来航者の遺跡6
私たちは過去視で得られた過去のアンの姿を道しるべに、階段を下りていく。
これで、八階層目。
いったいどこまで潜ることになるのだろう。
代わり映えのしない階段から、いつもどおりに次の階層に降り立つ。
しかし、その先の光景は今までの〈来航者の遺跡〉とは全く異なっていた。
そこには死の香りが充満していた。
いたるところに、得体の知れない生物の死骸が転がっている。
血塗れの獣、切り刻まれた爬虫類、潰された巨大な蟲。
黒焦げになった多足の怪物、おびただしい細切れの血と肉──
目眩がした。
簡単な防腐処理がされていたため、そこまで酷い腐臭に晒されなかったのは幸運だった。
死骸の中に見知った動物のものはなく、いずれも異形の怪物ばかりだったのは幸運だった。
そうでなければ、吐き気を抑えきれなかったかもしれない。
嗅覚と視覚の二つのフィルタが、その光景を現実感の薄いゲームか映画のような印象に変えてくれていた。
意外なところで役に立ってるよ、ゲーム脳。
笑いを取るにはもう一歩足りない感想を念じて、パニックから心を守る。
「う……っく、大丈夫か、エーリカ」
「大丈夫じゃないですけど、大丈夫です。クラウス様こそ」
「俺はこういうアレは見慣れている。ほら、父と一緒にアレに行ったり、アレを退治したりして……」
「言語が胡乱になってますよ、クラウス様」
話し相手がいてくれてよかった。
衝撃映像も、二人で分かち合うと意外にダメージが少なくて済んだ。
でも、それはつまり、一人でこれを見た人は私たち以上に大変だったということで──
「急ごう。アンがいるはずだ」
「はい。きっと心細くてお辛いはずです」
柱のほとんどがなぎ倒され、壁のいたるところに大穴が開いている。
迷宮を動かす巨大な歯車の機構が露出し、破損している箇所もあった。
恐ろしいほどの破壊の力が揮われた痕跡である。
「どうりで、お前の兄があれだけの物資を溜め込んでいたわけだ」
「これだけの怪物が相手ですものね」
「簡易ベースキャンプを出た頃は万全な武装だったつもりだが……この死骸が全て生きて動いていたらと思うと、ぞっとする」
クラウスに言われて、私の背中にも怖気が走った。
もし、エドアルトお兄様たちのグループが、この怪物たちを一掃していなかったら?
私もクラウスもアンも、今頃どうなっていたか分からない。
〈来航者の遺跡〉がアウレリア領でもっとも危険な地域と言われている理由が、やっと肌で感じられた。
どれだけ歩き回っただろうか。
不気味な死骸の山のお陰で、実際の探索時間よりも長く感じた気がする。
それはまるで、エドアルトお兄様が導いてくれたような状況だった。
私たちはある部屋の前で立ち止まった。
その部屋の入り口に、月光没食子インクのメモが書かれていたためだ。
「星を踏む……あれ? 消えた?」
「濃い雲がかかったようだな。一行目は星を踏むべからず、だったか?」
「だいたいそんな感じでしたけど……」
「踏んだらどうなるのかは分からないが、この階層で星の印はまだ見ていない。安心していいだろう」
お兄様のメモで、こういう警告は初めてだったので、少し緊張するね。
部屋を出入りするときは、発光していない状態の星の印がないか、じっくり観察した方がいいかも知れない。
あとは、また浮遊が切れるから、今のうちに短杖を振って……。
そんなことを考えてたら、クラウスが突然その場にしゃがんで、何かを調べはじめた。
「クラウス様? 星の印ですか?」
「いや、違う……東の呪符だ。範囲を絞って精度を上げた警報の魔法……この呪文の癖は」
クラウスは突然立ち上がり、呪符の貼ってある箇所をまたぐようにして、部屋に足を踏み入れた。
「……アン! そこにいるのか!?」
比較的、破壊の痕跡の少ない一室。
クラウスの向かう先に、小さな少女がうずくまって震えていた。
彼女は入ってきた私たちに気づき、顔を上げた。
ああ、よかった……間に合ったんだ……!
