来航者の遺跡4
「エーリカ、どこか痛いところはないか?」
「大丈夫ですわ、クラウス様」
「そうか……では、怠かったり、寒気がしたりなどは」
「大丈夫ですってば!」
「そうか……何か不調を感じたら、無理せずにすぐに言うんだぞ」
「はいはい。すぐお伝えしますから」
私たちは手分けして、エドアルトお兄様の物資貯蔵箱に収められていた物品を仕分けしていた。
私は主に短杖を中心に、クラウスは巻物や呪符を。
……って段取りのはずだったんだけど、クラウスの手が頻繁に止まっている。
彼は事あるごとにちらちらと私の様子を伺っていた。
「エーリカ、お前、本当に……」
「クラウス様、怒りますよ?」
顔に大きく『心配!』って書いてあるよ。
私が風邪とか引いたときのエドアルトお兄様に似てる。
二人とも、魂のオーラが長男の色をしてるんだろうなあ。
お兄様が腹黒暗黒微笑系だけど良い人なのと同じように、クラウスも俺様ドS系に育っちゃうけど良い人なのかも。
「クラウス様、そちらはどうでした?」
「霊視の魔眼で分かる範囲では、呪いのかかったものはない。呪符も問題なくハーファンの魔法に流用できそうだ。巻物の解析の方はもう少し待ってくれ」
「それは幸いですね。忘れずに減った分の魔力を水薬で回復させておいて下さいね」
「ああ、分かっている。エーリカの方はどうだ?」
私は分類済みの杖についてメモした羊皮紙を読み上げる。
死の腕の杖。
火焔の矢の杖。
雷光の矢の杖。
魔弾の杖。
これらは全て、死の罠のかけられた箱から見つけたものだ。
使用回数の残量こそ少ないものの、いずれも強力な攻撃用の杖である。
エドアルトお兄様が盗賊を警戒するのも無理はない。
「エドアルトの使い残しってことか」
「攻撃用の杖をここまで消費しているということは、かなり大規模な戦闘が行われたのでしょうね」
「なるほどな。遺跡を守護する怪物の類が全くいないのが不思議だったんだが、既にヤツが一掃してしまってたってことか」
「おそらくそうでしょうね」
そう、〈来航者の遺跡〉は既に攻略済みだったのだ。
これに関しては、素直にお兄様に感謝したい。
迷宮の機構だけでも十分に迷惑なのに、怪物まで出てきたらと思うとぞっとする。
「おお! これは使えるぞ!」
私物の手帳を首っ引きにして巻物を解析していたクラウスが歓声を上げた。
魔力が回復して以来、調子が良さそうだね。
私も物資を鞄に詰める手を止めて、巻物を覗き込む。
「役に立ちそうな魔法が込められてましたの?」
「役に立つどころか、切り札と言っても過言ではないぞ。ここに記述されているのは通り抜けだ」
クラウスは私に手帳のページと巻物を見せて、興奮気味に交互に指差す。
うん、だから、東のハーファンの魔法言語は読めないんだってば。
手帳にはびっしりと彼の魔法研究の成果が書き込まれていた。
懐かしいなあ、ゲームのクラウス(大)も広○苑サイズの魔法研究ノートを持ち歩いてたっけ。
こうやって努力する天才が作られていったんだね。
「自由に壁抜けできる魔法ってことですか? それはまた、迷宮探索者にとっては反則級に便利な魔法ですね」
「少々情緒はないが、今はとにかく時間が惜しいからな」
確かに、アンと私の命がかかっている状況で、迷宮のお作法に付き合っている暇はない。
でもよく考えたら、お兄様って普段の迷宮探索の時もこんな反則呪文を常備してたんだよね。
さすがです、お兄様……なんて大人げない。
「こうなると、例の機械式の大仕掛けが恨めしいな。普通の迷宮なら通り抜けをかけて端から端まで歩くだけで探索完了なんだが」
「仕掛けの法則性が分からない以上、致命的な確認漏れが発生してもおかしくありませんものね」
〈来航者の遺跡〉は時間経過に加えて、侵入者の重さを検知して形を変える。
先にこの遺跡を探索したエドアルトお兄様のメッセージも、全ての部屋に残されていたわけではない。
いくらヒントがあるからって、今から迷宮変化の法則性を読み解こうというのは無茶だ。
「法則性が分からないなら、せめて迷宮の変化を抑制できればな」
「時間経過と、重さ……ですか……」
「時間の操作は最上級の魔法だぞ。詠唱や魔法陣構成くらいは暗記しているが、未熟な俺には荷が重い。まだ一度も成功したことはないんだ」
「暗記してるんですか。最上級の魔法を」
「呪文の暗記だけなら、努力すれば誰にでもできる。実践できてようやく一人前なんだ」
いや、まだ十歳なのに最上級魔法を暗記とか、誰にでもできる事じゃないと思うよ?
