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学園生活6

 今日は入学してから初めての休日だ。

 朝起きると、昨晩帰宅したというティルナノグとパリューグの二匹が揃っていた。

 三人で紅茶と茹で玉子とトーストだけの簡単な朝食をとりつつ、ついでに近況報告を兼ねたミーティングを始めることにした。


「では、まずはティルから報告をお願いするわ」

『うむ。今のところ、すぐさま危害を及ぼしそうな怪物の気配はないな』

「それはよかったわ」


 ティルナノグの言葉に私は胸を撫で下ろす。

 危険な魔獣や幻獣が近づいていないと分かったのは朗報だ。

 私が死亡ルートから外れていたせいで既にベアトリスが標的にされていたりすると、目も当てられないからね。


『ベアトリスという女は勤勉で生活態度も良い。慎重な性格なので、自ら危険な場所に飛び込んでいくようなこともないだろう。ただ、一つ気になることがある』

「気になること?」

『敵意の混じった微かな気配を頻繁に感じる。俺以外にもあの女を見張っている者がいるようだ』

「視線の正体は分かる?」

『残念ながら、巧妙に群衆に紛れていて誰のものかは分からぬ。魔眼でも使っていれば、魔力の痕跡を辿れるのだがな』

「なるほどね……それだと追跡は難しいわよね」

『うむ。しかし所詮人間の気配だ。お前が危惧しているような、危険な怪物ではないだろう』


 私は殻を剥いた半熟玉子をティルナノグの口にぽんと投げ込む。

 程よい塩加減と茹で加減に、ご満悦のようだ。


 ベアトリスに護衛を付けるのは杞憂かなとも思ったけれど、用心しておいて良かったのかもしれない。

 些細なことでも、不穏な情報は把握しておくべきだ。

 しかし、それにしても、ベアトリスが付け狙われる理由なんてあっただろうか。

 個人的なものか、実家絡みなのか。そもそも私が介入していいものなのか。

 判断材料が足りないので、もう少し様子見という形になりそうだ。


 一方、パリューグの方は私たちの三人の中では一番修羅場らしい様子だ。

 長いシッポをパタパタと左右にふって、抑えきれない怒りを発散していた。


「血啜りどもは祭壇の汚染を本格的に再開したようだわ。眷属が仲間を増やしてる」

「そんな……大丈夫なの? 見分けにくいんじゃなかったっけ?」

「経験の浅い血啜りなら、慣れればけっこう簡単に見分けられるのよ」


 吸血鬼は捕食した人間の血肉と魂を自らの中に保持している。

 その肉体と魂を再生することで、吸血鬼は他者の姿や人格を再生することができるらしいのだ。


 しかし、歳若い、なりたてほやほやの吸血鬼は話が別だという。

 例え、捕食した他人に化けていたとしても、人格までは上手く再生出来ないらしい。


 その手の吸血鬼は感覚のズレなどの、ちょっとしたことの積み重ねで判別できるのだそうだ。


 例えば、痛みの感覚の違い。

 痛みの感覚が薄くなってしまい、捻挫した足に気づかずに走ってしまう。

 煮えたぎった鍋に気づかずに持ち上げてしまう。

 元々の身体能力を越える力を出しすぎて、体を破壊してしまう。

 そして壊れてから、やっと気がついて再生する。


 観察によって、そういう不自然な行動や痕跡を洗い出すのだそうだ。


「だから今のところは大丈夫よ」

『しかし、その言いぶりでは、いずれ苦戦は免れぬと考えているように聞こえるぞ』

「まあね。年経た血啜りはもっと偽装が上手だから。いえ、むしろ、偽装に成功した血啜りだけが長い時を経て存在し続けることができるのかもしれないわね」


 年経た吸血鬼は、人間としての行動を完璧に再現する。

 果ては、自分が吸血鬼であったことすらわからなくなるほどに。

 そして、なんらかの契機で、吸血鬼としての意識を取り戻し、再び殺戮を行うのだ。


