学園の七不思議6
明くる日、私は眠気のあまり寝坊してしまった。
ティルナノグが何度も起こしてくれたのに、どんなに揺さぶってもまったく起きなかったらしいのだ。
『エーリカよ、大丈夫か?』
「私はなんとかなると思うから、ティルはベアトリスのところへ」
『うむ、分かったが、エーリカ、無理はするなよ』
私の体調を心配してくれるティルナノグをベアトリスの護衛に送り出す。
次に、寮の食堂で待ってくれているトリシアにゴーレムで私を待たなくても良いと伝言を出してから、急いで身支度を整える。
それから軽く飲み物だけの朝食をとって、私は学舎の教室へ急いだ。
今日の一時限は、よりにもよってあのブラドの召喚魔法の授業だ。
遅刻したらどんな扱いを受けるか、恐ろしくて想像したくないところである。
大慌てで教室までたどり着くと、ブラドが教室の前で幻獣博物館の職員リエーブルと話している姿が見えた。
「まだ先生の張った結界が残っています。開館時刻前に解くはずの予定でしたよね?」
おや、まだ召喚魔法の授業始まってないのかな?
これはラッキーかもしれない。
でも、どうやってこの二人の前を通過して教室に入ろうか。
思わず私は影に身を隠し、二人の会話に聞き耳を立てる。
「安全が確認されれば、という条件もあったはずだ。私はまだ安全だなどとは判断していない」
「学園長も他の先生も、みんな結界は解除なさっています。解いていないのはクローヒーズ先生だけですよ」
「それは彼らの判断が甘いだけだ。用件がそれだけならば、私は失礼させてもらう」
「待ってください。ではせめて、業務に差し障りのない範囲に絞っていただけませんか」
教室に入ろうとするブラドを遮るように、リエーブルが立ちふさがる。
「……承知した。ではクニクルス館長に私の意図を直接説明させてもらおう」
「館長も解除には同意なさって──待ってください、クローヒーズ先生!」
ブラドが早足で歩いていくのを、リエーブルが追いかける。
どうやら昨晩の件っぽいな。
用心深いブラドは彼一人だけ幻獣博物館に結界を維持し続けているらしい。
二人とすれ違う瞬間にお辞儀しながら顔を隠しつつ、私は教室に滑り込む。
やった! 遅刻回避成功だ!
教室に入ると、オーギュストが私の分の席を確保して待っていた。
目があうと、にっこりと笑顔が返ってくる。寝不足の影響の無い綺麗な笑顔だ。
私は少しだけ迷ってから、彼の隣の席に座ることに決めた。
「おはようございます、オーギュスト様」
「おはよう、エーリカ。あのブラドが遅れるなんて、今日は運が良かったみたいだな」
「ええ、幸運にもクローヒーズ先生には御用事ができてしまったみたいです。先程立ち聞きしてしまったんですが──」
私は小声で先程小耳に挟んだ話をオーギュストにも伝える。
「へえ、あの人が結界を展開したままか……」
「どちらかと言えば、先生の方が正しいような気がします。昨日の今日ですしね」
盗難事件ならば、現場に証拠が残っている可能性もある。
もし内部犯の可能性があるなら、その証拠を隠滅したい犯人が容易に立ち入れてしまう。
まだしばらくは現場を封鎖しておくのが無難かもしれない。
まあ、職員さんは困ってしまうだろうけど。
今夜も博物館の探索は避けたほうがいいだろう。
仮にブラドがすぐに結界を解いたとしても、閉館時刻が過ぎたらまた張り直しそうな気がする。
しばらくするとブラドは教室に戻って来た。
彼が壇上に立つと、騒がしかった教室がシンと静まりかえる。
「本日の授業は、召喚魔法が魔法階層や物理階層にどのように関わっているかを学んでもらうとしよう」
特に遅れた言い訳をするでもなく、いつも通りにブラドの授業が始まった。
基礎の基礎である、棒切れの蛇の呪文を詠唱して、おなじみの灰色蛇を壇上に召喚する。
「精霊を利用した変異魔法の場合、呪文効果を実行している魔法構造体は魔法階層に存在している。物理階層に存在する棒を、魔法階層に展開した蛇の人工精霊で上書きしている状態だ。この蛇を棒に戻す方法を述べよ。エーリカ・アウレリア」
人工精霊の影響を元に戻すにはどうするか。
昨夜の首吊り幽霊のことを思い出しつつ、私は答える。
「はい、解呪による人工精霊の除去です」
「正解だ。魔法階層に存在する人工精霊がなくなれば、物理階層にある棒は元の形態に戻る。では逆に、物理階層からアプローチして人工精霊を除去する方法は知っているかね?」