「……クラウスお兄様? ……エーリカ様!?」
長杖の先に結わえ付けられたランプが、クラウスによく似た面差しの少女を照らす。
アン・ハーファンの顔は疲労と恐怖で真っ青だった。
彼女がどんなに辛かったのか、その顔を見ればよく分かる。
アンの頬には幾筋もの涙の跡があった。
でも、今その頬に流れた一筋の涙は、他の涙と意味が違う。
クラウスはアンに駆け寄って、彼女を抱きしめた。
アンもクラウスを抱きしめ返していた。
「お兄様……お兄様! ……お兄様の、馬鹿!」
「……悪かった。俺が悪かった。アン、俺のせいでお前に辛い思いをさせてしまった」
「寂しかったんですよ……恐かったんですよ……?」
「ああ、本当にすまなかった」
クラウスと合流したことで、アンの緊張の糸が切れたのだろう。
彼女は大きな声で泣き出してしまった。
クラウスは今まで見たことのないような優しい顔で、アンの頭をぽんぽんと軽く撫でる。
撫でられながら、アンは駄々っ子のようなぽかぽかパンチで返す。
「お前が無事でよかった……ずっと、心配していたんだぞ」
「もう……もう……それは私の台詞です。エーリカ様にまで迷惑をかけて!」
「ああ、全ては俺のせいだ。アン、お前は俺を止めるために、こんな危険な遺跡に来てしまったんだろう?」
「──え?」
「……ん?」
「あーー、はい。そうです。お父様に告げ口せずに、穏便に連れ戻して差し上げようと思ったんですよ。感謝して下さいませ」
「そうか。気を使わせてしまったな……」
アン……目が泳いでるよ……。
そうだよね。初めからそんな気がしてた。
クラウスを止めるのだけが目的だったら、彼が眠りの魔法を使ったときに止められたよね。
夕食会の時に話が出たから、遺跡に興味がわいちゃったんだろうなあ。
この人たち、ホントに似たもの兄妹だよね。
一通り泣き尽くして、アンはクラウスから離れた。
彼女は涙を拭って背筋を伸ばし、私と向き合う。
「エーリカ様、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」
「いいのですよ、アン様。あなたが無事で、本当によかった」
「エーリカ様……」
再び涙ぐんでしまったアンの顔を、綺麗なハンカチで拭った。
彼女の表情が、結び目庭園で見た時と同じ笑顔に変わる。
私の方も、これでやっと一安心である。
(この階に着いた時には嫌な予感したんだけど、平穏無事に終わりそうだよ〜〜!!)
三人そろってこの〈来航者の遺跡〉から脱出さえ出来れば、死亡フラグ回避成功だーー!
あとは通り抜けを掛け直し、浮遊でガンガン上昇し、転移門を抜けて帰って寝るだけの簡単なお仕事である。
ああ、寝る前にお父様たちによるお説教もあったね……でも六年後に死亡イベントが待ってる運命と比べれば、圧倒的にマシだ!
クラウスは、魔力回復の水薬を取り出し、アンに飲ませていた。
アンもまた探索のために魔力の大半を失っていた。
むしろ一人でよくここまで保たせたものだ。
なんでも、広域魔法よりも精密魔法の方が得意だったことが、迷宮の特性と巧く噛み合ったのだとか。
さて、遠足は帰宅するまでが遠足である。
合流したことで気が抜けてしまったけど、帰り道だって何が起こるか分からない。
まずはアンが動けるくらいまで、この部屋で休憩してから──
「ん?」
さっきから、機械式迷宮の駆動音がするなあとは思っていた。
この音は〈来航者の遺跡〉に入って以来、頻繁に聞こえていた音だった。
だから、慣れきってしまい、いつしか意識から遠ざけていた。
でも、なんだか、やけに長くないか?
