首無し王子の霊安室9
「ええ、まずはですね」
クラウスの威圧に負けじと、私は明るめの口調で説明を開始した。
「死の世界への階段を調べに博物館を彷徨っていたら、こちらのクロエさんと同行することになりまして──」
七不思議探索から転移までのざっくりとした流れを話していく。
クラウスは鬼の形相のままだ。
「──というわけで、地下にいきなりの転移したのです。転移先はここから三階ほどの下の層でした。そして遺跡を脱出するために移動中に、同行していた学芸員さんが実はアレと発覚しまして……」
「アレ、か」
クラウスの声は、いつもより低かった。
吸血鬼をアレで誤魔化したが、ダメだったんだろうか。
「そうして、邪悪なる祭壇に捧げられる嫋やかな乙女十二人に加えられそうになったのです! それはもう本当に心細くて怖かったのですよ……ねえ、クロエさん?」
「っ!? ……え、ええ、エ、エーリカさんの言うとおりです」
クロエに話をふると、彼女は少し吃りながらコクコクと頷く。
次に、吸血鬼が饒舌だったお陰で、運良く弱点に気がついたことを説明する。
もちろん、長期に渡ってがっつり戦闘していたことは省いた。
それはあとで説明すればいいだろう。
「それで、恐怖のあまりついうっかり吸血鬼の口に鞄をねじ込んでしまいましたの。ね、クロエさん?」
少しだけ間を置いてから、ぶんぶんと首を縦に振って同意してくれるクロエ。
ちらっとクラウスを見る。
魔王もかくやという目付きが怖すぎて、うっかり目をそらしてしまった。
「大体は理解した」
クラウスの声のトーンがさらに一段低くなった。
心配してくれているのはわかるが、やっぱりこういうときの恐さが半端ないな、この人。
「すると、アレはそういうことなのか……早急な対処が必要そうだな……」
「いやはや、申し開きもございません……ってアレ?」
クラウスの指さす先を見る。
吸血鬼のいた場所の空間がさらに歪みを増していた。
えっ? なんだアレは〜〜〜!
「多く見積もってあと二分、か」
「それって、どういうことですか?」
「あの歪みの中心から爆発的な空間崩壊が起こる。放っておけば半径二キロほどを飲み尽くすだろうな」
そういえば崩壊するはずだったのにな、とは思っていたけど。
半径二キロ?
どれだけ大規模崩壊なんですか。
「ええっ! 大丈夫なんですか!?」
「大丈夫じゃないから、お前の言い訳を聞きながら準備していたわけだ!」
クラウスはローブに手を突っ込んで、圧縮していた長杖を取り出し、呪符をバラまく。
崩壊空間を中心に、呪符が球形の結界を展開していく。
最後にクラウスが鋭い音を響かせて長杖を床に突き立てると、呪符は銀色を帯びた蒼い光を発した。
次の瞬間、崩壊空間の中心から鮮烈な黄金の光が広がった。
光に飲み込まれた全てのものが、音もなく消失していく。
こちら側には一切の被害はないが、結界を維持しているクラウスはかなり辛そうだ。
あ、あれ?
なかなか光が納まらない。
この崩壊っていつまで続くの?
☆
光の奔流は三十分ほど続いて、ようやく納まった。
クラウスはようやく安心した様子で、額に浮かんだ汗をローブの裾で拭う。
「一時は全滅かと思ったが、なんとか間に合った……」
「クラウス様、よろしければこれをどうぞ」
地面に転がっていた魔力補充用の水薬を三本ほど拾って渡すと、クラウスは焦点の合わない虚ろな眼で飲み干していった。
さっきのあの厳しい目付きは、緊張のせいだったようだ。
魔王扱いして、なんだか申し訳ない。
「エーリカには色々聞きたいことも言いたいことも沢山あるが、まずは地上に戻ってからだな」
オーギュストが巻物を取り出して呪文を詠唱すると、金色の魔法陣が地面に広がる。
たしか、この魔法陣は教本で見たことがある。
「オーギュスト様、もう召喚魔法が使えるようになったんですね!」
「やっと実技を試していい許可をもらったところなんだ」
清らかな光が溢れると同時に、馬ほどの大きさの赤竜と白竜が二頭現れた。
赤竜ブライアに白竜ブランベルだ。
久しぶりに会ったブランベルが、目をキラキラとさせながら私の胸元に顔を寄せてきた。
うしろでブライアがキューキューと仔竜みたいなか細い声で鳴きながら、こちらを窺っている。
この子たち、大きくなっても性格は変わらないみたいだ。
「まったく、ブランベルは調子がいいなあ。しょうがない、この子にエーリカたちは乗ってくれ」
「は、はい……でも私の荷物はどうしましょうか」