これだから自分が天才だって気づいてない天才は!
うーん、でも、時間は無理か。
だとすると、残るは重さだ。
重さ、重さ、重さ……あっ!
「クラウス様、浮遊の杖があります。これと通り抜けを組み合わせれば──」
「そうか、飛行系魔法か! それなら機械式迷宮なんて無いも同然だ!」
浮遊の杖は大型飛龍の骨の化石で作られている。
杖頭は琥珀、持ち手には真鍮で羽根が象られている。
芯材は始祖鳥の羽の化石だ。
ちなみにこれもとても高価であるが、この状況で金に糸目なんてつけていられない。
浮遊は飛行などと違って高さの調節が細かく出来ない。
しかし、機械式迷宮の仕掛けを避けるだけなら、少しでも地面から浮きさえすれば充分だ。
効果の弱い浮遊でも充分役に立つ。
「方針は決まりだな。浮遊を併用した通り抜けで、各階層を虱潰しに探索する」
「過去視も組み合わせれば、格段に時間短縮できそうですね」
「通り抜けの巻物は二枚ある。一枚は帰還用と考えて、一枚目の効果時間切れまでにアンに会えなければ一旦引き返すぞ」
「やむを得ませんね。その場合はアン様を安全な場所──例えばこの簡易ベースキャンプに誘導できるように、色々なところにメモを残しておきましょう」
壁に月光没食子インクで書いてあるだけだと、天候次第で全く気づかない可能性がある。
出入り口などの目立つところに絞って指示を書いた羊皮紙を落としておくだけでも、格段に発見率は上がるだろう。
「エーリカ、何度も言うが、お前が体調に異変を感じたらすぐに帰還するぞ。通り抜けの効果時間がいくら残っていてもだ」
「クラウス様……」
「アンのことも心配だが、お前に万が一のことがあれば、俺は自分を一生許せないだろう。俺がもう少し注意して魔力を調べていれば、あの罠は防げたかも知れないんだ」
「クラウス様って、結構しつこい性格なんですね」
「お前な……」
心配してもらえるのはありがたい。
でも、罠にかかったのは私の不注意だ。
気にされすぎるのも重いので、雑に話題を逸らしてしまった。
とはいえ正直な話、クラウスが積極的に撤退を視野に入れてくれているのは助かる。
それもこれも、私が死の宣告を受けたことが影響しているんだろうか。
いいことだ。
──いやいや、ぜんぜん良くないんだけどね。
物資の確認が完了し、私たちは出発の準備を整える。
クラウスはお兄様の保存箱から発見した水薬ホルダー付きのベルトをローブの上から腰に巻いた。
その特殊な形状の金具の全てに魔力回復の水薬を引っかける。
ホルダーに把持しきれない分のうち三本を飲んで魔力を回復させ、残りはクラウスの持参していた布製の鞄にしまう。
三本……まだ十歳なのに、魔力の最大値高いんだなあ。
平均的な大人の魔法使いなら、二本半くらいで満タンになると聞いた事がある。
「な、なんだ? そんなにじっと見つめて」
「いえ、別に。強いて言うなら、魔力が全快したのかはどうか気になりますけど」
「そっちか……。ああ、広域魔法が阻害されていなければ、これまでの全階層に探査魔法を走らせることができるほどだ」
「クラウス様、よく見ると顔が赤いですけど、体調の方も大丈夫ですか?」
「あ、ああ……何故だろうな? 水薬の材料に酒でも入っていたか……?」
クラウスはそっぽを向くと、すごい勢いで呪符をまとめていく。
お札を数える銀行員や、トランプをシャッフルする手品師みたいだ!
