秋の魔法学園2
私は動揺を隠し、なるべく落ち着きながらシトロイユを問い直す。
「あの、ウトファル修道騎士団って北部総督直轄の騎士団ですよね……?」
「あ! あ〜〜〜〜っ、やばい……!」
シトロイユは大袈裟に焦り、口元を押さえた。
「ということは、あの高名なウルス辺境伯のご家中の方なんですか?」
私はあまり重要さに気がついていないフリをしつつ、さらに攻めることにした。
シトロイユは、慌てふためきながら答える。
「ご、ご内密に。俺の所属がバレると、動きにくくなってしまいますので……!」
「あらあら、どんな動きをなさっているんですか?」
「元々は少し前の誘拐事件の調査に協力するために派遣されてきましたが、その……」
なるほど、あの誘拐事件で北の人々も動いていたのか。
派遣された修道騎士が増えているという話も、こういった事情があったわけだ。
しかし、あのハーランの配下ってことは、それなりに物騒な方なわけですよね。
異端審問に関わっているとか、監禁・拷問も辞さないとか。
うわ、怖いな。
「その件は、兄も了承済みなのですね」
「これまでエドアルト卿には負担の高い調査に協力して頂いていました。その縁で、今度は我々がエドアルト卿の治療に協力することになったってわけですよ」
「……そうなんですか」
うう、ウトファル修道騎士団経由の調査なんて危なそうだな。
お兄様なら大丈夫だろうけど、心配になってしまう。
「他の任務で動いている連中のことは分かりませんが、少なくとも俺はエドアルト卿の味方です」
こうは言っていても、もし異端審問の関係者だったらと思うと安心できない。
血塗れの聖女の件、学園長先生に隠蔽してもらってて本当に良かった!
さてさて。
滅多にない機会だし、シトロイユからハーランの情報でも引き出せるだろうか?
ダメ元で試してみよう。
「でもその……ハーラン卿からの秘密の指令を請け負っておられたりするのでしょう?」
「いやいやいや、俺なんて、ハーラン卿にお目に掛かりこそすれ、お声を掛けて頂いたこともない程度の下っ端ですから」
ハーラン・スレイソン。
数年前からずうっと彼の影に怯えている気がするんだよなあ。
「そう言えば、ハーラン卿というと狼のような凛々しい相貌のお方と聞いておりますけど……」
「その噂は出鱈目ですよ。卿は銀の仮面を付けていて、側近にすら素顔を見せないほどですから」
そうしてシトロイユはハーランの相貌についてポツポツと語ってくれた。
血腥い噂に彩られた、かの高名なるハーラン・スレイソン。
彼は十年以上前に、顔に大怪我をしたのだという。
流れ弾で前頭部の骨が砕けた。
顔全体が焼け爛れた。
あるいは、呪詛で歪んでしまっている、などとも言われているが、真実は定かではない。
ハーランは屈辱と復讐心を忘れないために、傷を残したのだ。
しかし、その余りにも醜い貌を隠す必要があり、ハーランは狼の仮面をするようになった。
「この話は、ご内密に。色々と悪名高い方ですし、難しい方なんですよ」
「勇猛果敢なお方だとはお聞きしてますが、悪名もあるんですか?」
とぼけて聞き返すと、シトロイユは口をへの字に曲げて頬をぽりぽりと掻いた。
「あーー……知らないなら、知らないほうがいいですよ」
シトロイユはなんとも気まずそうな雰囲気だ。
さすがに、これ以上はハーランの情報は引き出せないかな。
よし、別の方向から探りを入れてみよう。
「そう言えば、もしかして私たちが知らないだけで、あなたのような方がこの学園にたくさん入り込んでいるんですか」
「ううっ……ご勘弁を。俺一人のことですら、漏らしたのがバレたら、俺の首が飛んじまうので……」
シトロイユは生気の消えた目で物騒な事を呟いた。
まさか物理的に首が?
さすがにルーカンラントもそこまで修羅の国じゃないよね?
いや、修羅の国だったか。
首がないのは例の首無し王子の件で手一杯だというのに。
「ど、ど、どうかご内密に……!」
「了解いたしました。この件は私の胸にしまっておきます。だからお兄様のこと、よろしくお願いしますね。そしてこの学園の生徒のことも」
「は、はいっ! お約束します! 必ず守りますよ!」
誠実そうな言葉に、誠実そうな瞳のシトロイユ。
悪い人じゃなさそうだし、今のところは信じておくか。
そんなことを考えていると、保健室のドアをノックする音が聞こえた。
新たに保健室に現れたのはブラド・クローヒーズだった。
「クローヒーズ先生……?」
「エーリカ・アウレリア。君もここにいたのかね。悪いが、君の兄を借りて行くよ」
ブラドはお兄様の寝ている寝台まで、早足で歩いてきた。
ぐっすり寝ている兄のブランケットを、ブラドは無言で引きはがす。
「……?」
「エド、起きたまえ。君はこんなところで悠長に寝ていられるほど暇ではないだろう?」
兄はゆっくりと瞳を開いた。
にわかに意識が覚醒したのか、はっとした表情を浮かべて身の回りを確認し始める。
「おや……エーリカに……ブラドまで来てくれたのかい? ありがとう、嬉しいよ」
「この男は? 不審者なら今からつまみ出してしまうが、構わないかね?」
ブラドは視線を一瞬もシトロイユに合わせずに、お兄様に問う。
「君は相変わらず心配性だな。派遣されてきた保険医のジャック・シトロイユだよ」
「……南と北の混血で医術師、か。よりによって、こんな時期に外部者を引き込んだのかね?」
ブラドは厳しい眼差しでシトロイユを睨む。
シトロイユは引き攣った愛想笑いを浮かべつつ、目でお兄様に助けを求めた。
