である。
私にも出来る事はあるのだろうか?
「まずは、ほどよい大きさの小部屋か、袋小路になった通路を見つけよう。あの怪物に対して全周囲を防護するのは無理だからな」
「でもお兄様、あの怪物がもし液体に戻って近づいて来たら、どこからでも襲って来れるのでは?」
「いや、あいつが外殻を作り出すには、一定の広さの空間が必要なようだ。部屋全体に対霊体に特化させた防護陣の呪符を張り巡らせておけば、ヒビや石材の隙間から部屋の中に入ってくることはできない」
なんだかジャパニーズホラー的というか悪霊が出た家みたいなビジュアルになるんだね。
そういえば、まさに悪霊が出た遺跡だったね、ここ……。
この遺跡を一人で進んでいた時に、お化けが恐いと思っていたけど、あの時とはまったく別の怖さでいっぱいだ。
悪霊がおどろおどろしいタイプではなく、どちらかっていうと怪獣だからね。
今はパニック映画の中に居るみたい。
「それにしても、どうしてそんなに詳しく、ザラタンの能力を把握しているんですか、クラウス様?」
「あれ? お兄様、霊視の魔眼ではそこまで分かりませんよね?」
「ああ、実は、あの怪物の一部を封印してみたんだ」
クラウスは壜を私たちに見せた。
魔力回復の水薬が入っていたうっすらと茶色い壜の中に、怪しく蠢く黒い液体。
これが、あの怪物の一部……?
「クラウス様、いつの間にそんなものを……」
「お兄様……」
「アンがあの怪物の脚を吹っ飛ばしたときだ。あの怪物の中身は生霊と似た組成をしていたからな。生霊に効くような封印魔法が有効なんじゃないかと思ったんだ」
「よくそんな暇ありましたね、お兄様……」
あれに触るというのはなかなか度胸あるよね、クラウス。
私はちょっと触りたくないな。いや、かなり触りたくないな。
壜越しでもちょっとね。
「あの怪物の外殻は八階層から落ちてきた怪物の死骸を物質変換して作ったもののようだ。外殻には封印が効かない」
「こうやって壜詰めにして封印できるのは、液体の時だけというわけですね」
「そうだ。もし再びあいつを封印するつもりなら、一度外殻を全て破壊する必要がある。この情報は必ずやアウレリア公に伝えなければならない」
ザラタンを野放しにしていては、私だけじゃなく、他のアウレリアの人たちが襲われてしまう。
私たちが無事に脱出できたとしても、戦いは続くのだ。
特に、領主であるアウレリア公爵家は先頭に立って戦うことになるだろう。
アンがなかなか厳しい目で兄のクラウスを睨む。
「ねえ、お兄様。あの怪物がいつまでも正確に私たちを追跡して来れた理由についてどう思います?」
「あっ、もしや……」
「こ、こ、こ、これのせいか……!!」
自分の一部がどこにあるか感知して、それを目標に追ってきてる?
または、一部分が本体を呼び寄せているのかもしれない。
いくらザラタンが怒ってるからって、見えなくなってもいつまでも追いかけてくるのはおかしいと思ってたんだよね。
「お兄様! しっかり持ってて下さい! 割れたら大惨事です!」
「エーリカ……どうすればいい」
「どうしてそこで私に振るんですか! 困ったからって渡さないで下さい!」
怪物入りの小さな壜を渡されて、私は心底この〈来航者の遺跡〉に来なければ良かったと思った。
☆
私は分岐点に立って、見えざる指の杖を振った。
見えざる指はザラタンの一部を封印した壜を握り、暗い通路をふわふわと浮いて進んで行く。
壜にはアンの警報も仕掛けてある。
怪物が拾えば、彼女の持つ鳴らない鈴が音を発する仕組みだ。
「これで、私たちが別の通路に進めば、時間稼ぎになるでしょう」
「さすがに悪知恵が回るな、エーリカ。頭の出来も顔に負けず劣らずというわけだ」
こいつ……。
そこはかとなく、貶してくるな。
「あら、悪人顔で悪うございましたね」
「い、いや、違うぞエーリカ、そういう意味では……」
「お兄様、エーリカ様、早くここを離れなくては、時間稼ぎの意味がございませんわ」
アンはしどろもどろのクラウスを一蹴し、前進を促す。
妹君にはもっと兄上を調教しておいて貰いたいところである。
「それにしても、お兄様、エーリカ様、だいぶ方向感覚が曖昧になってきましたね」
「道しるべのおまじないがいくら魔力消費が少ないと言え、この階層にも相変わらず魔力浪費の罠が組み込まれている。そうそう頻繁には使えないからな」
クラウスもアンも疲労の色が濃い。
やはりこの遺跡は、魔法使いには厳しすぎるのかもしれない。
「ぐるっと回って怪物のところに戻らないか心配ですね。その場合はどうすればいいのですか。クラウス様?」
「……大丈夫だろう。通路は狭い。あの怪物が近づいてくれば、壁を掘る音で分かるさ」
「怪物は私たちのところに来るより先に、壜の方に行くはずです。警報が鳴るまでは安全ですよ、エーリカ様」
その時、地面を震わせるような大きな音がした。
私たちは反射的に身構える。
だが、すぐに気づいた。これはザラタンの掘削音ではない。
歯車の軋む音、石材同士がこすれる音。
「機械式迷宮の音、ですよね? あの怪物かと思いました」
「ああ」
「そう言えば、機械式迷宮も相変わらずですね、エーリカ様」
機械式迷宮はザラタンを撒いてからも動き続けていた。
この仕掛けには色々困らされたから、なんだか不吉な感じがするんだよね。
そのうちに、通路の突き当たりが見えてきた。
突き当たりの右側の壁には、鉄の扉で閉ざされた部屋の入り口がある。
「今度は少し狭い部屋だといいな」
「まずは開けてみましょう、お兄様」
クラウスが扉を開けると、そこは広い部屋になっているようだった。
もう一度探索しなおしか。
とは言え、一つ前の分岐点は、時間稼ぎのためにザラタン入りの壜を飛ばした場所だ。
引き返せば、その作戦が無駄になる。
この部屋に別の入り口があるといいなあ。
あれ?
