顔のない男の正体1
こうして、万霊節神隠し事件は無事に終わった。
誰も冷たい川に浮かんで死ぬこと無く、平和に終わったのだ。
それにしても何年も前から用心してたサードシナリオには怪物がいなかったなんて。
怪物ではなく人間が犯人の変化球シナリオだったということだろうか。
竜騎士たちに連れられて学園に帰ると、ヤン・カールソンへの尋問や調査が始まっていた。
私とクロエは教頭先生と一緒にベアトリスを保健室に運んだ後に、学園長先生から請われてヤンの尋問に同席することになった。
☆
学園長室には学園長先生、ブラド・クローヒーズがいた。
私たちが揃うと、ヤンは先生に促されてゆっくりと供述を始めた。
「俺の家族は血啜りに殺されました」
ヤンは、八年前に起こった吸血鬼事件の被害者だった。
食人の衝動が抑えられないような若い吸血鬼によって村人が全員食い殺されていた間、彼だけが森に遊びに出ていたために助かったらしい。
その村を食い荒らしていた吸血鬼は、彼の八歳上の姉に化けていたのだという。
「天涯孤独の身になった俺はハーラン様に拾われ、ウトファル騎士団の修道院で育てられました」
騎士団で訓練を積んだ後、ヤンは同姓同名の別のヤン・カールソンと来歴を入れ替えて学園に入ったそうだ。
なるほど。
そのせいでハロルドのデータベースでもウトファル関係者であることを見抜けなかったのか。
「俺を救ってくださったのはハーラン様でした。だから俺はあの人のために生きようと思ったんです」
なんとも重い告白。
命の恩人に、その後の人生を決定づけられてしまったわけだ。
「俺が差し出せる物証はこれだけです」
ヤンはローブの袖から細く巻かれた羊皮紙をとりだして、学園長先生に渡した。
「衣装のすり替え、受け渡しの時間と場所……君はこれ以外は知らないのだね?」
「はい」
「何が起こるかも知らなかった?」
「ええ。いつものように、血啜りの可能性がある人間を隔離するとばかり思っていました」
学園長先生の問いに、ヤンは沈痛な面持ちで回答していく。
「なぜ怪物に攫われたと偽証を?」
「これは口頭で指示されました。学園には魔眼の使える魔法使いや錬金術師が多いためだそうです。誰から聞かされたかは、もう忘れました。薬を服用してるので何をしても無駄だと思いますよ」
「ルーカンラントで使われている幻覚薬かね? 意識の混濁を起こして記憶を消すのに使われると言う」
「ええ」
シトロイユも似たような事を言っていたけど、北にはそういう薬物があるのか。
末端だからって、いくらなんでも酷い扱いだ。
「この指示に疑問は抱かなかったのかね?」
「俺は俺に与えられた指示に従うだけです。今までずっとそうしてきましたから。ただ……対象がベアトリスだったのは、悲しかったですね。あの子といると、姉さんが生きていた頃に戻ったような気がしたので」
ヤンがそう言うと、クロエが悲しそうな顔をして下を向いた。
「あの子……ベアトリス・グラウには悪いことをしたと思います」
そんなやり取りを聞いていながら私は改めて気がついた。
彼は吸血鬼退治と思って誘拐していたし、彼の忠誠心はハーランへ向けたものだ。
彼は、騎士団の内部で起こっていた反乱の動きとは無関係ってことだ。
「つまり、あなたは今回の件がハーランに反乱した騎士達の起こした事件だって知らないのね?」
「反乱? 俺がハーラン様を裏切る……?」
私が尋ねると、ヤンは不可解そうな表情を浮かべた。
「俺は、絶対にハーラン様を裏切りませんよ」
私を見つめて答えるヤンの瞳は、狂信的な熱を帯びていた。
結局、それ以上の目新しい情報は得られなかった。
学園長は現時点ではもうヤンから情報を引き出せないと判断し、事情聴取は終わった。
☆
時刻は深夜。
そうして、学園長先生とヤンを残して、私たちは帰路へとつく。
前の吸血鬼の事件のときと同様に、ブラドが寮への帰路に付き添ってくれた。
「彼は……ヤンはどうなるんですか?」
クロエがブラドの背中に問いを投げかけた。
「無罪放免というわけにはいかない」
ブラドは振り向かずに答える。
「身分詐称、誘拐の幇助……詳しい事情を知らなかったからと言って、看過できるものではない」
「そうですか……」
「それに、しばらくは学園で拘禁しておいたほうが、彼の身の保護になるだろう」
「……なるほど。そうですね、それが一番かも……」
クロエが小さい声で呟く。
ヤンは裏切り者に良いように使われた末端の工作員だ。
ハーラン派にしても反ハーラン派にしても、そんな彼を放っておくはずがないってことか。
話はわかるが、なんとも厳しい。
「今回の件では、彼だけでなくルーカンラントそのものに大きな変化があるだろう。ハーラン・ルーカンラントは管理責任を問われることになるだろう」
「それって」
「領地を返上することはないだろうが、ウトファル騎士団の総帥は交代、北部総督代理も辞することになるだろう。正式な総督代理が空席となっている間、イグニシアから代官が派遣されることになるだろう」
アウレリアやハーファンが干渉するよりはましとはいえ、北部の反発必至だろうな。
でも、誰が今回の事件に加担したか調査が終わるまで後任者も決められないので、妥当な措置だろう。
「ハーランだけでなく、北部の各貴族やウトファル騎士団の所属員への厳正な調査が行われるだろう。今回の事件と同様の行為があったかどうか。また、それ以外にも人道に反する行為があったかどうか」
「潜伏している諜報員もふくめて全て、ですか?」
「ああ、おそらくは」
ふとシトロイユの面影が脳裏を過る。
彼は無事だろうか。
変なお薬で記憶消去なんてされてないといいなあ。
「あ! そういえば、私たちに指導などはないのですか?」
私が後ろから声をかけると、ブラドはちらりと振り返った。
ええっ、目が優しい!?
