秋の魔法学園1
リーンデース魔法学園に入学して、一か月ほど。
たったこれだけの間に、私の周りでは沢山の想定外の事件が起きた。
学園の怪談を追ったり、過去の母に出会ったり、うっかり伝説級の恐ろしい吸血鬼と戦ったり。
それでも、今のところ無事だ。
けっこうな修羅場に巻き込まれても、私はまた日常に戻ることができたのである。
「黒幕はエーリカが仕留めてくれたからいいものの、眷属がまだいるわね」
パリューグは引き続き、吸血鬼の影響のあった村を再調査している。
眷属が大勢の人を喰らって吸血鬼に昇格することがないように、執念深く駆除してるのだ。
『俺は、あの娘の監視だな』
ティルもまた、引き続きベアトリス・グラウ嬢の監視と保護である。
未来視を会得しつつある第二死亡フラグ、ベアトリス。
そんな彼女の、いざという時の安全弁のためである。
『万霊節の祭の初日は、この俺がお前だけは命に代えても守るようにしよう』
「この妾も、あなたを絶対に守るわよ!」
もうしばらくすると、あの万霊節の祭がやってくる。
万霊節の祭。
前世の世界で言うところのハロウィンと万聖節と万霊節の三日間を、一続きに祝ってしまう祭だ。
そして、祭の初日に川辺に浮く水死体が、この私、エーリカ・アウレリアというわけだ。
というわけで初日だけは、パリューグとティルナノグには私を護衛してもらう予定になっている。
これで、万霊節がどんなに危険だったとしても切り抜けるだろう。
あと変わったことと言えば、クロエと一緒に放課後に集まってお話するようになったことだろうか。
もちろんベアトリスも一緒だ。
トリシアとマーキアは、クロエの天然気味なところに戸惑っていたが、最近は馴染んでくれている。
クロエも打ち解けてきたのか、明るい笑顔を見せることが多くなった。
ただし、まだ例の件──クロエの兄クロードについては詳しく話してもらってはいない。
もう少しだけ記憶を整理する時間が欲しい、と言われてしまった。
デリケートな問題だし、ゆっくり待とうと思う。
☆
錬金術のクラスに向かい、私はいつもの席に座った。
教科書や予習ノートに目を通してると、壇上から懐かしい声が響く。
「やあ、久しぶりだね、僕の大事な教え子たち。僕が居ない間も元気だったかな?」
お兄様の登場で、にわかに教室が華やぐ。
(ええっ、エドアルトお兄様!? やった〜、遂に授業復活なんですね!)
目が合うと、壇上のお兄様はにっこりと笑った。
おや……お兄様、わずかに痩せた、というかやつれているような感じだ。
多忙すぎて寝食を忘れているんではないかな?
大丈夫だろうか。
「可愛らしい教え子たちに会えなくて、僕は寂しさで死んでしまうところだったよ」
エドアルトお兄様は、相変わらずサービス満載だ。
どんなに疲労していてもリップサービスを欠かすことないのはさすがである。
教室から女子生徒たちの嬉しそうな声が上がる。
うん、この調子なら大丈夫そうだな。
「教科書の百四十四ページを開いて。今日は紫水晶から酔い止めの効果を錬成する方法についてだ」
まるでブランクのなかったように、前までとかわらぬ流暢なペースで授業は始まった。
今回は熱を加えると別の物質に変成してしまう素材の扱い方についてだ。
紫水晶を普通に錬金炉に投入すると、黄水晶に変成してしまう。
だから、あらかじめ別の薬品や素材を利用して、紫水晶の錬金術的な精髄を固定しなければならないのである。
十個ほどの紫水晶をダメにしてしまったが、私も何とか錬成に成功することができた。
だんだんコツがつかめてきたような気がする。
「次の授業も自習しておくんだよ? 錬金炉も忘れないようにね」
兄は教室中を見回しながらそう言って、最後に私に視線を合わせてウィンクした。
了解です、という意味で微笑みかえすと、兄もまた微笑んで頷いた。
そうして本日分の授業が終わると、エドアルトお兄様はさっと引き上げてしまった。
相変わらず、お兄様はご多忙なようだ。
私は一言でもいいから話したくて、兄を追って教室を出る。
疲れていそうだけど、心配なので迷惑にならない程度に少しだけ。
早足で歩いていると、すぐに追いつくことが出来た。
エドアルトお兄様の横には、先客がいた。
その後ろ姿は、学舎内で見たことがない気がする。
──おや、あの人は誰だろう?
