顔のない男の正体2
誘拐事件の次の日──万霊節のお祭り二日目。
兄との約束は昼からだ。
ならば、まずベアトリスの体調の確認に向かったほうがいいだろう。
保健室のある学舎の廊下を歩いていると、クロエとばったり鉢合わせた。
「おはよう、クロエさん」
「おはよう、エーリカさん。ベアトリスに会いに来たの?」
「ええ。あなたもそうでしょう?」
私たちが保健室に辿りつくと、白衣を身に纏った女性──薬学の先生が一人でベアトリスの付き添いをしていた。
「クロエちゃんに、エーリカ様まで来てくれたんですか?」
クロエと私が来たことに気がつくと、ベアトリスはすぐさま起き上がった。
「ベアトリス、本当に本当に大丈夫?」
「うん、全然問題ないよ。たくさん寝ていたせいで、いつもより元気なくらいだし」
確かに見たところ、ベアトリスは何事もなかったような雰囲気だ。
それでもクロエはベアトリスの腕を上げたり脚を持ち上げたりして無言で身体を確認している。
「そんなに心配しなくても平気だよ、クロエちゃん。教頭先生が調べてくれたし」
「でも」
「比較的安全な薬しか使われてないし、他は何もされてないって」
ベアトリスが教頭先生から伝えられたことを聞く。
誘拐時に使われた薬の種類や、昏睡していた時間、薬の副作用など。
やはり、誘拐前後の記憶が曖昧になってはいるらしい。
「でも本当に無事で良かったわね、ベアトリスさん」
「お心遣い、ありがとうございます、エーリカ様。私、その……せっかくの劇の役に穴を開けてしまったり申し訳なくて……」
ベアトリスがクロエに首を確認されながら答えた。
あんな目に会ったにも関わらず、劇を気にする辺りが彼女らしい。
「気に病まないで。私たちはあなたが無事なだけで本当に嬉しいから。ね、クロエさん」
クロエは無言でぶんぶんと首を縦に振った。
その後、私はクロエを保健室に残して、寮へ向かった。
昨日の約束通りにお兄様と一緒に仮装した姿でお祭りを楽しむのだ。
仮装を終えて、待ち合わせ場所の中庭で落ち合う。
お兄様の衣装は、私とお揃いのデザインで海賊姿で、アイパッチ付き。
海賊兄妹の出来上がりだ。
そうして、私はお兄様と一緒に万霊節の学園を歩む。
「まずは、とうもろこし迷宮なんてどうだい?」
「いいですね、行きましょう、お兄様!」
「まだ明るいうちなら、仕掛けもあまり怖くなくてお勧めなんだ」
おや、お兄様もああいうのが苦手なのかな。
怖いもの知らずだと思ってたのに。
お兄様が勧めるだけあって、昼のとうもろこし迷宮は夜と比べるとイージーモードだった。
少々息を呑む仕掛けには遭遇したものの、兄の面目も妹の面目も保たれたまま出口に辿り着いた。
二人でとうもろこしの迷宮を踏破した後は、観劇に向かう。
「例の件で舞台が一つダメになってしまったけど、他の舞台は上演しているみたいだね」
昨日の件で、証拠としてベアトリスの攫われた舞台は魔法で封鎖されていた。
しかし他の舞台は例年通りに開催されているのだ。
「ねえ、エーリカ。悲恋とコメディっぽい恋愛ならどっちが好きかい?」
「そうですね、今日はコメディの気分です」
今日は、なるべく明るい恋愛が良いな。
悲恋の方は、白銀の錬金術師や金狼王子の昔話で堪能済みだからね。
「コメディなら、ここだと二ヶ所でやってる。順番に見ていこうか」
「いいですね」
お兄様と二人で劇場前の牧草地に毛布や携帯式の椅子を拡げて、寛ぐ。
毛布の上でティルナノグが寝そべって、ダラけ始めた。
パリューグはお兄様と私の頭の上や肩の上を行き来しながら、架空の恋愛に夢中のご様子である。
私はコメディがいいとは言ったものの微妙に集中できず、周りの観劇中の人々を眺めていた。
すると私たちのいる場所より、舞台の近くでなにやら殿方と一緒のツインテールの少女に気がつく。
おや、あれはトリシアさんでは?
聞いてたイメージとは違う紳士的で優しそうな青年に、トリシアはべったりと甘えている。
なんだか仲睦まじいじゃないですか。
ていうか、普通に素敵そうな青年じゃないですか〜!
トリシアはツンデレ気味だから、照れて彼から逃げていたのか……!
