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劇場にて

 学園都市リーンデースのとある歌劇場。

 そこは他の劇場に比べて一際大きく、豪華な造りをしていた。


 その日、ハロルド・ニーベルハイムは歌劇場の二階貴賓席にいた。

 貴賓席は五、六人がゆったりと座れる個室になっていて、ハロルドは革張りの長椅子の肘掛けにもたれかかるように座り、眼下の舞台をオペラグラス越しに眺めていた。


 部屋を仕切る臙脂色のカーテンを開けて、灰色のローブを着た一人の学生が現れる。


「こんなところに呼び出すなんて、何のつもりですか、ニーベルハイム君」


 現れた学生──ロアルド・スランに対し、ハロルドはオペラグラスを覗き込んだまま、振り返りもせずに手招きする。


「そう言うなよ。喜劇は嫌いかい?」

「用件を言って下さい。こう見えて僕は忙しいんですけど」

「いやいや、ちょうど良いところでさ」


 ハロルドはいつもの制服にエプロンではなく、高価そうな豪奢な衣服を身につけていた。

 金糸で細かな刺繍のされた深緑色の外套、厚く堅牢な靴底の牛革靴。

 クラバットを留めるピンは柘榴石(ガーネット)、オペラグラスは純金と象牙で装飾が施されている。

 富豪であることをひけらかすようなハロルドの出で立ちに、スランは眉をひそめる。


「おっと、途中から見たんじゃつまらないよな。この話って言うのはさ、継承権を不当に奪われた王女が、自分の実力で這い上がるって筋書きでさ」

「……僕の話、聞いてます?」

「で、この後が見せ場でね、王女に濡れぎぬを着せた宰相の息子が断罪されて大逆転の大団円ってわけ」


 ハロルドは言葉を切ると、ようやく振り返りスランを見つめた。


「俺の用件はあんたへの警告だよ。ベアトリス・グラウを付け回すのはやめておきな」


 スランはうすら笑いを浮かべて、肩を竦めた。


「まさか、僕が? 言いがかりですよ」

「単刀直入に言ったほうがいいかな。あんたの動機はウィント家の継承権でしょ?」


 ハロルドは、その日の天気を語るような口調で、何気なく核心をついた。

 スランの笑顔がわずかに引き攣る。


「そんな。ニーベルハイム君は想像力が豊かすぎる」

「証拠もあるよ。ほら、これだ」


 ハロルドはそう言って、資料の写しの束を渡した。

 スランはそれに目を通す。


「……っ!」


 スラン家の経済状況に、ウィント家との血縁関係。

 養子の件についての書類の写し。

 それに微に入り細に入った、行動記録。


「どうやってここまで調べたんだ、気持ち悪い奴だな」

「友達や知り合いに地道に聞いていっただけさ」


 そうしたら犯人になりそうな条件をもった奴が、嫌がらせできる場所にいたんだよね、とハロルドは付け加えた。


「これでも例の件さえなければ、こんな風に呼び出す気はなかったんだけどな」

「……これ、誰か他に知ってる?」

「もちろん、あんたにしか見せてないよ」

「そりゃ、助かるね」


 スランは小さく詠唱後、両手に炎を纏わせた。

 あっという間に、資料が消し炭になる。

 ハロルドはスランの顔を見て、心底つまらなそうにため息をついた。


「やれやれ。そんなんで隠蔽したつもりか? 当然複製だって用意してるっていうのに」

「あとはそうだな……怪我でもすれば、君も大人しくなるだろ」


 スランはハロルドに長杖を向けて、薄暗い微笑みを浮かべた。


「へえ、もう開き直ったのかよ、あんた。まあ、徹底的にシラを切られるよりは楽だけどさ」

「君、丸腰で、しかもたった一人だというのに、ずいぶん余裕じゃないか」

「そりゃそうさ」


 ハロルドは困り顔で微笑みかえす。

 その様子にはまるで危機感も恐怖もなかった。