いつもみたいに睨まないんです?
「ほう、殊勝な……そうか、君は私に叱られたいのかね?」
「い、いえ、そのいつもの癖で……」
「では少しだけ叱ってやろう」
ひい、やぶ蛇だ!
「君たちは確かに特別だ。類い稀なる力と、勇気を兼ね備えている。怖いもの知らずが過ぎるのは問題だが、今回ばかりは君たちの迅速な行動でベアトリス・グラウが救われたのは真実だ」
「は、はい……」
「だがしかし、君たちが特別なのは、なにもその能力だけのことを言っているわけではない」
ブラドは言葉を続ける。
「君たちにとってベアトリス・グラウが特別な友であるのと同様に、君たちを特別に想う者がいる。君たちがベアトリス・グラウの身を案じるのと同様に、君たちの身を案じる者が居る」
「はい」
「どうか慎重な行動を肝に銘じてくれたまえ。そして、次は思い出してくれたまえ。君たちにもしものことがあれば、悲しむものがいることを。君たちの幸福を祈る者がいることを」
うう、なんてしんどいお叱り言葉だ。
ちらりと横を見る。
クロエもだまって俯いていた。
「さて、私の叱責の言葉よりも、実際に彼らの心配顔を見たほうが、君たちにとってはよほど戒めになるだろう」
回廊を抜けた先の出口を、ブラドが指差す。
背の高い二つの影が見えた。
「エーリカ……!」
「アウレリアさん、クロアキナさん、二人とも良く無事で……!」
そこにはお兄様と、アクトリアス先生が、いた。
駆け寄ってきたお兄様に抱きすくめられる。
ふと肩越しに首筋を見ると、兄のほうが肌の血色が悪い。
「お兄様……お体の具合が優れないのではないですか?」
「それよりエーリカ、君は? 友人を助けるために誘拐犯を追っていたらしいじゃないか……!?」
体を離して、お兄様が私の目を覗き込みながら言った。
「見ての通り無傷ですよ。誘拐犯はそれほど危険な相手ではありませんでした」
私はにっこりと微笑んだ。
幻獣を想定したら、ウトファル騎士団だったのにはかなり焦ったけど。
クロエとティルナノグ、それに沢山の友人のお陰で髪の毛一筋ほどの傷も負っていない。
「エーリカはこのまま僕が寮へ送っていくけど、いいかい、ブラド?」
「では私はクロアキナを中央寮へ送っていこう。来たまえ、アクトリアス」
「えっ? 私はそっちなのかい?」
アクトリアス先生がきょとんとした顔を浮かべる。
そんな彼をブラドは忌々しげに睨んだ。
あ、いつも通り眉間にくっきり皺のよった顔ですね。
「君はエドに付いていくつもりなのか。この兄妹を家族水入らずにしてやろうという配慮はないのかね!?」
「あ! ああ〜〜!! そうか〜〜! そうか、家族ってそういうものだったね……」
「君という男は変わらないな」
「いや、ほら、家族って概念が縁遠すぎて距離感が分からなくて……!」
その二人のやり取りをみてクロエが吹き出す。
ブラドとアクトリアス先生は二人とも、羞恥とも困惑ともいえない表情を浮かべて視線を合わせた。
そうして、私はお兄様に手を引かれて歩いていくことになった。
話題は今夜あった出来事を避けたものばかり。
「ねえ、エーリカ、明日は一緒にお祭りを楽しもうか」
「ええ、お兄様」
まるで手術後の患者のような雰囲気の兄を見上げる。
何があったんだろう。
ふとあのシトロイユが兄に投薬していたことを思い出す。
(まさかエドアルトお兄様にも治療と偽って良からぬ薬を……?)
不吉な考えが脳裏を過ったが、今はシトロイユを少しだけ信じておこう。
それに、私より聡い兄があの男の素性に気がつかないはずがないのだから。
「ああっ、そういえば、お兄様用に海賊の衣装も用意してあるのですよ?」
「エーリカが用意してくれたのかい? それは是非にでも着ておかないとだね……!」
私が誘うと、お兄様は子供のように笑った。
「久しぶりにのんびりエーリカと過ごせると思うと、明日が楽しみだね」
私たちは西寮の玄関に着いてしまい、楽しい語らいの時間には終わりがやってきた。
エドアルトお兄様は私の額にそっとキスして微笑む。
「おやすみ、エーリカ。いい夢を」
「はい、お兄様も」
月明かりの下、教員用の宿舎に向かう兄の後ろ姿を見送る。
去って行く兄の足取りが意外にしっかりしていることに安心し、私は部屋に戻った。