奇譚蒐集者の会3
放課後の図書館。
私はエドアルトとの待ち合わせのために六階を訪れていた。
しかし、約束の時間の五分前に現れたのは、エドアルトではなく小さなゴーレムだった。
ゴーレムの手渡したメモには「少し遅れそうだ」という走り書きがあった。
(また何か面倒ごとにでも首を突っ込んでいるのか、君は……)
エドアルトを待つ間、私は書棚を眺めて歩くことにした。
すると書架にかかった長い梯子の上に学年主席の姿を見つけた。
彼は主席だが驕るようなことはなく、常に冷静沈着で、慕う生徒も多い。
しかしその反面、一歩退いた付き合いを貫いていて、誰とも馴れ合わない生徒だった。
孤高の天才、という言葉が脳裏に浮かぶ。
彼は手にした書物に没頭しているらしく、私がこの階に上がってきても気にする様子はなかった。
それをいいことに、私は彼を眺めることにした。
どうやら先週からあの書架の書物を読み込んでいるらしい。
主に南方大陸の幻獣や呪術、民族と宗教。
氾濫を繰り返す大河、鬱蒼とした密林、砂漠の下に広がる地底湖、それらに潜むあまたの魔獣や幻獣。
天使により見出された英雄や聖者がもたらした奇跡。
民を煮て骨髄を啜るかのごとき悪政を行う王達の統治する土地。
呪いを生み続ける聖なる土地。
血族の根を南にもつ人間は、多かれ少なかれ南に惹かれてしまうものだ。
私も似たようなものだから、よく分かる。
彼にとってはもっと切実なものかもしれないけれど。
書架の上を辿る彼の指先が、わずかに迷っていた。
探してる書物が見つからないのだろう。
「幻獣アバドンの伝説や出現記録なら、私が借りているよ」
読んでいた書物の傾向から、彼が探している本に見当がついたので、声をかけてみる。
すると彼は、ゆっくりと私に視線を合わせた。
「なんで君は私が探していたものが分かった?」
「私も先月似たようなものを読んでいたから、きっとこれじゃないかってね」
私はちょうど抱えていた書物の表紙を見せてみた。
彼の表情が少しだけ驚きで動く。
どうやら推測は正しかったようだ。
「私もアバドンによる飢餓発生率が気になっていたんだ。遅くとも三日後には返却するけど、今ざっと目を通しておくかい?」
本に浮遊の魔法をかけ、彼の手元まで運ぶ。
「なるほど……噂通り聡いね、君」
彼はふわりと浮かんだ本を手に取り、ページをパラパラとめくってからそう言った。
どういうことだ。
「噂通り?」
「訳あって実力を隠しているが、見た目に反して相当な切れ者だ、と」
「そんな噂初めて聞いた」
どうしてそんな噂が流れたのか、少しだけ見当はつく。
例のことが曲がったかたちで伝わっているのだろう。
私について隠さなければならないことなんて、体に流れる血と、体に宿している呪詛くらいなものだ。
「他にもある。アウレリアの影みたいにしてるけど、本当は君が黒幕だとか」
「まさか、本当にそう見える?」
「いいや、君はいつも引きずり回されて迷惑をかけられているだけに見える」
「ああ、悔しいがそれが正解だ」
冷たい、氷のようだと思っていた表情が崩れる。
柔らかな笑顔。
彼のこんな顔は初めて目にしたかもしれない。
その時、ゴトゴトと重い音が響く。
視線を向けると、暗い色合の世界に華やかな色彩が現れた。
「おや、君らが軽口をたたく仲とは知らなかったな」
現れたのは、薄暗い図書館でも、輝くばかりの存在感を放つ金髪の少年。
エドアルト・アウレリアだ。
彼は陶器製の小型ゴーレム二体に大荷物を持たせて、階段を上ってきたところだった。
「エド、遅れると言ったわりには早いじゃないか」
「面倒そうな仕事を押しつけられそうだったけれど、逃げてきた」
「まったく。また生徒会の仕事をサボったのか、君は」
「ほら、例の件の解答がでたんだよ。だから一刻も早く探したくてね!」
批難がましく言ったつもりだが、エドアルトは全く悪気の無さそうな表情で応えた。
「……もしかして、やっとあの人の残した解答がわかった?」
エドアルトは答えの代わりににっこりと笑った。