「俺は身の守りがどうしても薄いから、な?」


 ハロルドは指をぱちんと鳴らした。


 演奏や歌唱の音が、ぴたりと停止する。

 一瞬の静寂の後、潮騒にも似た音が響く。

 一階席や向かい側の二階席の全ての観客が一斉に振り向いたのだ。

 役者や演奏者までもが演技や演奏を中断し、同じポーズを取っている。


 その全員が、短杖(ワンド)を抜き、スランに照準を向けていた。


「……っ!!!! こ、こ、これは一体……?」

「ここはアリ地獄みたいなもんだ。ほーら、もっと怖いのがきたぜ」


 ハロルドはそう言って、スランの肩越しに誰かを指差した。


「スラン」


 背後から現れたのはエヴァン・ハイアルンだった。

 ハイアルンは薄く笑っていたが、周囲には冷気が吹き上がっていた。

 彼が一歩一歩進む毎に床に薄氷が張っていく。


「あの時は高みの見物ができて、さぞかし楽しかっただろうな? 影から嘲笑うのは気分が良かっただろう」


 ハロルドは鞄からもう一束の資料を取り出して、ハイアルンに手渡す。


「やあ、ハイアルン先輩。これが約束の資料ですよ」

「ご苦労。確認しよう。俺が責任を持って彼を監督する」


 ハイアルンはそう言って鞄の中に資料をしまい込んだ。


「それとも俺の口を塞げるか、試してみるか、ロアルド・スラン?」

「……っ!」


 スランは長杖を構えようとしたが、叶わなかった。

 すでに彼の長杖は氷漬けになって床に固定されていたからだ。


「君は炎が得意だったな。だが長杖もなしで、俺と戦えるとでも?」


 エーリカとの決闘裁判の後、ハイアルンの氷魔法は深化した。

 その心に、凍れるような恐怖の感情が刻まれたせいだろうとハイアルンは分析している。


「さあ、一緒に舞台を見ようじゃないか、スラン。これから長い付き合いになりそうだしな」

「は……はい」


 ハイアルンはスランの襟首を攫んで座席に引っ張っていった。

 スランは、どんどん気温の下がる貴賓席で、ぶるぶる震えながら縮こまる。


「よかった。お二人とも仲が良さそうで」

「ああ、感謝するよ、ニーベルハイム」

「じゃあ、俺は今日はこれで退きますから、ハイアルン先輩、彼をよろしくお願いしますよ?」


 そうして、凍える貴賓席をあとにして、ハロルドは去っていった。


       ☆


 それから二日後の夕方。

 錬金術工房にて、ハロルドはエーリカに事件の顛末を説明していた。


「というわけでグラウ嬢の件は、解決ってわけさ」

「さすが、ハロルドね」


 ハロルドの給仕したお茶を楽しみながら、今回の依頼人エーリカが満足そうに頷く。


「やりすぎて怨みを買ってもマズいし、かといって関係者のことを考えると、こんなもんかなあってね」


 学園にイジメについての詳細を伝えてスランを退学に追い込むことも考えたが、その場合怨まれるのはベアトリスだ。

 それなりの魔法の使い手に一生怨まれるのは、かなり不穏なことである。


「でもよく彼と話がついたわね」

「そりゃ適任者はあの人以外ないでしょ」


 ならば信頼おける人物──ハイアルンに委ねたほうがよいとの判断をハロルドは下した。

 正義漢のハイアルンがスランを不当に苛めることはないはずだし、きっちり指導してくれるだろう。


「それにしてもスランは炎魔法が得意な人だったのね。同じ授業に出ていたのに知らなかったわ」


 エーリカとしてはウィント家の因縁を考えれば考えるほど、スランには不向きだったのだろうと思えた。

 あのドロレス・ウィントの代わりに家を継ぐのは、未来視を会得しているベアトリス・グラウの方が向いている。


「さあて、あんたからの頼まれごともこれで一段落……おっと、あともう一個あったな」

「あら、忘れてたの?」

「大丈夫、大丈夫。霧のゴーレムなんて忘れるわけないじゃん」


