来航者の遺跡5
通り抜けを実際に体験するのは初めてだった。
なので、肉体が物質を透過し、すれ違う感覚は未知の何とも形容しがたい感覚で──
いや、待って……なんかこの感触、覚えがあるよ?
私の脳裏に前世の記憶が蘇る。
ごく一般的な居酒屋や定食屋で、私はこの魔法に似た感覚に出会っていた。
(──あ、暖簾だ)
三メートルくらいの通路に全身サイズの暖簾をたくさん並べて通り抜ける感覚とでも言えば良いだろうか。
思いもしないところに近似値があったものだ。
(ファンタジーっていったい何なんだろうね……あ、でもこれ、意外に楽しい)
浮遊の効果時間は十分程度。
効果終了の目安は足元の魔法陣の直径が半分くらいの大きさになったくらい。
魔法陣が体を支えきれなくなる前に、短杖を振り直す。
「もしかして、帰りはこのまま〈来航者の遺跡〉の外側の壁を突っ切って外に出た方が短杖の消費が少なくて済むんじゃないか?」
「それは、少々リスクが高いです」
「なぜだ?」
「〈来航者の遺跡〉の外側はかなり厚い岩盤です。もし深さの見積もりを誤って、効果時間中に地上に出られなかったら……」
「圧死か。無惨だな」
「無惨です。しかも、岩盤を抜けても、その外側は大部分が海です。もし脱出角度を誤れば……」
「溺死か。無惨だな」
「無惨です。これ以上変な死因を増やしたくありません」
「これ以上?」
「おおっと! こっちの話です。お気になさらないで下さい」
「エーリカ、お前……」
慌てて目をそらす。
ついうっかり、悪役令嬢エーリカの面白死因集について口走るところだった。
前世知識なんてあらゆる意味で理解してもらえるわけないよね。
テレポートに失敗するといしのなかに入ってしまうあのゲームの話なんて、言わずもがなだ。
何だかクラウスから、痛い子を見るような目で見られてる気がする。
……辛い。
そんなこんなで、些細かつ個人的な失敗もありながら、私たちは各階層を超高速で探索していく。
通り抜けでの探索に切り替えると、過去視にもようやくアンの姿が映るようになってきた。
それらはかなり時間の経った映像ばかりだった。
過去の彼女の足跡を辿ろうとしても、既に変化してしまった迷宮のせいで、すぐに壁に阻まれてしまう。
しかし、クラウスにほんの少しだけ心の余裕が出てきたように感じる。
アンの動いている姿を確認できたお陰だろう。
早く、本物に会わせてあげたいなと思う。
彼ら兄妹が死に別れてしまったらどうなるか、その悲しい未来を思うと胸が苦しくなった。
「待て、エーリカ。何かいる」
簡易ベースキャンプのある階層から二階層ほど下ったところだった。
クラウスは私を庇うように手を広げ、通路の先を睨んだ。
「え……」
「微かな空気の揺れに、床に何かを引きずる音。お前の兄が討ち漏らした怪物か獣かだろうな」
え、怪物?
ちょっと待って、確かに戦闘の準備はしたけれど、バトル展開はまだ心の準備ができていない。
耳を澄ませば、微かな摩擦音がじわじわと確実に近づいてくるのがわかる。
逃げた方がいいのかな?
「まだ不用意に動くな。俺の後ろにいろ」
「あ、うん」
クラウスは私を背中に庇ったまま、槍を構えるように長杖を腰の高さに構えた。
どうしよう、援護しなきゃ。短杖?
攻撃用がベルトの右側で……ああっ、金縛りも出しとくんだった!
「無理するな。いつでも逃げられる用意をしておけ」
「え、でも」
「女を守るのが男の仕事だ。お前の役目は、まず深呼吸して落ち着くことだ。戦場では敵よりもパニックになった味方の方が恐いからな」
「すう……はあ……クラウス様は、落ち着いてますね」
「俺は戦闘訓練を受けているし、父上の狩りや死霊退治に同行したことがあるからな」
公爵やその子息が直々に死霊退治に行くのか。
旧王家時代には土着の太陽神の最高司祭でもあったという、東のハーファンらしい話だ。
曲がり角に何かが蠢く影が見えた。
クラウスは左手で懐から手早く二枚の呪符を抜いて影に向かって投擲し、数語の呪文を早口に詠唱した。
投げられた呪符は魔法陣を展開しながら飛び、空中で弾けて白色の強い光を発する。
光は通路の右上と左下──対角線をとるように着弾し、影の正体を照らし出した。
「──動く骨の群れだと!? しかも、この数は……」
宙に浮かぶ乱雑に組み合わさった、何種類もの獣の骨。
何頭? 何十頭分?
