首無し王子の霊安室8
短杖が七十二本。
巻物が二十巻弱。
水薬が百壜と少々。
さまざまな魔法道具。
さまざまな錬金術素材。
食料に毛布、その他生活雑貨。
革鞄をひっくり返すと、たくさんの物品がぞろぞろと雪崩るように出てきた。
その中から、ありったけの水晶塊の杖を収納の手袋やホルダー、ローブのポケットなどに詰め込んでいく。
用意を終えて、もう一度戦況を確かめる。
クロエはリエーブルの繰り出す触手と激しい攻防を繰り広げていた。
瞬間的な速度ではクロエが上回っているが、リエーブルは手数でカバーしている。
今はまだ紙一重の均衡状態が保たれているが、長引けばどうなるか分からない。
ティルナノグは、〈猟犬〉を次々に打ち倒していた。
しかし、湧き出るような〈猟犬〉から私を守りながらでは、クロエの援護を行うのは難しそうだ。
「ちょっと待って! 話を聞いてちょうだい! 平和的に解決しましょう、ね?」
『ね? 待って、聞いてちょうだい』
『平和的にね、解決しましょう? ね?』
『ちょうだいね?』
触手に生えた顎のいくつかから、リエーブルに似た声が響いている。
日常の一幕でリエーブルが呟きそうな口調だ。
「お願い、落ち着いて? 私たち、きっと分かり合えるわ!」
『もっと平和に、生贄を確保したいの』
『きっと、きっと、きっと、分かり合えるわ』
『お願い、落ち着いて? お願い、落ち着いて? お願い、落ち着いて?』
温和で好奇心旺盛だったリエーブル。
蜘蛛の歌がもう一度聞きたいと言っていた彼女。
今更ながらに、私は気がついた。
吸血鬼によって彼女の人間性が玩具にされていることに。
おそらく、この捕食者とは分かり合えそうにないし、分かり合うなんてごめんだ。
私は吸血鬼を仕留めるためのタイミングを計る。
失敗するわけにはいかない。
二人をつぶさに観察し、機会をうかがっているうちに、リエーブルの悲鳴が響いた。
「……ひっ!!」
クロエがリエーブルの心臓を貫いたのだ。
勝負がついたのだろうか?
しかし、ミシミシと音を立てて、リエーブルの胸は雪銀鉱の長剣を飲み込んでいく。
クロエが力づくで引き抜くと、剣は刀身の半ばで噛み砕かれていた。
リエーブルの胸に開いた顎から剣の破片が散弾のように吐き出され、クロエは大きく飛び退いて避けた。
「残念だわ。残念だわ! せっかく十二人揃いそうなのに──なんだか私、今とても空腹で、我慢できそうにないの!! 本当に残念だわ!」
そう叫ぶと、リエーブルのスカートの裾から奔流のように黒い肉が溢れ出す。
彼女の下半身は三、四メートルほどの長さの無数の触手の塊と化していた。
戦闘で昂って理性の崩壊した吸血鬼は、合理よりも食欲を優先したらしい。
長剣を破壊されても、クロエはたじろぐことなく、新たに短剣を抜いていた。
折れた雪銀鉱の剣との二刀流でリエーブルの触手を切り払っていく。
クロエはギリギリで避け続けているが、明らかに先ほどより押されている。
間合いを潰された上に、リエーブルの手数が数倍に増えたのが致命的だ。
相手がもう二、三百年ほど歳若い吸血鬼だったら。
取り込んだ魂の数が少なければ、きっと、クロエの勝ちだったろう。
しかし、先ほどの話が本当ならば、リエーブルに化けてる吸血鬼は年を経過ぎている。
五百年かけて取り込んだヒトの魂全て殺し尽くさなければ、アレは殺せない。
それまでにクロエの体力が尽きたら、誰も彼女を守れない。
だから──。
「クロエさん、お願い! できるだけ遠くへ離れて!」
クロエがすぐさま後ろに飛び退いた瞬間に、リエーブルへの一斉射撃を行った。
総数二千発の水晶槍を同時に放つ。
しかし、敵を粉砕するはずの槍は一斉に粉砕されてしまった。
触手や〈猟犬〉を構成する肉塊に隙間なく生えてきた顎が、水晶槍を噛み砕き、飲み込んでいく。
ここまではギリギリ想定内。
このくらいでは、あの怪物を倒せないのは分かっていた。
