首無し王子の霊安室4
「──って、どうしてなんですか?」
道すがらクロエはリエーブルに博物館で起こる怪奇について疑問をぶつけていた。
「ううーん、それはねえ」
リエーブルは首を捻りながらも、知っている限りの情報を提供してくれている。
地下室の転移は、幻獣博物館の地下室だけに起こる現象らしいこと。
転移した部分はいつの間にか元の場所に戻ってくるが、その時に多少座標がズレてしまうこと。
だから、元の階段と繋がらなくなった部屋に向けて、何度も新たに階段が増設されているのだという。
博物館の地下に異様なほど長い階段がいくつも作られているのは、転移による座標ズレが何百年分も積み重なったためなのだそうだ。
(なるほどね……石材の変化はそう言うことなのか)
転移現象が他の重要施設に拡散しないよう封じ込めるために幻獣博物館が作られたのではないか。
何者かが遺跡に魔力供給しているのが転移の直接的原因になっているのではないか。
職員たちの間では、そんな不穏な噂も囁かれている。
リエーブルは数年前の階段増設の際に、これらの情報を耳にしたのだという。
「階段の下の部屋には大昔の特殊な結界が張られてるらしいから、あの部屋自体は転移はしないらしいわ。どうして何もない部屋が保護されているのかは、私も知らないけどね」
「分かりました。では階段だけは転移し得るということですね」
「ええ、だからこそ、あなたたちが地下に取り残されないように、万が一のことを考えて注意しにきたわけなのよ」
クロエはとても真剣だった。
彼女からすると、リエーブルからもたらされた情報は貴重なのだろう。
なんとかして霊安室に近づかないように説得したいけれど、この真剣さからするとそれは難しい気がする。
私としても、今夜得られた話はみんな重要だった。
特に殺人未遂事件については気になることが多い。
もしかして、クロエの兄クロードが起こしたものなのだろうか。
同時期に在籍していたお兄様が知っている可能性はあるけど、私には教えてくれない気がする。
アクトリアス先生も詳しいことを知っているかどうか怪しい。
そうして私たちが六度目の踊り場を曲がったところで、先頭のリエーブルが立ち止まった。
「あら? ここのドアって、こんな形だったかしら? なんだか雰囲気が……」
リエーブルが指差す先には、古びた木製のドアがあった。
ドアの表面は火で炙られたかのように焼け焦げ、周辺の石材も煤で汚れ、床には炭化した何かの欠片が転がっている。
これは私たちが入ってきたドアじゃない。
元からこんなドアだったら、記憶に残っているはずだ。
「待って下さい。様子がおかしいので、先に調べたほうが──」
私が言い終える前に、クロエは私たちを抜き去ってドアの前に飛び出した。
クロエは抜剣し、ドアに剣を突き立て、引き抜く。
次の瞬間、ドアと一緒に倒れてきたのは二つの頭をもった巨大な黒い犬──オルトロスだった。
狭い空間に、血の匂いと獣の臭いが広がっていく。
「な、な、なんでこんなところに生きたオルトロスがーー!?」
悲鳴のような叫びをあげたリエーブルは、力なく階段にへたり込んでしまった。
「……もう一体」
静かに呟いてからクロエはオルトロスの死骸を踏み越えて部屋に駆け込んだ。
クロエの背中越しに暗闇の中に光る二対の目が見える。
もう一匹の黒い双頭の獣はクロエを警戒して距離をとり、低い唸り声をあげていた。
私は水晶塊の杖を収納の手袋から取り出し、短杖拡張を使って呪文を組み替えた。
鋭い水晶の槍がオルトロスの二つの喉を同時に貫くと、その巨体が石床に倒れ伏した。
私はクロエに続き、オルトロスの死骸を乗り越えて部屋に入る。
ランプの青い灯りで照らすと、博物館とはまったく異なる石造りの部屋であることが分かる。
かなり古い時代の遺跡のようだった。
「怪我はない? 大丈夫、クロエさん?」
「うん、ありがとう、エーリカさん……でも、この状況ってどういうことなのかな?」
私は今いる場所を霊視の魔眼で見回す。
部屋自体は通常の空間のようだが、階段部分にはなんらかの空間魔法が作用していた痕跡がある。
「空間魔法で階段とこの部屋の出入り口が繋がれてしまっているわ。おそらくは転移でしょうね」
「やっぱり……だったら、ここが地下遺跡なのかな?」
「ええ、屍都アンヌンの遺跡の可能性が高いわ」
ここは第四屍都アンヌン、つまり学園の地下にある呪われた都の遺跡というわけだ。
どうやら私たちは例の七不思議「死の世界への階段」に巻き込まれてしまったようだった。
「だったら、なんでこんな場所にオルトロスがいるのよ〜〜〜!?」
リエーブルが状況を受け入れられずに混乱していた。
彼女の言う事ももっともではある。
幻獣オルトロスの生息地と推定されている場所は、カルキノス大陸南東部だ。
イクテュエス大陸ど真ん中の地下にウロウロしてるはずはない。
「そうですね、なぜ生息地域から離れたこんな場所にいたんでしょうね」
私の認識でも、屍都アンヌンはすでに滅び、呪いの浄化を待つだけの場所だった。
何かいるとしても、幻獣とかじゃなくて、謎の侵入者がいるくらいじゃなかったっけ?
