亡霊は彷徨う2
ついに休日になった。
参加メンバーに不安は残るが、待ちに待った野外調査の日である。
場所は、魔法学園の北部に広がる湖沼地帯だ。
ティルナノグには荷物運びと護衛をしてもらうことになった。
『しかし、今回は随分珍しい顔ぶれだな』
「アクトリアス先生にクローヒーズ先生にクロエ……たしかに珍しいわ」
とはいえ、頼りになる面子でもある。
お兄様と一緒じゃないのが寂しいけど、体調も心配だしね。
まずは、クロエと学寮横の小さな噴水で落ち合った。
「よろしくおねがいするわ、クロエさん」
「うん、よろしく! うわ〜〜、楽しみだね!」
彼女以上に物理的に強い人はなかなかいないので、正直野外での同行は有り難い。
少女と言えども、北の旧王家だものね。
次はクロエと一緒に、先生たちとの待ち合わせ場所へ向かう。
学舎と大厩舎を過ぎて、北側に広がる森林を抜けると、学園を囲む石壁に辿りつく。
そこに取り付けられた古めかしい緑青色の扉が、北門だ。
扉は出入りに認証が必要になっている。
当然、学生は普通ならここから出られないようになっている。
その扉の前には、眼鏡をかけた保護者二人が揃っていた。
ブラド・クローヒーズと、エルリック・アクトリアス先生だ。
クロエと視線を交わしてから、ふたりで挨拶する。
「お待たせいたしました、先生方。本日はどうぞよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします!」
アクトリアス先生は柔らかく微笑む。
「ええ、こちらこそですよ。アウレリアさん、クロアキナさん」
一方、その傍らにいたブラドはチラ見して、ため息一つで返事だ。
「ほら、ブラドも笑って笑って」
「断固拒否させてもらおう」
アクトリアス先生がフォローしてもこの様子だ。
ブラドの塩対応にあたふたしているアクトリアス先生を眺めて、クロエはクスリと笑いを漏らした。
さてさて、この三人との野外調査はどうなるのかな。
この霧のゴーレムがあまり危険なものじゃないだろうけど、どんな動きをするのか想像ついてないからね。
「まず最初にゴーレムの起動をしておきますね」
ハロルドから借りた小さな火蜥蜴をポケットから呼び出す。
蝋燭よりは持ちが良くて、高い火力が得られる優れものの熱源である。
頑張ってもらうため、火蜥蜴に干し肉を一口与える。
そして、壜の横穴の中へ放り込む。
するとすぐさま霧が私の周囲に発生し始めた。
霧のゴーレム起動に成功だ。
ゴーレムの核をいれた壜の周囲にも濃厚な霧が巻き上がり、壜は浮き上がる。
これが人工精霊の起動にも成功した状態だ。
「では、今日の野外調査の資料です」
私が本日の経路などの詳細をまとめた文書を、三人に渡す。
「目的は散逸してしまった過去のゴーレム技術の分析です。なぜ分解して確認できないかと言うと──」
説明を始めたタイミングで、学園北の出口が開いた。
現れたのはぐっしょりと濡れた暗褐色のローブを着込んだ男、ジャック・シトロイユだ。
「おや、失礼……お恥ずかしいところを見られちゃいましたね」
シトロイユは、頬を引き攣らせて笑った。
ひぃい、なんでまたこんなところに!?
ていうか、その様子はどうしたんですか?
