亡霊は彷徨う4
私たちはまたゴーレムを起動して、追跡調査を再開した。
黒竜を先頭に、アクトリアス先生が続く。
残りの私たち三人は、黙々と彼の背中を追っていった。
「重い話をしちゃって本当に申し訳ありませんでした」
気まずい空気を察したのか、アクトリアス先生は再び話し始めた。
私は彼のボロボロの背中を眺めながら、聞く。
「こういう話って打ち明けられた方が困っちゃいますよね、あはは」
その声は、いつもと変わらない明るさだ。
「昔は秘密を抱えているのが辛くて、己の身の上を思い出すたびに陰鬱になっていました」
頑張って明るく繕っているような気がする。
こんな話を笑い話として話すのだって、かなり辛い行為だろうに。
「そして、沢山の人たちに命懸けで助けて貰ったのに、生きていることの幸せすら享受できない恩知らずなのだと自らを恥じていたんです」
アクトリアス先生は背中をまっすぐに伸ばして歩く。
もしかして、あの湖沼地帯で先生が見てしまったのは、命懸けで助けてくれた人々だろうか。
「そうは見えなかったな。君は平和な日々の喜びを、じっくり噛み締めて生きていたろう?」
横から低い声が響いた。
見上げるとブラドが皮肉っぽい笑みを口元にだけ浮かべていた。
「……君、そういうツッコミはいいからね……!」
アクトリアス先生がちらりと振り向いて、ブラドに訴える。
怒りを露にするアクトリアス先生は、とても珍しかった。
「君は助けられた命で、きちんと幸せを享受できていた」
「……っ!」
「君を助けた人々も、それを知るだけで満足だろう」
ブラドはいつも通りの冷笑を浮かべていた。
「だから負い目で生き方を決める必要はない。助けて貰ったからといって多くを背負い込む必要はないが、君の魂がそれを望むなら私は止めようがない。君の命も意志も、君だけのものなのだから」
「……ブラド」
アクトリアス先生は虚をつかれた表情を浮かべる。
視線の先にいるブラドは、態とらしくため息をついた後に、私とクロエに視線を投げてきた。
「……というわけで、バラしたところで、この男が少しばかり政治の玩具になるくらいだから、好きにしたまえ」
「ブラド! さっきから、あんまりじゃないか!」
おや?
この二人、普通に仲が良いのではないかな。
先ほどからブラドは、嫌味に見せかけた肯定の言葉をアクトリアス先生に投げている。
「友人を見る目が無かった過去の自分を怨みたまえ、エルリック」
「ううっ……昔は物静かで優しかった君がどうして……!」
「君が私に幻想を見ていただけでは?」
あ、これは普通にすごく仲がいいぞ。
完全に親友レベルだ。
それにしても、アクトリアス先生が高貴な身分すぎてどう対応したらいいか決めかねてしまう。
内乱を極めるギガンティアの唯一の正統後継者ってわけじゃないですか。
内部に抱えているってバレただけで火種になっちゃうよね。
あっちの大陸にもアクトリアス先生を新たな王に立てたい一派とかいるだろうし。
……逆に、速攻で暗殺したい派閥も沢山いそうだ。
っていうか、この事実、ハーファンの一部の貴族だけが知っていたりするの?
