秋の魔法学園4
霧のゴーレムの調査を開始して数日が過ぎた頃。
ゴーレムの行動データから、ある想定外な傾向が浮かび上がってきた。
この手のことなら、やっぱりハロルドに相談したい。
「でも今の時期だと、工房棟じゃなくて、あそこにいるのよね……」
あそことは、万霊節の準備で大忙しの生徒会室である。
何も手伝ってない私は、正直あまり顔を出したく無いのだが、ハロルドに会うためには仕方ない。
なので放課後の世間話の後、私は相棒を捜しに生徒会室へ向かったのだった。
☆
生徒会室の中央には、大きくて重厚な長テーブルが運び込まれていた。
壁際の棚には、書類や資料がみっちりと積まれている。
生徒会のメンバーらしき五、六人の生徒が、なにやら探し物をしたり、書き物をしている。
そして、長テーブルの最奥にはオーギュストが座っていた。
黙々と書類に目を通しているようだ。
「お疲れさまです、皆様」
生徒会のメンバーに軽く会釈しながら、私は生徒会室の奥に進んでいく。
「ごきげんよう、オーギュスト様」
「おや、エーリカは万霊節の仕事の見学か? 来てくれて嬉しいぜ」
オーギュストは屈託ない笑顔を浮かべる。
忙しそうだけど、ぱっと見た限りは、いつも通りの溌剌とした雰囲気だ。
「万霊節では、たくさんお仕事があるみたいですね」
「まあな〜」
オーギュストの目の前に積まれた書類の山に手を置いてみる。
机からの高さは十五センチほどか。
「内容を確認して、承認のサインをするだけだから、私はあんまり働いてはいないかな」
「そうですか? 見たところすごい量に見えますが」
書類の高さから、かなりの数の仕事が残っているのは明白だ。
サインするだけと言ったくせに、いくつかの書類はオーギュストの筆跡だ。
「都市をあげてのお祭りの準備なんですよね。どんな書類があるんです?」
「そうだなー……パレードゴーレムの許可、飾り付けの発注、売店の許可、天幕の手配と許可だろー? それに、夜にブレスを吐く竜たちの手配、竜騎士たちの時間外手当とか、飛行ゴーレム発射場の手配、有名な歌い手の誘致と楽士の手配だな。さらには花火や骨火の設置計画の確認、衛兵の配置と臨時採用者の講習日程の調整……」
オーギュストは仕事を諳んじながら、止まらなくなっていた。
あれ、目が少し虚ろな気がする。
「おおっと、とうもろこし迷宮に人員割いとくの忘れてたぜ……」
「オーギュスト様、あまり見た目では分からないですけど、疲れていますね?」
「はっ! 確かにちょっと疲れているかもしれないな……」
この人、自分の疲労に気がついてなかったのか。
まとめ役の仕事は、かなり消耗するし、すごく神経も使いそうだよね。
私はお菓子入りの小箱を取り出して、オーギュストの前に置く。
「はい、オーギュスト様。疲れたときにはチョコレートでもどうぞ」
チョコレートは、砂糖漬けオレンジにチョコレートをかけた、オランジェットである。
オーギュストの好みは、こういう爽やかで甘い味付けだったはずだ。
「おお、これ美味しいよなー」
「二度焼菓子もあります。神経を使う作業のときは甘いものです」
胡桃とオレンジピールのたっぷり入った二度焼菓子の小箱も並べておく。
脳の栄養は糖分だよね。
甘いものに目がないオーギュストは、作業を中断して私の出したお菓子をお行儀良く食べ始めた。
「あーー……なんか落ち着く」
「まだ一か月先なんですから、あまりご無理はなさらないでくださいね、オーギュスト様」
「はいはい、ありがとな」
にっこりと笑うオーギュスト。
無理しがちな性格をしているんだから、もう少し怠けることを覚えて欲しいところだ。
「お前たち、大事な書類を菓子で汚すなよ」
すぐ後ろから聞き慣れた声がして、振り向く。
そこには両手いっぱいに書簡を抱えたクラウスがいた。
「おや、お前も欲しかったのかな、クラウス」
最後の一つを食べ終えたオーギュストは、唇の端をぺろりとなめた。
クラウスは片眉を釣り上げ、苛立たしげな視線を向ける。
「別に……エーリカ、お前ときたら、殊勝にも手伝いにきたかと思えばオーギュストに餌付けとは」