私たちが辿ってきた道を振り返る。
特に変わったものはない。
ただ、戦闘によって荒廃した遺跡と、たくさんの死骸があるだけだった。
「どうしたんだ、エーリカ」
「いえ……何だか、違和感があると言うか……」
駆動音は止まるどころか、どんどん大きくなっていた。
心なしか、近づいてきているような気さえする。
「そういえば、お兄様、エーリカ様──ずっと気になっていたんですが、あれは何でしょう?」
「あれ、ですか?」
「はい。月光没食子インクだと思うのですが……」
「はっ!? エーリカ! ランプを隠せ!」
アンが指した方向を見たクラウスが、慌てたように叫んだ。
彼は自分の杖に括り付けたランプを、ローブの袖で覆う。
私もそれに倣って、ランプを鞄に入れた。
──折しも、外界では月にかかっていた雲が晴れたようだった。
部屋の床一面に、淡い青みを帯びた黄金色の光。
私たちは、月光没食子インクで描かれた星空の上に立っていた。
背筋を怖気が這い上っていく。
私の脳裏に、入り口に書かれていた警告文が蘇った。
星を踏むべからず。さもなくば──さもなくば、何が起こるんだろう?
恐る恐る、自分の靴をずらしていく。
さっきまで私の靴が踏んでいた場所に、星の印があった。
うわっ、私、運無さ過ぎーー!?
「アン! エーリカ! 手を──」
石材の砕ける音が、クラウスの叫びを遮る。
視界が斜めに傾いでいく。
いや、傾いでいるのは、迷宮の床そのものだ。
堅いはずの石の床が、嵐の海のようにうねるのが見えた。
床が、壁が、柱が、天井が──
階層そのものが砕けながら落ちていく。
私たちはそれに巻き込まれ、空中に投げ出されていた。
(うわあ、こんな、こんな所で? やっと三人揃ったのに……!!)
クラウスの近くにいたアンは、辛うじて彼の腕の中にいる。
しかし、少し離れたところで兄妹の再会を見守っていた私は、分断されてしまった。
アンを庇いながら、クラウスは数百枚の呪符を傘のような形状に展開する。
崩落した瓦礫から身を守るための防護陣だ。
だが、彼らから私まで、五メートル以上離れている。
広域魔法妨害の罠が──これじゃあ防護陣が届かない!
うわあ、どうしよう!
「落ち着け、エーリカ! まだ通り抜けは有効だ!」
……言われてみれば、その通りでした。
よく見てみれば、クラウスは自分に当たる瓦礫は無視し、アンに当たりそうな瓦礫だけ呪符で弾いていた。
加速のついた礫石が私やクラウスに命中するけど、全てすり抜けて飛んでいってしまう。
なんて便利な魔法!
エドアルトお兄様、大人げない巻物を準備してくれてありがとう!
崩落によってできた竪穴は、意外なほどに深く、広かった。
かなり落ちたはずなのに、まだ穴の底が見えない。
迷宮を踏み抜いて、岩盤にできた巨大なクレバスにでも嵌ってしまったかとも思った。
しかし、周囲の壁面には、人工的に作られた星水晶のランプを納める空洞がある。
数十メートル……いや百メートル以上の高さを持つ伽藍のようなものなのかも知れない。
ゆっくり落下して底に辿り着けば安全だろう。
「クラウス様! 軟着陸の杖です!」
「ああ、わかった」
私はクラウスに短く指示を出し、自らも短杖を抜いた。
クラウスが杖を振るのにタイミングを合わせて、私も軟着陸を使用する。
私たちの真下に、白色の薄い膜のような魔法陣が展開された。
その中に飛び込むと、魔法陣は小さな羽根のような形に砕け散って消えていく。
ふわりと、柔らかい空気の壁に包まれ、重力に逆らって体を優しくささえられる感覚。
落下速度が、非常に緩やかなものになる。
砕けた石材や、機械式迷宮の機構の残骸が、私たちを追い抜いていく。
しばらくすると、崩落した階層が空洞の底に落下して、地鳴りのような音を響かせた。
「アン様! 大丈夫ですか?」