うわ、これは完全アウトな情報じゃないですか。
先ほどの先生たちの口ぶりからすると、アクトリアス先生は、いずれ南の大陸に向かうのだろう。
たった一人の正統なる王として。
後ろ盾にはハーファン、可能なら連合王国にも助力を願うのだろう。
うまくことが運べば、平和で友好的なギガンティアが誕生する。
奴隷を解放し、友好国となった新生ギガンティアに連合王国は援助を惜しまないだろう。
アクトリアス先生は、内戦で喘ぐ南の民の救世主になる。
(ああ、でも、そうか──)
アクトリアス先生は、南方大陸の希望ってことじゃないか。
☆
それから、ブラドとアクトリアス先生が軽く口論しながら、過去を暴露していった。
アクトリアス先生がクールで、氷の学年主席と呼ばれていた時代があったのだとか。
魔獣食への興味は在学当時から強かったとか。
「臣民の救済ついでに、魔獣の食べ歩きにでも南方大陸に行ってくればいい。食い道楽の君にはちょうどいいだろう」
「酷い、あんまりだ! あ、あんなに心優しい少年だった君がそんなことを言うなんて……!」
「だから幻想だと言っただろう。私は昔から信仰もなく薄情だった」
二人のそんな話を聞きながら奥へと進んでいくと、突然クロエが声をあげた。
「この先に地底湖があるよ」
目を凝らしてみる。
かなり先に広い空間が見えた。
私たちは、ゴーレムを追って、地底湖のある場所まで進んでいった。
「どうやらゴーレムの目的地は、この晶洞の地底湖だったようだな」
ブラドが魔法を詠唱すると、地底湖の天井付近にとても明るい炎が現れた。
魔法階層に作られた熱を発さない炎が湖全体を照らし出す。
結晶でできた巨大なドームに、明るく澄んだ湖が広がっていた。
鏡のような湖面に、魔法の炎の虚像が揺らめく。
目も覚めるようなアイスブルーの水面を覗き込むと、驚くほど深くまで見通すことができる。
光も届かぬ水底には、ただ暗闇だけが静かに沈んでいた。
ゴーレムの壜は湖の中心に浮かんでいた。
「恐らくは、この湖の底部に魔法無効化物質が沈殿しているのだろう。気をつけたまえ」
ブラドが皆に注意喚起する。
全員が湖の数歩手前で足を止めた。
「あの……湖の中に入らなければ大丈夫なんですか?」
「炎を良く観察したまえ、クロエ・クロアキナ。すでに周辺にも影響は出ている」
たしかに、徐々にブラドの炎は弱くなっていった。
もう最初の半分以下の大きさになっている。
ブラドが追加詠唱すると、再び炎は力を取り戻した。
「雪銀鉱と似ているが、それよりも魔法無効化の範囲が広いのがこの手の場所の特徴だ」
雪銀鉱は接触した魔法しか破壊できない性質だった。
精錬してしまうと、効果範囲が狭まるのだろう。
クロエとブラドの話に耳を傾けていたら、いつの間にか壜入りの核が湖に落下していた。
湖の中心から広がる小さな波紋とともに、数え切れないほどの白い手が生まれ、広がっていく。
ふわりと霧がドーム全体に広がり、透明石膏の結晶の表面を霧氷が覆う。
冷たい空気が、私たちを包み込む。
小さな軋みとともに、湖面が凍り始めていた。
無数の白い手が、凍結した湖の表面を動き回る。
白い手は湖面を磨き上げ、そこに小さな文字を刻み込んでいく。
ゴーレムに使われていたのと同じ、三百年前の特殊なゴーレム文字だ。
この人工精霊はゴーレムをつくれるのか?
