学園の七不思議9
翌日、私は七不思議探索を休んで、真面目に学業に励むことにした。
朝起きて教室に向かって、授業を受ける。
寮に戻って復習と自習をこなす。
寝不足のはずなのに、特に眠気もなく、淡々と作業はこなせていた。
ただ、ときどき「また会える日を楽しみに待っているよ」という言葉と彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。
そして、うまく言えない気持ちがモヤモヤと涌いては消えていくのだ。
もし鏡の向こうの陽気そうな少女が、その人であったなら。
もっと色々、別のことを話すべきだったのではないか。
別の事を伝えるべきではなかったのか。
例えば、彼女がいつ、どのように死ぬのか。
そして生き延びて欲しいと願うべきではなかったのか。
そんなことを時折考えて過ごしていたら、あっという間に消灯時間になってしまった。
私が着替えを終えた頃合いに、窓からとんとんと音がしてティルナノグが現れた。
『あの娘の頭を狙って石材を落としたやつがいるぞ』
開口一番、ティルナノグはやや厳しい声色でベアトリスの現状を伝える。
「なんですって? ベアトリスは無事?」
『もちろんだ。石など俺が打ち砕いた。破片一つ触れさせてはいない』
「それはよかったわ……」
『だが、犯人は取り逃してしまった。せめて顔を見ていればよかったのだが』
陰湿な濡れ衣にかわって、露骨な犯罪に路線変更が始まったのか。
ティルナノグの守りはほぼ完璧だろうけど、嫌な話だ。
「そう……もうしばらくは彼女の身の安全を最優先にしたほうがよさそうね」
『うむ、それが良かろう』
次に、私はティルナノグと今後の探索方針について擦り合わせを行う。
教師に見つかってしまったので、私やクラウス、オーギュストは行動を控えることにした。
少なくとも、博物館の盗難騒ぎが一段落するまでは夜間の探索は中断である。
『ふむ……そうすると、例の資料室の鍵とやらは後回しにするのか?』
「それについては手を考えてあるの。肉眼でも魔眼でも見つけられず、どこにでも忍び込める幻獣に頼むつもりよ」
『ほほう。なるほど、考えたな』
ティルナノグはにやりと笑う。
そう、学園長室探索はティルナノグに担当してもらうことにしたのだ。
魔眼除けと透明化を使いつつ、暖炉の煙突や通気口などから侵入するという計画だ。
例の資料室の鍵は学園長の椅子の裏に隠しているということだった。
この三十年の間に、椅子が交換されたり、鍵に気がつかれたりしない限りはあるはずだ。
ティルナノグを見送った後に、私は長椅子に身を横たえてパリューグの帰りを待つ。
半刻ほどたった頃に、金色の猫が窓から帰宅した。
「あ〜ら、あいつはいないの?」
「ええ、ちょっとお仕事をお願いしてるのよ」
昨夜のできごとをパリューグに簡単に説明し、情報共有する。
パリューグからは例の吸血鬼がらみの誘拐事件の報告だ。
「例の誘拐事件は続いているわ。今までで十人よ」
「あと二人揃えば儀式が始まるってことね?」
「ええ。だけど、そんなことは絶対にさせはしないわ」
パリューグがそう言うからには、きっと守ってくれるだろう。
今までの儀式と違い正式な方法にこだわるのなら、あと二名集まらない限りは殺戮は始まらない。
「良いニュースもあるわ。主要な祭壇の防衛のために、各修道騎士団から騎士が派遣されつつあるわ」
「そう。それなら祭壇に関しては安心できるわね」
「教会関係者か、王命を受けた使者か、何にせよ状況を的確に判断できる人員が動いているようね。お陰で妾は血啜りの追跡だけに専念できるわ」
イグニシアの教会も、ただやられる一方じゃないってことか。
誘拐事件の解決も、時間の問題だろう。
