学園の七不思議5
その日の夜は、まるで一足早く冬が来たかのような冷え込みだった。
仮眠の後、私とティルナノグは昨晩と同じ手順で寮を抜け出して幻獣博物館へと向う。
今夜の七不思議は『死の世界への階段』だ。
深夜にある階段の十三段目を目隠しして踏むと、冥府へと繋がってしまうという怪異である。
「二十三時十一分って説と、二十四時ちょうどって説と、一時二十三分って説と、三時三十三分って説があるのよね……今回も睡眠時間が厳しくなりそう……」
『それなら、俺がずっと踏んでおこうか? その間に仮眠をとっておくといいだろう』
「え、そんな裏技アリなのかな。とりあえず現物を調べてからね」
幻獣博物館に向かう途中、ゴールドベリだけがこちらに飛んでくるのが見えた。
彼女は私たちの頭上をくるりと旋回し、来たときよりもゆっくりとした速度でどこかへ飛んでいく。
「ついて来いってことかな」
『そのようだな』
ゴールドベリを追っていくと、幻獣博物館から少し離れた常緑樹の生け垣に辿り着いた。
そこには茂みに隠れるようにしてクラウスとオーギュストが待っていた。
寒いのが苦手なオーギュストは小さな火蜥蜴を壜に入れて暖をとっていた。
クラウスの方も少し厚手のローブを着用しているようだ。
二人は私に気づいて手招きする。
「お二人とも、どうしてこんなところで?」
「今夜の幻獣博物館は、どうも警戒が厳重らしい。ほら、あれ見えるか?」
樹の陰に身を隠したまま、オーギュストの指差す先を見上げる。
星空の下を、何かの影が横切った気がする。
目を凝らしてみると、どこかで見たことのある黒い竜が風に乗ってゆっくりと滞空しているのが見えた。
「あれは、瞑想者の竜ですね……?」
「これ以上近づくと、私でも見つかってしまうだろうな」
秘密だったような覚えがあるので、教授の名前を出さずに問いかける。
オーギュストは頷き、小さくため息をついた。
「それだけじゃないぞ。あの顔ぶれを見ろ」
クラウスが指した方を見ると、博物館の正面に照明を手にした集団がいる。
顔までは見えないなと思っていると、クラウスが詠唱を始めた。
猛禽の魔眼と霊視の魔眼の呪文によって、そこにいる人々やかかっている魔法がはっきりと見えるようになる。
集まっていたのは、魔法学園の教員や、幻獣博物館の職員だった。
学芸員のリエーブルや、リーンデース市の衛兵の姿もある。
その中心にいるのは、トゥール学園長、ムール教頭、ブラド・クローヒーズ、そしてクニクルス館長だ。
いずれも簡単に出し抜けそうな相手ではないし、万が一にも見つかったら厳罰必至である。
「結界や感知魔法も、何重にもかけられていますね」
「特に厄介なのはトゥール学園長の熱感知魔法だ。俺たちの体温を何とか誤摩化したとしても、空気の動きで気取られる可能性がある」
クラウスは苦々しい表情で説明した。
とてもじゃないが、今夜は忍び込めそうにない雰囲気だ。
「何があったんでしょう?」
「重要な幻獣標本の紛失か盗難ってところだろうな。何ともタイミングが悪いことだ」
「どうする? 今夜はやめておくか?」
オーギュストの問いに、私はしばし黙考した。
見つかるのは避けたい。
しかし、時間は貴重なリソースだ。
ノットリードの時のように後手に回った挙げ句、時既に遅しなんてことは真っ平である。
だとすれば、予定を変更することにしよう。
「魔法図書館に向かうのはどうですか?」
「ああ、例の首吊りかー? どうする、クラウス?」
「幻獣博物館に人員を割いているなら、魔法図書館は手薄かもしれん。行ってみる価値はあるな」
満天の星空の下を駆け抜けて、私たちは魔法図書館へ向かう。
魔法図書館は幻獣博物館とは逆に人っ子一人いない状態だった。
その代わり全ての入り口に、解錠をかけると、警報がなる仕組みが設置されている。
クラウスが通り抜けの魔法を全員にかけて、壁を抜けて館内に入り込む。
魔法図書館の窓は乳白色の雪花石膏製なので外の光を通さず、館内は真っ暗だった。
長杖の先に光を灯したクラウスを先頭に進んでいく。
鎖付き図書棚のある六階層に到着すると、クラウスは入り口のそばの壁に向かって長杖をかざした。
部屋に施されていた仕掛けによって蜜蝋燭が点り、図書棚が温かな光に照らされる。
「構築しかけの解析魔法があるな。先日会った司書が言っていたやつか」
「まだ構築できてないということは、まだ幽霊の原因は特定されていないっていうことですね」
「クラウス、そいつを流用して探したらどうだ?」
「大掛かりな設置型だぞ。魔眼にも組み込めないし、痕跡も残る」
「では、しばらく待ってみるしかないですね。訳ありで首を吊った可哀相な女の子として仕組まれた──」