二つ分の劇を見終わると、空で竜がブレスを吹き始めた。
夕暮れの空に広がる竜の舞踊だ。
「もう少しすると花火が始まるけど、その前に彼らに挨拶にいこうか」
「ええ、お兄様」
竜の舞踊を見たせいか、裏方で頑張っているオーギュストたちのことを思い出したようだ。
そうして、私たちはお土産を仕入れてクラウスやオーギュストのいる運営本部に向かう。
お土産は売店で売っていたキャラメル掛けした林檎だ。
「皆様お疲れさまです」
運営本部のテントを進んで奥に辿りつくと、疲労しきったクラウスとオーギュストがいた。
「エーリカ……! それにエドアルト、か。お前たち、満喫しているようだな」
「やあやあ、クラウス君、今年の万霊節は素晴らしいじゃないか。今年の生徒会はとても優秀なようだね」
「さあ、クラウス様もこれをどうぞ」
そう言ってオバケ模様にデコレーションされたキャラメル掛け林檎をクラウスに渡す。
甘いものが好きなクラウスは倦んだ目でかじりついた。
「へー、楽しそうだな。エドアルト卿も久方ぶりに妹君と一緒にいられて満足そうじゃないか」
「ええ、殿下。可愛い妹と一緒にいられてとってもとっても楽しい日でしたよ」
お兄様はにっこりと笑ってオーギュストに林檎を渡す。
オーギュストは林檎をかじりかけてから、はたと動きを止めて、叫んだ。
「あ〜〜、なんか卿だけズルい! 羨ましい! 明日は私も遊びたい! もうやだ!」
「……お前」
「クラウスが何言っても聞かないぜ!」
オーギュストが険しい瞳で睨むと、クラウスは虚脱した笑顔を浮かべる。
「俺も付いていく。良いな? 決してイヤとは言わせない」
「……ちっ」
「なんですか、その舌打ちは。はしたないですよ、殿下」
「そういう時に、わざわざ殿下とか言うの止めろよな、クラウス!」
クラウスとオーギュストが喧々囂々の言い合いを始めかけたので、仲裁に入る。
「あの、それでは明日は一緒にゴーレム仕掛けの移動遊園地などいかがです?」
「やった〜〜〜!」
「……ああ、悪く無いな」
「いい案だね、エーリカ。アウレリアでも有名なゴーレム作成者が手掛けたものだしね。お勧めだよ」
兄もすんなり賛同してくれた。
「でも、お二人のお仕事は大丈夫なんですか?」
私が問うと、クラウスとオーギュストは二人で視線を合わせてからニヤリと笑う。
「大丈夫だぜ。私のタスクを把握してる有能な後輩がいるからな」
「ああ、ハロルドには迷惑をかけ通しだな」
「なんでも言う事を聞いてくれる都合の良いサポート役もいるしなー」
「ハイアルンか……まあ、いい経験になるだろう」
うう、そうなるか。
ハロルドとハイアルン先輩、ごめんなさい!
「せっかくだし、エルリックも誘って良いかな?」
「もちろんですよ、お兄様」
この五人での移動なら、混雑に紛れてもはぐれたりはしないだろうしね。
こうして、恙無く明日の予定が決定したのだった。
☆
万霊節三日目。
昼過ぎに包帯をグルグル撒いたミイラ姿のアクトリアス先生と回転木馬の前で落ち合う。
「今日はクラウス君と殿下も抜けてくるって話だったっけ、エドアルト?」
「ああ、エルリック。彼らもそろそろ息抜きしたいらしくてね」
「とはいえ抜け出られるのはもう少し後なのですよ、アクトリアス先生」
あの二人は真面目すぎるところがあるから、意識して気を抜かないと大変だろう。
万霊節で発生した問題は、一日目の誘拐事件だけで留まっているが、それは生徒会の人たちの尽力によるものだ。
「じゃあ、まずは手近なアトラクションで楽しみましょうか」
そう言って、眼鏡ミイラなアクトリアス先生が微笑んだ。
というわけで、まずは三人でゴーレム式回転木馬を堪能する。
エドアルトお兄様目当てに女子が集まってきたり。
アクトリアス先生の包帯が木馬に引っかかって、一人だけ追加でもう一周乗るはめになったり。
ちょっとしたトラブルはあったものの、概ね楽しい時間を過ごすことができた。
「さあ、エーリカ、次はどれがいいかな?」
「あ、でしたら私は観覧車がいいです!」
移動式遊園地に来てから一番気になっていた大きな観覧車を指差す。
日の暮れた後のイルミネーションで煌めく遊園地を一望できるのは、やっぱり魅力的だ。
「うん、いいね! じゃあ、観覧車に乗ろうか」
観覧車に向かうと、マーキアが小さな男の子と仲良く観覧車から降りてきたのを目撃してしまった。
お姉さんと弟に見えるけど、マーキアに弟はいない。
つまりは婚約者ってことか。
私たちとスレ違ってもマーキアは気がつかなかった。
マーキアと小さな婚約者は、完全に二人の世界に入り込んでいる。
ら、ラブラブですね……。
(あれ、もしかしてトリシアさんとマーキアさん、とてもリア充なのでは……?)