そうしてパリューグの話が一段落ついたタイミングで、ティルナノグが戻ってきた。
どうやら無事に鍵は回収できたようだ。
『エーリカ、これで間違いないか?』
「おつかれさま、ティル。これって……」
その鍵はお兄様の持っている貯蔵庫の鍵によく似た意匠をしていた。
おそらくは同じ仕様、つまりは空間魔法が組み込まれた、特定の部屋へと繋がるドアを作り出す鍵なのだろう。
空間魔法が絡むとなると、軽々しく使うべきではない。
私一人だけでなく、クラウスやオーギュストにもある程度相談してからの方がよい。
そう判断して、私は鍵を試すことなく就寝したのだった。
☆
その次の日の放課後、私は錬金術工房にやってきた。
ハロルドの部屋をノックすると、複数人の返事が返ってくる。
「ちょうどいいところに来たな。話が済んだところだ」
「快く承諾してもらったぜ」
ハロルドを挟んで両側にクラウスとオーギュストが座っていた。
挟まれたハロルドは、見慣れた困り顔を浮かべている。
クラウスとオーギュストが何の話をしていたかというと、資料室への扉の設置場所についてだ。
昼休みに三人で相談した結果、ハロルドの部屋に白羽の矢が立ったのである。
錬金術工房棟なら、泊まりがけの生徒が多いので夜中に活動しても目立たない。
しかも、ここにいる生徒は他人に興味がないので、複数人の男女で出入りしても変な噂が広まる心配がない。
とはいえ、怖い話が苦手なハロルドには申し訳ないことになってしまった。
「ごめんなさいね、ハロルド。怖いものが苦手なのに無理言っちゃって」
「いえ……大丈夫ですよ……」
ハロルドが礼儀的な笑顔で返事を返してはくれたが、顔色が悪い。
やっぱりこういういわくありげなアイテムは嫌だよね。
ごめん、ハロルド。
「では、約束通り俺たちが先に調査をするが、いいな?」
「はい。鍵をどうぞ。私はハロルドと別の件で相談してから、参ります」
調査のため二人が先に入るという約束になっていたのでクラウスに鍵を渡す。
様々な魔法的調査や感応能力での調査をクラウスとオーギュストが先に行うためだ。
まずは、クラウスが鍵を使って資料室への扉を開く。
扉を開けると中から目映い白い光が溢れたが、クラウスとオーギュストは迷うこと無く踏み込んでいった。
この二人なら何があろうと大体対応可能だろうし、まあ、大丈夫だろう。
「せめて俺がいないときにお願いしますって言ったのに……」
扉の中を見ないように顔を手で隠しながらハロルドがびくびくしていた。
「呪われている訳でもないし、そこまで怯えなくていいのよ?」
「いやいや、関係者が三人も死んでる可能性あるんでしょ? どう考えても呪われてない?」
「それはまあ……でも、一〇〇パーセントってわけでもないし」
「まあ、何と言われても、俺は絶対近寄らないけどね」
ハロルドは眉間に寄った皺を人差し指と親指で揉み解しながら呻いた。
そろそろ彼には怪奇じゃなくて、人の因縁や柵の話を聞こう。
「さて、それではベアトリスの件についての調査状況を聞いてもよいかしら」
「おう、それなら犯人の目星はついたよ。あとは証拠固めだけさ」
「早いわね。さすが、ハロルド」
私のほうに資料を差し出してから、ハロルドは話を続けた。
「グラウ嬢がウィント家の次期後継者になる予定だってのは、エーリカも知ってたよね」
「ええ、リーンデースを無事卒業できれば現ウィント伯爵の養子になるのよね?」
「表向きはそういうことになっているんだけど、実は元々グラウ嬢はウィント伯爵と血のつながりがあるらしい」
なるほど、そんな事情があったのか。
ハロルドは、底の知れない商売人の笑顔でにっこりと笑う。
「古くからウィント家に出入りしている商人によると、どうやらグラウ嬢の父親ってのが、ウィント伯爵の隠し子らしいのさ」