難しい質問だけど、これは教科書ですでに予習していた内容だ。
憑代である触媒を破壊すれば、除去は可能なはず。
「物理階層にある媒体である棒を破壊すれば、紐づけられた対象を失った人工精霊は消滅します」
「大変よろしい。実に優秀な生徒だ」
ブラドは表情一つ変えることなくそう言った。
とてもじゃないけど素直には受け取れない言葉だ。
自惚れないように、これからも自習を頑張っておいたほうが安全に違いない。
「ちなみに、物理階層に依存しない純粋な人工精霊であれば物理的な破壊にも耐えうるだろう。このように、変異魔法による召喚はいくつもの脆弱性を抱えている。その代わりに少ない魔力や低い制御力でも実行が可能だ。これは召喚のみならず、他の低位の魔法の場合にも言える」
ブラドは右の手のひらの上に魔法の小さな炎を浮かべる。
次に、左の手のひらの上に解呪の魔法陣を生成して、右手にかぶせる。
合わせた手を開くと、炎は消えていた。
「大部分の魔法は、魔法階層に展開した構築物を物理階層に実体化させている。やはり同様に利便性が高い代わりに、解呪にも物理階層からの干渉にも脆弱だ。では、解呪されない炎を作るにはどうすればいいか。召喚魔法からは少々逸脱した内容になるが……エーリカ・アウレリア、君なら分かるのではないかね?」
うーん、解呪のきかない魔法とは何だろう。
私は六年前の〈炎の魔剣〉を思い出した。
あれがまさに解呪しても実体化する炎だったはずだ。
「因果や空間に干渉して、解呪を無効化する?」
「ふむ、面白い答えだ。そんな回答を返す新入生は君くらいだろう。エーリカ・アウレリア」
ブラドはまったく面白いとは考えていない表情で教室を見回す。
「因果、あるいは空間に干渉。それもまた一つの方法だ。しかし、構築にかかかる手間も、魔力も桁違いになる。この中にも将来そういった分野の研究者になる者はいると思うが、今の君たちが理解するには少々荷が重い。エーリカ・アウレリア、より一般的な方法で解呪を無効化する手段も分かるかね?」
確かにあの〈炎の魔剣〉は人工精霊付きの魔法建築物が霊脈から直に吸い上げた魔力で動いていたらしいし、普通の魔法じゃないよね。
ブラドのこれまでの授業の傾向から言って、そこまで授業と関係のない話を長く続けるとは思えない。
とすると、最終的にこの話は授業内容に戻ってくるはずだ。
私は教科書の概要をまとめた自作予習ノートをぱらぱらとめくりながら答えを見繕う。
「物理階層に燃料と火種を生成すれば、解呪を行えない炎になります。その代わり着火する前に燃料を分解されたり、火種をかき消されたりして対処される可能性はありますが……」
「よろしい、その通りだ」
次の問題もクリアすると、ブラドは淡々と説明を続けた。
「この二つの方式にはどちらも長所と短所がある。魔法階層を通じて制御を容易にすれば、脆弱性が増す。物理階層に直接効果の原因となる物を送り込めば、解呪不能になる代償に制御が難しくなる。その時と場合に応じて、適切な方法を選択することが肝要だ」
言葉を切ると、ブラドは私に着席を促しつつ、灰色蛇に解呪をかけて棒切れに戻した。
「さて、逸脱はここまでにして召喚魔法の話に戻ろう。この後者の方式と同様に解呪に抵抗したい場合、どのような召喚魔法を実行すればよいか、ベアトリス・グラウ?」
「あ、は……は、い! 転移魔法によって、実在する魔獣などを呼び出せばいいと、思います……」
「よろしい。初等レベルの転移魔法による召喚としては、小動物の召喚などが該当する」
不意打ち気味にいきなり指名されたベアトリスは、慌てて立ち上がる。
ブラドはベアトリスの解答に頷くと、先程までとは別の呪文を詠唱しはじめた。
棒切れの蛇よりも格段に複雑で長大な詠唱や魔法陣構築の後、ブラドの手のひらに白いハツカネズミが現れる。
「では転移魔法による召喚を阻止したい場合はどうするか。クロエ・クロアキナ」
「転移が完了する前に、解呪などで呪文を破壊します」
「正解だ。ゆえに実行者側が注意すべきは、転移魔法が完成するまでの間──」
ベアトリスもクロエも、質問は一つずつだった。
私が連続で質問されたのは、もしかして授業に遅れた罰則なのだろうか。
あれ? 顔を隠したのにバレてた?