しかし婚約者とは不仲なハズだったのでは?
何故だろう……もしかしたら今回の舞台が取りやめになったせいで何かひっそりフラグがたったの?
そんな複雑な気持ちで観覧車に乗っていると、走って来る赤毛の海賊が目に入った。
薄暗くても派手な赤毛の長髪のお陰でよく分かる。
「……なんでハロルドが?」
観覧車から降りると、赤毛の海賊──ハロルドが私に駆け寄ってきた。
「エーリカお嬢さん」
「ハロルド? もしかして何かあったの?」
「オーギュスト殿下が倒れて、こっちに来れなくなったんだ。で、俺が連絡に来たわけ」
ハロルドが仕方無さそうに言った。
「大丈夫なの?」
「ただの疲労らしいよ。でも誘拐事件の長時間探索が、相当な負担になってたっぽいってクラウス様が言ってた」
「……オーギュスト様……!」
「で、まあ、こんな時間だしお見舞いなら明日来いってさ」
万霊節準備で心を砕いていたところに、さらに負荷をかけてしまったのは私か。
昨日のオーギュストの喜んでいた顔を思い出す。
これは……むちゃくちゃ申し訳ないな。
☆
三日間のお祭りが終わると、次の日もまた学園の休日だった。
この日は飾りつけを完全に除去する作業のための休日なのだという。
「パリューグ、まずはオーギュストのお見舞いにいきましょう」
私はティルナノグとパリューグを伴って、南寮の最上階へ向かう。
そこはオーギュストの自室で、この学園で最も豪華な部屋の一つだった。
「ハロルドは少し遅れて来るそうだが……エーリカお前」
クラウスと寮の前で落ち合うと、彼は少しだけ不思議そうな顔をした。
「クラウス様、どうかしましたか?」
「いや、今日もその猫か。頻繁に外に連れてくるのは珍しいと思ってな」
おや、細かいな。適当に誤魔化しておかねば。
「そうですか? けっこう外でも遊ばせている猫なのですよ」
クラウスと二人、寮母さんに連れられて、オーギュストの部屋に向かう。
「おや、来てくれたのか〜!」
王子は、天蓋付きの豪奢な寝台に、細い身体をだるそうに横たえていた。
「オーギュスト様、大丈夫ですか?」
「少し余裕を持たせたはずだったんだけどな……祭の準備で疲労した分を計算に入れ忘れてたみたいだぜ……」
オーギュストは頬の赤い状態で、悔しそうに笑う。
無理はさせてはいけないんだろうなあ、この人。
「心配させて悪かったな」
「いえ、私の方こそオーギュスト様にご無理をさせてしまいました。お許しください」
「そんなの、気にしなくていいって」
私をフォローすると、いつのまにかオーギュストの胸元で丸まっていた猫もうんうんと頷く。
「殿下、具合はいかがです? 水薬持ってきましたよ〜〜!」
ハロルドが遅れて登場した。
その手には水薬が二十本は入りそうな箱が抱えられている。
「なるべく甘くて飲みやすい無難な味の奴がいいなあ」
「良薬は苦いものですよ。まずはこれらからいきましょうね?」
ハロルドは調子良く、二本の面妖な色合いの壜を渡した。
「さあさあ、殿下、どっちも効能はバツグンですから是非是非」
「ええ……」
オーギュストは頬を引き攣らせて笑った。
クラウスが勝手にオーギュストの持っていた壜の栓を開ける。
「オーギュスト、ほら飲んでしまえ」
「クラウス、お前、ぜんぜん敬ったり労ったりした感じがしないの、どうにかしようぜ!?」
「……殿下は疲労困憊でおられるようですので、私が口に流し込んで差し上げましょう」
口調は丁寧でも、態度や扱いはそのままだ。
クラウスはオーギュストの鼻をつまんで、強引に壜を口に押し込んだ。
なんという慇懃無礼。
「〜〜〜〜ッ!!」
「蜂蜜入りだから美味いだろう?」
オーギュストは悶えながらも、一滴も零さずに飲んでいた。
それを傍目にクラウスとハロルドが、満面の笑顔を浮かべていた。
二人とも日頃オーギュストに振り回されているから、仕返しできるときは容赦ないな。
「まったく二人とも。オーギュスト様もこんな臣下ばかりで大変ですよね……」
