亡霊は彷徨う1
次の日の放課後。
大食堂で、いつもの四人と落ち合う。
マーキアとトリシアが私を挟んで、クロエとベアトリスが向かいに座った。
そして、昨晩ギルベルトから貰ったお菓子をお裾分けしつつ、皆でおしゃべりに興じる。
「皆様、学園に見慣れない方が増えましたの、お気づきでして?」
マーキアが、新たなる保険医シトロイユについて話題に上げる。
「シトロイユ先生ですのよね、マーキアさん」
「ええ、トリシアさん。そうでしてよ! なんだか素敵な方ではありませんこと?」
目敏い女生徒からこんなに早く人気になるとは、流石イケメンだ。
学園の教師や職員にはいない野性味ある色気の持ち主。
でもあの人、ウトファル騎士団所属の異端審問官かもしれないんだよね。
「危険な雰囲気がして……野性的な感じですよね」
監禁されそうな危険な雰囲気、野性的で暴力的で拷問とかしそう、という意味である。
あの爽やかな笑顔の裏の顔が異端審問官だったら、ギャップがあって怖すぎる。
「わかりましてよ! 危険な大人の魅力!」
「そして、野性的な肉体美!」
誤魔化して返事をしたのだけど、マーキアとトリシアは同意してくれた。
本当にちょっと悪そうなだけの大人の男性だったら、どんなに気楽だっただろうか。
「新しい保険医の人かあ……時々エーリカさんのことじぃっと見ているよね」
クロエが、気になることをさらっと呟いた。
ええっ、私、あの人に凝視されていたの?
「それはいつかしら?」
「廊下ですれ違っている時は、気がつかなかった?」
「……ぜんぜん気がつかなかったわ」
「じゃあ今は?」
クロエが顔を動かさずに、瞳だけ出入り口に向けた。
私はうっかり首ごと動かしてしまう。
そこには、シトロイユの姿が、あった。
私と視線が合うと、シトロイユは唇の前に人差し指を置いて、爽やかにニコリと笑う。
ええええっ、……なにこれ、怖い!
やっぱりあの人、怖い人でしょ!
「きゃあっ、もしかしたら、エーリカ様に懸想していらっしゃいますの? そんな、ダメでしてよ! 年齢差が!」
「それに身分も! でも禁じられた恋も素敵でしてよ!」
マーキアとトリシアは二人で楽しそうに妄想を始めた。
あの笑顔は、秘密をバラしたら許さないぞ的な脅しじゃないかな。
シトロイユが大食堂を去る様子を眺めながら、ベアトリスがぼそっと呟いた。
「前は、クロエちゃんをじっと見てたよね」
「うーん、そう……そうなんだよね」
クロエが小声で返す。
監視対象は私とクロエな訳か。
もしかしてクロエの身元も知っているんだろうか。
事情通っぽいなあ。
「エーリカ様とクロエちゃん、二人の共通点……背が高くて綺麗ってこと……?」
「うーん、私はまあ背は高いけど、顔の方は普通で平凡だと思うけどなあ〜」
当人はこう言っているが、ヒロイン的「普通で平凡」なので、ぶっちゃけクロエはスゴく可愛い。
群衆の中にいて、ふっと目を引くタイプだ。
時々、対吸血鬼戦の記憶がチラつくけど──まあ、可愛い女の子なのである。
しかし、この状況、自分の身が心配だな。
なるべくシトロイユに監視されないように過ごしたい。
でも学舎にいるんじゃ避けようもないんだよね。
シトロイユの話が落ち着くと、私たちの話題はコロコロと変わっていった。
マーキアの小型竜たちが副伯領から安全に輸送されたこと。
ベアトリスの未来視の成功率について。
トリシアからは、特製熱源の説明をもう一度してもらった。
私がゴーレムの野外調査計画について話すと、クロエは興味津々だった。
「場所は学園の北部だよね? 森とか湖沼地帯とかの。羨ましいな〜〜」
クロエはゴーレムに興味があるわけではなくて、どうやら野外が恋しいらしい。
学園内の管理された木々では少々物足りないのだろう。
「クロエさんも、一緒にどうかしら?」
「ええっ、いいの!?」
「ええ。私としてもクロエさんが一緒なら、心強いわ」
ちなみに保護者としてエドアルトお兄様にも同行してもらうようにお願いしてある。
お兄様とクロエ。
この二人だけでも警護としてはかなりレベルが高いよね。
ほどほどの時間が経った頃に、私は立ち上がった。
「それでは皆様、今日もまた用事があるので、お先にお暇しますね」
そうして私は四人を残して次の目的地である生徒会室へ向かったのである。
☆
生徒会へ行く目的は、オーギュストとクラウスにもお菓子の差し入れをするためだ。
仕事で疲れているだろうし、大の甘党である二人なら喜ぶだろう。
生徒会室に到着すると、クラウスとオーギュストが頭を抱えているのが見えた。
「どうしたんですか、お二人とも」
声をかけると、二人とも悩ましそうな顔でこちらを見た。
「おや、エーリカか。いいところに来てくれたぜ」
「……こいつにこの話題をふっていいのか、ものすごく迷うものがあるがな……」
ぱあっと笑顔になったオーギュストと、苛立ちを露にするクラウス。
なにか万霊節で問題が発生したのだろうか。
ご苦労様である。
沢山人とお金が動くイベントは、なにかしらミスが起こるよね。
「なにかあったようですね?」
「学園でなにやら奇妙な現象が確認されているらしくてな……!」
クラウスはしかめっ面で言った。
「万霊節の準備で遅くまで働いている生徒からの報告がもう十三件もだぜ」
オーギュストが机の上にバサリと報告書を広げる。
新しい怪奇現象?