「シトロイユさん!? ずぶ濡れじゃないですか、大丈夫ですか?」
「薬の材料が欲しくて沼に行ったんですが、ノッケンに昔の恩人の顔を見せられて引き摺りこまれてしまいました」
ノッケンというと水場にいる怪物で幻惑をかけてくる魔獣だったよね。
昔の恩人の姿で引きずり込むって、なんて恐ろしい魔獣なんだろう。
「それにしても皆さんこそどうしたんですか?」
「ゴーレムのための野外調査だ。君には関係ない」
そう言ってブラドがシトロイユと私の間に割り込んできた。
「なるほど、例の野外調査ですか」
「門外漢が首を突っ込む気なのかね?」
「いやいや、もちろん引っ込みますってば。でも例のゴーレムって──」
シトロイユは不思議そうに辺りをキョロキョロと見回す。
そして、ティルナノグを見つめた。
「こいつはただの荷物持ちでしょうし。ええっと、どこにそんなのがいるんですか?」
「霧のゴーレムなんですよ。この壜に入った核の周辺の霧が濃いでしょう?」
私はすぐ側に浮いている壜を指差す。
シトロイユは興味深そうにそれを覗き込んだ。
「へえ、これが霧で出来た人形か。これはなかなか面白そうだ」
シトロイユが壜に手を伸ばして触れようとすると、ブラドがごほんと咳払いした。
壜から手を引っ込めてから、シトロイユは愛想笑いを浮かべる。
「じゃあ、俺はこれで。皆さんの安全を祈ってますね」
そう言ってシトロイユはそそくさと学舎の方向へ去っていったのだった。
ブラドも、そこまで邪険にしなくても良いのに。
とはいえ学園側の人間からしたら、怪しい部外者だし仕方ないか。
気を取りなおして、私は説明を再開する。
「で、何か疑問点や指摘事項などがありましたらお願いいたします」
「一応なのですが……この辺りはノッケンの地域なので注意してくださいね」
シトロイユが引き摺りこまれたという魔獣ノッケンか。
アクトリアス先生が、説明を付け足す。
「ノッケンの正体は湖沼地帯に繁殖する苔の一種です。彼らは精神感応や幻影魔法で人に誤認させて沼地に引き摺り込んで、養分にしようとしてくるのですよ」
「それは、怖いですねえ……」
「一目でも会いたい故人の、懐かしい幻惑に囚われても、足を滑らせないように注意してください」
生憎、懐かしさに囚われるような故人はいない。
母の顔は最近知ったばかりだし、そういう懐かしい思い出じゃあないし。
「そういえば、君たちはあそこが古戦場だとは知っているのかね? 鑞化死体については?」
ブラドがさらっと恐ろしいことを言ってきた。
苔の魔物の次は、鑞化死体とは厳しいな。
せっかくの野外調査なのに、早々に心が折れそうだ。
「い、いいえ……」
「数百年前の鑞化死体が未だに浮かんでいるが、勇敢な君たちならば問題ないだろう」
相変わらず嫌味な感じだ。
多分この人なりに、心配してくれているんだろうけど口が悪い。
長い時間一緒にいると胃を痛めてしまいそうだ。
そうしている間に例の白い手が浮かび上がってきた。
そろそろ移動のタイミングみたいだ。
「これがゴーレムの手です。実は、これ、学園の七不思議の一つ、錬金術師工房棟の幽霊だったんですよ」
「それは君が捕獲したということかね?」
「はい」
私が頷くと、アクトリアス先生とブラドが顔を見合わせた。
「さすが、というかエドアルトの妹君ですねえ……!」
「学園に入学して、たったの一か月で、か」
私は取り繕いつつ答えることにした。
七不思議探索をやってました、とは言わない方がいいよね?