あの人とは彼の母のことだ。
アウレリア公爵夫人にして、戦争の英雄の一人フレデリカ・ボルツ。
多忙な彼女は、長期航海に立つ前に、息子にいくつかの謎を残していった。
きっと素敵なものがあるから探してごらん、と。
「で、例のヒントがこの六階にあるハズなんだ。では早速だけど──」
「エドアルト・アウレリア」
言葉を遮ったのは梯子上の彼だ。
エドアルトは視線をあげる。
「おや、すまない。煩かったかな?」
「いいや。でも、それは他人に聞かれてもいい会話かな? 例えば私に聞かれても?」
「君は人の秘密に首を突っ込むような柄に見えないし、そういうのには興味ないと思っていたよ」
「……では彼は?」
「彼だって?」
彼の指した方に目を向けると、本棚の影から一人の少年が現れた。
クロード・ルーカンラント。
荒事を好む北の旧王家の継嗣。
たしか先週もハーファン出身の上級生を決闘裁判で散々な目に遭わせていたはずだ。
「おや、クロードくん、奇遇だねえ!! 良い本と出会えたかい!?」
エドアルトが場違いなほど陽気な声でクロードに話しかけた。
しかしクロードは私たちを無感情な薄水色の瞳で一瞥すると、無言で去っていった。
彼が下の階層へ降りていったのを確認して、エドアルトが口を開く。
「なんだったんだろうね、彼………」
「図書館にこもるタイプには見えないな」
私も図書館には足繁く通っているが、クロードを見たのは初めてだった。
「君たちが目立つから、待ち伏せしていたとか?」
「怖いこと言うね。待ち伏せされた上に難癖つけられて決闘裁判なんて、うんざりだよ」
「君なら喜んで勝負をうけそうだと思ってたよ」
梯子の上の彼──エルリック・アクトリアスは意外そうな顔でエドアルトを見た。
実のところエドアルトは見た目よりもずっと他人の心に対して繊細だし、意外なくらい臆病だ。
大事な人やものを守ろうとする時だけ、彼は必死に自分を奮い立たせて攻撃的になる。
「じゃあそうだな、君たちと友達になりたかった、なんていうのはどうかな?」
「まさか! あのクロードが僕らとかい?」
エドアルトが心底意外そうな声を上げた。
私もあのクロード・ルーカンラントが私たちと友好を育みたいと思っているようには見えない。
「君らはなんだかいつも楽しそうだし、羨ましかったのかも」
「僕らはそんなに不真面目に見えるのかな……いたって真面目な生徒のつもりだったのだけど!」
「たしかにエドは逸脱しがちだし、不埒な生徒だと思われても仕方ないな」
入学してから今までエドアルトのしでかした出来事を思い出す。
最初にやらかした錬金術工房の大破壊から、二週間前の決闘裁判三連戦。
由々しき理由は知っているのだけど、どうしてもこの男は物事を大きくしすぎる。
「いやいや悪口じゃないよ。私から見ても君らが楽しそうで……羨ましかっただけだ」
エルリックはそう言って本に視線を戻した。
「邪魔をして悪かったね。では私はこれで」
そこでエルリックは言葉を切って、また静かに文字を追う作業に戻っていった。
他人の心を推測するときは、案外自分の気持ちを埋めてしまうものだ。
つまり彼は。
梯子の下で、私とエドアルトは視線を交わす。
「……なあ、エド」
「いいさ、ブラド」
どうやら同じことを思っていたらしい。
私は肘で突いて、エドアルトに勧誘を促した。
「エルリック・アクトリアス。君は今夜僕らと一緒に冒険する気はないかい?」
☆
地下の重い湿った空気の中を、看守に先導されて歩く。
幾重にも施錠された扉。
そして、その数倍の監視者。
通路の両脇に並ぶ牢の中には人の姿はない。
今はほとんど使われていない、旧式の牢獄だ。
だというのに、呆れるほどに厳重な警備だ。
最奥の特別房に辿り着くと、私を残して看守たちは去った。
じゃらりと鎖が鳴り、彼がこちらに向き直る。
素朴なイスが一つだけの部屋。
私の古い友人──エドアルト・アウレリアはそこに囚われていた。
「今回は要領がわるかったようだな、エド」
「やあ、こうやって面と向かって話すのも久しぶりだね、ブラド」