狙いは別にある。
「これって……」
祭壇に突き刺さった一本の水晶の杭に気がついたリエーブルが、恨めしそうに私を睨んだ。
その杭を、触手が引き抜き、噛み砕く。
「この、たった一発の祭壇への攻撃が本命で、あとは全部目くらまし? ずいぶんと姑息──」
リエーブルが言い終える前に、私はリエーブルと祭壇の両方に向かって、先ほどよりも大きな水晶塊を打ち込んだ。
今度は彼女も即座に反応し、自分を狙ったものだけでなく、祭壇を狙った水晶塊も受け止めた。
「よくわかったわね、何が私にとって大事なのか。ねえ、お願い、やめてちょうだい?」
私は答えず、丸太ほどの大きさの水晶の槍を、露骨に祭壇を狙って撃ち出す。
すると、リエーブルの胸から足のあった部分までが巨大な顎に変わり、赤い花のように開いた。
巨大な顎は丸太大の水晶槍をやすやすと呑み込み、これ見よがしに咀嚼する。
真っ白な歯に縁取られた紅い喉の奥には、底のない暗黒が覗いていた。
私は霊視の魔眼で確認する。
思ったとおり、その暗黒の中で空間拡張らしき魔法が働いている。
「最初の奇襲のときにその攻撃を混ぜ込むべきだったわね。残念だけど、もう通用しないわ。私、あんまり怒りたくないの。こんな不毛なこと、やめましょう?」
「あら、怖いんですか?」
私は最後の一撃を組み上げていく。
速度、貫通力などは低くても充分、誘導能力は不要。
ただひたすらに、大きくて重ければそれでいい。
床や天井を破壊し、その瓦礫を結晶の中に取り込みながら、極大の水晶の杭を作り出す。
直径二メートル、長さ十五メートル。
その巨大な水晶杭が結晶化していく途中で、瓦礫に紛れさせつつ空の鞄を蹴り入れた。
これが替えの効かない大本命だ。
「いくら祭壇が大事とは言え、自分の命と引き換えにはできないでしょう。あなたが本当に言い伝え通りの怪物なら、これくらい大した事ないと思うけど」
私は言葉を切って、くすりと笑う。
「言い伝えほどでないなら、その醜い触手を巻いて逃げたほうがいいわよ?」
「……っ!!」
リエーブルの姿をした吸血鬼は、ピクリと頬を引き攣らせた。
よかった、すこしは苛ついてくれたようだ。
我ながら下手な挑発だとは思うが、感情が少しでも動かせれば及第点だ。
「受けるか避けるかの二択。好きな方を選びなさい、吸血鬼!」
革鞄を取り込んだ巨大な水晶杭が射出される。
避けずに飲み込むことを選んだ吸血鬼は、全身を巨大な口に変えた。
大質量が巻き起こす空気の渦もろとも、暗黒の口腔は巨大な水晶をいとも簡単に飲み込んでいく。
言い伝え通りの異常な怪物。
私の渾身の一撃でも、古い吸血鬼には一筋の傷も負わせられないようだ。
元の姿に戻った吸血鬼は、涼しい顔で笑う。
「ほら、分かったでしょう? これでもう諦めて、大人しく……ぐっ!?」
そんな余裕の表情がにわかに歪み、吸血鬼はガタガタと震え始めた。
大枚はたいた小細工は、有効だったようだ。
「あなた、何かしたわね……?」
「死を貪り喰らう者は、体内に無限の空間を保持しているという話でしたので、空間拡張済みの鞄を水晶に封じて投げ込んでみました」
吸血鬼は目を見開いた。
「なんて……愚かなの……そんなことしたら、どんなことになるか、わかって──」
無限拡張された空間に別の拡張された空間を入れると、拡張空間を中心に空間崩壊が起こる。
クラウスはそんなことを言っていた。
ならば、体内に無限をもつ怪物だって崩壊するだろう。
全ての顎から、身の毛もよだつ悲鳴が上がる。
『あ! あ! あ、あ!』
『あ、あ、あぁぁあああああああぁ!!!!』
『あ! ああ、あああ!』
『いやあぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!』
その直後、悲鳴ごと吸い込まれるかのように、一斉に顎が内側に向かってひしゃげた。
吸血鬼本体の腹部を中心に、周囲の空間に大きな亀裂が走る。