焦げ茶色のローブを着こんだ男性だ。
肌の色は褐色で、髪は薄い金色。
見た目からするとイグニシアの人かな。
どことなく、肌や髪の色合いがあのリエーブルを思い出す。
……まさかこの人も吸血鬼なんてことはないよね?
心に浮かんだ悪い予想を振り切って、兄を呼び止める。
「ごきげんよう、お兄様。昨日お戻りになられたんですか?」
「やあ、エーリカ。実は今日の早朝なんだ。実は昨晩やっと用事が終わったものでね」
「あの、そちらの方は?」
ちらりと見知らぬ彼に視線を投げて、お兄様に問う。
「ああ、彼か。学園の校医として派遣されてきたジャック・シトロイユ氏だよ」
「初めまして、ジャック・シトロイユと申します」
ジャックと言う名前ならイグニシアの人かな。
医術師ということは、クロエと同じようにルーカンラントとイグニシアの混血なんだろうか。
「主にエドアルト卿が無理しないように監視するのが俺の任務です」
シトロイユは野性的な顔立ちを柔らかく崩し、薄い茶色の目を細める。
「何度もお目にかかると思いますのでよろしくお願いします」
「お兄様の監視ですか?」
どういうことだろう。
お兄様に視線を向けると、兄は困り顔を浮かべていた。
「おや、そうだったかな。忘れかけていたよ」
「おや、忘れるくらい余裕なら、もう痛み止めはいりませんね?」
お兄様はシトロイユが苦手なタイプなのか、なんとも居心地悪そうだ。
一方シトロイユの方は、とても楽しそうに屈託なく笑っている。
しかし、痛み止めを服用してるなんて、何があったんだろうか。
「あの、お兄様。もしかして、なにか病気や怪我をなされたんですか?」
わざわざ医術師が派遣されてくるなんて、どんな状態なのか気になる。
まさか重篤な呪詛とかなんだろうか。
「大丈夫、心配要らないよ、エーリカ。大した事じゃないし、すぐ治るからね」
「きちんと俺の投薬と治療を受けて、ちゃんとメシ食って寝てらっしゃれば、とっくの昔に治っててもおかしくないような軽傷なんですし」
「はは、お手柔らかにね、シトロイユ」
お兄様はぎこちない笑顔を浮かべた。
こういう感じの人にガチガチに管理されるのは見るからに苦手そうだ。
お兄様としては逃げたいだろうけど、治療ならしっかりと管理してもらいたいな。
「シトロイユさん、それでは兄の健康管理をよろしくお願いいたしますね」
「ええ、お任せください。お嬢さん」
シトロイユは愛想良く答えた。
エドアルトお兄様は、珍しく少し不機嫌そうな表情でため息をつく。
「はあ、しばらくは監視付きで行動かあ」
「怨むなら俺じゃなくてご自身の無茶を怨んでください。頻繁に逃げるなら保健室の寝台に縛り付けますよ」
これは恐ろしい管理ぶりだな。
でも、キツめの方がフラフラとしている兄には丁度よいのかもしれない。
「では、私もお昼に保健室に参りますね」
「はは、エーリカも来るんじゃ仕方ないね。僕も大人しくしよう」
私は二人にお辞儀をし、次の授業へと向かったのだった。
☆
午前の授業を終えて、昼食後に私は兄に会いに向かった。
ドアをノックして保健室に入る。
保健室には、両側の壁に沿って四台ずつ寝台が並んでいた。
その左側一番奥の寝台の前に、シトロイユが座っていた。
白衣を羽織り、診察簿を手にしていると、ぐっと医術師らしく見える。
「シトロイユさん。あの、お兄様は?」