いやもしかして、これは……なんだか心当たりがあるような気がする。
「拝見してもよろしいでしょうか」
一言断って、書類に手を伸ばす。
私は恐る恐る報告書を読み上げる。
「今週第一曜日の深夜、厩舎の水桶付近で南寮の生徒が目撃。呻くような囁くような声が聞こえてきた」
「それが最初の目撃例だ」
クラウスの補足に、ますます予感が的中してることを感じる。
「振り返るとそこには、ふわふわと浮かぶ白いシーツが見えた。なんでこんなものが、と目撃者が手を伸ばすと空気が渦巻いて湿った手で触られ、いつの間にか気絶していた。目撃者はびっしょりと湿ったシーツを着て倒れていた」
やっぱりこれは心当たりがあるぞ。
ていうか、例の霧のゴーレムっぽいじゃないか。
「今週第二曜日の夕方、魔法植物園内部の大池にて職員が目撃。池から手が伸びてきて、引き摺り込まれそうになった」
「被害者は手を避けるため、足を滑らせてずぶ濡れになったそうだぜ」
それで風邪を引いてるらしいんだ、とオーギュストが付け加える。
魔法植物園内の池か……。
やっぱり怪しいな。
ゴーレムの起動地点からズレてはいるが、場所が近い。
具体的に言うと、起動地点から直径二、三十メートル以内に発生してる。
「同日同時刻、学園内にある北部の林にて。茸の採取をしていた学生が、小さな沼の中で手招きする幽霊を目撃」
「水桶、池、沼……ですか」
三件目の時点で、私の疑いが確信に変わった。
あああ、これ完全に霧のゴーレムだ。
「得体のしれない恐怖が広まると問題だな〜。けど、調査するにしても人員が足りないんだぜ」
「俺が動いてもいいが、どうする、オーギュスト?」
「うーん、クラウスが抜けると、私の負担があからさまに増えちゃうんだよなー」
「なら、そうだな──」
具体的に対策を練り始めたオーギュストとクラウスを前に、私は懺悔のような心持ちで手を上げる。
下手に言い訳するより、早めに白状していたほうが良いだろう。
「あの、これは私が……」
「面倒ごとだったらどうする。万が一、またあの夜のようなことが起こったら」
クラウスがなかなか厳しい目で睨んできた。
あのような吸血鬼と鉢合わせしたら、まあ普通は死んじゃうよね。
「いえいえいえ、こちらはもう原因はわかってますから」
「なんだと!?」
「あ〜、もしかして、お前……」
クラウスは威嚇気味に、オーギュストはなんとなく察したような声を上げた。
私は、二人に向かって無害そうに敵意なく微笑んだ。
なるべく心象を良くしたい一心の笑顔だ。
「ええ、今回は私が怪奇の仕掛人なのです」
オーギュストがうんうんと納得する横で、クラウスが頭を抱えた。
私は説明を続ける。
「例の霧のゴーレムを解放して、色々調査をしていたんですよ」
「なんだか似たような出来事があった気がするが思い出せないぞ……くっ、何故だ……」
クラウスが苦しそうに呻いた。
そういえば私、ティルナノグも速攻で解放してたっけな。
そのことについて、〈天使の玄室〉でクラウスに怒られたのは懐かしい思い出だ。
パリューグの忘却魔法に感謝である。
「ふふ、気のせいですよ、クラウス様」
しかし、まさかこんなに目撃されているとは。
というか多分思ったより広範囲に展開されてるよね、あの霧のゴーレム。
ティルナノグに確認してもらった経路よりも三十メートルほど広い範囲でこれらの事件が発生してる。
もしかしてこの霧のゴーレム、すごく大きいのではないのだろうか。
直径六十メートルほどの何かなの?