吸血鬼は自分の腹から不自然に膨れた〈猟犬〉に似た肉塊をいくつも引きずり出す。
肉塊は吸血鬼の体から離れると、体の中心に吸い込まれるように、ぐしゃりと潰れて消滅した。
「だめ、だめだわ!」
『だめ、だめ、だめ、だめ、だめ、だめ!!!』
「こんなんじゃ、 間に合わないわ!!!」
『だめ、だめ! あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
吸血鬼は自身の崩壊を避けるため、内部空間を切り離そうとしているようだった。
しかし、その努力もむなしく、とうとう腹に突っ込まれた吸血鬼の腕ごと空間の亀裂に呑み込まれてしまう。
吸血鬼の顔が恐怖に引きつる。
その刹那、まるでガラスが砕けるように彼女のいる空間が割れた。
すぐに景色は元通りになるが、吸血鬼の姿は影も形もなくなっていた。
よく見ると、彼女のいた空間そのものがくり抜かれたかのように、壁や床が不整合に歪んで繋がっている。
残された〈猟犬〉や黒い触手は、徐々に力を失い、ただの肉塊へと戻っていった。
「けっこうあっけない……かな」
ティルナノグは、腕や首に食いついていた〈猟犬〉だったものを払い落とし、振り向いた。
『仕留めたようだな』
「ええ、どうにかね。ねえ、ティル、また元の大きさに戻ってもらえるかしら?」
『大丈夫なのか?』
「こちらに敵意がないことを示せば、分かってくれるはずよ」
『その結論には大いに疑問があるが……お前はそういう奴だったな』
私がお願いすると、ティルナノグはクロエを一瞥してから小さな姿へと戻った。
そして私はティルナノグを連れて、クロエに近付いていく。
クロエは、半ばから折れた剣を大事そうに鞘に仕舞っていた。
目が合うと、彼女は静かに目を伏せた。
「さっきは疑ってごめんね」
「いいえ、仕方ないわよ。実際、私は十分に怪しかったもの」
むしろ、今のほうが怪しい気もする。
こんなゴーレムとか大量の攻撃用短杖とか、ちょっと言い逃れできそうにないし。
でも、突っ込まれてないからいいかな。
「さて、これからどうしましょうか。まずは帰還して学園に報告かしら?」
「うん、そうだよね。ここもきちんとした手順で浄化したほうがいいよ」
私はクロエの言葉に頷いた。
今夜の顛末を他人に説明するのはひたすら骨が折れそうだけど、そうするべきだろう。
そんなタイミングで、大きな扉を開く音が聞こえた。
扉の向こうから現れたのは、オーギュストとクラウスだった。
「エーリカ! 無事か?」
「これは一体何の事態だ。エーリカ!」
「お二人とも深部にこんな短時間で辿りつくなんて、すごいですね! さすがです!」
天界の眼で見たときは上層階にいたはずなのに、なんて移動速度だ。
二人揃ってチートである。
「私たち抜きでこんな深部にいるって分かったときは驚いたけどな」
「そんなことより、お前は何をしたんだ。部屋も空間もめちゃくちゃになっているじゃないか」
「ああ、それは……その……」
私はクロエのほうをちらりと見ると、彼女は困った顔で仕方無さそうに頷いた。
言いにくいこと──クロエの兄周りは秘匿しつつ、吸血鬼のやらかしたことを私が説明しておくか。
「戦闘してたのか。私たちもここに来るまでにいくつかの怪物と遭遇したけどな」
「空間魔法を操る幻獣だろう。どうしてそんな危険な幻獣と戦ってしまうんだ、お前は」
「緊急事態だったので、仕方なかったんですよ。危うく吸血鬼によって祭壇が汚染されるところで」
「……吸血鬼だと?」
バチリ、とクラウスの体から青い火花がスパークする。
吸血鬼と聞いて、クラウスは静かに、しかし魔力の昂りを止められないほど激高していた。
そういえば、吸血鬼なんてハーファン出身者に口に出しちゃいけないキーワードナンバーワンだったよ!
あ、やばい。
このあと、むちゃくちゃ叱られる流れでは──?




