首無し王子の霊安室2
その日の夜、西寮近くの噴水のある小さな庭園に向かう。
そこには既にクラウスとオーギュストがいた。
「修道竜騎士が上空を警邏しているようだな」
クラウスが眉間に皺を寄せて夜空を睨む。
今までそんな事態は聞いたことが無かったけど、こんな夜に警邏とはどういうことだろう。
「竜騎士が夜間にですか?」
「珍しいことじゃないぜ。みんな知らないだけで、何かあった日は夜間も飛んでるんだ。でも、竜が学園内で地上警備までしていないか一応調べておいたほうがいいかもな」
そう言ってから、オーギュストはこめかみを左手で押さえた。
精神感応の範囲を広げているようだ。
「うーん、ざっと見た限り、竜は空だけっぽいな。これなら今夜はいけそうだ。巡回経路は分かったし、私たちを見つけちゃった子には見なかったことにしてもらって…………いや、マズい」
オーギュストは慌てた様子で自分の左目を押さえた。
なんだか顔色が悪い。
「どうしたんですか、オーギュスト様」
「教授にバレた。いや、バレたどころか、一瞬だけど、左の視覚まで乗っ取られた」
教授というと、あの黒竜に乗り移っていた瞑想者だ。
前回、博物館探索を中止したのも教授が原因だったのを思い出す。
オーギュストは、げんなりした様子で言葉を続ける。
「こんな時間に王太子が徘徊するなど、不用心ではないかね、なんて嫌味たっぷりに言われたぜ。……あと、クラウス。悪い、お前がいるのもバレた」
「は? なぜ俺まで?」
「視覚を乗っ取られたせいで見えちゃったのか、あるいは教授の精神感応に引っかかったのか」
どうしようかな、これ。
意気込んで用意してきたけど、私もこのままお説教コースにはいりそう。
こんな深夜にお小言とはなかなか厳しい事態だ。
「すると私もですよね……」
「いや、お前はバレてないみたいだ。たまたま視界にも入ってなかったし、アウレリアは精神感応に引っかかりにくいからな。だから、行くなら今のうちだろう」
「え、いいのですか?」
「お前は大人しく寮に帰るような奴じゃないだろ? 私たちも用事が終わったらすぐ後を追う。まあ、こういうのを誤魔化すのは慣れているからな」
「慣れたくはなかったがな」
オーギュストがそう言うと、クラウスが忌々しそうに頷いた。
「ではお言葉に甘えて……オーギュスト様、クラウス様、ご無事でいてくださいね〜!」
「お前も俺たちが追いつくまでは無理はするなよ! 絶対だからな!」
「最悪、ゴールドベリだけでもお前のところに向わせるぜ〜!」
あの二人がいないのは少し心細くはある。
でもまあ、いろいろ道具は持ってきているし、ティルナノグもいる。
私はその場から逃げて、目的の幻獣博物館に向うことにした。
☆
学園内を駆け抜けて幻獣博物館の横に辿り着く。
意外なことに、いつもより見回りが少ない気がするのはどういうことだろう。
「このまま簡単に調べがつくと良いんだけどね」
ティルナノグと連れ立って、まず通り抜けで館内に侵入後、魔法の地図を作製する。
できあがった地図をみると、標本の保管部屋っぽいすべての部屋の内部に、複数階段がある。
標本を地下に仕舞っているのだろうか。
でも、それなら地下で部屋を分ければよいだけだ。
階段は一つか二つで充分なはずなのに、なぜだろう?
