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学園の七不思議8

「〈奇譚蒐集者の会〉だと? なんだ、それは?」

「様々な奇譚の類を蒐めている会なんだ。もし良ければ、君たち三人もどう?」


 クラウスの問いに、鏡の中の少女は笑って答えた。


「有望な後輩たちに、〈奇譚蒐集者の会〉を引き継いでもらえたらとても嬉しいからね」


 謎のクラブに勧誘されている。

 三十年越しの部活勧誘ってどうなのかな、と思ったけど、これって好都合かもしれない。


「ええ、いいですよ。入会しても──」

「おい待て、エーリカ。そんな怪しい会に、まともに説明も聞かないうちから入る気か?」


 私が気安く返事をしかけたら、クラウスに遮られてしまった。

 言われてみれば、そうかもしれない。

 たしかに、鏡の向こうの相手が信頼できるとは限らない。


「こんなところに魔力吸収の鏡を仕掛けておくような奴らだ。返答しただけで妙な呪いを受けるかもしれないぞ」

「いやいや、うちの会は善良な同好会だし、呪いなんてかけないってば」

「善良? そもそもそんな同好会なんて聞いたこともないけど、本当にまともなのか? 活動の実績は?」


 オーギュストが質問すると、鏡の中の少女は我が意を得たりとばかりに笑う。


「当然、真面目にコツコツ活動しているよ。資料室には蒐集した奇譚がたっぷりある」

「へー、資料室? 規模はどのくらいだ?」

「ここ十年に渡る怪異──あり得ないはずの不思議な事件がほぼ網羅されている」


 十年分の資料か。

 例の首なし王子の霊安室の手がかりもみつかるかもしれない。


「その規模の情報は魅力的ですね……」

「同感だな。先にその資料室を見せてもらえるなら、私も入会を考えてもいい」

「オーギュスト、抑えに回るはずのお前まで食いつくんじゃない!」

「そうは言っても、こいつが言ってることが本当なら、かなり貴重な資料だぜ。その手の事件の情報は、たいてい閲覧制限されてるからな」


 クラウスが諌めるが、オーギュストは全然悪びれた様子はなかった。

 オーギュストもこの手の伝承には目がないし、仕方ないよね。


「それじゃあ、資料室の鍵を学園長の椅子の裏にでも貼っておくね。資料の内容を見て、正式に入会するかどうか判断するといいよ」

「どうして、そんな面倒なところに鍵を?」

「うふふ、面白いからに決まってるじゃないか?」


 少女は意地の悪そうな笑みを態とらしく口元に浮かべた。

 この学校で怪異として現れる女の子はみんな難物ばっかりのようだ。


「そうそう、資料室には検索の補助を行ってくれる魔法仕掛けの目録(インデックス)があるんだけどね」

「魔法仕掛けの目録……?」

「不正利用防止のために、制作者の名前を入力する必要があるんだ。目録が起動したら──」


 突如、激しく打ちつける雨音のような雑音が響いた。

 鏡の向こうの声が、不自然に遮られる。


「──という名前を伝えればいいよ」

「あの……肝心な制作者の名前が聞こえなかったわ……」

「ではもう一度、その名──」


 またもや激しい雨音が響き渡る。

 確かに無限回廊の中では雨は降り続いていたけれど、雨音はしなかったはずだ。

 なぜ、それがこんな時に?