「は、はい! エーリカ様! お兄様のお陰で、怪我はありません!」
「エーリカも無事か?」
「はい。お陰さまで、ぴんぴんしています」
クラウスとアンはこちらに向かって手を伸ばしている。
しかし、流石に五メートル以上離れていては、届かないだろう。
私は鞄から魔法のロープを取り出し、命じる。
「伸びよ、蛇のごとく! 結べ、艫綱のごとく!」
ロープは獲物に飛びかかる蛇のように、一度バネ状に縮んだ後に勢いよく飛び出す。
緩い放物線を描いて飛ぶと、ロープはクラウスの腕にしっかりと巻き付いた。
「本当に用意周到だな」
「これでもアウレリアの錬金術師ですから」
実際に用意したのはお兄様だけどねー。
クラウスがロープを引くと、私は体ごと引き寄せられた。
これでようやく本当に三人とも合流できた。
「いったい、あれは何だったんだ? あれも罠なのか?」
「罠……と言うよりも、罠の動作不良が原因なのではないかと」
「動作不良?」
「おそらくお兄様たちの戦闘で、罠の機構や迷宮の床や柱そのものに深いダメージが蓄積していたんです」
「ああ、確かに、壊れた歯車が露出しているような場所もあった。機械式迷宮が作動しようとしたが、迷宮そのものがその動きに耐えられなかったってことか」
考えてみれば、おかしいことは他にもあった。
あれだけの怪物の死体が、ほとんど手つかずで放置されていたのだ。
一つ上の階層では、素材回収のためのゴーレムが徘徊していた。
機械式迷宮が作動すれば階層が崩壊する可能性があると気づいていたから、兄はあの階層にゴーレムを設置しなかったではないだろうか。
でも、お兄様……あれだけのヒントじゃ、こんな崩落事故を予想するのは無理だよ。
「あ……」
「どうした、アン?」
「いえ、なんだか、綺麗で……」
壁面に含まれた星水晶の原石が、私たちの魔力に反応して淡い青色に輝いていた。
そんな幻想的な光景の中、私たちは手をつなぎ、輪になってゆっくりと下降していく。
「アン、お前な……」
「こんな時にごめんなさい」
「ううん。いいのよ。私も似たようなことを思ってたところだから」
そうだよね。気にしても仕方ないよね。
考えてみれば、この星水晶の竪穴だけに限定すれば素敵な経験だ。
まるでジ○リ映画みたい。
例の星水晶の首飾りがあったら、もっとそれっぽかったかも知れない。
アセイミナイフと星水晶のランプも鞄に詰め込んでるしね!
……青二才の大佐ポジションじゃないといいけど。
私たちの不安や感動をよそに、軟着陸の魔法は静かに私たちを遺跡の深奥へと運んでいく。
☆
しばらくして、私たちは〈来航者の遺跡〉の底へと降り立った。
構造や装飾の感じが、西の中でも古い時代の伽藍に似ていた。
私たちが降り立った身廊と内陣の間はアーチ状の入り口になっている。
アーチの両脇の、地上の聖堂であればアウレリアの過去の著名な公爵の彫像が飾られている場所には、私たちがこの大陸に訪れる前の時代を生きていたとされる伝説上の錬金術師の彫像があった。
しかし、馴染み深いのはここまでで、この伽藍には迷宮の深部らしい差異がいくつもあった。
まず、天井は私たちが落ちてきた数百メートルの吹き抜けになっている。
当然だけれど、窓も無い。
窓があるべき側廊の壁には、錬金術師に伝わる、この土地では見ることが出来ない星座が彫り込まれている。
神話の人物や怪物、動物、航海用の道具。
それらは浮き彫りになっていて、星にあたる部分には星水晶がはめこまれていて、淡い青色に輝いていた。
まあ、何が一番迷宮らしいかって、そこら中に散らばっている怪物の死骸なんだけどね。
辺りには死骸だけでなく、八階層から落ちてきた瓦礫の破片も散乱している。
不可抗力とは言え、ご先祖さまに怒られそうな光景だ。
