決闘裁判4
と言うわけで、決闘裁判は無事に私の勝利に終わった。
ほんの数分しか経っていないので体は疲れてはいないけど、精神的疲労がひどい。
決着の直後、ハイアルンは魔力枯渇を起こして気絶していた。
監督生の指示で、生徒たちがハイアルンを担ぎ上げて医務室に運んでいく。
運び出されていくハイアルンに、一人の女生徒が付き添っていた。
ハイアルンの幼馴染み、シャーロットだ。
私と目が合うと、彼女は泣きそうな表情で顔を逸らした。
幼馴染を目の前で打ち倒してしまったところだし、無理もないか。
「おつかれさん」
いつの間にか私の傍にいたハロルドが私に声をかける。
その手には、戦闘中に散らばった短杖や手袋が抱えられていた。
「ありがとう。ハロルドのお陰よ。いつも悪いわね」
「いいって、うちの短杖屋の評判が上がるだけだしさ」
ハロルドはニッコリ笑いながら、空になった場所替えの短杖を私から回収する。
手ぶらになった私は、荷物を取りに控えに向かった。
荷物を管理してくれていた監督生から鞄を受け取り、身代わりの刻印石を返却する。
いざという時のために着替えのローブも用意していたけど、運良く一撃も受けなかったので杞憂に終わった。
「お疲れさま。圧勝だったなー」
寮に戻ろうと鞄に着替えを詰め直していると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、控えの入り口でオーギュストが手を振っていた。
「オーギュスト様、見物なさっていたんですか?」
「ああ、私だけじゃなく、南寮からも結構見に来てたよ。なかなか好評だったみたいだぜ」
全然気がつきませんでしたよ。
緊張しすぎて、観客に全然注意を回せてなかったみたいだ。
「入学早々にこんな決闘だなんて、お恥ずかしいかぎりですよ」
「まあ、私はすごく綺麗だと思ったけどな」
「そう言えば、呪文が氷と水晶なせいで、そこかしこがキラキラしていましたよね」
「いや、そういう意味じゃなくて──」
オーギュストは何か言いかけて、控えの入り口に視線を向けた。
現れたのは、神妙な顔をしたクラウスだった。
もしや、少しは私の心配でもしてくれていたんだろうか。
クラウスは私の前に進み出て深々と頭を下げた。
「クラウス様……?」
「エーリカ、あれの命を奪わずにいてくれたことを感謝する」
なんという言われ様……この人は私のことを猛獣か何かだとでも思っているのだろうか。
引き攣りそうになる頬をなだめて言い返す。
「それは、その……どういう意味なのですか」
「万が一にも殺さないために、手の込んだ技を使って動きを封じたことへの感謝だ」
「クラウス様、私をいったい何だと思っているんですか?」
「歯向かった相手にまで恩情をかける慈悲深さに感心しているのだが、違うのか?」
だめだ。根本的に誤解されている。
傍目には余裕に見えたかも知れないけれど、いかに効果的な一撃を叩き込むかだけを考えた作戦だった。
もちろん余裕だけでなく、恩情だって一欠片もないですよ。
「お前のお陰で、今回の件は奴にとっていい経験になったはずだ。敗北を糧にして成長すれば、優秀な魔法騎士になるだろう」
どう誤解を解こうかと惑っていたら、話題がハイアルンの将来の展望に切り替わってしまった。
そう言えば、クラウスもエドアルトお兄様に完敗したことで謙虚さが身に付いたんだっけな。
同じ境遇のハイアルンに、思うところがあるのだろう。
「おっと、またエーリカに来客のようだ。クラウス、お邪魔虫はひっこんでおこうぜ」
オーギュストがクラウスの肩に手を置いて、軽くウィンクをした。
誰よりも先に来客に気がつくのは、精神感応のお陰だろうか。
クラウスとオーギュストが出て行くと、入れ替わりに二人の少女が現れた。
ベアトリスとクロエだ。
ベアトリスは紅潮した頬をして駆け寄って来る。
「あっ、あの、エーリカ様には、このお礼はなんて言ったらいいのか……」
「いいのよ、グラウさん」
「こんな私を信じて下さって、本当にありがとうございます」
おずおずとベアトリスは頭を下げる。
信じるどころか、身辺調査やストーキングまでやっているので微妙に居心地が悪い。
何はともあれ、身の潔白だけは確保出来て良かった。
ふと目を上げると、クロエと目が合った。
そう言えば、彼女と会話するのは初めてだったっけ。
「ありがとう、エーリカさん。ベアトリスを助けてくれて……それと、あの時も」
ゆっくり歩み寄ってきたクロエがふわりとした笑顔を浮かべて言った。
ん、あの時?