元の数が分からないほどの、たくさんの骨の塊が通路を埋め尽くし、うねりながら近づいてくる。
それが、光の魔法で照らし出されたものの正体だった。
「霊視の魔眼を弾くほどの魔法抵抗……ちがう、俺の知らない魔法構造をもつ怪物か……、いや、これは何だ!?」
「クラウス様……」
「いいか。俺が合図したら、振り返らずに逃げろ。浮遊で一直線に突き抜ければ、通り抜けは出口まで有効なはずだ」
クラウスの顔に緊張が走る。
ちらりと私の方に視線を向けた後、彼はまとめて百枚程度の呪符の束を袖から引き出した。
いくら戦闘経験があっても、いくら将来の天才魔法使いでも、これだけの骨がアンデッド化していたら苦戦は必至──ってことだろうか。
実際、こんなに巨大なアンデッドに遭遇したとしたら、死の危機である。
──しかし、私は逆に、その姿を見て安堵していた。
「クラウス様、大丈夫ですわ」
「何っ!?」
「あれは兄の作ったお掃除自動人形、アシッドヒドロゲルゴーレムです」
「──はあ!?」
これはアンデッドではない。
半透明のゼリーのような物質で出来たゴーレムの中に、大量の骨が浮かんでいるだけなのだ。
一般的なゴーレムと違って、彼は人型ではなく立方体の形状をしている。
彼はその柔軟な体を通路いっぱいに広げて、ゴミを残らず巻き込んでいくような感じで掃除を行うのである。
前世記憶を取り戻す数日前、お兄様の部屋でこれの試作品を見たことがある。
ぷるんぷるんで、動く林檎ゼリーみたいな姿だった。
便利だなって思ったけど、実機がこんなに巨大だとは夢にも思いませんでしたよ……。
流石です、お兄様……スケールが違う……。
「内部は強酸ですが外側は中性の半固体です。死骸しか飲み込まないし、高価な材質の品は中性の成分で保護する、賢くて安全設計なゴーレムだそうですよ」
「は!!? なんでお前の兄はそんなものを迷宮に!?」
「掃除……のためでしょうね。これだけのモンスターの死骸があったわけですから。骨が残るのは錬金術用の素材を回収するためだと思います」
「ええいっ! 紛らわしいだろっ!!」
全くその通りだ。
だけど、それは私ではなくエドアルトお兄様に言って欲しいところである。
おっと、大事な事を思い出した。
「あ、でも、通り抜け状態で彼の中に突っ込むと、外殻で止まらずに強酸で即死しますね」
「くぅ、エドアルト・アウレリアめ……っ!!」
「私たちが探索している間は停止しておいた方がいいかもしれません」
エドアルトお兄様本人は物腰柔らかないい人なんだけどなあ。
こと錬金術に関しては、容赦も手加減もなくて剣呑すぎるのが玉に瑕です。
気づかずにダッシュで突っ込んでたら、私とクラウスの白骨死体もあそこに浮いてましたよ?
ていうか、今気がついたんだけど私の死亡フラグってほとんどお兄様製ですよね?