私は言い訳のためにハロルド用にまとめたゴーレム調査結果の資料を二人に渡す。
「こちらが実験記録です。まあ、不思議! 時間と場所がだいたい同じですね! 良かった。解決ですね!」
「よりにもよってこんな時期にゴーレムの実験とはな……!」
クラウスの目が、怒りで凶悪な光を放つ。
「はい、クラウス様。なので学園を徘徊している怪異は、完全にコレですね」
私は、鉄仮面のような笑顔を崩さずに頷いた。
「よくもこんな実験を無許可で行ったな?」
「ところが学園長先生の許可済みなんですよ。残念でしたね、クラウス様」
「甘過ぎだろうが、あの学園長〜〜〜〜〜〜」
クラウスは怒りの矛先を学園長先生に向けた。
学園長先生には何度も感謝してもしきれないな!
「まあまあ、落ち着こうぜ、クラウス」
「ぐ……っ」
オーギュストに諌められて、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるクラウス。
「でもなー、微妙にズレがある気がするんだけどなー」
「おそらくは核を中心とした直径六十メートルほどの巨大なゴーレムなんでしょうね……」
「あ〜……すごいな、意味不明な大きさだぜ……」
今回の報告がなければ、私も気がつかなかったことだ。
錬金術工房棟の廊下はゴーレムにとってはさぞや狭かっただろうな。
「それにしても錬金術師ってのは、どうして変な素材で不思議なゴーレムを作るんだろうなあ……」
オーギュストの素朴な疑問に、私は答えを返す。
「楽しいからです。あとは面白いからですね」
アウレリアの錬金術師の精神性なんてこんなものだろう。
身近な人物──エドアルトお兄様、ハロルド、トリシアあたりもその傾向が激しいし。
「このゴーレムの件ですが、以後は休日に学園外で起動させますからご安心くださいね」
「休日に学園外でだと!?」
「まさか一人で行く気なのか?」
クラウスとオーギュストの二人から、激しいツッコミが入った。
「危険なことはしません。ちゃんとお兄様に保護者として同行してもらう予定ですし」
「エドアルトが、だと?」
「あとは最近縁のあるクロエさんもご一緒してくれるとのことです」
「エドアルトと、あの例の件で一緒だった女か……」
クラウスが苦々しく呟く。
安全性抜群の警護二名付きなら、文句つけられないよね。
そんなことを話していたら、後ろから聞き慣れた声がした。
「あー、こちらにいらしてたんですね……」
アクトリアス先生だ。
主治医のようにブラドが後ろに控えている。
「アクトリアス先生……お体の具合はよろしいんですか?」
「ええ。やっと回復しました。おかげで授業にも出られますよ」
「それと連絡がある、君の野外調査にはエルリックと私が付くことになった」
おおっと、予想外の展開だ。
アクトリアス先生は、申し訳無さそうに微笑んだ。
「本当はエドアルトがついて行きたがっていたのですが、シトロイユさんに止められてしまいまして」
「だから、しかたなく私も同行することになったわけだ」
お兄様やクロエときゃっきゃうふふしながらのんびり楽しく野外調査しようと思ったのに。
アクトリアス先生なら大歓迎だが、ブラドは厳しい感じがする。
「アクトリアス……なら、まあ大丈夫だとは思うがその……」
「どうしましたか、クラウス君」
「本当に危険な場合は退避を。あとはコイツがうっかり不審者を害さないようにきちんと監視してくれ」
「ええ、まかせてください!」
クラウスはアクトリアス先生にそんな要望を出す。
私が猛獣扱いなのは、あんまりですよ。
ていうかアクトリアス先生もツッコミ入れてくださいよ!
「ふーん、教授、意外に楽しそうじゃないか。仕方なしって感じには見えないぜ」
「オーギュスト……学舎ではそう呼ぶなと言っていただろう」
オーギュストは小声でブラドを揶揄っていた。
あれ、でもこの教授ってあの黒竜に憑依している教授のこと?
学園のどこかに引きこもっている、授業とか受け持っていない研究者だと思っていたのに。
でもそうすると、ブラドがオーギュストの従兄弟な訳だ。
ってことは、イグニシア王族?
そこで私はあのジャック・シトロイユの言葉を思い出した。
では一体、このブラドは誰の血を引いているだろう?
第三王子だったアンリ陛下は末子だったはず。
すると可能性としては陛下の兄か姉だ。
第二王子はルイが生まれるまで不妊だったらしいから一応除外する。
すると早逝した第一王女エレオノールとその双子の第一王子のどちらか、か。
これはまた、王家の大変そうな部分に関わってそうな話だ。
聞きづらいし、聞いても誤魔化されそうだ。
「エーリカ・アウレリア」
ブラドの声で現実に引き戻される。
視線を上げると、ブラドの厳しい視線に貫かれた。
赤みの強い紫色の瞳だ。
「なにか物思いに耽っているようだが、この件について異論はないな?」
「は、はい…!」
ブラドの威圧感のある声に、私は思わず返事をしてしまった。
うわ、マズい。
楽しいはずの野外調査が、面倒なことになってしまったーー!




