学園の七不思議4
翌日。
深夜まで続いた探索のせいで、私は激しい眠気に襲われていた。
今日の最後の授業はアクトリアス先生の魔法生物学である。
これさえ乗り切ってしまえば仮眠できる。
瞼の重みと戦っている私には、それだけが心の支えだ。
壇上に立ったアクトリアス先生の手のひらには、茸のようなものが乗っていた。
これでも立派な魔法生物の一種で、化け茸という名前らしい。
「化け茸は菌類の変種と見られている魔法生物です。化け茸にはさまざまな亜種がありますが、いずれも二本の擬足を使った直立歩行を行います。これらは大変有用な生き物で──」
先生のお話を聞きながら、目の前のティッシュ箱サイズの木箱を覗き込んだ。
中には親指サイズの化け茸がゆらゆらと体を揺らしながら立っている。
私のはエリンギっぽいフォルムだ。
マーキアのものはブナシメジ、トリシアのものは若いベニテングダケっぽいキノコだった。
それらはキノコなのに足のようなものが生えていて、ついでに顔が書いてあった。
そう、顔があるのではなく、書いてあったのだ。
可愛いけどなかなかシュールな雰囲気である。
「皆さんにお渡しした茸にはあらかじめ進行方向に目印を書いてあります。いきなり動き出したら注意してくださいね」
顔が書いてある側が前なのかな。
アクトリアス先生はけっこうお茶目なところあるなあ。
アクトリアス先生は化け茸の生態について説明を続ける。
化け茸は進行方向が決まっていること。
驚かせると麻痺性の胞子を放出しながら叫び、逃走すること。
傷つけるとその場に立ち止まり、幻覚性の胞子を放出しながら叫ぶこと。
それらの胞子には血液の凝固作用を阻害し、痛みを緩和する作用もあること。
「狭い迷宮内で化け茸への対処を誤ると惨劇が起こりやすいので、注意が必要です」
出会い頭に麻痺させてきて、攻撃すると幻覚を見せて探索者を同士討ちさせるのか。
しかも、痛みを感じにくくなるので負傷に気づくのが遅れ、血が止まりにくいので大量出血してしまう。
見かけに寄らず凶悪な戦略だ。
「取り扱いを間違えると危険ですが、魔法生物としては比較的大人しく、飼育に適しています。また、化け茸から取れる成分にはさまざまな利用法があります」
化け茸の胞子からは、痛み止めや麻酔などの薬が作られるらしい。
化け茸の体そのものが麻痺や幻覚の解毒薬にもなるそうだ。
また、気に入った動物に食べられようとする習性があるのだとか。
ちなみに直火で炙って食べると美味らしい。白黴付きの山羊乳チーズと一緒に食べるのがお勧めだとか。
一年ほどの個体になると全長百十センチ、十六キログラムほどになる。
十年以上生育した個体は全長十メートルにも及び、その叫びは鼓膜が破れるほどだとか。
スライムなどに寄生して、大繁殖する事もあるそうだ。
「万霊節では化け茸に白いシーツをかぶせてオバケの仮装をさせたりするんですよ」
学園で行われる万霊節のお祭りでは、二、三年株の化け茸を何十匹も街に放つらしい。
まさにオバケのようにふらついて歩く化け茸たちは、カボチャランタンに並ぶ風物詩なのだとか。
お祭りで使われるのは人に慣れた個体なので、驚いたりちょっとぶつかったくらいでは危険な胞子を出したりはしないらしい。
化け茸には暗所で安定する習性があるので、シーツなどを被せておけばほぼ安全なのだそうだ。
「さて、その化け茸の幼体を少しだけ脅かして、麻痺性の胞子を採取してみましょう」
アクトリアス先生の開始の言葉で、生徒たちは実習を開始する。
私も箱を覗き込む。
すると、ちょうど茸が可愛らしい仕草で上を見上げていた。
『……』
「……」
無いはずの化け茸の目と、私の目が合ったような気がした。
ああ、これを炙って食べると美味しいのか。白黴付きの山羊乳チーズと一緒にとろ〜りと……。
『きゃ、きゃぁぁあ〜〜〜』
化け茸はなんだか子供の泣き声みたいな可憐な声を上げて箱の隅に逃げていった。
まだ何もしていないのに、何故……?
あっ、もしかして、食欲がバレた?
