奇譚蒐集者の会1
血塗れ聖女事件の一週間後。
学園では、あの夜の事件は完全に隠蔽されていた。
例の吸血鬼や、いなくなった学芸員リエーブルについて語るような人間はいない。
生徒会のメンバーが地下遺跡の祭壇浄化に協力したとか、しないとか。
そのときに空間崩壊がおこりそうになったとか、ならないとか、そんな程度だ。
そういえば、あの吸血鬼が受け取るはずだった十人の乙女の件も。
こちらも解決済みなのだという。
昨晩それぞれの家に戻ってきたという話を、パリューグから伝え聞いている。
誘拐事件を追っていた騎士や錬金術師により助け出されて無事を得たのだろう、とのことだ。
そうして私も、ごく普通の日常に戻りつつあった。
放課後、クラウスとオーギュストに必ず捕獲されることを除いては、今まで通りである。
一週間で、この二人を撒くことは実力上不可能と理解した。
最強タッグに左右を固められるのはこの上なく安全ではあるが、息苦しい。
「今日は大厩舎で竜と遊ぼうぜ。ブランベルとブライアもお前に会いたがってるし」
「それとも鍛錬か。お前はもう少し戦い方を考えたほうがいいからな」
どちらも悪くはないが、三日前に竜とたっぷり戯れ、昨日一昨日クラウスにしごかれている。
今日は自室にもどってゆっくりしたいところだ。
水薬の生成練習を口実に、二人のやんわりした監視から逃れよう。
「ええっと、今日はですね、はやめに自室に──」
そこまで言いかけて、視界の端に焚き火をしている人々を見つけた。
学舎側の木の下に、アクトリアス先生、クロエとベアトリスが見えた。
三人で仲良さそうに歓談してる。
捕まった宇宙人みたいに左右を固められている私としては、かなり羨ましい。
あっちに混ざることは可能だろうか。
「あちらに焚き火をしているアクトリアス先生がいらっしゃいますね」
「アクトリアスか。たしか、あいつは野外調理が得意だったな」
クラウスはアクトリアス先生とも一緒に行動することが多かったから、知っているのかな。
日頃のドジっぷりから料理は苦手そうだと思いこんでいた。
でも授業で頻繁に魔法生物調理ネタが出てきたし、意外ではない。
なにを焼いているのかわからないけど、美味しそうな香りが漂っている。
季節的に栗かな?
「クラウス様、オーギュスト様、私も三十分くらい混ざってきていいですか?」
「いいぜ。アクトリアスが一緒ならば安全だろうしなー」
「なら、その間に例の設定をしておくか……」
クラウスのいう例の設定とは、無限回廊の起動タイミング変更の設定のことだ。
まだ少しだけ確認したい事があったので、起動設定の変更を私が願いしたのである。
意外なことにあっさりクラウスは承諾してくれた。
禁止ばかりすると私が勝手に何をしでかすか分からないので、協力してくれるらしい。
「ありがとうございます!」
そうしてクラウスとオーギュストから解放されて、焚き火をしている三人の元へ軽い足取りで向かう。
二人には悪いけど、なんという開放感。
「あ、エーリカさんだ」
「エーリカ様!」
クロエとベアトリスが手を振ってくれたので、振り替えす。
少し遅れて気がついたアクトリアス先生は、目が合うとにっこりと微笑んでくれた。
「皆さま、焚き火ですか?」
「ええ、授業で余った教材を少し食べちゃおうかと思いまして焚き火をしております」
「秋らしくて素敵ですね」
お芋や栗じゃなくて教材──魔法生物の処分とは。
アクトリアス先生は微笑みながら、小枝を差し出す。
細長い枝の先には化け茸が三個ほど刺さっていた。
「さあさあ、エーリカさんも……おっと、なかなか癖が抜けませんね。ではアウレリアさんも、どうぞどうぞ」
「これは……」
「化け茸です。こんがり焼きましたよ」
焼き具合は程よくきつね色。
顔も書いてないしギリギリいけそうな感じだ。
すこし躊躇を感じるが、焼きキノコの串を受けとってみる。
「ありがとうございます。いただきますね」
私は覚悟を決めて齧りつく。
旨味が濃い。
ゲテモノ感あるキノコだったが、意外なくらい美味である。
「……美味しい……!」
「よかった。口に合いましたか」
もぐもぐしつつコクコク頷くと、アクトリアス先生はほっとしたように笑った。
私はかじりつきながら、三人が手にしているものを見る。
ベアトリスは焼きキノコで、クロエは焼き白色ワームである。
「クロエさんは白色ワーム、平気なの?」
「ん……うん、美味しいよ」
たしかに火が通っていると、白いソーセージみたい。
それなりに美味しそう。
とはいえ、例の夜のことを思い出すと、なんとも言えない気持ちになってしまう。
「はい、エーリカさんもどうぞ」
「いえ、その色々なことがあってちょっと……」
「あ。……そ、そっか……そうだよね」
クロエが差し出しかけていたワームを引っ込めた。