「クラウス様もお疲れでしょうし、どうぞどうぞ」
「俺まで買収する気だな?」
「いいじゃないですか、クラウス様。魚心あれば水心ですよ」
悪代官に取り入る越後屋のノリで、手持ちのチョコレートを渡す。
クラウスもまた、オーギュストに勝るとも劣らない甘党だ。
二三秒逡巡した後、クラウスはチョコレートをそっと口に入れた。
「……!」
にわかにクラウスの渋面が緩んだ。
甘味の勝利である。
「これは随分上品な味だな」
「ありがとうございます。厳選素材で作ったお菓子なのですよ」
チョコレートに使ったカカオは、南西諸島で採れた中でも最高品質だ。
オレンジもイグニシア西部産の上物を使っている。
「それで、エーリカ、お前も手伝っていくのか?」
クラウスがにやりと笑う。
いけない、このままだと、生徒会の仕事に引きずり込まれてしまう。
「そうしたいところは山々なのですが、今ゴーレム関連で色々大変なことがありまして」
本当に残念だという表情をして、大袈裟に首を振る。
「しおらしい態度だけは似合うな。ふうん、それで、ハロルドが必要なわけか?」
「ええ、その通りなんです」
実はちょっとした判断をするだけなので、そんなに大変なことではない。
でも、大忙しの生徒会からハロルドをレンタルするには、少し大袈裟なほうがいいだろう。
「ハロルドの見識に頼らないと、問題が起こりそうなんです」
「今日は仕入れ業者と値下げ交渉をしているはずだ。日没くらいには学園に戻るだろう」
「日没ですか……」
それならば、ここでハロルドの帰りを待っていればいいかな。
ほんの少しはお手伝いとかをしつつ。
それまでぼーっと私とクラウスの話を聞いていたオーギュストが、はっとした様子で口を開いた。
「いや、違うぜ、クラウス。今日のハロルドは化け茸担当だ。値下げ交渉の件は明後日に変更になったんだ」
「そうか、ハロルドが担当になったのか。なら、もう帰っているだろうが、化け茸の寝付かせやら保管やらで深夜までかかりそうだな」
深夜まで化け茸の保管のために作業か。
幼児ほどの大きさの化け茸を落ち着かせて、丁寧に格納してるハロルドを思い浮かべる。
なかなか大変そうだな。
「うーん、それでは今日は諦めたほうが良さそうですね」
ゴーレムの件は急ぎではないし、明日で良いかな。
そこでふと私は気になることに気がついた。
化け茸の準備は、アクトリアス先生がやるはずじゃなかったかな。
「あれ、でも、化け茸の調達って、アクトリアス先生の担当ではないのですか、オーギュスト様」
「体調を崩したらしくてな、急遽ハロルドに代理を任せたんだ」
おや、何かあったんだろうか。
すごく心配だ。
六年前の事故の怪我が完治していない、とかじゃないといいんだけど。
「大丈夫なんでしょうか?」
「起き上がれないほどではないから、そこまで心配しなくてもいいだろう」
アクトリアス先生のお見舞いにでも行こうかな。
ハロルドに会う宛もなくなってしまったことだしね。
「アクトリアス先生は保健室ですか? 少しお顔を拝見しに行こうかと思います」
「いいや、ブラド・クローヒーズの自室だ。彼が診ている」
おや、医術師じゃなく魔法使いが対処するとは珍しい。
怪我とかじゃなくて、別の不調なんだろうか
「あの人はかなり手広いから特殊な治療も出来るんだ」
「手広い?」
「カルキノス大陸で使われていた古代呪術に、天使研究に、ハーファンに伝わる古代魔法にも詳しいんだぜ」
オーギュストがさらりと補足してくれた。
なるほどね。
それで、医術師とは違った特殊な治療を担当できるのか。
忙しい中、親切に教えてくれた二人にお礼を言って、私はブラド・クローヒーズの部屋に向かった。
☆
中央寮にあるブラドの部屋のドアを叩く。
少しすると、ドアが薄く開いた。
「エーリカ・アウレリア。君か。何の用だね?」
ブラドがいつも通りの渋面で出迎える。
「アクトリアス先生がこちらにいるとお聞きしましたので、お見舞いに参りました」
「そうか……入りたまえ。彼の施術はもう済んでいる。だいぶ回復したようだ」
施術か。
どんな施術なのか気になる。
けど、そこは踏み込んじゃダメだよね。