「ハロルド・ニーベルハイムくんと魔眼を共同開発していまして、偶々発見したんですよ」
今度はブラドとアクトリアス先生の眼鏡が、同時にキラリと光った。
「わあ! どんな魔眼なんですか? 面白そうですねえ!」
「上方からの俯瞰視野の魔眼を開発しまして──ついでに開発者が有能だったので透過視野でもありまして」
「それで発見した、と。これはエドアルトよりもスゴいかもしれないなあ」
アクトリアス先生は眼鏡のズレを直しながら、興奮気味の様子だ。
いや、恐れ多いですってば。
「そういえば、お兄様はこのゴーレムの調査をしなかったのですか? 工房棟の怪奇ですし、見つけていそうな気がしますが」
「ははは、入学早々に錬金術工房棟の一角を破壊してしまったので、出入り禁止だったんですよ」
一番遭遇しやすいあの怪奇現象を知らないのはそう言うことか。
なるほどね。
「あの工房の住民のような生徒や講師に、危険視されちゃってまして」
お兄様もけっこう学園でのやらかしが多い人みたいだな。
まあ、見ていれば分かるけど。
「お兄様、何で工房棟を破壊してしまったんですか?」
「それが話すと長いらしいのですよ、詳しいのはブラドなんですが……」
アクトリアス先生がちらりと視線を向けると、ブラドはそっぽを向いてしまった。
何があったのか気になるけど、この調子じゃ聞けそうにないな。
残念。
その時、ティルナノグが私のブーツをトントンと叩いた。
おっと、そうだ。
霧のゴーレムを追いかけなきゃ。
「おや、出発の時間ですか。では私が浮遊魔法をかけておきますね」
アクトリアス先生が魔法を詠唱すると、私たち四人と一体がふわりと浮き上がる。
「あとは軽度の魔法抵抗上昇などもかけておきますね」
短杖から行使した魔法と違って、細かく時間を気にしなくて良いのがありがたい。
その分、アクトリアス先生は魔力の残量などに気を配らなければならないから大変だけれど。
そうして、ふわふわと浮かぶ壜を眺めながら、追っていく。
暗い森から、じとっと湿った湖沼地帯に入ると、背の高い枯れた葦が立ち並ぶ。
例のポエムが聞こえ始めてなかなかアレだが、もう慣れつつある。
あとは壜がいきなり落ちたりしないように注意しておかないとね。
この壜を湖沼に落として紛失したら大変だ。
天界の眼は呪文の充塡待ちな上にハロルドが多忙な今、使えない。
天界の眼がないと、壜を探し出す方法は皆無だろうし。
「まるで人が歩く速度と同じだね〜。あ、あそこにも手があるよ、エーリカさん!」
クロエが指差す方向を見る。
壜自体からかなり離れた場所にも、例の「白い手」が発生していた。
なんであんなランダムな場所に現れるのか。
「あっちにも!」
私たち四人の中で最も視力が高いクロエは、遠くの「白い手」を次々と見つけた。
「……壜を中心に、円形に広がっていますねえ……こんな光景は初めて見ましたよ」
アクトリアス先生も目を凝らして「白い手」の出現場所を確かめていく。
「ええ、今のところ半径六十メートル以内くらいにランダムに発生するみたいなんですよ」
「そうか、君か。最近学園に広まってる怪奇の原因は」
ブラドが厳しい眼差しを投げかけてきた。
なんて聡いんだろう。
「よ、良くお気づきになりましたね、クローヒーズ先生」
「君の悪行が分かりやすいからだろう?」
なんか私、むちゃくちゃ忌々しいものを見るような目で見られてる?
露骨に責められているわけではないが、これはキツいな……!