「うーん、すごい量だよな。あれを放置はないな」
オーギュストが小山になっている私の荷物を見て、呆れ気味な声を上げた。
「クラウス、まだ魔法でどうにかなるか?」
「……ああ、簡単な軽量化と圧縮くらいは……やれる。その中の毛布で……包んでいけばいいだろう」
オーギュストが尋ねると、虚ろな表情のままクラウスが答える。
こんな状態なのに大丈夫なのだろうかという心配をよそに、ふらふらしながらクラウスは荷物に魔法をかけた。
すると私の大荷物は八分の一くらいの分量に縮まった。
「三時間……程、この状態が……維持、できる。落とさないように、気をつけておけ……」
荷物の梱包を済ましてから、私は白竜ブランベルにティルやクロエと一緒に騎乗した。
赤竜ブライアにはオーギュストと疲れきって虚脱しているクラウスだ。
そうして竜に運ばれて、私たちは遺跡を駆け昇っていく。
ある程度、上層に近付くと、例の大きな亀裂のような空間で一気に昇ることが可能だった。
思ったよりずっと速く地上まで辿り着けそうだ。
オーギュストに先導されて、遺跡の亀裂を抜ける。
遺跡の上層の五層ほどは、何故か武器庫や道具庫、食料庫や簡易宿泊所があった。
おそらく遺跡で何かが起こった場合、ここに修道騎士が宿泊したりするのだろう。
それらの区画を横切り、オーギュストの竜は地上階への出口へと向っていく。
出口の先は、学園内にある聖堂だった。
こんなところが遺跡への正規の入り口になっていただなんて、驚きである。
「聖堂を出たら一旦解散して、各自の寮に帰ろう。私はブライアやブランベルと一緒に厩舎に寄って行くよ」
聖堂を抜けようとすると、入り口付近に二つの光が見えた
仄かな灯りは、長杖に灯された魔法の炎だ。
嫌な予感がして、クラウスやオーギュストと顔を見合わせる。
二人は無言で首を振った。
「そこに居るのは生徒たちかね。そんなところで何をしているのだね?」
「そうか、よりにもよって君たちか……」
魔法の灯りを掲げながら近づいてきたのは、トゥール学園長とブラドだった。
どうやらクラウスよりも更に怖い人たちに見つかってしまったようである。
☆
私、クロエ、クラウス、オーギュストの四人は、学園長室に連行されていた。
私の荷物は先にティルナノグに自室に運んでおくように指示済みだ。
椅子に座った学園長の横には、眉間の皺がクレヴァスみたいになったブラドが立っている。
恐るべき二人を前にして、私は一歩前に進み出た。
事件について話すためだ。
内容はクラウスやオーギュストにしたのと同じ。
私が主犯であり、クロエが偶々巻き込まれ、生徒会の二人は探索してくれたとして話を進める。
「エーリカ・アウレリア、君は自分の証言の意味を理解しているのかね?」
「まあまあ、クローヒーズ。ここは穏便に」
途中、何度もブラドから叱責されては、学園長がなだめるパターンが繰り返された。
さすがに吸血鬼戦の下りになると、ブラドは静かになり、学園長も深刻そうな面持ちになっていた。
私の説明が終わると、次にクラウスが遺跡の空間の状態とその対処方法を説明した。
最後に、オーギュストが帰還のために竜を二頭召喚したことを補足する。
「なるほど……空間の歪みはこちらでも観測している。君たちの言っていることは真実だろうね」
学園長がしばらく考え込んだあと、ブラドに耳打ちをする。
告げられた言葉に、ブラドは眼を見開いた。
「学園長、それは……」
「すまないね。頼むよ」
学園長は穏やかだが、揺るがない意思をもった眼でブラドを見つめる。
ブラドが渋面で何かを了承すると、学園長が再び私に向かって口を開いた。
「その血塗れの聖女と呼ばれた血啜りは、私の仇でね。五十年前に、私の友人が殺されているのだよ」
この椅子に座っていたのに見逃していたのか。
そう呟いて、学園長は手のひら上に青い炎を浮かべる。
悔恨と自嘲の混じった複雑な声色。
「そう……あの血啜りはただ一人の生存者として生き残り、その後失踪する。そうすることによって、人の心に疑心暗鬼を植え付けようとしていたのだろう」
私はあの時のクロエの話を思い出していた。
吸血鬼と交戦した生存者が二か月後に失踪した、という話があったはずだ。
生存者は記憶を改竄された状態で吸血鬼に取り込まれていた、ということなのだろう。
「エーリカ・アウレリア、君には感謝している。ただし、この件が公になれば、君に多大な不都合が及んでしまうだろう。そのようなことは絶対ないように取り計らわせてもらおう」
「は、はい……」