でも、ここの作りって、今日見た別の部屋に似ているような。
「待て! ここはまずい……エーリカ、アン、すぐにこの部屋から──」
クラウスに言われてようやくわかった。
装飾的な壁や柱、転がった無数の瓦礫、吹き抜けになった天井。
ここはザラタンが封印されていた伽藍の翼廊──側面の入り口だ。
後退しようとした瞬間、私たちが入ってきた入り口の前に何かが落下してくる。
黒い硬質の鱗、奈落のように虚ろな眼窩、岩石すらもバターのように軽々と引き裂く鋭い爪。
破壊されたはずの後肢を既に再生し、十全な状態の巨獣ザラタンが、そこにいた。
壁に登って待ち伏せしていたのか。
あんな巨体なのに、なんて身軽で器用なんだ。
『待ちくたびれたぞ、人間』
「なにぃ! まさか、こんな偶然が!」
『偶然ではないぞ、お前達をここへ運んでやったのは俺だ。
迷宮変化の機構を使ってな。
ここは俺の体内だった場所だ。その造りは俺が一番よく知っている』
ザラタンの示した方を見ると、壁などが破壊され、中身の歯車を露出させている箇所があった。
歯車に直接干渉し、私たちの移動方向をねじ曲げていたのか。
「お兄様、焦熱の光線の巻物は?」
「もう無い。それ以前に、他のどんな魔法を使ってもあの怪物は反射してくるはずだ」
「では、どうすれば……」
「分からない……、ここまで来たのに……」
ここまで逃げてきて、私たちは袋のネズミ化してしまったわけだ。
まさに八方ふさがりの打つ手なし。
「アン、エーリカ! あいつの突撃は危険だ! 別れて遮蔽物の影に隠れろ!」
クラウスは残った呪符を全てばらまき、防護陣を最大展開する。
わずかな躊躇も無く、彼は怪物に向かって駆けて行った。
私とアンは言われるがままに二手に別れて太い柱の影に隠れる。
しかし、怪物の巨腕が一撃でクラウスを弾き飛ばしたことで、空気が凍り付く。
怪物の腕は、最後に見たときよりも更に太く、長く、凶悪に変化していた。
『お前達のような餓鬼と遊ぶのも、そろそろ飽きた。
さて、どうやって殺してやろうか。
なあ黄金狂!?
そうだ、アウレリアの娘よ。
まずはお前以外を、お前の目の前で、お前のために殺してやろう』
ザラタンは私の方を見て愉悦を湛えた声で宣言した。
「なんですって!?」
『フ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハァ、素晴らしい。
お前の苦痛は俺の至福だ!
さあ、お前の魂を深い絶望と孤独で味付けしてやる!
お前はその魂と甘い血肉を供物として、俺に捧げるのだ!』
それはもう幸せそうに、歌うように、悲鳴を上げるように獣は鳴いた。
『まずはお前達の中で、最も小さく、最も無垢な、最も強き者を。
俺に最も深い傷を与えた者を──
お前達の、希望を、刈り取ってくれよう!』
ザラタンはアンが隠れていた柱を、腕をほんの二振りしただけで粉々に粉砕する。
彼女は恐怖に竦み、それでも懸命に怪物に長杖を向け、諦めずに戦おうとしていた。
「来いよ、怪物! 本当に恐いのはアンじゃなく俺なんだろう? 妹を殺したいなら、まず俺と戦え!」
傷だらけのクラウスが立ち上がる。
挑発とともに、呪符を使った攻撃を行うが、ザラタンは一顧だにしない。
『クハハハハハハ! 感じるぞ、小娘!
お前の気高く強い魂の匂いを!
お前の魂は、アウレリアの娘の次に美味そうだ!』
ザラタンの正面の空間が僅かに歪むのが分かった。
空間操作に似た魔法現象というやつだ。
そこから、何本もの禍々しい黒い影のようなものが出てくる。
(体内に取り込んだ魔法をアンに向けて解放する気だ!)
しかも、よりにもよって、ザラタンが選んだのは死の腕の魔法らしい。
この中で一番小柄なアンに向かって打てば、必ず死をもたらすだろう。
「やめろーーっ!!」
「ッ!」
あのアンが殺されてしまうの?
ここまできて彼女の死の運命から逃れられないなんて!
私の脳裏に、今までのアンとの思い出が去来する。
嫌だ。
そんな事が起こってたまるか。
こんな小さな子が、誰よりも先に死ぬなんて、そんな理不尽を許してたまるか。
その時、私は。
後先の考えなしに場所替えの杖を振るっていた。