「腕が良くてね、とても信頼がおけるんだ。僕が保証するから安心したまえ」
お兄様は乱れていた襟元を左手で整えながら、シトロイユを弁護する。
「ブラド・クローヒーズ伯爵ですよね? ブラド卿、どうぞよろしくお願いします」
シトロイユが恐る恐る差し出した手を、ブラドは拒否する。
「私は容易く他人を信頼しない主義なのでね。そうでなくとも、私は誰かと親交を深めるつもりはない」
「あー、ええと……そうですか」
シトロイユは苦笑いしながら手を引っ込める。
それを見て、ブラドはわざとらしく嫌味で攻撃的な笑みを浮かべた。
「君は治療のために来たのだろう? ならば、その役目を終えて早々にお帰り願いたいものだな」
「それはエドアルト卿の体調次第です。俺も早く仕事を終えて帰りたいところなんですが、なかなか本格的な治療を承諾して頂けないもので」
「くれぐれも自分の役目以外で学園内を嗅ぎ回らないように。学園は現在デリケートな状況にあるのでね」
「はは、何の話だか皆目見当もつきませんね。でも、承知しました。邪魔はしないように気をつけます」
二人の間で、刺のある言葉でのやり取りが繰り広げられる。
事情を伏せながらの言葉の暗闘だ。
「ブラド」
寝台から起き上がったお兄様が、声を上げた。
お兄様はブラドとシトロイユの間に割って入る。
しばらくお兄様とブラドが、無言で睨み合う。
ほんの数十秒だったのだけど、時が止まってしまったような感じだった。
その沈黙を破ったのは、お兄様だ。
「ところでブラド、何か用があったはずじゃないのかい?」
「学園長からの呼び出しだ。今すぐ学園長室に向かうように」
それだけ言うと、ブラドは黒いローブを翻して足早に保健室から出て行った。
「すまないね、エーリカ。折角来てくれたというのに慌ただしくて。シトロイユにも悪いことをしてしまったし」
「お気になさらないでください、お兄様」
「俺は大丈夫ですよ。ここでお帰りをずーっと待ってますんで。待つのは慣れっこです」
お兄様も手早く上着を羽織り、荷物を抱えてブラドの後を追っていった。
二人を見送った後、シトロイユは大きくため息をついた。
赴任早々、私にバレたりブラドにあんなことを言われたのだから仕方ないか。
「いやあ、怖い怖い。あのお二人って仲悪いんですかね?」
「さあ。兄は自分から他人を嫌うような人ではないと思いますけど」
お兄様もいなくなったことだし、私も次の授業に向かおうか。
そう思って鞄を持って立ち上がる。
「そういや、エドアルト卿の利き手って右でいいんでしたっけ?」
「昔は左手だったらしいんですが、練習して両手利きになってます」
今は主に右手を使っているが、それでも左のほうが未だに得意な作業があるらしい。
だから時々左手を使っていたりするのだ。
「短杖を使うのは主に右ですが、ナイフは左のほうが得意らしいです」
「へえ、なるほどねえ」
しかし、唐突になんでこんなことを聞いたのだろう。
今度は私がシトロイユに疑問を投げかける。
「でも、どうしてそんなことを?」
「どっちが利き手か分からない動きをするなあと気になりまして。そういうことなら納得ですよ」
ハーラン配下で学園に潜入捜査員として潜伏してるシトロイユ。
鋭い観察眼を持っているなあ。
こういうわずかな情報から吸血鬼をあぶり出したりしているんだろうね。
「しかしまあ、聡いお方ですねえ、ブラド卿」
「もうバレたかと思いました?」
「半分くらいバレてそうですよねー。あー、怖い怖い」
シトロイユは頭を掻きながら笑った。
あのブラドに初日からバレてしまっては、捜査しづらくなりそうだ。
「顔は恐そうですが、けっこう本気で兄や学園を心配しているだけかもしれませんし」
「でもですねえ……いろいろ噂のある人じゃあないですか、ブラド卿も」
「噂? あのクローヒーズ先生の、ですか……?」
驚くフリをしたが、意外ではない。
だって彼は乙女ゲーム「リベル・モンストロルム」の攻略対象なわけですよ。
身辺調査では情報を揃えられなかったけど、普通な人であるワケがないじゃないですか!
「表向きクローヒーズ伯爵家の生まれですが、実は養子で、どこの生まれか隠蔽されているそうで」
「庶子を近縁の下級貴族の養子にしてから引き取るなんて話は聞いたことがありますけど……」
ベアトリスの件を思い浮かべながら答える。
特に血統に能力を左右されやすい魔法使いの貴族にはありがちなことだ。
「この学園にいるのも、なにやらずっと呪詛の治療を受けているためだとか」
「そんな……」
知らなかった情報が、ごろごろ出てくる。
ありがたく利用させていただこう。
しかしこのシトロイユ、口が軽いな。
守秘義務とかいいんだろうか。
「おおっと、しゃべりすぎちゃいました。どうか、ご内密に」
私の不信感を感じ取ったのか、シトロイユは誤魔化すように笑顔を浮かべた。
この人、悪い人じゃないけど、なんだか善良な人でもない気配がする。
心の中で注意警報が鳴り響く。
シトロイユはうっかり情報を漏らしたんじゃない。
撒き餌のように細かに情報を出して、私から情報を引き出そうとしてるよね?
間の抜けた密偵なんかじゃなく、怖い大人だ。
「シトロイユさんも、喋り過ぎにはご注意くださいね?」
「ええ、もちろんですとも!」
青空みたいに晴れやかな笑顔で応えるシトロイユ。
すぐに敵と判断するほどではないけれど、腹の底の見えない要注意人物だ。
私はわずかに不安を覚えながら、午後の授業に向かったのだった。