茸は箱の片隅で怯えたようにカタカタ震え、胞子を放出させていた。
なんだか怖がらせちゃって申し訳ない気分になる。
化け茸って、けっこう臆病なんだな。
私は吸い込まないように注意しながら、白っぽい粉みたいな胞子を刷毛で集めて壜に入れていく。
結果良ければ全てよし、である。
「さすがエーリカ様、素晴らしい手際でしてよ」
「ありがとうございます、マーキアさん」
魔法生物の扱いに長けたマーキアからお褒めの言葉を頂いたので、私は笑顔で返す。
彼女はあっという間に麻痺胞子の採集を終えていたみたいだ。
魔獣関連になると表情がイキイキ輝いてるし、やっぱり南の人なんだなあ。
そういえば、トリシアのほうは大丈夫だろうか。
気になって視線を移すと、彼女は虚ろな眼をして細かく震えながら硬直していた。
これはヤバい。
なんだか体が冷たくなっているし、呼吸も浅い。
「どうしたんですか、トリシアさん!? まさか麻痺胞子を!?」
「大変! アクトリアス先生、解毒剤が必要でしてよ!」
マーキアは手早くトリシアの木箱に蓋をし、胞子の拡散を止める。
こちらの様子に気がついたアクトリアス先生は、すぐさま霧吹きで水薬をトリシアに吹きかける。
「これでしばらくしたら回復するでしょう」
「先生! こっちにも解毒剤を!」
「はいはい、今行きますよ。お二人はレイルズさんを見てあげて下さいね?」
ほっとしたのも束の間、他の生徒からも悲鳴があがる。
アクトリアス先生はトリシアを私たちに任せ、麻痺してしまった他の学生の所へ走っていった。
なんとなくだけど、この授業なにげに一番スパルタ教育な感じがして来た。
もしかして、わざと魔獣の危険を体験させているのでは?
「あ、ありがとうございます、エーリカ様、マーキアさん……」
トリシアはようやく動けるようになったようだ。
頬にも赤みが戻っている。
「もう大丈夫なのですか、トリシアさん」
「ええ、もう平気ですのよ。まさか、ほんの少しつついただけですのに、あんなに走り回るなんて……」
「きっとエーリカ様の個体なら扱いやすい子でしてよ」
比較的落ち着いた個体だった私の化け茸を渡し、トリシアの胞子採取を手伝う。
なかなかスリリングな、目が覚めるような授業だった。
おかげで何とか寝不足でも居眠りすることなく授業を受ける事ができた。
「だめですよ、クロアキナさん。化け茸を木箱の中に戻して下さい」
今回も、化け茸を持ち帰ろうとしていたクロエが注意を受けていた。
名残惜しそうな顔だ。
私も少し食べてみたいと思ったので、気持ちはわかる。
「皆さんも、ちゃんと返却していって下さいね。さて、次回はコッカトリスの雛になります。雛と言えども危険な魔獣ですので、できるだけ予習しておくことをお勧めします」
白色ワーム、化け茸の次は本格的に危険なコッカトリスらしい。
きっと、クラスの何人かは石化するんだろうなあ。
そんなことを考えつつ、化け茸を返却する。
「ではトリシアさん、マーキアさん、また明日」
私はトリシアとマーキアの二人と別れて錬金術工房へ向った。
ハロルドに霧のゴーレムの核を調査してもらうためだ。
☆
「ハロルド、いつも悪いのだけど、このゴーレムの解析をお願いしたいの」
「へ? 何なのいきなり?」
私はハロルドの部屋のドアを開けるなり、頼み込んだ。
大きなゴーレムに火蜥蜴炉を組み込んでいたらしいハロルドが、困惑の表情を浮かべる。
おや、お取り込み中だったのか。
「もしかして急ぎの作業中……?」
「いや、大丈夫だけどさ、どういう話なの?」
そう言って、ハロルドは作業を中断して片付けに入った。
作業用にまとめていた長い赤毛を結い直し、私と向かい合って座る。
「まあ、あんたも座ってよ。訳ならじっくり聞くからさ」
「悪いわね。話すと少し長いのだけど──」
私は要点に絞ってハロルドに今回の件を伝えた。
とある事情で七不思議を調査していること。
クラウスとオーギュストにシッポをつかまれて同行を許すハメになったこと。
でも、そのお陰であっさり原因解明できたこと、などなど。
「はあ〜、そんなことがあったんだ。しかも、この工房で噂になってたヤツかあ」
「正体はゴーレムだったの。どうやら周囲の水分を取り込んで霧の体を作っていたせいで幽霊だと勘違いされたらしくて……」
「霧のゴーレムだってえ!?」