それから、ブラドの召喚魔法について授業は、いつも通りに進んでいった。
相変わらず過酷なスピードだが、どんなに眠くてもこの授業だけは予習を怠っていないので、何とかついていける。
「──以上だ。なにか質問のある生徒はいるかね?」
授業の締めに、ブラドは生徒からの質問を募る。
何人かの学習意欲旺盛な生徒が質問すると、ブラドは淡々と答えを返していった。
私はふと例の図書館の首吊り幽霊を思い出して、手を挙げてみた。
「では、次はエーリカ・アウレリア」
「物理領域には触媒を持たず、本体は完全に魔法領域にいながら物理領域に干渉して自己の複製を書き込みする人工精霊の場合は、どう除去するのが定石なのでしょうか?」
「魔力供給源の遮断か、結界によって隔離した上でその人工精霊を上書きしていく別の精霊を影響範囲に放つか。なかなか面白い思考実験だが、そこまで厄介な仕様の人工精霊が作成されることは滅多にあるまい」
どちらも納得できる方法だが、魔力供給の遮断も人工精霊での上書きも、どっちもなかなか難しそうな気がする。
そこでちょうど授業の終わりの鐘が響き渡り、ブラドは退室していった。
「エーリカ、今日はご苦労様。最後の質問って昨晩のアレのことだろ?」
「ええ、対策は難しそうですね」
「まったくだ」
オーギュストに私は肩をすくめて同意した。
「質問で当てられると大変ですけど、召喚魔法の授業は役に立ちそうな知識が多くて面白いですね」
「まあ悪くはないけど、私は早く実践に入って欲しいよ」
「巻物を使っての竜召喚は、修道竜騎士の定番技ですものね」
「いざって時にブライアやブランベルを召喚できるようにしておきたいんだけどなー」
私はオーギュストが竜を召喚する姿を思い浮かべてみた。
おお、カッコいいかも。というか凄い派手なファンタジーっぽい。
「いいですね、私もはやくブライアとブランベルの勇姿を拝見したいです」
「そこは私の勇姿じゃないのか〜?」
「ああ、そうでした。オーギュスト様の勇姿、楽しみにしてますよ」
そんなことを話してから私はオーギュストと別れて次の授業に向かったのだった。
☆
一日の授業がすべて終わると、私はまずはハロルドの所へ行ってから準備を整えることにした。
「いらっしゃい。充填が終わったのはそっちに置いてあるよ。箱に今日の日付のラベルが貼ってあるやつ」
「いつも悪いわね、ハロルド」
決闘裁判で使った水晶塊の杖のうち一本は充填が終わってるので、受け取る。
天界の眼のレンズはコーティングが終わったところだそうだ。
便利な魔眼だけど、コーティングの塗り直しや呪文の構築にも時間がかかるのがネックかもしれない。
「そう言えば、長靴の呪文も減ってたりしない?」
「少し使ってたはずだけど」
「ふまず芯に仕込んでるから交換に時間がかかるからさ、何か起こる前に充填しなおしておこうか?」
「ええ、ありがとう」
ハロルドは私の前にしゃがむと、呪文の切れかけた長靴を脱がせ、新しい別の長靴に交換し始める。
交換してもらいながら、ふと、目の前のハロルドを眺めて、不思議な気分になった。
豊かな赤毛のポニーテールと骨っぽいゴツゴツした体つきは、六年前の子供らしい彼とは大違いだ。
いくら西北人は体格が良いとはいえ、随分はやく成長してしまったものである。
「ん? 俺の頭に何かついてた?」
「いえ、昔は私よりも小さかったのに、随分と大きくなったと思って」
「そりゃあ、六年も経てばね」
「病弱っ子だったのに、頑丈になったし」
「いや、頑丈ってほどではないからさ。荒事に連れてくのは勘弁してよ?」
びくりと身を竦めたハロルドに、思わず笑ってしまう。
そういうつもりではかったんだけど。
体が大きくなっても、中身はあんまり変わらないようで安心する。
「じゃあ、よろしく頼むわ」
「おう、任しといてよ!」
ハロルドによる装備の点検や交換を終え、私は寮に一旦戻ったのだった。