 まるで、何かがその名前を私たちの耳に届けることを拒否するかのようだ。


「どうやらまた聞こえなかったようだね。伝えようとすると鏡が曇って、何も見えなくなってしまった。未来に伝えてはいけない情報だったのかな……」


 こちらからは、今まで通りに鏡の上部が曇っているだけで、写りは変化がなかった。

 供給された魔力の問題だろうか。

 向こう側が不安定になっているのなら、こちら側が安定していても長くはもたないかもしれない。


「じゃあ、最後にせめてこれだけでも伝わる事を祈ろう。私の名前は──ボルツ。運が良ければ、そっちでも学園都市にいるんじゃないかな?」

「ボルツさんですね。分かりました」


 名前の方は聞き取れなかったけど、家名のほうは聞き取れた。

 有名な軍属錬金術師、邪眼のボルツと同じ名前だし、これなら忘れそうにない。


「ああ、残念だ。もうお別れになりそうだね」

「ええ」

「鍵が見つからなかったら、私を捜して会いに来て。また会える日を楽しみに待っているよ」


 その言葉を言い終わると同時に、鏡のこちら側も全面曇り切ってしまった。


「まだ聞こえますか? ボルツさん!」


 私が呼びかけても、もう返事はなかった。

 まだ微かに曇りの向こうで動いている人影が見えるが、もはや鮮明な映像は望めそうにない。


「過去視はもう終わっちゃったのか、クラウス?」

「呪文の構成が複雑すぎてすぐには……いや、調べるよりも試したほうが早そうだな」


 クラウスは鏡の枠に触れて目を閉じた。

 手が触れた部分が青白く光る。

 鏡に直接魔力を注ぎ込んでいるのだろう。


「最後のほうはまるで音声を妨害されているみたいだったな」

「ええ、鏡の向こうの彼女の名も聞こえなくて。かろうじてボルツとだけ──」

「待て、静かに。繋がったようだぞ」


 クラウスの言葉に、私とオーギュストは口をつぐんだ。

 耳をすませば、雨音に混じって人の話し声が聞こえてくる。

 しかも、今度は鏡の向こうにいるのは一人だけではないようだ。


「──してたの?」

「ついさっきまでね。その子たちは三十年後の後輩だそうだよ」

「ええ〜、ボルツばっかりずるい。私も未来の人たちと話したかったなあ……」


 おっとりした甘い声質の少女の声が、ボルツと名乗った少女と話している。


「こんな怪しい鏡に関わるのはおやめ下さい。殿下に万が一のことがあっては困ります」

「何かあったほうが面白いから、こんな怪しい会に所属しているのよ。シグリズル」


 二人目の少女をたしなめる、別の少女の声が聞こえた。

 こちらは低くて落ち着いた声質だ。


 さっきまで話していたボルツの他に二人、殿下とシグリズルという人物が増えたことになる。

 殿下というのがあだ名ではなく実際の敬称だとすると、イグニシア王族だろう。

 シグリズルという名前はルーカンラントに多い女性名のはずだ。


「ねえ、あなたたち、私の鏡の前で何をしているの?」


 ドアが開閉する音とともに、四人目の少女が登場した。

 彼女もまた甘く可愛らしい声質だったが、なんだかヒステリックでケンカ腰な響きだ。


「ドロレス、ちょうどよかった。さっきボルツが鏡が起動してるのに立ち会ったんだって」

「えっ、嘘!? どうして私をすぐに呼んでくれなかったのよ!」

「起動していたと言っても、ほんの数分だよ。呼びに行っている間に未来視が終了していたんじゃないかな。いやあ、残念だったね、ドロレス」


 ボルツと呼ばれた少女は、まったく悪びれた様子無く答える。

 私たちと話していた時とおなじで、どこかとぼけた感じだ。


「一年もかけて魔力を貯めてたのに! なんで私じゃなくて、よりにもよってボルツなんかが!」

「こんな鏡があるから心が惑うのだろう。割ってしまえばいい」

「この鏡の価値が分からない野蛮人は黙りなさいよ〜〜!」


 ドロレスという少女の甲高い喚き声が響き渡った後には、静かな雨音だけが残った。

 私たち三人は、しばらく雨音の中に過去の声を待っていた。

 しかし、そのうち雨音すらも遠ざかり、鏡の向こうの音は完全に消えてしまった。


「……これで本当の終わりのようだな」


 クラウスがそう宣言した。

 私はさっきまでの四人の少女の会話を思い出してた。

 ボルツ、殿下、シグリズル、ドロレスという少女たち。


「どうやらイグニシア王族の方がいたみたいでしたね」

「三十年前に学生だったなら、私の伯母上の可能性があるけど、そんなことがあるのか……」


 イグニシア第一王女エレオノール。

 彼女は二十年以上前に早逝した王女だと聞いたことがある。

 オーギュストは何か思うところがあるのか、考え込むような様子で押し黙った。


「シグリズルは北に、ドロレスは東に多い名だが……」

「そうですね。今も学園にはシグリズルは三人、ドロレスは二人在籍してますよね」


 定番の名前だし、こちらは特定するのは難しいかもしれない。

 三十年前の生徒の名簿があれば、ある程度は絞り込めるだろうか。


「シグリズル、か……いや、まさかな」

「何か心当たりがあるのですか、クラウス様」

「今は亡きルーカンラント公爵夫人が同じ名だったが……穿ち過ぎだろうな」