「このあたりが怪しいわよね」
『うむ。このうちのどれかが本命だろう』
「行って確かめてみましょう」
まずは近くまで移動し、怪しい部分を霊視の魔眼で細かく調べていこう。
進入が難しかったり、危険そうなときは天界の眼で精査かな。
私はティルナノグと一緒に、博物館の展示エリアを抜けて保管室の並ぶエリアを目指すことにした。
暗い館内を進んでいくと、ミノタウロスの骨標本の下に人影を見つける。
ティルナノグが私を庇うように前に進み出た。
『……賊か!』
「まって、ティル!」
そこには見慣れた少女の姿があった。
薄茶色とアイスブルーの瞳の少女、クロエ・クロアキナだ。
クロエは制服姿だったが腰に剣を帯びて武装していた。
「エーリカさん? どうしてあなたがここに?」
戸惑いの表情を浮かべてクロエが問いかけてきた。
「七不思議巡りをしているのよ、なんとなく」
「なんとなく……?」
「ええ、面白そうだったし。もちろん、あなたに迷惑にならないような七不思議を選んでいたのだけど」
私は友好的な笑顔を浮かべて、物見遊山気分を装ってみた。
クロエは頷き、それ以上の追及はしなかった。
一応納得してくれたようだ。
「クロエさん、あなたはやっぱり例の霊安室の調査なの? ここは死の国への階段の場所だって思っていたわ」
「……学園の建造物を虱潰しに調べていて、あとはこの建物だけになったから」
場所の情報が得られなかったから学園内の施設を虱潰しで調べていったのだろうか。
それはかなり骨の折れる作業ではないかな。
「この学園内を、ぜんぶ確かめたの?」
「うん、怪しい事柄はすべて確認しておこうかと思って。邪悪なものがあれば、破壊しておいたほうがいいから。でも、ひとつも怪奇現象なんて起こらなかったよ」
「えっ……私はいくつか見たわよ」
クロエの硝子のような眼に、驚きの表情が浮かぶ。
「ついでに何個かは原因も解明できたわ」
「っ!?」
クロエは蒼白な顔をしてかすかに震えていた。
努力して探索していたみたいだし、部外者が物見遊山気分で体験していたと知ったらショックだろう。
しかし、あれだけ頻繁に発生していた怪奇現象に出会わないなんて、何がおこっているのだろうか。
(そういえば、もしかして……)
私はふと思い当たることを口にしてみた。
「怪奇のうちいくつかは魔力を吸収して発生しているの。もしかしてあなた、雪銀鉱の剣を帯びていたりしない?」
「雪銀鉱の剣は鞘に収めていれば効果はないはずなんだけど……ああっ、もしかして装身具……?」
「いつも肌身離さず?」
「うん、魔法の授業のとき以外は、ずっと……。そうか、これのせいだったんだね……!」
魔力を提供しない限りは作動しない無限回廊はもちろん、その先にある鏡には辿り着くことすらできなかっただろう。
霧のゴーレムは私が先回りしてしまったからだろうけど……。
人工精霊も何らかの阻害が発生してしまうのかもしれない。
ドロレスのことだから、身の危険を感じて出てこなかっただけかもしれないけれど。
「邪悪から私を守ってくれるから常に身につけてたんだけど、これのせいだったんだね……なんで気がつかなかったのかな……私……」
「その装身具は、自室において探索したほうがいいかもしれないわね」
「ううん、原因さえ分かれば、この小鞄があるから大丈夫だよ」
クロエはローブのポケットから小鞄を取り出した。
それは〈審判の間〉でブラドがクロエに貸していたものだ。
「魔法の授業のときなどに使うようにって、先生に貸してもらっていたんだ」
クロエはポケットから小鞄を取り出して、雪銀鉱の装身具を入れた。
召喚魔法の授業などのときにも、こうやって効果を遮断していたのだろう。
「うう……最初からこれを使えば良かったんだね……」
その小鞄の存在に気がついて、クロエはますますダメージを受けているようだった。
「あの、ほら、雪銀鉱だけが原因じゃなくて、タイミングもあると思うし。それに、得意分野ってあると思うの」