私とリエーブルがそんなことを話していると、クロエがあたりを見回して呟いた。
「死骸が……消えた?」
その言葉を聞いて、私は床をランプで照らしていく。
床には砕けた水晶が散らばっているだけで、あんなに大きかったオルトロスの死骸が見当たらない。
階段出入り口にあったもう一匹の死骸も消えている。
いつのまにか血の匂いや獣の臭いすら消えていた。
「たしかに死骸が見当たらなく……いえ、待って。何かあるようだわ。これは……?」
死骸があったはずの場所をよく見ると、小さな白い肉片が落ちていることに気がついた。
鞄からピンセットと壜を取りだし、直接触れないように注意しながら肉片を採取する。
「リエーブルさん、後で構いませんので分析をお願いします。私たちを襲ってきたのはただのオルトロスではないようです」
そう言って私は回収した肉片入りの壜をリエーブルに差し出した。
彼女は魔獣や幻獣の専門家なので、私が調べるより適任だろう。
「ええ……やってみるわ」
リエーブルは本職に近い作業を請け負ったことで、少し落ち着きを取り戻したようだった。
(さて、これからどうすべきか)
自力で脱出できるかを判断し、経路を選択しなければならない。
もし脱出が難しく、救助を待つ必要があるとしたら、安全な避難場所はどこか。
さっきのオルトロスのように危険な怪物がまだ周囲にいるかも知れない。
「私はこれから現在いる場所や状況、それに脱出経路を魔眼を使って調べておきます」
クロエとリエーブルにそう伝えてから、二回目の天界の眼を起動する。
すぐさま半径五百メートルほどの俯瞰視野が浮かんだが、視界内に地上の様子は映らなかった。
ということは、ここは地下五百メートルよりも深い場所なのだろうか。
遺跡は一種の地下迷宮のような場所だった。
見える範囲だけでも、百から二百の階層が歪に積み重なった複雑な造りになっている。
積み重なり具合の不自然さからすると、空間魔法により歪曲されている遺跡の可能性が高い。
すると安易に掘削の杖や壁抜けの巻物は使わない方が安全だろう。
上層部には谷のようなV字型の大きな裂け目もあった。
あそこまで行けば、浮遊で一気に脱出できる可能性がある。
「エーリカさん、どう?」
「構造が複雑ですぐには脱出経路を見つけられそうにないけど、ある程度上方に行けばなんとかなりそうよ」
クロエが小声で訊ねてきたので、ひそひそ声で返事をする。
私の見解を聞いて、クロエは神妙な顔で頷いた。
私は天界の眼での確認を続けていく。
どうやら私たちのいる階層周辺にだけ、多くの大型生物がいるようだ。
ほとんどはばらばらに動いているが、群れを作っているものもいる。
「でも、まわりに幾つもの大型生物がいるわ……あとはすぐ上の階層に過剰に密集した……」
数え切れないほどの生物がひしめいている場所がある。
半径一メートルほどだろうか。
よく見ると少しずつ数が増えて広がっている。
それは白色ワームの増え方に似ていた。
(そう言えば、白色ワームの壜が大厩舎で一つ紛失しているんじゃなかったっけ?)
その壜がこんな場所にあるはずは無いのに、ついうっかりその様子を思い浮かべてしまい、背中にぞくりとした感触が広がる。
その時、通常視界の端でクロエやティルナノグが身構えるのが見えた。
それとほぼ同時に、近くで壁を殴りつけているような轟音が響きわたる。
音に驚いたリエーブルが頭を守るようにうずくまった。
「エーリカさん、リエーブルさん、後ろへ下がって」
クロエがそう言って、前方に進み出た。
天界の眼の焦点をこの部屋の付近に合わせると、壁を挟んだ向こう側に、四体の生物がいるのが見える。
「右奥の壁の向こうに、体高二から四メートルの大型生物が四体いるわ」
得られた情報を手短に伝えると同時に、天界の眼が終了した。
その時、轟音とともに壁が崩れ、土煙の中から怪物の巨体が現れた。
鼓膜も張り裂けんばかりの雄叫びが暗闇に響く。
ランプの灯りに照らし出されたのは、幻獣ミノタウロスだった。