 人に紛れた吸血鬼は、人に化けたまま人を食い荒らし、祭壇を穢す。

 中途半端な吸血鬼ではパリューグを傷つける事すら出来ないが、長期に渡り祭壇を汚染されれば話は別だ。

 信仰の力の補給を断たれてしまうと、再び弱体化する可能性もあるからだ。


「この事件の元凶は、追っ手の存在を意識しているようね。かなり巧妙に隠れているわ」

「天使の存在がバレてるってこと?」

「流石にわたしに気づいてはいないでしょうね。誤認しているうちに少しでも網を狭めていくつもりだけど、長期戦になりそうね」

『うむ。慎重に、心してかかれよ』

「ええ、念入りに燻り出して、確実に潰させてもらうわ」


 パリューグの声は静かな怒りを湛えていた。

 これまでの話からすると、かなりの数の人間がひっそりと吸血鬼に捕食されているのだ。

 数年前までなりを潜めていたくせに、いきなり大胆なやり方にシフトしたなら、その理由も気になる。


「では、二人とも今日もまたお願いね」

『うむ』

「は〜、頑張らないといけないわよね〜。ちょっと英気を養ってから行こうかしら……」


 この「英気を養う」というのは、オーギュストの姿を見ることらしい。

 ちなみに、オーギュストがよく通っている大厩舎の場所は初日のうちに覚えておいたそうである。


 最初の定期報告会は、そんな感じで終了した。

 解散後、ティルナノグはベアトリス警備のために中央寮へ、パリューグは大厩舎へ向っていったのだった。


       ☆


 幻獣たちを見送って、私も休日の行動を始める。

 午前中はハロルドと魔法道具の受け取りや打ち合わせの予定が入っている。

 午後からはフリーなので、今度は幻獣博物館でも散策してみるつもりだ。

 私は簡単に身支度を済ませ、学園内の錬金術工房棟へと向かった。


 上級学年と同じ授業を受けているハロルドは、工房棟の一階に専用の個人工房を持っている。

 細く開いていたドアの隙間から中を覗いてみると、乱雑に色んなモノが積み上がっていた。

 割り当てられて一週間だというのに荒れ放題だ。


 どうやら、先客がいるようだ。

 麦わらのような金髪、太り気味だけど健康そうな肌をした壮年の男性。

 ゴーレム工学担当の教師、オトフリート・シュラムベルクだ。

 彼とハロルドは、手元の書類の束を覗き込みながら何事か話し合っていた。


「そういうわけで、修復に必要な石材のリストはこんな感じになります。このままの書式で注文を出せば、石材商のほうもスムーズに受け付けてくれると思いますよ」

「おお、流石ハロルド君。こんなに早くできるなんて、助かりますよ。ふむふむ、さっそく発注しておきましょう」


 おっと、ちょうど終わるところだったらしい。

 用事を済ませて出てきたシュラムベルクと目が合い、軽く挨拶する。

 彼はにっこりと笑い、上機嫌な様子で話しかけてきた。


「おはようございます、エーリカ君。いやあ、この前の上級ゴーレム工学のレポートは素晴らしい出来でした」

「お褒めにあずかり光栄です」

「今年の新入生は実にユニークで若々しい発想に溢れている。上級学年になったら、ぜひゴーレム工学を専攻してみませんか。待っていますよ」


 シュラムベルクは早口に言いたいことを言うと、返事も聞かずに去って行った。

 ハロルドも私に気づいたようで、工房に入るように仕草で促す。


「おはよう、ハロルド」

「うん、おはよう。悪いね、約束してたのに待たせちゃったかな」

「いいえ、丁度いいタイミングだったわ」

「はは、それならよかった」


 錬金術道具がひとそろい並んだ長テーブル、ぎっしりと物が詰まった(キャビネット)、積み上がったたくさんの箱、ぎっしり水薬壜の詰まったケース。

 そして、見覚えのあるデザインの長椅子(ソファ)