昏い場所でも明るい光のようなエドアルトは、そう言って笑った。
「まさか君が吸血鬼疑惑で監禁とは」
「いやはや、僕自身も本当にびっくりしているよ」
一週間に渡る監禁と尋問の後だが、疲れもやつれも見えない。
「どうしてこんなことになったのか当ててやろう」
「へえ、分かるのかい?」
「発端はイグニシアの教会からの依頼、おそらくは吸血鬼がらみの誘拐事件だ」
「おや、ご名答」
誘拐された女性たちを救うために奔走していたら、濡れ衣を着せられた。
おそらくはそんなところだろう。
そう問いつめると、エドアルトは事件の詳細を話し始めた。
「──で、仮死状態の乙女たち十名の入った箱を、取り急ぎ僕の借りていた部屋に送ることになってね」
「他に送り先を思いつかなかったのか……」
「いやいや、ほら、まずは人命救助が大事だと思ったんだよ」
「君は本当に、どこまで愚かなんだ」
思ったとおりの結末。
相変わらず期待を裏切らない男だが、もう年齢も年齢なんだし、どうにかならないのか。
「まさかここまで言い訳がきかないなんてね」
「きくわけないだろう。ウルス辺境伯にして北部総督代理、ハーラン・スレイソンに」
「直々にお出迎えされた上に、直々に尋問されるなんて! さすがの僕でも予想できなかったよ」
今回の吸血鬼は、時々現れる若い吸血鬼とは違うものだった。
血塗れ聖女、あるいは死を貪り喰らう者と呼ばれた、古い吸血鬼。
そんな強大な化物の関わった事件なら、あのハーランも動くだろう。
しかし、その主犯格の吸血鬼が消滅したことは確認済みだ。
兄が追いつめた吸血鬼を、妹が仕留めた形になる。
この兄妹は、どうしようもなく規格外な部分が、あの人に似ている。
「──で、僕のほうも少しだけ情報が欲しいのだけど、いいかな。この事件の吸血鬼がこの学園に忍び込んでいたなんて事実はないよね?」
「ああ、そのとおりだ」
私は返答する際、過去示し合わせておいた「虚偽」を示すサインを送る。
学園長にもエドアルトには真実を伝えて良いと承認を受けている。
エドアルトはどんな拷問を受けようとも口を割らないことを、私は知っている。
「地下祭壇はもう浄化済みだよね?」
「ああ、違いない。たまたま迷い込んだ生徒がたまたま浄化している。空間魔法によって大崩壊は回避済みだ」
今度は目を見て、答える。
これだけでエドアルトには「たまたま迷い込んだ生徒」が誰なのか分かったことだろう。
過保護な彼は、学園きっての魔法使いと竜騎士を妹の番犬代わりにしている。
番犬だけが迷い込むはずはない。
エドアルトには事件の顛末が正しく伝わったはずだ。
「僕のエーリカは元気にしているかな? それに例の彼女も」
「ああ、楽しそうにしている。意外なことにエーリカ・アウレリアとクロエ・クロアキナは仲が良いようだ」
「僕がいない間はあの子たちを頼むよ、ブラド」
もう一度目を合わせて、頷く。
するとエドアルトは少し安心したのか、疲れの現れた表情を見せた。
「しばらくは北が監視することになりそうでね。だから君とエルリックも気をつけてくれたまえ」
「分かっている」
「僕もあと三日すれば、地上に戻れる。それまでは無事でいてくれ」
「君は君の守るべきものだけを守りたまえ」
少なくとも、あの時のようにならないように。
私を殺そうとしたクロードから、どれだけの暴力を受けたのか、忘れたわけはないだろうに。
誰かを守るために、自分が殺されそうになっては元も子もない。
「……もしかして、あれから僕たちを避けていたのは」
「くれぐれもこれ以上の過ちが起こらないことを祈る」
そう言って私は特別房から離れた。
地上へと向かう通路で、暗褐色のローブを纏った十数名の男たちとすれ違う。
彼らは皆、剣を帯び、フードを目深に被って顔を隠している。
その剣士たちは、どこかしら冬のような冷え冷えとした気配を帯びていた。
ハーラン・スレイソンの異端審問官──血啜り殺しの剣士たちか。
秋の万霊節を前にして、この学園に冬からの訪問者が訪れていた。