しゃらり。きし、きし。
金属の擦れ、軋む微かな音が聞こえた。
高い天井と本棚の間に、細い紐状のもので何かが吊り下げられているのが見えた。
さっきまではあんなものはなかったのに。
吊り下げられた何かは、小さな金属音を立てて振り子のように揺れている。
近づくと、次第にそれが何なのかわかってきた。
「……っ!」
長い黒髪に、不健康な印象を受ける青白い肌。
私たちのものとは少し違うデザインの制服からは、華奢な手足が伸びている。
天井から垂れた細い鎖は首に巻き付いていて、彼女が揺れるたびにキシキシと小さな摩擦音を立てる。
そして、その体は向こう側の本棚が見えるくらいに透けていた。
伏せ目がちな瞼と長い睫毛が持ち上がり、澄んだ青色の瞳が覗く。
彼女は私たちに気づくと、どこか他人を見下すような表情でこちらを見回した。
なんだか気怠げで尊大で、気の強そうな印象の少女だった。
出て来て欲しかったけど、こんなに急に出て来られるなんて。
幸先いいのか、不吉なのか、考えものだ。
「騒がしくておちおち休眠してもいられないわ。なんですって? 誰が可哀相な少女ですって?」
幽霊少女は忌々しげに呟きながら、まるで寝起きのように伸びをした。
まるで生きているような、快活そうな声音だ。
先ほどまで振り子のように揺れていた彼女はふわりと重力に逆らって浮かび、空中を漂うように近寄ってくる。
「私のことを知りもせずに、失礼な物言いね。愚か者はいつもそうだわ」
「ではあなたは一体何者なんです?」
私が食い下がって問うと、幽霊少女は蔑みの感情を露わにした。
「あら、そんなことも知らないの? 私が何者かですって? そんなつまらない質問しか出来ない愚かな生者たちなんてお呼びでないわ。出直していらっしゃい」
幽霊少女が右手を挙げると、図書棚に収まっていた一冊の分厚い本が持ち上がった。
彼女が何かを投げるような仕草をすると、その本はこちらに向かって飛んでくる。
はっとして身構えた私の鼻先で、本はぴたりと停止した。
どうやら、鎖の長さのせいでギリギリ当たらなかったらしい。
危ない。
いや、それ以前に貴重な本は丁寧に扱ってくださいよ。
値段がつけられないような本や、この大陸に数冊しかないような本ばかりなんだから。
「念のため愚か者にも分かるように説明してあげるけど、今のは威嚇よ。当たらないように投げてあげたの。分かったら慈悲深い私に感謝しなさい」
なんだかこの幽霊、妙に挑発してくるな。
でも、こんな子供じみた挑発、乗ったら負けだ。
よく見れば、幽霊の首の鎖と図書棚の鎖は造りが似ている。
本人が言った通り、首を吊った少女ではないようだ。
幽霊ではなく何らかの魔法的悪戯なんだろうけど、この彼女はどんな経緯で仕掛けられたのか。
私がそう考えている間に、クラウスが全員に魔法をかけた。
視覚情報に彼女の魔法構成が追加される。
「ふむ。正体が分かったぞ。こいつは人工精霊だ。高速思考や並列思考の補助に使うタイプに似ているな」
「少女の形の精霊なんているんですか、クラウス様?」
「外見は作成者次第だ。こんな姿をとらせるやつの趣味は理解できんが……ついでに言うと、性格も悪そうだ」
「そっちの魔法使いは、ほんの少しだけは見所があるみたいね。でも、私の良さがわからないなんて、女の趣味が悪いんじゃない?」
「なんだと!?」
幽霊少女は小馬鹿にしたように鼻で笑う。
クラウスは杖を一旦は攻撃しようとして杖を持ち上げかけるが、歯を食いしばって耐えた。
「あら、もっと喧嘩っ早いろくでなしだと思ってた。その自制心を大切にするのよ。怒りに任せて行動していては、大事なときに間に合わないものだから」
「そんなことは、お前なんぞに言われなくても分かっている!」
「まあまあ、落ち着けよクラウス。こんな安い挑発に乗ったら負けだぜ」
クラウスは吐き捨てるように言って、苛立たしげに杖の石突で床を打った。
オーギュストはクラウスをなだめるように肩を叩く。
「あなた、私が世界で二番目に嫌いな女に似てるわ」
「……は?」
「そう言えば、どうして男子の制服なんて着てるの? スカート履いて出直してきたら?」
オーギュストは笑顔のまま顔を引き攣らせた。
女顔なのは否定出来ないが、ちゃんと筋トレして細いけどそれなりに鍛えているのにね。
頑張っても筋骨隆々にはなれないから密かに劣等感も抱いてるみたいだけど。
「覚えておくことね。他人にどう見えるかではなくて、何をしたかが重要なのよ。見た目なんて気にしているうちはまだまだね」
「見た目より何をするかが重要か。よくもこの流れで言えたもんだな」