 工房はノットリードにある彼の貯蔵庫(ヴンダーカンマー)と同じような構成になっていた。

 私は長椅子に、ハロルドはその正面の椅子に、いつものように腰掛けて本題に入る。


「第二のレンズの試作品ができたそうね」

「手間取っちゃって申し訳なかったね。ほんとは入学前に仕上げたかったんだけどさ」

「いえ、充分よ。もっとかかるんじゃないかと思ってたもの」


 ハロルドはエプロンのポケットから一本の壜を取り出した。

 薬液の中には、限りなく透明に近い薄紫のレンズが浮かんでいた。


「もしかしたらここ数年の最高傑作かも。六年前から研究してきた魔眼系レンズの集大成さ」

「名前は?」

天界の眼(アイズ・オブ・オーバーワールド)なんてのはどうかな?」


 なんだか大袈裟な名前が出てきた。

 でも、込められた効果を考えれば、決して言い過ぎにはならないはずだ。

 なぜなら、これはオーギュストの視覚拡張から発想を得た魔眼なのだから。


 壜のラベルには簡単な説明が記されていた。

 紫水晶(アメジスト)をベースに、数種の幻獣の水晶体から抽出した成分がコーティングされているらしい。

 レンズ一枚につき三回、一度の起動で三十秒だけ効果が持続する。

 試作品なので、回数と効果時間は少なめに設定してあるようだ。

 効果の対象は周辺の地形や生物。

 思考や精神を持たない相手にも有効だが、魔力が遮断された場所では無効。


「使ってみてもいい?」

「ああ、どんどんやっちゃってよ」


 私は手を洗浄し、注意深くレンズを入れ替える。

 霊視の魔眼(グラムサイト)から天界の眼へ。


 いつもの要領でレンズを起動させると、一瞬だけ軽い目まいを覚えた。

 僅かなタイムラグの後、通常の視界はそのままに、同時に全く別の光景が見えてくる。

 それは色彩のない、モノクロームの世界。


 私の目は、上空から錬金術工房棟を中心とした一帯を見下ろしていた。

 建物は輪郭線だけが見えていて、そのなかには人の形をした光が動いている。

 工房棟の中には、人だけでなく真理(エメス)の文字と揺らめく炎のセットが何組も動いていた。

 きっとあれはゴーレムだろう。

 工房棟の外には、小型竜の形をした強い光や、小鳥の形をしたかすかな光も見える。


「どう? 見えてる?」

「成功みたい」

「見える範囲はどんな感じ?」

「ちょうどこの地点の上空を中心に、五百メートル四方くらいの範囲かしら」

「あ、想定したより広かったかな」


 ハロルドはメモをとりながら頷く。


「建物が透けて見えるようにしたのね。オーギュスト様の能力とはだいぶ違うけど、これはこれで便利そう」

「他の生物の目を借りるってのが上手くいかなかったから、別の手段を使ってみたのさ」

「これって、どうやって実装したの?」

「そうだなあ……エーリカは魔法の授業どこまで取ってる? 初等くらい?」


 私が頷くと、ハロルドは説明を始めた。

 なんでも、魔法階層を利用して上空に観測地点を設定しているのだとか。

 情報の取得方法の都合で、物質は透過してしまう仕様らしい。

 ハロルドは詳細に説明してくれたが、私にはまだ難しくて半分も理解出来なかった。


「人間とか、生物も見えてる?」

「生き物だけじゃなくてゴーレムも見えるわ」


 私は錬金術工房棟に意識を集中させた。

 集中すればかなり詳細に見えるが、人相が判別できるほど鮮明ではない。

 でも、位置が分かれば充分だ。

 幻獣・魔獣相手なら、大雑把な大きさや形が見えれば正体も推測できるだろう。


 おや、壁の中にめり込んでいる真理の文字が見える。

 三階の、確か仮眠室かなにかに使われている部屋の暖炉の中だ。

 こんなところにゴーレムがいるとは思えない。


「あ……ちょっとだけ位置情報のズレがあるみたい」

「あれ? 演算処理のほうのミスかな? もう少し改良してみるよ」


 いくつか気づいた点をハロルドに伝えながら、実験を続ける。

 一点を集中したり、遠くを見たり。


 そうしていると、不意に気が遠くなった。

 貧血と目まいが同時に襲ってきたような脱力感。


「……っ!?」


 私はこめかみを押さえてよろめく。

 すぐにハロルドが私の肩を支え、長椅子に座らせた。


「悪いわね。まだ三十秒経ってないはずなのに」

「いや、俺のミスだと思う。フィルタリングが甘くて取得する情報が多すぎたのかも。修正しておくよ」


 私はレンズを外し、瞼を閉じて目の回りをマッサージする。

 しばらくそうしていると、程よい温かさのタオルが額に乗せられた。


「で、どうかな。これからオーギュスト殿下みたいな複数の視点からの多角的観測を付け足していくとすると、実装が難しそうなんだよね」

「大丈夫。これだけ見えれば充分よ」


 竜との意識共有ほど広大な俯瞰視点ではないが、その代わりに透視機能付きだ。

 さらに、精神のないゴーレムなども含めて、周囲にいる存在を完全に把握できる。

 これ以上の機能となると負荷も大きくなりそうだし、多くは望みすぎない方がいいだろう。


 率直に言って、かなりいい。

 何かあった時にすごく役に立ちそうだ。


 地下迷宮で巨大生物に追いかけられている時とか。

 地下祭壇に隠れている王子や天使を捜している時とか。


 この魔眼レンズ、できれば六年前に欲しかったな。


「お疲れみたいだね。今日はここまでにしておく?」

「いいえ、少し休憩したら再開しましょう。お昼までは予定を空けてあるから」

「無理は禁物だってば。他に相談したいこともあるしさ」


 その後はレンズ以外の魔法道具の意見交換などを行った。

 短杖(ワンド)で用意しておきたい呪文のリクエストや、呪文を充填した長靴(ブーツ)の使用感など。


 他にも、素材の仕上がり待ちになってる杖についての話題などだ。

 去年の秋に大金を得たので、ようやく過去視(ウルズサイト)の杖の芯材を発注したのだけれど、少ない供給に対して注文者が、まさかの一年待ち。

 そのせいで、いまだにハロルドの関わる製作や充填の工程に入ることができていない。


「万霊節には間に合いそう?」

「おそらく今月末には届くはずだから、すぐに取りかかってもギリギリだね」


 ハロルドは指折り数えて計算する。

 それでも、一般的な短杖作成者よりもはるかに充填が速い。

 過去視の杖が「万霊節神隠し事件」までに手に入るならば、私の生存率に大きく影響を与えることになるはずだ。


 ふと気がついた時には正午を回ってしまっていたので、私は寮で作ってもらったランチをハロルドにもお裾分けすることにした。

 ハムと胡瓜のピクルスをライ麦パンではさんだものに、チーズと焼き林檎だ。


 こうして、午前中はなかなか有意義に過ごすことが出来た気がする。

 いくつかの試作品を受け取った後、私は幻獣博物館へと向かった。

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