初めて訪れたブラドの部屋は、かなり興味深いものだった。
備え付けられた書架には、見たところ希少書ばかり。
魔法図書館の六階に似た傾向があって、おそらくはカルキノスのものが多い。
長椅子には、アクトリアス先生が静かに寝ていた。
眼鏡を外したその顔は、かなり儚く見える。
「エルリック、君に可愛い客人がきたようだ」
ブラドは「可愛い」の部分を嫌味っぽく響かせて、アクトリアス先生に呼びかけた。
アクトリアス先生はゆっくりと目を開き、私に気づくと柔らかく微笑んだ。
「大丈夫ですか? アクトリアス先生」
「ご心配かけちゃいましたか……何度か大怪我をしているので、時々具合がガタンと悪くなるんですよ」
何度かと言うことは、六年前の北西部での事故以外にも何かあったのかな。
亡命貴族だから、カルキノス亡命時に何があってもおかしく無いものね。
「今回ブラドに頼る事になったのは、こちらの大陸にはない方法で調整を受けていまして」
「……調整ですか」
治療じゃなくて調整。
そこはかとなく不穏な言葉に感じられる。
「ありがとう、感謝するよ、ブラド」
「その調子なら、明日にも復帰できそうだな」
ブラドは視線を逸らしながら言葉を返した。
「その不自由を解除することは可能だが……君は望まないのだろうね、エルリック」
「ああ、これは出自の証明でもあるから、簡単には捨てられないよ」
身元証明になるような呪術による施術を体に宿しているということだろうか。
重いな。
やっぱり踏み込んじゃいけない気配がする。
「しかし、君は昔から優しいよね……いやお人好しというか」
アクトリアス先生の言葉に、ブラドが頬を引き攣らせた。
ブラドは言い返しもせず、苛立った様子で回転椅子に腰を下ろした。
おや、この二人は昔からの付き合いなのか。
だとすると、お兄様とブラドも付き合いが長いのかな。
そんなことを考えていたら、アクトリアス先生が私に尋ねてきた。
「そういえば、エドアルトはどうしたんでしょうか?」
「お兄様も体調が優れないらしくて、保健室の先生にお説教されながら治療されていますよ」
「エドアルトらしいなあ。逃げ出したりしてそうですねー」
アクトリアス先生はふむふむと頷く。
お兄様の逃げ出す様子が、目に見えているようだ。
「ああっ、今日の予定だった化け茸の受け取りって、どうなったかご存知ですか?」
「ハロルド・ニーベルハイム君が代行したそうです」
「それは申し訳ないことを……今からその仕事を巻き取っておいたほうがよさそうですね」
おお、責任感強い。
でも無理しないほうがいいと思うんだけどな。
「そんな、まだ病み上がりじゃないですか」
「あの魔獣の保管は難しいので、慣れていないと徹夜になっちゃうと思うんですよね」
アクトリアス先生は手早く身支度を始めた。
「では、いってまいります〜!」
「いってらっしゃいませ。ご無理は禁物ですよ、先生〜〜!」
そうしてアクトリアス先生は足早にブラドの部屋から去っていった。
「まったく、無駄に責任感の強い男だな、あれは……」
ブラドが苦々しく呟いた。
アクトリアス先生のいないブラドの部屋は、かなり居心地が悪くなった気がする。
私も早く出て行こう。
「そ、それでは私もお暇しようかと」
「エーリカ・アウレリア」
速攻で撤退しようかと思ったら、ブラドに呼び止められてしまった。
「ひっ、な、なんでしょうか……!?」
「あのジャック・シトロイユとか言う男を決して信用しないようにしたまえ」
どうしてですか、という言葉を抑える。
脳裏に、シトロイユのへらっとした無害そうな笑顔が浮かんだ。
確かに彼は怪しい。
「はい、分かりました」
「よろしい。私が言いたかったのはそれだけだ。行きたまえ」
しかし、何故この人はわざわざ私に忠告するのか。
思った以上に、このブラドという人は心配性な気がする。
この人は、怖くてお小言が煩いけど、なんだか良い人だ。
青空みたいな笑顔のシトロイユよりも、この人の眉間の皺の方が信頼に足るような感じがする。
そんなことを考えながら、私はブラドの研究室を後にしたのだった。