オーギュストのフードからゴールドベリが飛び出し、勢い良く息を吸い込む。
これは空気弾じゃなくて炎のブレスを吐くつもりだ。
「オーギュスト様、ここで火はだめですよ」
「おっと……そうだったな。エーリカ、すまない」
「しかし、この幽霊女、誰が作ったのか知らないが、本当に性格悪いな」
どうにか矛を収めたオーギュストとクラウスだったが、二人とも苛立ちは収まっていないようだ。
苛立ちの原因である幽霊少女は、足を組んで座るような体勢で空中を漂っている。
その様子はまさに上から目線の高みの見物といったところだ。
「ああ、でも顔で言ったら、あなたが最悪ね」
「私のこと?」
「好奇心と探究心の塊でしょう? ああ、待って。勘違いしないでね。褒めたんじゃないわよ。むしろその逆、踏み外したら奈落の底に真っ逆さまの崖っぷちを、目隠ししたまま鼻歌混じりにスキップするような、危機管理能力の欠けた間抜けって言ってるの」
幽霊少女は私を指差し、くるりと上下逆さまにひっくり返って顔を近づけてくる。
「あなたに良く似た女を知ってるわ。高慢で意地悪で陰険で執念深い、最低の女。きっとろくな死に方はしないでしょうね。孤独で惨めで絶望的な死に方。そう言えば、あなたも悲惨な死に方をしそうな顔してるわね、というか──」
一呼吸置いて、幽霊少女は嘲るように笑った。
「──あなた、死相が出ているわよ?」
私は解呪の杖を抜き、幽霊少女に向けて振った。
高速起動された解呪の呪文によって人工精霊は霧散し、辺りに静寂が訪れる。
操り手が消えたことで落下した稀覯本をクラウスが慌ててキャッチした。
「エーリカ! いきなり攻撃するやつがあるか!」
「すみません、クラウス様。私が一番短気だったようですね……」
「でもエーリカのお陰で私も少し溜飲が下がったぜ」
いつでも短杖を使えるように早撃ちの訓練をしていたのが仇になった。
それにしても、普段気にしていることをあそこまで抉ってくるとは思わなかった。
しばらくすると、再び同じ場所に幽霊少女が現れ、首の鎖が天井に伸びていく。
さっきの解呪では完全には破壊できなかったらしい。
「なにするのよー! もういいわ。あなたになんか忠告してあげないんだから。幾重にも張り巡らされた死の網に絡めとられて殺されてしまえばいいのよ」
「私たちも別に忠告されたりはしてないぜ」
「うるさい。バーカバーカ。この程度のことも分からない愚かで退屈な生者たちなんか、もう絶対、呼ばれなきゃ会ってあげないんだから」
「それでも俺たちに呼ばれたらまた出てくる気なのか……」
「いいこと? 次は必ず私が満足するような質問を用意してくるのよ」
そう言い残すと、幽霊少女は今度こそ跡形も無く消えてしまった。
「くっ、何だあの理不尽な人工精霊は……」
「酷かったな〜……まさか罵倒するために作られたんじゃないだろうな……」
「ほんの数分なのに、どっと疲れましたよ……」
取り残された私たち三人は、一斉にため息をつく。
「普通の人工精霊なら魔法階層だけに存在するはずだから、解呪で消せる。しかし、再生したということは物理階層に呪文が記述されているな」
「あの霧のゴーレムみたいに、どこかに本体があるってことか」
「クラウス様、それってさっきの本ですよね。もしかしてそれが本体ですか?」
クラウスは先ほどキャッチした本にちらりと目を落とし、首を振る。
「いや、そんな単純なものじゃないようだ。一冊ではなく、複数だ。少なくとも、この階層にある本全てに呪文の複製が転写されているようだ」
「全部に……?」
「待てよ、クラウス。少なくともってことは……」
「ああ、この階層だけじゃなく、他の階層にも転写されていたら事実上解呪は不可能だ」
特に、地下階層にあるのは貴重な年代モノの魔導書だ。
それらの魔導書に元々かかっていた魔法まで一緒に解呪してしまうリスクは冒せないのである。
そもそも、閲覧に許可が必要な本もあるので、こっそり解決するのは諦めなければならないだろう。
「仮にこの階層だけだったとしても、消したそばから他の本に呪文の転写を行う可能性があるぞ」
「どうりで何年も放置されているはずだぜ」
あの人工精霊、悪性のコンピュータウイルス並のしぶとさだ。
クラウスもオーギュストも、苦々しい様子で唸る。
「今夜のところは、これで帰りましょうか」
私の提案に、二人は一も二もなく同意した。
精神攻撃はきついけど、あの人工精霊は危険な魔獣・幻獣の類ではない。
首無し王子の霊安室との関連性も低そうだ。
学園の七不思議『魔法図書館の首吊り幽霊』、未解決だけどとりあえず今は保留にしておこう。