彼は呪符を二十枚程度ずつ束にすると、ローブの各所にある隠しポケットに仕込んでいく。
ん? ちょっと待って何百枚持っていくの?
ちらっと見ただけでも、片袖だけで三百枚以上入ったような。
「クラウス様、まさか、ここにある呪符を全部持っていくんですか? 二千枚くらいありますよ?」
「深層に行けば未知の怪物と遭遇する可能性があるんだぞ。二千じゃ少ないくらいだ」
「東の魔法使いも大変なのですね」
「俺たちも準備は大事なんだ。お前達西の錬金術師と根本的には一緒さ。身一つで戦える北の剣士や、竜さえいれば無敵の南の竜騎士とは違う」
「その割には、軽装で遺跡にいらっしゃったような……」
「我ながら、あの時はおかしかったんだ。いや、反省している。二度とこんなことはしない」
そこまで恐縮されるとつっこみ辛い。
彼の行動って吸血鬼の呪い(?)が原因だから、私としては責めるつもりはないんだよね。
手を塞ぎがちなランプを鞄に結わえ付け、短杖ホルダーのついたベルトを巻く。
ギリギリ腰に引っかかってくれたけど、さすがにお兄様用のベルトは大きいなあ。
私は攻撃用の短杖から魔弾と雷光の矢の二本の杖を、便利遣い用短杖のうち浮遊、軟着陸、過去視の三本の杖を選び、ホルダーに挿す。
多すぎても混乱して使い切れない。
程よい数だけベルトに挿して、臨機応変に鞄の杖と交換していくのが、錬金術師の戦い方のセオリーだ。
……エドアルトお兄様の受け売りだけど。
「あ、そうだ。クラウス様もこれをお持ちください。浮遊と軟着陸……つまり飛行と落下ですね。この二本は射程距離が短いので、移動中は極力自己管理でお願いします」
「浮遊は分かるが、軟着陸の杖なんてどんなときに使えば良いんだ」
「重要ですよ。落とし穴みたいなものが無いとも言い切れませんし、高く浮きすぎた時にも使えます。浮遊は高度の上昇率が高いので、間違って多めに振ってしまうことも多いんです」
「具体的にはどのくらいだ?」
「通常は五センチ前後。一回追加で二十五センチメートル。もう一回振ると百二十五センチメートル。追加で振るごとに指数関数的に高度が上昇します」
「ほう。それは面白いな」
あ、十歳で指数関数わかるんだ。
さすが、天才にしてたゆまぬ努力家のクラウス・ハーファンである。
適当に流された可能性もあるけど。
彼が浮遊を振りすぎないように注意して見ておこう。
「行くぞ、エーリカ。ここからは時間との勝負だ」
「ええ、クラウス様。一刻も早くアン様をお助けしましょう」
クラウスは、通り抜けの巻物を読み上げた。
彼の長杖から広がった白い光が、私たちの頭上で魔法陣を展開する。
頭上の魔法陣からは、雨粒のように光の雫が降ってくる。
私たちを透過した光の雫は、地面に落ちると波紋のように広がって、もう一枚の魔法陣を形成した。
二つの魔法陣はゆっくりと私たちを挟み込むように交差し、白い光の軌跡が私たちを包み込む。
通り抜けの発動を確認し、私は琥珀と骨と真鍮で出来た浮遊の杖を二度振った。
金色の光でできた羽が、ふわりふわりと私たちの足元に落下する。
光は靴に触れるとぱちんと弾け、金色の光の魔法陣に変化した。
浮遊の魔法陣は靴底を覆うように広がり、私達の体を空中に押し上げる。
私たちは壁の中ではぐれないように手をつなぐと、空中を蹴って壁の中に飛び込んだ。