「ああ〜、大量発生してしまったのは怖かったですしね」
「いえいえ。ちょっとだけびっくりしましたけど、見るだけなら平気ですし」
アクトリアス先生に、誤魔化しつつ返答する。
例の悪性変異していた白色ワームのことは言えないものね。
「そうですか。なら良かったです」
アクトリアス先生がのほほんと笑ってから、パチパチと脂のはぜる焼き白色ワームを齧る。
私も残りの焼きキノコを齧る。
そうして四人で食べながらぽつぽつと世間話をした。
「そういえば先生、お兄様はまだ学園にはもどってないのですか? 」
「はい、困難な問題なんでしょうねえ……でも大丈夫、エドアルトなら平気ですよ」
「ええ、兄ならそうでしょうね」
「……寂しいですか?」
「少しだけ。昔からよくどこかに出かけてしまう兄だったので慣れております」
まだ兄は別途のお仕事が長引いてるらしく、授業に復帰していないのだ。
面倒事に巻き込まれているのかなあ、お兄様。
強いから心配はしていないんだけど、久しぶりにお気楽なお兄様の笑顔が一目みたいのである。
「クロエちゃん。もう、探しモノは全部見つかった?」
「ううん。でも手がかりは見つかったかも」
「そっかぁ。よかったね」
ベアトリスはクロエのことが気になっていたらしい。
おそらくクロエの探し物は、彼女の兄の行方の手がかりなのだろう。
「そうだ。グラウさんは最近変わったことは無い?」
「は、はいっ、エーリカ様! 日々平穏です! 例の子たちも今はとても優しいですよ!」
例の濡れ衣事件の被害者たちは和解できたらしい。
喜ばしいことである。
「よかったわ。なら安心ね。学園は楽しめてるかしら?」
「はい、魔法の勉強がとっても楽しいです! 最近は独学で極々短時間の未来視を会得したんですよ!」
「すごいよね〜、ベアトリス」
独学で短時間未来視なんて、相当な教育と才能が組み合わないとあり得ない。
この子も、さりげなく天才の部類なんだろうか。
「未来視なんて、とても高位の魔法なのではないかしら?」
「らしいです。でも過去視のほうはぜんぜん適性が無いらしくて。性格が前向きなうえに、執着がなさすぎるせいだろうってクローヒーズ先生に呆れられました……人生に欠片も後悔がないのかね、能天気が過ぎるのではないかねっていわれちゃいまして……」
複雑な身の上なのに、前向きで明るいのは良いことだと思う。
でも、この過去視・未来視の能力、下手に発動すると新たなる死亡フラグになってしまうのでは?
とはいえ楽しそうなベアトリスに魔法学習を控えるようになんて言えないよね。
いじめの件が解決しても、まだまだ警戒態勢が必要なのかもしれない。
私は透明化してベアトリスを警備しているティルナノグを探して見回す。
後でこの件を相談しよう。
「あっ、そろそろ今年も万霊節の準備でしたね」
それまで私たちの話をニコニコしながら聞いていたアクトリアス先生が、はっとした表情を浮かべる。
「大きめの化け茸も仕入れなければいけませんでした。明日には頼んでおかないとですね!」
「大きいと大味なんでしたっけ?」
「ええ、クロアキナくん。でも味付けを工夫すれば美味しく食べられるんですよ」
「えっ、クロエちゃん大きいのも食べる気なの?」
それから大きな化け茸の調理方法についてアクトリアス先生が説明を始めた。
(お料理好きなんだな、先生。細やかで丁寧な人だし、納得かも)
それから他の魔法生物の調理方法などなど。
ひさしぶりに、日常らしい日常を味わった感じだ。
そうして三十分ほどまったりと気を抜いた後、私は立ちあがった。
「ごちそうさまでした。そろそろお目付役の方々のところへ戻りますので……」
そのタイミングで、私はそっとクロエのポケットに紙片を忍び込ませた。
当然、クロエは気がついただろう。
彼女はそういうヒトだ。
クロエに渡した紙片には「明後日放課後。学舎の回廊にて待つ」とだけ書き込んでおいた。
☆
約束の日の放課後。
私とクロエは二人で学舎の回廊にいた。
当然、雪銀鉱の装身具は外してもらっている。
夕刻だが、前と同じ手順で、無限回廊は簡単に発生してくれた。
クラウスとオーギュストは中庭で待機している。
人払いもお願いしたので、この学舎の回廊には今、私とクロエしかいない。
「これが七不思議なんだ……! ほんとうに歩いても歩いても出口に着かないんだね」
「ええ。この先に、どうしてもあなたに見てもらいたいものがあるのよ」
正確には、クロエに協力してもらって確認したいことがあるからだ。
クラウスの予想だと、あの鏡には因果が関連する。
私によって私の母が現れたように。
ならば、クロエによって因果が繋がるなら、鏡の向こうのシグリズルはルーカンラント公爵夫人と確定する。
クラウスとオーギュストも、うっすらとクロエの身元は知っているらしく、この方法に頷いてくれた。