「おや、お嬢さん。エドアルト卿はぐっすり眠ってますよ。薬が効いてるみたいでね」
寝台にはぐっすりと眠り込んでいるエドアルトお兄様がいた。
やっぱり少し顔色が悪い。
「そんなに薬って効きやすいんですか?」
「ほとんど疲労のせいでしょう。ずっとご多忙でしたから。このまま寝かしておきましょう」
シトロイユは診察簿を閉じ、椅子を私に用意してくれた。
「立ちっぱなしもなんですし、こちらをどうぞ」
「ありがとうございます」
私は椅子に腰を下ろして、兄の血の気の薄い蒼白な顔を眺める。
お兄様がいろいろと秘密の使命を請け負って、駆け回っているのは知っている。
例えば数年前の〈伝令の島〉での調査のように。
言いにくいのは分かるけど、身内としてはやっぱり気になる。
今回みたいに、兄の調子が悪そうな場合は特に。
「おや、やっぱり、ご家族の方としては気になっちゃいますか」
「ええ……」
そわそわしていたら、その雰囲気からシトロイユに内心を察されてしまった。
「お兄様の今の状態について、出来れば詳しくお聞きしたいのですが、ダメでしょうか?」
「俺には守秘義務もありますし、この件に関してエドアルト卿から口止めされていますので」
「ですよね」
お兄様は誰にも秘密主義者だ。
食い下がっても仕方ないので、しばらく静かにしていようかな。
……いや、せっかくだし、シトロイユ自身のことでも聞いておこう。
大事な兄の体を任せる医術師さまだしね。
まずは軽い話題から。
「そう言えば、シトロイユさんって、おいくつなんですか?」
「へ? 俺の年齢ですか。はは、幾つに見えます?」
シトロイユは、お兄様よりは年上に見える。
見た感じ三十歳手前くらいだろうか。
「兄より少し年上ですよね?」
「いやいや、かなり年上ですよ。三十後半ですから」
「ええっ! もっとお若いかと思ってました」
まさかのアラフォー。
とてもそんな年齢に見えなかったので驚いてしまう。
治癒能力の高いルーカンラントの人々は年齢よりも若く見えると聞いていたが、恐ろしいな。
医術師になるくらいだし、自己治癒能力も高いのだろう。
「ご冗談を。お嬢さんくらいの女の子から見たら、俺なんておじさんにしか見えないでしょう」
「そんなことないですよ」
「またまた。うぬぼれちゃうじゃないですか」
シトロイユはニコニコと笑って、後ろ頭を掻いた。
やっぱり年齢を聞いた後でも若く見えるなあ。
「そういえば、リーンデースの卒業生だったりするんですか?」
「いえいえ、北の騎士団付属の施術院で学びました」
リーンデースの先輩ではないのか。
でもルーカンラントの施術院で学んだ人が、なんでリーンデースに派遣されたのだろう。
「するとシトロイユさんは、どちらから派遣されてきたのですか?」
リーンデースにある医術師の機関と言えば、リーヴスラシル研究所が有名だ。
おそらくこの研究所だとは思うけど、どうなんだろう。
「俺は、ええとですね、その、騎士団付きでして」
「北方の騎士団というと、ウトファル修道騎士団が有名ですよね。すると、もしかして──」
「ええ、そうです。そのウトファルからです」
ウトファル修道騎士団は、連合王国中に支部を七百ほどもつ巨大な騎士団だ。
そしてウトファルは北部総督の指揮下にある。
すると北部総督代理であるハーラン・ルーカンラントの指揮下の人ってわけなの?
ええ〜〜〜、なんで、そんな人がここに!?