オーギュストに毛布を駆け直しながら、そんな言葉が漏れる。
「お前、どの口でそれを……!」
「ええーー、あんたがそれを言うわけ? マジで?」
クラウスとハロルドから批難があがる。
「ええ、私は殿下に対して忠誠を尽くしているつもりですし……ね、オーギュスト様?」
同意を求めて視線を合わせたら、オーギュストは曖昧な笑顔を浮かべて私から目を逸らした。
「ほら見ろ、寛容が売りのオーギュストすら困っているぞ」
「さすが、オーギュスト殿下……ダメ出ししない慈悲……」
ツッコミを入れられたので、私はにっこりと笑って誤魔化す。
仕方ないか。
本来は仕える対象の王太子様を、広域スキャニングで酷使して倒れさせた張本人は、この私だ。
二人に悪し様に罵られた後に、水薬の味見や、万霊節の催しの出来についての話題が上がった。
四人で雑談していると、自然と話題は初日の顛末になる。
「死人がでなくて幸いだったな。味方だけの話じゃなく、敵方にも」
「クラウス様は私を猛獣みたいな扱いするの止めて下さい」
「ならばそうだな、災いといった方が適切か……?」
「より酷くなってますよね?」
ものすごく信頼されてはいるだろうけど、酷い扱いだな。
「伝説の幻獣相手ならいざ知らず、もはや人間ごときに後れをとるお前じゃないだろう」
「過大評価しすぎですよ、クラウス様」
怖い人間は沢山いる。
例えば本気のクロエやクラウス相手には、簡単に負けちゃうんじゃないかな。
いや、あのシトロイユのような薬物と奇策を使いこなす相手にも無防備だ。
「しかしウルス辺境伯も災難だろう。部下にこんな場所で不祥事を起こされるとはな」
言葉とは裏腹に、いい気味だと言わんばかりに、クラウスは楽しげな様子だ。
「ハーラン卿も自分の身辺を探られている間は、リーンデースにちょっかい出す余裕はなくなると思うぜ」
オーギュストとクラウスはハーランとの面談でそうとう胃を削られた被害者だしね。
今回の顛末には、胸がすっとしたようだ。
「ウルス辺境伯はノットリード周辺でも強い影響力のあるお方ですし、どんな影響が出てくるんでしょうね。ああ、怖いなあ……商売に悪影響がでないといいんですけどねえ……」
ハロルドは地元への影響が心配らしい。
「いきなり資金を引き上げられたりしたら、中小規模のゴーレム工房がごそっと軒並み潰れちゃうしなあ……顧客としても薬品の素材を沢山買ってくれるところだしなーー……」
地元愛溢れるハロルドとしては気が気じゃないよね。
たしかにウルス辺境伯はノットリード周辺の経済にがっちり食い込んでいるのが困り者だ。
そう言えば、本来ならば、ヤンの立ち位置だったハロルド。
ならば、ゲームで私を誘拐したのはハロルドということだったのだろうか。
今となってはどうゲームでのハロルドが動いたのか分からないんだよね。
「あ、ゴーレムと言えば! ねえねえ、お嬢さん、こんな大事な話の途中で悪いんだけどさ」
ハロルドがそわそわと視線を合わせて聞いてきた。
「……例のゴーレムの仕上がりはどうだった?」
「素晴らしかったわ。あなたの仕事の速さと正確性にはいつも感謝しているわよ」
「はあ、良かった。急場の仕事はやっぱり不安でさー」
そうして話の流れは、洞窟城突入から脱出までの出来事になった。
私は彼らに報告しながら、あの時の出来事を考え直していく。
「へえ……そういうことだったんだ。グラウ嬢のほうは大丈夫? あの娘も元気?」
「ええ、薬もそんなに有害ではない睡眠薬だったらしいわ」
やっぱり違和感が残るのは、何故ベアトリスが攫われる事になったのか、である。
どうしても誰かがこの事件を裏で操っていたような気がする。
クロエをわざわざ外して、他国のそれなりに重要な人物を攫わせたのは誰か。
その方が都合が良い人物は誰か。
そんな計画を立てたのは誰か。
そんな仕掛けを出来たのは誰か。
この事件で得をするのは誰か。
私は、その誰かを、二名まで絞り込んでいた。