「ということは、ベアトリスはウィント伯爵の孫娘ってこと?」
「そういうことになるね。表向きは下男とメイドの子ってことにして、手元で育ててたんだそうだ」
なかなかエグい話だが、貴族社会ではありがちな部類のお話だ。
それがなぜ面倒な手順を踏んでまで養子にすることになったのだろうか。
ハロルドは説明を続けた。
「ことの発端は、えーと、今から二十六年前か。本来の相続者だったウィント伯爵の娘が失踪してるんだよ」
「二十六年前……」
「何年もかけて捜索が行われたけれど、手がかり一つ見つからなかったそうだ。こうなってしまうと、まず生きちゃいないだろうって話になって、親戚の中から改めて後継者を選ぶことになっていた」
「ベアトリスの父親は?」
「そこはそれ、伯爵の奥方の手前があるからね。それに、平民育ちのせいで継嗣になれるほどの魔法能力は見込めなかったわけさ」
ハーファンで貴族をやるには、魔法使いであることは必須だ。
魔力変換のための長い修行期間や、莫大な魔法の知識の詰め込みが必要になる。
魔法使いの修行を始めるならば、若ければ若いほどいい。
「遠縁の子供が跡継ぎにほぼ決まりかけていた矢先、伯爵夫人のほうが先に亡くなってしまった。それと前後して、グラウ嬢の魔法の才能が伯爵によって見出された」
「血筋と能力の問題、ついでに夫婦間の微妙な問題も解決してしまったのね」
「あとはエーリカも知っての通り、グラウ嬢が条件付きでウィント伯爵の養子になる話がまとまったってわけ」
負い目を感じていた妻がいなくなったなら、自分の血筋を残したいと言うのは仕方ないのだろう。
「グラウ嬢は祖父に迎えられ、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……とは行かないところが世知辛いところだな」
ここからベアトリスへの嫌がらせ事件に繋がるとしたら、原因はこれか。
「その遠縁の子供が問題なのね?」
「俺の調べたところ、そいつは男爵家の第二子だそうだ」
その人物は自分のシンデレラストーリーを奪われたように感じたのかもしれない。
ベアトリスのほうが正統だとしても、容易には諦めきれないはずだ。
だからこそ、真犯人はベアトリスを養子にするための条件にすがったのだろう。
ベアトリスが学園を卒業できなければ、再び真犯人に相続権が巡ってくる。
「あんたのほうも忙しそうだし、そいつには俺が釘でもさしておこうか?」
「……感謝するわ、ハロルド」
「いいって。俺は魔法がらみの怪奇現象じゃ役に立たないしさ」
やっと長らく続いたベアトリスのイジメ問題も解決出来るかもしれない。
一安心した後、ふと私はベアトリスのことを思い出した。
イジメの中にあっても屈することのない強い意志を宿した瞳、そして彼女の声。
ベアトリスを取り巻く情報が、私の記憶の中の何かに引っかかる。
どうやら、私はずっと目の前のあった答えに今の今まで気がつかなかったようだ。
「ねえ、ハロルド。ベアトリス・グラウの伯母……失踪したウィント伯爵の娘の資料もある?」
「ああ、あるよ。たしかこの辺りに……ちょっと、待ってね……ええっと」
「その女性の名前は、ドロレス・ウィントではないかしら?」
資料をから目を上げたハロルドは、驚愕の表情を浮かべていた。
「正解だけど……なんで知っているのさ?」
四人目の会員にして四人目の死者の名前は、ドロレス・ウィント。
若くして失われた、ウィント伯爵家の継嗣。
未来視や過去視に長けたウィント家の魔法使いならば、無限回廊にあった未来視の鏡を仕込むことが可能なはずだ。
分かっている限り〈奇譚蒐集者の会〉の非生存率は一〇〇パーセント。
これはもう呪われていると言っていいんじゃないかな。
 