星水晶の首飾り。
保存箱に仕掛けられた死の罠。
通り抜けの巻物に酸のゴーレムのコンボ。
「大丈夫か、エーリカ。眼が死んでるぞ……?」
「え、あ、大丈夫ですわ、クラウス様」
いけない、いけない、うっかり心の闇に囚われそうになってたわ。
あの優しいエドアルトお兄様が、実は私を殺そうとしてるかもなんて疑い始めてしまうとは。
もう少し人を信頼しようよ、私。
さて、気を取り直して、ゴーレムの停止だ。
土石や金属製の普通のゴーレムなら、制作者でもなければ難しい作業だ。
しかし、この半透明の半固形でできた、動きの遅いゴーレムが相手なら私にも停止できる。
まずは、ぷるぷる震えながら動くゴーレムの前に進み出て、ランプを翳しながら彼の内部を観察する。
霊視の魔眼を使ったことで、すぐに私は無数の骨の中から起動呪文の刻まれた陶片──ゴーレムの核を見つける。
これがあれば、ゴーレムの動きを止められるはずだ。
あれ? 陶片の近く、あそこに浮いてるのは──
「クラウス様、ゴーレムの体内に見覚えのあるものが浮かんでいます」
「見覚えのあるもの?」
「あそこです。アン様の髪留めに似てませんか?」
クラウスは高さ一メートルほどの、ある一点を凝視した。
そこに浮かんでいるのは、白い材質……おそらく陶器か骨で作られた物体だ。
金属製のピンの部分は溶けてしまったようだが、特徴的な花弁状の飾りはそのまま残っている。
「……っ!!」
「クラウス様。大丈夫です。アン様は通り抜けを使っていないはずです」
クラウスは衣服の心臓の部分をぎゅっと握りしめていた。
痛々しいくらいに悲壮な表情だ。
「アン様はこの中にはいません。きっと、アン様が落としたものをゴーレムが拾ったのでしょう」
「ああ、そうだな……見たところ人骨らしきものはない。分かっている。俺は大丈夫だ」
そうは言うけど、強いアンデッドと戦闘になりかけた時よりも、よっぽど顔色が悪い。
とても大丈夫には見えない。
早とちりには違いないが、肉親の生死に関わることなのだから無理も無いか。
強がってはいるけど、クラウスも十歳の子供だ。
その心に受けているストレスは計り知れない。
この手がかりが、うまくアンに繋がってくれればいいけど。
「酸がはねるかも知れません。少し離れましょう」
後退りしながら、革鞄を漁って見えざる指の杖を取り出す。
見えざる指の杖は、イチイ製だ。
杖の先には蛋白石、柄は黄金で蜘蛛の巣と脚を象っている。
芯材は、老いたる大蜘蛛の足。
左手で見えざる指の杖をふると、右手の五本の指の周囲を虹色に光る小さな魔法陣が指輪のように取り巻いた。
ゴーレムの内部に魔力で作られた見えざる指が形成されるのが、霊視の魔眼を通して見えた。
私は試しに右手を開閉させてみる。
──よし、動く。
見えざる指は私の右手をトレースするように開閉していた。
核にさえ手が届くなら、ゴーレムの停止は単純だ。
見えざる指を移動させ、陶片をつかむ。
そこに刻み込まれた真理の文字から、見えざる指で一文字削り取り、死にかえる。
すぐさま、ゴーレムは湯が沸き立つようにボコボコと形を崩し、地面に溶け込んでいった。
「なるほど自動人形の死か」
クラウスは物珍しそうに言った。
確かに、東に住んでたら、ゴーレムの崩壊なんてなかなか見れない光景かもね。
右手の虹色の魔法陣はすぐに掻き消えた。
文字を削るときに力を入れたせいだ。
この繊細さ故に、見えざる指は細かい作業にしか使えない。
ゴーレムが取り込んだ百はくだらないモンスターの骨に紛れて、ゴーレムの核と髪飾りが落ちている。
私は付着した酸を洗い流し、ゴーレムの核を拾う。
これはお兄様に返さないとね。
クラウスも同様にして、アンのものらしき髪飾りを拾う。
精巧な細工で東国の花を象った、可愛らしい髪飾りである。
「確かに見覚えがある。材質もハーファンの森に多く生息する一角獣の角製だ。アンのもので間違いないだろう」
「だとすると、アン様はこの先を通っていったわけですね」
しかし、曲がり角の先を十メートルほど進むとすぐに行き止まりになっていた。
二人して過去視の杖を振る。
行き止まりの方向に向かって歩いていくアン・ハーファンの背中が見えた。
彼女は何かに気づいて驚愕の表情をした後、小走りに走っていった。
慌てていたせいか、アンは髪飾りが落ちてしまったのにも気づかない。
あれは、きっとゴーレムの中の骨の塊を見ちゃったね。
隣からクラウスの安堵のため息が聞こえた。
「アン様に近づいてきた感じですね。迷宮は変化してますけど」
「大丈夫だ。方向さえ分かれば、こちらには通り抜けがある」
「ええ。クラウス様、追いかけましょう」
一枚目の通り抜けの巻物の有効時間には若干余裕がある。
早めに合流できれば、二枚目の巻物で三人一緒に脱出できるだろう。
少なくとも、彼女が最下層の封印された古代の悪霊と出会ってしまうよりも早く、追いつけるはず!
私たちは切らしていた浮遊を掛け直し、アンの向かった方に静かに空中を蹴って走り出した。