そうして私はクロエと二人で回廊を歩く。
廊下に落ちる影が並ぶ。
何度も巡っていると例の蝶のような光が発生した。
その場所にあるドアを開ける。
前回と同じ部屋だ。
鏡もある。
「これは現在と過去、あるいは未来を繋げる魔法の鏡なのよ」
「……魔法の鏡?」
「この鏡を起動させると、過去の人と話したり、あるいは姿を見たり、声が聞こえるかもしれないの」
迷惑なことをしているのかもしれない、とは分かってる。
でも、どうしても確かめておきたかったし、出来ればクロエに見せたかった。
私は、水薬をあおってから鏡に触れてみた。
魔力を吸い込まれる感覚に眩みそうになる。
「これだけじゃ繋がらないかな……」
魔力供給源としてクラウスには敵わないしなあ。
それにドロレスの姪であるベアトリスも呼べばよかったのかもしれない。
でも、これはクロエと二人で試したかった。
クロエの身元をあまり他の人々に広めないためにも。
「ごめんなさい、クロエさん。今日は失敗だったみたい」
「ううん。エーリカさん、声が、聞こえてきたよ……これが過去の人たちの声?」
「クロエさん、聞こえるの?」
クロエの言葉に私は耳を澄ました。
でも、その声は遠すぎて、私の耳には微かにしか聞こえなかった。
鏡はいつの間にか雨に濡れたような状態になっている。
霧雨の降る向こう側の世界に、灰色の人影が映る。
「これに魔力を供給すれば、もう少し声が聞こえたり見えたりするようになるの?」
「ええ」
「……私もやってみるね」
そう言ってクロエは鏡に触れた。
びくりとしてから、クロエもまたよろめいて床に手をつく。
鏡が、青みを帯びたような気がした。
すうっと雨音が遠のいていく。
たくさんの小鳥が飛び立つ音、それに沢山の果実が木から落ちるような音が響く。
そして、曇りのない鏡面に、私によく似た顔立ちの少女が映った。
フレデリカ・ボルツ。
前回と違って、曇りに邪魔されることなくその顔を見ることができた。
(ああ……私は本当に母に似ているのだな)
次に、クロエによく似た顔立ちの少女が現れた。
シグリズルだ。
どうやら私たちの予想は正解だったようである。
「あれ、今さっき、鏡に誰か映ったよね、シグリズル?」
「いいや、この鏡にはなにも映らないし、映ったとしてもまやかしでしかない」
「そうかなあ……そうじゃないと思うんだけどなあ。昔一回繋がったしさ」
フレデリカはこちら側を一生懸命覗き込んでいた。
彼女にはこちら側が見えないらしい。
どうやら過去から未来との接続はとても難しいのだろう。
シグリズルは、興味無さそうにこちら側を一瞥すると横を向いてしまった。
「もし未来の可能性の一つが見えたとしても、それは人の惑いを生む」
「ははは、まあ、そうだね」
「そんなものは邪悪でしかない。違うのか?」
「そうかもね。でも未来推測だって悪くないじゃないか」
クロエは身動きもせずに、鏡の向こうを覗いていた。
相変わらずその感情は読みづらい。
彼女は、今どんな気持ちで過去を見つめているのだろう。
しかし、鏡は次第に曇っていく。
「そのお陰で私は随分力づけられたしね」
「何を見た?」
「多分、自分の娘。悪いものじゃなかった」
「娘か。まさかお前が人の母になるとは、笑い話のようだ」
「だよね? だからこそ私は──」
雨音がフレデリカの言葉を遮る。
過去の少女たちがまた霧雨の向こうに消えていく。
「因果で結ばれた相手が、映りやすいらしいわ。おそらく彼女たちは私たちの血縁者よ」
「うん、分かる……たぶん、あの子は、私のお母さんだとおもう。もう一人はエーリカさんのお母さんだよね?」
私は静かに頷いた。
「昔のお母さんが、鏡の中では同い年くらいなんて」
もう一度、あの人を見ることができた。
双方向でないのは残念だったが、声を聞いたり姿を見ることができただけでもありがたかった。
「もうほとんど覚えていないのに……こんなに懐かしい気持ちになるなんて」
記憶にほとんど無いはずなのに、懐かしい。
私も同じだ。
「私、自分のお母さんの顔は覚えていたけど、話した記憶がぜんぜん無くて」
「私も母の記憶がないのよ。歌声だけはしっかり覚えていたけど」
クロエと目があう。
泣きそうな笑い顔。
「……私たちって、ちょっと似てるね」
クロエはぽつりと呟いた。
「そうかもね」
私は頷いた。
公爵家の娘で、母を失っていて、これから起こることのために幼い頃から備えてきた。
そして、決して公にはできない秘密ばかりを抱えている。
どこか似ていて、それでいて違う。
私はクロエに手を差し出してみた。
彼女は目を見開き、私とその手を交互に見つめる。
「あの時はもう関わらないって言ってしまったけど……今からでも友達にならない?」
クロエは眼を何度か瞬かせた後に、花のように笑った。