幽霊話には引き気味だったハロルドだが、ゴーレムと聞いて話に食いついてきた。
よし、これなら預けても大丈夫かな。
私は既に分かっている範囲での霧のゴーレムの動作を説明し、核と参考図書を渡す。
「あ〜、なるほどね……これは、また珍しい言語で実装してやがるなあ」
「あなたなら分かるでしょ?」
「難しいなあ、これは少し長くかかるかも。でも、結構面白そうだし、折角だから引き受けとくよ」
話が一段落したところで、ハロルドはお茶を用意してくれた。
私はありがたくそのお茶をいただく。
「しっかし、流石だよなあ……何年も放置されていた謎を、一晩で解決でしょ?」
「例のレンズがあったお陰よ」
「あ〜、あれかあ! もう役に立ったの」
「ええ。でも、そのせいでもう使い切ってしまったのよ」
ハロルドは薄紫のレンズの入った壜を丁重に受け取る。
私が天界の眼の活躍について説明すると、ハロルドは興味深そうにメモをとりながら聞いていた。
「じゃあ、こいつは三日後くらいでいいかな。またちょっと改良しておきたいんだ」
「ええ、大丈夫よ」
「……っと、そう言えば、この前の突風の杖の充填が終わってたんだった」
ちょうどハロルドが棚から短杖の入った箱を持って来たとき、ドアをノックする音が部屋に響き渡った。
「あら、お客さんが多くて人気者ね、ハロルド」
「いやいや、これは俺のお客じゃないかもしれないんだけど……」
ハロルドは「どうぞ!」と明るく作った声で返事をする。
ドアが開くと、現れたのはクラウスとオーギュストだった。
ハロルドがやれやれと言いたそうな困り顔で笑って肩をすくめた。
「やっぱりここにいたのかー」
「悪いな、ハロルド。少々邪魔をするぞ」
「こちらの用事はもう終わったんで、お気になさらず。お二人の分もお茶をご用意しますね」
挨拶もそこそこに、ハロルドは追加のお茶を淹れるために席を立った。
おや、どうやら二人はハロルドではなく、私に用があるらしい。
すぐに見つかったのは二人の追跡力もさることながら、人脈を把握されてしまっているのが原因だろう。
クラウスとオーギュストは私を左右から挟むように長椅子に座った。
なんという居心地の悪さだ。逃げたい。
オーギュストはテーブルの上に出されたままの突風の杖の箱を手に取った。
「ふうん、これは今夜の探索の準備かな」
「エーリカ、お前は六時間は寝ないと調子が悪くなるタイプだと聞いたが、大丈夫か?」
「どうして私の適正睡眠時間を知っているんですか……」
クラウスとオーギュストは顔を見合わせて肩をすくめた。
お兄様情報だろうか。
「クラウス様は私に釘を刺しに来たのですね?」
「深夜帯の出歩きは監督生と生徒会以外は厳禁だからな」
「私も生徒会の末席に名を連ねてはいますけど」
「その割に、未だに生徒会らしい職務には参加していないようだがな」
痛いところを突かれた。
でも、大聖堂の壇上に立って、みんなの前で聖典の朗読なんてしたくないなあ。
こんな本音は言えないし、どうしようかと迷う。
「まあ、ほんとは、特別に見逃してやろうかなってクラウスと話してたんだぜ?」
「もっとも、俺たちを護衛としてつれて行くという条件での話だが」
二人とも七不思議を探索する気満々のようだ。
真夜中に男二名女一名で出歩くのは風紀的にどうなんだろう。
万が一誰かに見られたら、致命的な醜聞になりそうで怖い。
とは言え、二人の能力が探索に便利なのは体験済みだ。
お金と時間の節約はどうしようもなく魅力的である。
毒喰わば皿まで、か。
「お二人とも睡眠不足になっても知りませんよ」
「私は空いてるコマが多いから平気だぜ。大厩舎で竜とよく寝転んでるし」
「俺は睡眠時間が短くても問題の無い体質でな」
「おや、話がまとまったみたいですね」
いいタイミングでハロルドが湯気のたったティーカップを手に戻ってきた。
「そうだ、ハロルド。お前も一緒にどうだー?」
「いえ、俺はちょっと、怪談とか、怖いのは苦手なので……」
「そうか。克服するにはいい機会だな」
「おおっと、お茶菓子もあったような気が!」
ハロルドは再びそそくさと逃げるように引っ込む。
この中で体格だけは一番大きいんだけど、そうか、怖い話が苦手なのか。
「では、今夜は幻獣博物館の前で」
結局、今回も三人で探索することになった。
私たちは集合場所と時刻を決定し、一旦解散することにしたのだった。