「ああっ、ゴーレムが大幅に進み始めたようですので急ぎましょう!」
ブラドの視線から逃れるために、私は葦の中を足早に進む。
霧のゴーレムは同じところを回ったりしながらも、北を目指していく。
沼には人の形をした何かが蠢いていたが、なるべく気にしないように頑張った。
「大丈夫かね、クロエ・クロアキナ。体がふらついているようだが……」
「だ、大丈夫、です!」
「とても大丈夫には見えないのだがね……」
目をぐるぐる回していたクロエを、ブラドが助け起こす。
「大丈夫、クロエさん……。アクトリアス先生、もっと魔法抵抗上昇を……」
そこまで言いかけてアクトリアス先生が、しゃがみ込んでいることに気がついた。
先生は真剣な顔で、沼に向かって手を伸ばしている。
「……必ず……必ず私がみんなを助けますから……どうか、どうか、この手を……!」
深刻そうな言葉がアクトリアス先生の口から漏れる。
「アクトリアス先生! ダメです、そこには誰もいませんから!!」
私は大きな声でアクトリアス先生に呼びかける。
水の中に手をつけそうになっていた、アクトリアス先生が正気に返る。
「あ……ありがとうございます。注意を促した私が、真っ先に水の中に入るところでしたね……」
表情は蒼白だ。
何を見てしまったのが気になるけど、聞けない。
「まさか君らにもここまで効くとは……。仕方がない、私が最高位の魔法抵抗上昇をかけておこう」
ブラドの詠唱で、クロエとアクトリアス先生に魔法抵抗上昇の魔法が施された。
そのお陰で、二人は沼の中に気を取られること無く、さくさくと進み始めた。
「……ブラドありがとう。ここのノッケンの精神感応がここまで強力なんて。餌を大量に摂取して強化した後のようだよ」
「そういえば、野生動物の死体が多いようだな……あの男のせいか……」
そういえば、シトロイユが、ここで薬の材料の採集とか言ってたっけ。
狩りでもしてたのかな。
まあ、野生動物で良かった。人でないだけマシだ。
「クロエさん、もしかして休んだ方がよいかしら?」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしちゃって……」
クロエもまた、正気に戻っていた。
日頃雪銀鉱のお守りのお陰で精神攻撃とは無縁だから、ショックだったろうな。
そうして一時間くらい歩いた頃合いに、いきなりゴーレムの移動スピードが加速した。
「もしかして、この先は……」
アクトリアス先生が指差す先を見ると、小さな山のような巨大な岩石があった。
その根元には、一つ、亀裂が開いている。
「ここは有名な水晶洞窟ですね。ところどころ魔法の使えないエリアのある危険な洞窟なんですよ」
「魔法の使えない場所ですか?」
アクトリアス先生の説明を聞いたクロエが、不思議そうに問い返す。
魔法の使えない場所って、〈来航者の遺跡〉みたいなものだろうか。
「それは〈来航者の遺跡〉みたいなものでしょうか?」
「いいえ、少し違うのですが……そうですね、極北海域や〈静かの海〉はご存知ですか?」
「はい」
極北海域と〈静かの海〉。
アウレリアの船ですら、よく沈没している魔の海域だったっけ。
この二つの海域のせいで、北と東の海路がとても複雑に塞がれているのだ。
「ここはその二つの海と同じタイプの魔法無効化が発生します。ブラドのほうが詳しいのですが」
「そうだな……雪銀鉱は、極北海域からの流氷から作られるらしいのだが──」
アクトリアス先生に促され、ブラドが説明する。
流氷から金属を作るってどういうことだろう。
もしかして、その氷に魔法を無効化する金属が含まれているのだろうか。
「極北海域から流れてきた大量の流氷を炉にくべて作られる雪銀鉱は、極北海域と似た力を持つ。おそらく古い時代の氷河に雪銀鉱が含まれているのだろう」
「すると、魔法が打ち消されていくということですか?」
「その通り。〈来航者の遺跡〉も同様だが、あそこは魔力の変換も難しいからさらに危険だがね」
そういえば、〈来航者の遺跡〉では内部魔力の回復がものすごく遅いんだっけ。
「そのような古層の氷の溶けた場所では、稀に魔法が阻害される場が形成される」
「魔法がまったくつかえないんですか?」
「一応は使えるが、場所によってはすぐに打ち消されてしまう」
なるほど、なかなか危険な場所だな。
「退くように指示したいところだが、君たちは進む気のようだね」
ブラドが、私とクロエの顔を交互に見ながら言った。
クロエと目を合わせ、にっこりと微笑む。
「ええ、もちろんですよ、クローヒーズ先生。ね、クロエさん」
「うん、行きたいよね、エーリカさん」
そうして、私たちは前進することになったのだった。