 そう言ってハロルドは作業棚から例のゴーレムの核のはいった小壜を取り出した。


「そうそう、かなり扱いの難しい代物だってことはわかったんだ。珍しい人工精霊を組み込んだゴーレムみたいでさ」

「人工精霊組み込みのゴーレム? それって違法じゃないの?」

「違法になる前に製造されているみたいだから合法だけど、これを改造したら違法になっちまうね」


 手の平の上でコロコロと転がしながらハロルドは説明を続けた。


「おそらく製造時期は、アウレリア来航後からギガンティアとの巨人戦争以前に限られる。もっと言うなら、例の炎の魔剣の伝説前だろうな」


 つまりは、アウレリアとルーカンラントの関係が冷え込む前の出来事だということがエーリカにも分かった。


「あとは、なんらかの面倒くさい処理が人工精霊側だけに組み込まれていて、ゴーレム側からは弄れないようになっている。まあ、俺が弄ればもっと自由に動かせるけど、弄ると所持しているだけでヤバいもんになる。だから、弄れない」

「それは扱いに困るわね……」

「でしょ?」


 ハロルドが差し出した壜を、エーリカは受け取り、しばらく思案顔で眺める。


「では、そうね。ゆっくり観察でもしてみるわ」

「おう、水分の扱いには気をつけてな」

「ええ。この程度なら私でも制御可能だと思うし」


 ふと、エーリカは記憶のどこかでひっかかりを感じた。


「そういえば、どうして炎の魔剣の伝説以前って分かったの?」

「無関係な文字列が仕込んであってさ、それを解読したら、どうやらアウレリアの貴人が、ルーカンラントの少女に送ったゴーレムらしい。アウレリアとルーカンラントが再び友好関係を結ぶのは第二次巨人戦争後だけど、その時にはもう人工精霊組み込みのゴーレムは違法になってる」

「なるほど」


 炎の魔剣の伝説前に作られたゴーレム。

 あの炎の魔剣の説話。

 あれと一緒に収録してあった話に、たしか関連した話があったはずだ。

 エーリカは題名を思い出そうとしたが思い出せなかった。


「そういえば有名な言い伝えがあるわよね、それ。錬金術師の王子とルーカンラントのお姫さまの」

「あ〜〜〜っ! たしかにあったかも」

「どんな話だったか、ハロルドは覚えているかしら?」

「うっすらとだけ。えーと、えーーーっと……」


 エーリカとハロルドは、二人してろくろを回すような手つきで記憶の糸を手繰る。


「恋するお姫様と結婚するために無理難題を叶えようとして、頑張った挙げ句死んでしまった王子の話よ!」

「北の権謀術数に嵌められて、錬金術の精髄を奪われた可哀相な錬金術師の話だ!」


 お互いの知っていた話にはズレがあったらしい。

 二人して怪訝な表情で硬直し、三秒ほど見つめ合う。


「……あっ、このパターンって」

「御伽になって穏やかに変化したお話と、地元にだけ残っている露骨な史実よりの話だな……」

「なら、これって錬金術王子の遺品なの?」

「あんたさぁ、またトンでもないモン持ってきてたのな」


 ハロルドは言葉を切って、壜詰めのゴーレムを興味深そうに覗き込むエーリカを見つめる。

 違法だ曰く付きだと聞いたばかりだというのに、エーリカは全く物怖じした様子もない。


「まあそういう所が、あんたの楽しいところなんだけどさ」


 そう言ってハロルドは、困り顔で笑ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最近こちらの作品に出会い、夢中になって読んでいます! みんな魅力的で、世界観も複雑だけど分かり易くて引き込まれます [一言] やだー!ハロルドさんカッっこいい!!!! いつも作業着でちょっ…
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