……いや、元からあるゴーレムを拡張してるようだ。
例えるならば、自らのプログラムを動的に書き換えるプログラムみたいなものか。
ゴーレム文字が湖面全体を覆ったとき、どこからか聞こえてきた音がドームの中の空気を震わせた。
最初、それは遠い鐘の音のようだった。
音はだんだんと間隔を狭め、何かの音楽のようになる。
「エーリカさん、下に……!」
クロエの声に、はっとして氷中を見下ろす。
闇だけが広がっていたはずの湖底で、何かが蒼白く光っていた。
光は一瞬だけ火花のように強く閃いた後、淡く波紋のように広がって消える。
不意に、音と光が一対になっていることに気づく。
その規則正しいリズムが、私に一つの慣れ親しんだ光景を連想させる。
それは、金床を叩く鎚音だった。
見えない鎚が、水の中で何かを叩く。
その度に、湖水に含まれた雪銀の粒子が煌めいていたのだ。
ゴーレムに仕込まれた人工精霊は、何かを作ろうとしているんだ。
私は水底から聞こえる旋律に合わせて、あの遺言を思い出していた。
『君を守れない僕の代わりに、どうか受け取って欲しい』
『これは僕の生きた証、君を愛していた証』
これが、証か。
いつの間にか時間も忘れて、私はゴーレムの奏でる音を聞き続けていた。
元々涼しすぎるくらいだった洞窟の中は、冷凍庫のような寒さになっていた。
「これを、どうぞ」
アクトリアス先生が、持参した毛布を私とクロエの肩にかける。
そうして待っていると、一際強く湖底の光が瞬いて、鎚音が止んだ。
次の瞬間、濃い吹雪が渦巻き、私たちから視界を奪った。
気づけば、そこには一本の剣が突き刺さっていた。
その剣は氷のように透き通った刀身を持ち、柄の部分には、雪と星の繊細な意匠が施されている。
「こんなものがどうして……?」
クロエが、微かな声を漏らした。
何か知っているような感じだ。
「それは、ただの氷の剣ではないのね?」
そう問いかけると、クロエはこくりと頷いた。
「私の祖先は、とある失われた金属を追い求めていたと聞いてます」
クロエは、彼女の母方の血族に伝わっていたと言う伝説を語り始めた。
三百年前のアウレリアの王子の一人は天才的な錬金術師だった。
彼の恋した相手は、ルーカンラントの王女。
彼はその王女によって氷からの雪銀鉱を生成する技術を奪われ、殺された。
しかし、彼を殺した後で問題が発覚した。
アウレリアの王子は雪銀鉱を超える力を持つ金属の錬成方法を見つけ出していたのだ。
その肝心の錬成方法を、彼は秘匿したまま死んだのである。
一欠片だけ残されていた、その金属は雪銀鉱より重く、硬く、そして氷のように透き通っていたという。
氷銀鉱と名付けられたそれを、王子は王女に捧げるつもりだったのだ。
「そうして、氷銀鉱は錬金術師とともに永遠に失われた、と……伝え聞いています」
私はいくつか変奏された伝説を思い出しながら、クロエの話を反芻していた。
恋するお姫様と結婚するために無理難題を叶えようとして、頑張った挙げ句死んでしまった王子。
北の権謀術数に嵌められ、錬金術の精髄を奪われた可哀相な錬金術師。
よりによって、恋する王女によって殺されていたなんて。
伝説よりもずっと酷い結末だ。
「……なんと愚かな」
ブラドが遣り切れないといった様子で呟いた。
「……いや、でも何故、王女は霧のゴーレムですぐに剣を錬成しなかったんだろうね、ブラド?」
「王女が、この情報を意図的に握りつぶした可能性か」
アクトリアス先生の解釈に、ブラドははっとした顔をした。
政治的事情で裏切ることを強いられた王女が、この最後のメッセージを聞いて何を思ったか。
そんなことはもう誰にもわからないのだけれど──
「もしかしたら、裏切ったことを悔いて、このゴーレムの歌声をずっと聞いていたのかも……」
そんなのは綺麗事すぎるかなあ、とクロエは続けた。
すべてを捧げるつもりだった王子。
殺してから、その男の愛にやっと気がついた王女。
すべて台無しになった後で、王女は祖国にもっとも望まれたはずの錬金術を隠蔽した。
なんて、救いのない恋のお話だ。
やっぱり恋愛というものは、切実なものほど地獄に近い。
「所詮、私たちには真実を知ることは叶わぬ。歴史は星の光のようなもの、もはや手も届かぬ彼方で瞬くのみ……西の言葉ではそう言うのだったか」
そう呟きながら、ブラドは凍り付いた湖面を慎重に踏む。
湖面の氷は思いのほか分厚いらしく、安定した足場になっているようだ。
「さあ、受け取ってやるといい。このゴーレムを最後まで見届けようとしたのは、エーリカ・アウレリア、君なのだから」
ブラドに促され、湖の中央に進み出て長剣の柄を引っ張る。
びくともしない。
これ、普通の剣よりもずっとずっと重いし、私の腕力じゃ持ち上げることすらできないのでは?