そんなことを考えていたら、私とクラウスを取り巻いていた魔法陣のいくつかが光の粒子になって消えていった。
鉱石式時計をちらりと見て確認する。
効果が切れたのは通り抜けのようだ。
「崩落がおさまっていてよかったな。あまり大きな岩が落ちてくると、俺の防護陣では防ぎきれないかもしれない」
「アウレリアの方々にとって大事な場所みたいですし、これ以上落石で荒れてしまうのも申し訳ないですものね」
「そうだな。何やら荘厳な感じだ。エーリカ、ここは聖堂のようなものなのか?」
「ええ、おそらくそうだと思いますけど……」
周りを注意深く見回してみる。
伽藍の内陣──本来なら聖ブレンダンの祭壇があるべき場所には、星水晶の巨石があった。
巨石には先ほどの崩落物のためにいくつかのヒビが走っている。
私はそれを見て、首をひねった。
「来航者の神、ブレンの祭壇……の、はずなんですけど……」
材質は異なるが、その巨石はアウレリアの神を祀る祭壇そのものだ。
アウレリアの祖神ブレンまたは聖ブレンタンの祭壇は巨石と決められている。
西では元々、航海と星と錬金術の神であるブレンと言う名の神を崇めていた。
しかし、この大陸の他の三国と併合する際、国家間の足並みを揃えるためにアウレリアも同一の宗教に改宗している。
連合王国の宗教は、南のイグニシアが崇めていた南方の大陸由来の一神教だ。
イグニシアの宗教は他宗教の神に寛容である。
この宗教では統治政策の一環として、他民族の神を天使や聖人として取り込む。
シヴァ神が大黒様だったりする日本人としては、馴染みやすい考え方かもしれない。
かくして、アウレリアの神ブレンは、イグニシアの神に仕える聖人、聖ブレンダンとなって、今日も信仰を保っているのだ。
(ゲームの設定だと、古の悪霊の封印があるんじゃなかったっけ? 古の神様が祀られてるようにしか見えないけど……)
よく見ると、星水晶の巨石には文字が刻まれていた。
アウレリア式の巻物や刻印石などで使われている、古代アウレリアの言葉だ。
これなら、不勉強な私にも辛うじて読める。
「遥か星の海を越えて、長き旅路を共にした君をここに葬る。安らかに眠れ、名も無き我らが友よ。この豊穣なる土地が、君の永の揺り籠とならんことを願って──」
巨石に刻まれた詩を読み上げると、クラウスとアンは祈りの姿勢をとった。
「祭壇ではなく、納骨堂なのかも知れないな。アウレリアたちがこのイクテュエス大陸に辿り着くのを目前に亡くなった貴人……といったところか」
「なんだか、悲しい碑文ですね」
「そうですね。でも、私たちの祖先は、この人を何を思って神様と同じ祭式で葬ったのでしょうか……」
私は何の気なしに巨石の碑文を指で触れた。
あれ? 気のせいだろうか?
指が触れたところが、心なしか黒く濁ったような──
──遥か遠くから、声が聞こえた。
伽藍の空気が震える。
高音と低音、弦楽器のような音と金管楽器のような音が折り重なって聞こえてくる。
それは、クジラの嘶きのような、子供の啜り泣きのような物悲しい声だった。
声が響くたびに、星水晶の巨石が内側から黒く濁っていった。
青く光っていた星水晶が、今では真っ黒に染まっている。
表面についたヒビから、黒い水が後から後から溢れてくる。
それは巨石の流した涙のようにも見えた。
「えっ……?」
ざあっ、と潮の香りを孕んだ湿った風が、私の髪を揺らす。
伽藍の中で高まっていく魔力に反応して、壁や天井の星水晶が光を強めていく。
いつしか、溢れ出した黒い水は伽藍の床全体を覆っていた。
私の長靴を、黒い波が洗っていく。
クラウスやアンも、私と同じように、周囲を見回して戸惑っていた。
私たちは皆、地下遺跡の底で見るはずのない光景を幻視する。
そこには、水平線の向こうまで果てしなく続く黒い海と、満天の星空が広がっていた。