あの時ってなんのことだろう。
クロエとは極力接触を避けて来たので、そんな機会はないはずなのだけど。
「あの時の青いフードの錬金術師だよね?」
そう言って、クロエは腰に帯びた剣をぽんぽんと叩く。
普段は帯剣していないのに珍しい。
いや、待てよ。この剣の柄のデザイン、どこかで見たことがある。
あ、もしかして!
「あなたが、あの時の黒いフードの剣士……?」
クロエは静かに頷いて肯定した。
あの剣士のことは、すっかり少年だと思い込んでいた。
言われてみれば、クロエもルーカンラントの出身者だし、剣術くらいは嗜んでいてもおかしくない。
まさか、ゴーレムを斬り倒すほど強いなんて思いもしなかったけど。
あ、そういえば。
例の日誌は彼女はちゃんと回収出来たのだろうか。
ずっと気になっていたんだよね、アレ。
「あなたの落とし物を中央寮の寮監へ拾遺物として提出してあるのだけど、もう受け取ったかしら?」
「えっ!? もしかして、あの日誌のこと……?」
「よ、良かったね、クロエちゃん! 入学式からずっと日誌を探してたんだもんね!」
私の答えに驚愕の表情で固まるクロエと、それを見かねてフォローに入るベアトリス。
何故ベアトリスの冤罪イベントにクロエが現れなかったのか。私はその理由に気がついた。
(私が日誌を拾って届けちゃってたせいで、まさかクロエはずっと街を探しまわってたの!?)
これでは大事なイベントに立ち会えないはずだ。
もしかして、私すごくマズい事をしてしまったのではないかな。
クロエはようやく動揺から立ち直ると、ベアトリスのほうを気にしながら切り出した。
「あの、後で二人だけでお話をしたいけど、いいかな?」
「ここでは話せないことなのね?」
「……うん」
内密の話とすると、あの日誌の中身についてだろうか。
他人には聞かせられないようなことが書かれていたのだろうか。
「では今夜、私の部屋に来てもらえるかしら」
私の提案に、クロエは静かに頷いた。
クロエがミステリアスな主人公すぎて分からない事ばっかりだ。
もういっそ、この機会に腹を割って話してみるのもいいのかもしれない。
「本当にありがとうございました。いつかエーリカ様の役に立てるように頑張ります!」
ベアトリスは退出するまで何度も頭を下げていた。
クロエは去り際にもう一度だけ振り返り、じっと私を見つめる。
その瞳には戸惑いと憂いのような感情が見て取れた。
二人が去った後、見えない何かに袖を引っ張られる。
おや、ティルナノグが残っていたのか。
「あれ? ティル? ベアトリスについて行かなかったの?」
『……あのクロエと言う奴との会合、俺も同席させてもらうぞ』
「いいけど、どうして?」
『何となく胸騒ぎがするのだ。エーリカよ、あれにはくれぐれも気をつけろ』
それだけ言い残して、ティルナノグの気配が離れていった。
どういう意味だろう?