 ルーカンラント公爵夫人シグリズル。

 そう言えば、七年前の人狼虐殺事件で殺された人物の中にその名前があった。

 クロエの母親なのだろうか。


「もしかしたら先程のボルツさんって人は、あの有名な邪眼のボルツなんでしょうか?」

「まさか……いや、年代的に、その可能性もあるのか……?」

「女の人だったんですね、知りませんでしたよ……」


 今まで考え込んでいたオーギュストが、はっとした顔で私を見つめる。


「エーリカ、もしかして、知らなかったのか?」

「オーギュスト様、何のことですか?」


 オーギュストは口を開きかけて躊躇った後、真剣な表情で答えた。


「邪眼のボルツ……フレデリカ・ボルツは、アウレリア公爵夫人だった。つまり、お前の母だ」


 最後の一言を言い切る前に、オーギュストは私から目を逸らした。


 アウレリア公爵夫人フレデリカ。

 十一年前に、海難事故で亡くなったという、私の母。


「オーギュスト、お前はどうしてそれを?」

「昔、ある資料で知ったんだ。訳あって、死んだ兄の名を名乗って軍属になったと」


 クラウスがオーギュストに詰め寄っている。

 なぜか、二人の瞬きや唇の動きがとてもゆっくりに見えた。

 だんだん声が遠くなっていき、どこに目の焦点を持って行けばいいのか分からなくなる。


 緩慢になっていく感覚と裏腹に、思考は鮮明だった。

 私の頭の中で邪眼のボルツと母フレデリカの情報が組み合わさっていく。


 邪眼のボルツは、戦争の報賞として王室領から領地をもぎ取った。

 母が手つかずの銀鉱脈とともに私に遺したアージェン伯爵領は、元王室領だったはずだ。


 邪眼のボルツが得た戦争の報賞には、南西諸島も含まれていたはずだ。

 兄が母から相続した領地では、チョコレートの原材料となるカカオなどが穫れる。

 この国のカカオ農園は、主に南西諸島に作られている。


 言われてみれば、納得することばかりだ。


 母にまつわる醜聞は、虚実入り混じった誤解されやすいものらしく、私の身近な人々はその話題を避けていた。

 その気づかいが分かっていたので、私もあえて聞かないようにしていた。


 だから、お父様やお兄様から、今まで一度も母の二つ名を聞いた事が無かった。

 残酷と強欲で名高い戦争の英雄と同一人物だなんて、思いもしなかった。

 なるほど、それもまた誤解を生みやすい母の醜聞の一つだったということだろうか。


 ゆっくりと沈むように記憶を遡っていく。

 幼い日に微睡みの中で聞いた、母の優しい歌声。

 それは確かに、あのボルツという少女に似た声をしていた。


「エーリカ、大丈夫か?」


 オーギュストの声で、私の意識は現在に戻ってくる。

 二人はひどく心配そうな顔で私を見つめていた。

 私は笑顔を返そうと思ったが、できなかった。


「ええ……ちょっと驚いてしまって……」

「色々思う所あるだろうが、そろそろ引き上げるぞ。空間が不安定になっている。早急に退出した方が安全だ」

「は、はい、クラウス様」


 珍しく焦っているクラウスの呼びかけで、過去への思いに囚われかけていた私は正気に返った。

 どうやら、今は混乱してる暇などないらしい。


 クラウスの意見に従って、急いで鏡の部屋をあとにする。

 部屋から出ると、中庭に降る雨は止んでいた。

 無限回廊も解除されて、元の回廊に戻っているようだ。

 振り返ると、ドアは消えており、ただの壁だけがそこにあった。


「エーリカ、ゴーレムと鞄の回収だ」


 私は最初の教室に戻って、ティルナノグと合流する。

 ほっと一安心した瞬間、背後から声がかけられた。


「君たち、こんな時間にどうしたのだね?」


 現れたのは黒髪に紅い瞳の魔法使いだった。

 ブラド・クローヒーズ。

 黒ずくめのシルエットが、暗い回廊に佇んでいる。

 こんな時間に、灯りの一つも持ち歩いていないようだ。


「彼女が大切な物を忘れたそうだから、探し物を手伝っていたんだ」

「この通り、ついさきほど回収して寮に戻るところでした」

「ええ、そうなのです」


 とっさにオーギュストが適当な言い訳を口にした。

 クラウスは涼しい顔でそれに合わせて偽証し、私は慌てて頷いた。


 ブラドはあからさまにしかめっ面をした。

 長いお小言が始まりそうな雰囲気に、私は身構える。


「……雨の匂いがするな」


 ブラドは私たちの言い訳には答えず、そう呟いた。

 私は無限回廊に降っていた雨のことを思い出してどきりとする。


「君たち、ここで何か見たかね?」

「いえ、何も……」

「無限回廊に取り込まれましたが、すぐに脱出しました」


 私が言いかけた言葉に、クラウスが被せる。

 ブラドは私たち三人の顔を順々に睨むように見つめ、しばらくして息をついた。


「ならばいいだろう。あれは前途ある生徒が関わるべきではないことだ」

「はい、気をつけます」

「速やかに寮に戻りたまえ。くれぐれも寝坊して授業に遅れるなどということがないように」


 そう言って、ブラドは回廊の闇の中に消えていったのだった。

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