叱責されることや、もしかしたら停学もありえるかと思っていたのに、想定外の事態になってしまった。
学園長は握り込むようにして、炎を消す。
「まずは審問を回避するためにも血啜りが関わっていたこと自体を隠蔽する必要があるだろう。異端審問官については知っているかね?」
「名前だけは知っています。詳しくは知りません」
私が首を横にふると、学園長は簡単に説明してくれた。
今回のように強力な吸血鬼と接触のあった人間は、異端審問官による審問が行われるらしい。
本物の生存者なのか、生存者に化けた吸血鬼なのかを判断するのが目的なのだそうだ。
しかし、それは審問という名目での軟禁・拷問なのだという。
灰色だとしても黒として認定されるような、なかなか厳しいものらしい。
「遺跡へ偶々迷い込んだのではなく、学園から依頼されて博物館の探索を行った結果、不浄の魔法陣を発見した。その処理の際、誤って空間が破損してしまった。首謀者の血啜りには遭遇していない、と報告することにしよう……いいね?」
「は、はい……」
それは私にとっても好都合な話だった。
「無罪放免か……」
「まさかの偽装工作……」
私の後ろに控えていたクラウスとオーギュストがぼそっと呟いた。
いや、私だってびっくりですよ。
倒した吸血鬼がたまたま大物だったおかげで、何事も問われない展開になるなんて。
「あとは、そうだな。君には鞄を補填しておこう。無いと不便だろうしね」
学園長はそう言って、私物らしい小振りの革鞄を取り出した。
それにはトゥール家の紋章がついていた。
「ええっ!? これは、まさか」
「私のお古で申し訳ないが」
空間拡張のみならず軽量化魔法、さらには時間遅延魔法まで組み込んである最高級品。
欲しかったけれど、とんでもなく高価な上、仕上がりに時間がかかるので入手できなかった逸品だ。
「いいえ、とんでもないです! むしろこんな高価な品物は受け取れません!」
「私からの感謝の印だよ。どうか受け取ってくれたまえ」
今回は大損覚悟だったのに、収支が大幅にプラスになってしまった。
さすがに今回はやらかしてしまったと思っていたのに、完全に想定外である。
「さて、朝も近いし、そろそろ自室に帰りなさい。ただし、今夜のことはくれぐれも内密に」
そうして学園長とのお話は終わったのであった。
学園長室を出ると、ブラドは私をちらりと見て深いため息をついた。
ブラドはクロエを中央寮、私を西寮へ送る役目を振られていた。
「君たちも各自の寮へなるべくはやく帰るように」
ブラドがクラウスとオーギュストに指示を出す。
「エーリカ、お前の素行については俺がもっと指導せねばな……いいな?」
「今回みたいな件もあるし。少しだけは自重しておいたほうがいいかもなー」
別れ際にそんなことを言って二人は廊下の闇の中に消えて行った。
そうして私は、ブラドの後ろをクロエと並んで帰路についた。
今夜起こったことについて、もっとクロエと話したかったけど、こんな状況では難しそうだ。
学舎を出て肌寒い夜空の下、三人でまずは中央寮へ向かう。
「怒らないんですか? 私、先生の警告を無視してしまったのに」
クロエがブラドの背中に向かって問う。
「北の血を引くものは、退歩が苦手なものだ。……迷惑極まりない特性だ」
ブラドは振り返らずにそう答えた。
私は、そのまま二人の会話を聞き続けた。
「だが、それでも気をつけたまえ。君は複雑な立場なのだから」
「はい」
「どんなに自分の力を信じていようと、空が落ちるような、地が裂けるような事態に抗うことは、何人にもできないのだから」
「……はい」
ブラドは淡々と注意をしていった。
なんだか落ち着いた優しげな口調で、それは今まで知っている彼とは随分雰囲気が違っていた。
「アウレリア、君もだ。他人事でない。むしろ君が主犯だったはずではないのかね?」
「あ……は、はい……」
いきなり自分にも話題を振られたので、私はびっくりしながら答えた。
まあ、たしかに他人事ではないな。
そうしてクロエを中央寮まで送った後に、西寮へ向かった。
ブラドの背中を見ながら、私は少し後ろをついて歩く。
寮の玄関に辿りつくと、ブラドが振り返る。
長杖に灯された青ざめた光に、彼の陰鬱そうな顔が照らし出された。
「君たち〈来航者の一族〉もまた、己の求めるものの前では何をも省みないところがある。くれぐれも踏み外すことの無いように」
ブラドは苦々しそうに眉間に皺を寄せながら、そう言って去っていった。