私は首を捻りながら、荷物をまとめて寮へ戻ったのだった。
☆
決闘裁判の日の夜、就寝前の自由時間。
西寮の一角にある私の一人部屋にノックの音が響いた。
『例の女が来たようだな』
「ええ、あなたはここでいつもみたいにしていてね」
ティルナノグは星鉄鋼の鎧を着て、ゴーレムに偽装してベッドに座っている。
クロエは女の子だし、自室に招いても安全だとは思うんだけど、守護者としては気になるのかな。
「どうぞ。待っていたわ」
「お邪魔します」
ドアを開けると、そこには赤革本を抱きかかえた制服姿のクロエが立っていた。
クロエはどこか緊張したような様子だ。
「ちゃんと落とし物を受け取ったのね」
「ありがとう。拾って届けてくれる人がいるなんて想像出来なくて……」
クロエは赤革本を大事そうに抱きしめたまま、私にお辞儀をした。
よほど大事な物だったんだろうな。
「どういたしまして。学徒の徽章の方も受け取った?」
「……うん、ちゃんともらって来たよ」
クロエはこくりと頷いた。
見れば胸元にちゃんと徽章が留められている。
「ねえ、立ち話もなんでしょうし長椅子にどうぞ」
私がそう促すとクロエは言われた通りに長椅子に腰を下ろした。
どことなく居心地の悪そうな表情を浮かべて、部屋を眺め回している。
どうにも話しにくそうだし、私から単刀直入に聞いてしまおう。
「それで、私にだけしたかった話って何なのかしら?」
「……この本の中身を読んだかどうか」
クロエはそれだけ言って、じっと私を見つめた。
感情の読みにくいアイスブルーの瞳の中に、私が映っている。
わずかに小首を傾げたその仕草から、私は大人しそうな大型犬を連想した。
ベッドの方でガタ、という音がなった。
クロエが訝しげにティルナノグへと視線を向ける。
「ああ、小型のゴーレムが置いてあるのよ」
「新入生なのに、もうあんなに複雑そうなゴーレムが作れるんだ。すごいね!」
しかし、いきなり物音を立てるなんて、ティルナノグはどうしたんだろう。
何かあったのかな。
まあ、後で聞けば良いか。
「話を元に戻すけど、私はその本の内表紙と挟んであったメモを見てしまったわ」
「その二つだけなの?」
「ええ、蔵書票に書いてあった文字や、メモに書いてあった目次くらいね。本文はまったく読んでいないわ」
「それだけなんだ。そっか、良かった……」
私の返答に、クロエは心底安心した声色で呟いた。
感情の読めなかった瞳にやっと普通の感情が表れる。
あの中身はそれだけデリケートな内容だったのだろうか。
「これは……お兄ちゃんの残した本だったから」
「怪奇譚がお好きな方なのね」
例の七年前に起こった人狼虐殺事件でクロエの血族はみんな死んでしまったはずだった。
するとあの日誌は彼女の兄の形見にあたるのか。
それなら、血眼になって探すのも納得だ。
「うん、多分、なんだけどね」
「多分?」
「私ね。昔色々なことがあって、お兄ちゃんのことをよく覚えてないの」
そう言ってクロエは儚げに微笑んだ。
原作ゲームでも、例の事件の後遺症で記憶は曖昧だった。
現実のクロエも記憶に欠損があるのだろう。
「お兄ちゃんが学園で使っていた荷物の中から、記憶を失った後に見つけたの」
そう言ってクロエは本の表紙を撫でた。
「私があのときあなたを追って渡せていたら良かったわね」
「ううん、いいの。私、面倒ごとがイヤだったからすぐに隠れちゃったし」
クロエはなんだか申し訳無さそうに微笑んだ。
今でもなんだけどあんな勇猛果敢なスタイルで斬り込む剣士にはとても見えない。
「では、私はこれで帰るね。ありがとう、エーリカさん」
クロエはお礼を言って立ち上がる。
不意に、あのメモに記されていた隠し文字の事を思い出した。
伝えるべきなんだろうか。
もう知っている可能性もあるけど、知らないなら教えてあげたい。
クロエの事情は気になるけど、介入するのは控えようと思っていた。
自分の身に降りかかった火の粉だけを払うのが原作ヒロインへの礼儀だと思っていた。
そう思っていたのだけれど、彼女の様子を見ていると考えが変わってきた。
恋愛関係じゃなく家族のことであれば、何か手助けしてもいいんじゃないだろうか。