フォローしたつもりだが、効果は薄いようだ。
クロエはショックを受けたような表情のまま口を開く。
「エーリカさんを巻き込んじゃうのが嫌だったんだけど、相談したほうがいいのかな……私だけじゃわかんないことばかりで……」
「私でよければ、いくらでも相談していいのよ」
「ありがとう……今夜はこれを調べているんだけど……」
クロエはローブのポケットから一枚の地図を差し出した。
どうやら過去に使われた魔法の地図の杖による出力結果のようだ。
「この地図と、建物の内外を歩いて測った感覚にズレがあるんだ」
「ズレ……?」
「外側より、内側がほんの少しだけ小さい気がするの」
「内側だけが?」
試しに私が先程生成した魔法の地図を取り出してクロエに見せる。
「ちょうど作ったばかりの地図があるから。あなたの地図と比べてみましょう」
「うん……!」
私はクロエから新しい地図を受け取り、二つの地図を精査していく。
するとクロエの古い地図と、新しい地図にはすこしだけズレがあった。
「古いほうの魔法の地図が作製された後で、魔法による偽装が施された可能性があるわ。ほら、ここ」
廊下のうち一本が、古い地図には少しだけ長く表示されているのだ。
そこは博物館の左翼にあたる区画の、保存室の並ぶ廊下の最奥だ。
「この幅なら……ちょうどドア一つ分くらい隠せそう……?」
地図から顔を上げると、クロエと目が合った。
それにしても、たったドア一つ分の誤差を、歩いただけでよく気づけたものだ。
地図で照合したから一目瞭然だったけど、魔法の類を一切使わなければ大変な労力になったはずだ。
学園の建造物すべてに同じ調査をやっていたのだとしたら、すごい根性な気がする。
「ええ、隠し扉の可能性があるわね……そこが霊安室への入り口というわけ?」
「うん。死者の国への階段の可能性もあるけど……私は霊安室だと思う」
私とクロエと話しながらその場所へと向かった。
保管部屋の並ぶ廊下の突き当たりで、霊視の魔眼の杖を使う。
「ここの突き当たりの部分だけに、特殊な幻影の魔法がかかっているみたいね」
壁に触れると、ざらざらとした冷たい石材の感触があった。
視覚だけじゃなく、五感全てを欺くタイプの幻影だ。
例の模様を使った異空間接続みたいな空間操作魔法じゃないのはせめてもの救いか。
でも、どうしよう。
これは解呪の杖ではとけないくらいの強度をもっているみたいだ。
クラウスがいれば、すぐに解呪できただろうに。
「正しい手順を知らないと、偽物だと分かっていても無意識に立ち止まってしまうわね。物理的な壁じゃないから、壁抜けでも影響は受けてしまうし……」
「あ……そういう時こそ、これだよね」
私が思案していると、クロエが剣を抜いた。
雪銀鉱は、接触した魔法や呪文を破壊する特性を持つ。
クロエが突き当たりの壁を剣で一閃する。
壁全体が波紋のように震えたかと思うと、斬り裂かれた箇所を中心に空間が歪んでいく。
幻影空間は元通りになろうと抵抗しているようにも見えた。
しかし、ついには耐え切れなかった空間に亀裂が走る。
廊下の風景がガラスが割れるように砕け、その向こう側に別の廊下が見えた。
幻影が砕け散り、霧散した後には、元の廊下よりも少しだけ長い廊下が現れた。
突き当たりの向って左側には、仰々しくて古めかしいドアが一つ取り付けられている。
いかにも何かがありそうな雰囲気だ。
「やったね……いこう、エーリカさん!」
クロエの喜びの声が響く。
不意に私は別の問題に気がついた。
あれ? 私の目的は場所の特定及び調査であって、霊安室に突入することじゃなかったはずでは?
クロエを止めるはずが、クロエに流されて、すごく危険なところに行こうとしている。
「待って、クロエさん! 危ないからあんまり進んじゃだめよ!」
気がつくと、クロエは既にドアの向こうに消えていた。
私も慌ててドアをくぐり、クロエを追うことにしたのだった。