「ううっ、こんな重い武器は無理です。私は短杖より重い武器なんて持てません」
「もっと努力するふりをしてから言いたまえ。君の行動には、まったく説得力がない」
「本当です!」
「短杖だけじゃなく、アセイミナイフも持った事があるだろう?」
ブラドは容赦ないな。
アセイミナイフと長剣じゃぜんぜん違うのに。
武器じゃなくて、作業や儀式用ですよ。
私はクロエに縋るような視線を投げ掛けた。
「……これをクロエさんに預けたいのだけどいいかしら? お願い、クロエさん」
元々雪銀の剣の使い手だし、相性よさそうだよね。
因縁的にも、制作者は北の王女に渡したかったわけだから、北の姫君が受け取るのが妥当だろう。
これはクロエに預けてしまおう。
「ええ……っ!? こんな希少な剣を……?」
クロエは激しく困惑し、かぶりを振る。
私は困惑するクロエの手をとって、見つめる。
「……そんな、ダメだよ」
「むしろあなた以外じゃダメだと思うわ。私の知る限りでは、この剣を任せられる人は、あなたしかいないの」
持ち上げようとした感じ、通常の剣の比ではない重さだった。
そんな剣を楽々振り回せそうな友人は、クロエくらいしかいない。
「だ、だってアウレリアの王子とルーカンラントの王女の話を聞いたら、その……」
「祖先の因縁は、気にしないわ。だって私たち友達でしょう、クロエさん?」
豚に真珠、猫に小判、貧弱な錬金術師に長剣。
刃物を所有するなら、アセイミナイフや細剣がいいんです。
「私が所有したらこの剣は置物になるわ。それこそ私たちの先祖に対する冒涜じゃないかしら」
「エーリカさん……!」
なんだか感極まったらしいクロエは一旦瞳を閉じ、ゆっくりと開いた。
「うん……大事に預からせてもらうね」
凍った地底湖に突き立った長剣に、クロエが手をかけた。
それと同時に、歌声が洞窟内に響く。
聞いたことのない言葉の、優しい曲調の異国の歌だ。
「とても古い、ルーカンラントの婚礼の歌だよ……そうか……そうなんだ……」
昔のルーカンラントの歌声を聴いて、クロエは小さく肩を震わせた。
歌声を聴きながら、私も三百年前の恋人たちに思いを馳せる。
クロエは剣を軽々と引き抜いた。
歌声は歓声のような声に変わり、そして静寂が訪れた。
「きっと霧のゴーレムも満足でしょうね」
私は傍らにいたティルナノグとハイタッチして、作戦の成功を寿ぐ。
これで私もやっと自己満足できるみたいだ。
クロエは、氷銀の剣を丁寧に大きな布で包んで背に括り付けた。
その間に私は、剣の刺さっていた場所で氷漬けになった火蜥蜴を救出する。
火蜥蜴は冬眠状態で丸まっていた。
生きているけれど、仮死状態で鼓動がとても弱々しい。
手のひらで火蜥蜴を暖めると、脈拍が元に戻り、息を吹き返した。
お疲れさま。頑張ってくれて、ありがとう。
蜜蠟の塊と干し肉をたっぷりを与えると、火蜥蜴は嬉しそうに食べ始めた。
同じ場所には、霧のゴーレムの核も氷の破片に埋もれて落ちていた。
あなたも、ずっとご主人様の遺言を抱えて、三百年もご苦労様。
これで使命を果たせたね、ゆっくり休むと良いよ。
「用事は終わりましたね? ……では、学園に帰りましょうか」
アクトリアス先生に促されて、帰路に付く。
そうして私たちは、充実した野外調査を終えたのだった。