「そういえば、そのメモに隠し文字があるみたいなのだけど、クロエさんはもう知ってる?」
退出しかけていたクロエが振り向く。
目を見開いて、驚いた表情だ。
どうやら、気づいていなかったらしい。
「隠し文字?」
「ちょっとした仕掛けがあって……ここで文字を確認してみる?」
「そんなことすぐに出来るの?」
「ええ、本に挟まれているメモを貸してもらえるかしら」
クロエは再び長椅子に腰掛け、本から紙片を抜き出した。
私は書き物机に置いてあった星水晶の塊と粉末入りの壜を手に取る。
「このメモが、たまたま星水晶に触れた時に光が消えたのよ」
まず、私はそのメモと星水晶を重ねて反応を見せる。
緩やかに光っていた星水晶の小さな結晶から光が落ちていく。
「たしか、星水晶って魔力に反応して光るんだったっけ。それが消えるってことは……」
「雪銀鉱か何かを含んだインクが使われている可能性があるわ。おそらく何らかの文字が隠されていると思うの」
私は星水晶の粉末をパフに付け、例のメモの上に塗り付けた。
卓上に置かれたランプに覆いをかけ、文字がよく見えるようにする。
現れた「首無し王子の霊安室で待つ」という文字を、クロエは食い入るように覗き込む。
「首無し王子の……霊安室……」
「なんだか随分恐ろしい名前の場所ね」
クロエは答えない。
暗がりのせいもあり、その表情からは何を考えているのか全く読み取れない。
長い間、時の止まったようにクロエはその文字を眺めていた。
今度は私は沈黙が気まずくなって、口を開く。
「気になるなら、その首無し王子の霊安室について調べましょうか?」
「駄目だよ、絶対」
即答だった。
微力ながら力になろうと思ったけれど、余計なお世話だっただろうか。
「あっ、別にエーリカさんが駄目と言う訳じゃなくって……ごめん」
「え、ええ」
「あまり良くない場所……ううん、すごく危険な場所だと思うから、駄目なんだ。エーリカさんはきっといい人だから、死んで欲しくない」
イヤな予感がする。
首無し王子の霊安室。おそらくこれは私の知らない、フォースシナリオ以降のキーワードに違いない。
しかも、人命に関わる深刻な事柄の。
幻獣が絡んでいる可能性があるとしたら、私も秘密裏に調べておいたほうがよさそうだ。
「では私はあなたに関わらないように気をつけておくわ。でも、もしまた機会があるようなら、お話でもしましょうね、クロエさん」
私があっさりと引き下がると、クロエはほっと安堵の溜め息をついた。
私は手早く星水晶の粉末を刷毛でまとめて、再び小壜に入れ直す。
「この星水晶の粉末も持って行くと良いわ。赤革本の中にも同じ仕組みがあったら使ってみて」
「いいの?」
「ええ、あなたの事情に立ち入るつもりはないけど、少しは手伝いたいから」
クロエは頷き、星水晶の粉末入りの壜を大事そうに受け取った。
ふと、私は、クロエの兄が気になった。
例の事件以後、名前すら調べることが不可能だったクロエの家族。
この手帳を残した、主人公の兄とは何者なのか。
調べられるのなら、その痕跡を辿りたい。
「あ、でも、少しだけ聞いていいかしら。あなたのお兄様の名前は何というのかしら?」
「……クロード」
それは七番目の攻略対象と同じ名前の、故人。
クロエの兄。
つまり、ルーカンラント公爵家の令息。
攻略対象のクロードがクロエの兄を指すとすれば、彼は生きているということになる。
いや、まだ確定したわけではない。
はっきりしたことが分かるまで、ぬか喜びさせるようなことは言わないほうがいいだろう。
私は興奮と当惑を表情には出さないように、なるべく素っ気なく答える。
「南方に多い名前ね。あなたと同じで」
「うん。私のお母さんも、お兄ちゃんのお母さんも、どちらも南の血が入っているから」
そう答えたクロエは柔らかに微笑んだ。
母が違うことも、イグニシアの血が入っていることも、初めての情報だ。
クロードが養子か、どちらかが妾腹なのか、それとも先妻と後妻の子なのか。
髪と目の色が違うことや、眼帯の件も知りたい。
けど、いきなりそんなことを根掘り葉掘り聞いてしまっては、確実に怪しまれてしまう。
「うん……じゃあ、今夜はありがとう」
「ええ、ではおやすみなさい」
そうしてクロエは私の部屋を後にしたのだった。