学園生活5
王立魔法図書館の中心には、蜜蝋色の石灰岩で作られた六角形の塔がそびえている。
地上に見えているだけで七階層。地下の七階層を合わせて、全部で十四階層の巨大建築だ。
イクテュエス大陸最大の蔵書量を謳っているだけはある。
本が今よりも貴重だった時代からある建物のため、至るところに盗賊避けの工夫がされている。
重要な本のある部屋ほど、複雑な間取りや覚え難い構造で侵入者を惑わせるようになっているらしい。
それに加えて、本盗人除けの魔法も組み込まれている。
他にも火除けや空調管理など、本を守る魔法が何重にもかけられているのだそうだ。
入ってすぐの部屋で、茶色い小型竜と戯れながらのんびり安楽椅子に腰掛けて本を開いている老人がいた。
彼は、盲目の図書館長ジョルジュ・オルビスだ。
軽く会釈して入ると、まるでこちらが見えているかのように頷き返す。
竜の視覚を借りて本を読んだり、周りを認識しているのだそうだ。
「お二人もこちらは頻繁にご利用なさるんですか?」
「私は偶にだな」
「俺も稀にしか来ないな」
「いやいや、クラウスは入り浸っている事が多いだろ?」
クラウスもオーギュストもどちらも勤勉な努力家だ。
己の才能にあぐらをかくことなく、日々鍛錬して、情報を集積している。
気になる分野の書物がたっぷりある図書館があったら使い込むはずだ。
「そうでもないぞ。俺が用があるのは、地下三階の第十四書庫くらいだからな」
「ああ、貸し出しも筆記具の持ち込みも禁止の古代魔法エリアか。お前らしいなー」
なるほど。
古代魔法研究してるクラウスとしては、貸し出し禁止だと足しげく通うことになるだろう。
「禁止にする意味もほとんどないがな。呪文など、暗記して持ち帰ればいいだけだ」
「あれ、古代魔法の呪文書って全部暗号化されてて、みんなレンガ並の厚さがなかったか?」
「そんなの暗記しようと思うのは、クラウス様だけなのでは」
「そうなのか? いや、辞書や物語じゃなくて呪文だから、ある程度慣れてくると簡単に覚えられるぞ」
「クラウス様、本当に簡単だったら、みんな古代魔法使ってますよ」
「ぐっ……」
クラウスは、苦々しい様子で目を逸らす。
この人は自分が特別恵まれていることに未だに慣れていないところがあるのだ。
まあ、有効利用するだけの時間も労力もつぎ込んでいる訳だから、非難されるいわれもないだろう。
「そ、そう言えばオーギュスト。エドアルトがお前の所業に嘆いていたぞ」
「んー? そうなのか?」
「お兄様がですか?」
「読みたい資料があって図書館に足を運んでみれば、いつも先回りしてお前が借りていると」
「ははは、それは申し訳ないな」
そういえば、けっこうお兄様とオーギュストの趣味って被るような気がする。
怪しい伝説とか古代の逸話とか好きだよね。
「本当にそう思っているのなら、持ち出し禁止の稀覯本くらいは棚に残しておいてやれ」
「う……あれはちゃんと許可をもらって……」
「正式な手続きじゃないはずだぞ。ほどほどにしておけ」
「まあ、その、忠告は受け取っておくぜ」
オーギュストは気まずそうに言葉を濁した。
思わぬところで第一王子の職権乱用の秘密を知ってしまった。
ここは聞かなかったことにしておこう。
「あ〜、ほら、エーリカ。あそこが写本室だぜ」
「あら、本当ですね」
クラウスからの追及逃れのためか、オーギュストは話題をさらっと変えてしまった。
彼の指差す先には、古めかしい写本台が並ぶ写本室が見える。
未だに魔法使いや錬金術師が希少で危険な魔導書を写本しているのだそうだ。
平民出や金銭的に余裕の無い貴族の学生には、写本作業のバイトはけっこうお薦めらしい。
写本室を過ぎると、書棚がずらっと続くエリアにたどり着いた。
天井まで続く本棚は圧巻で、どんな貴族の私蔵図書も真っ青といった雰囲気だった。
「そういえば、何か目当てがあるのか?」
「そうですねえ……」
クラウスに問われて、考える。
実のところ、単に図書館をチラ見したかっただけなので明確な目的は無いのだ。
ああでも、そう言えばアレが見たかったんだっけ。
「鎖付き図書棚の棚を見てみたいと思ってました」
「それは六階あたりだな。あちらから昇って行くとするか」
クラウスが指差した方向には、何もないように見えた。
しかし、書棚の裏に回り込むと階段が姿を現す。
おや、こんなところに?
話には聞いていた盗賊避けの構造だろうか。
こういう複雑さが、安全性だけでなく検索難易度をあげてしまっているんだろうなあ。
そういえば鎖付き図書棚にはどんな本が置かれているのだろう。
普通なら飛び切り高価で希少な本を仕舞うのだろうけど、ここは魔法図書館だ。
だとするならば、どういう本があるのか。
「六階に格納されている本って、もしかして危険な魔導書なのですか?」
「いいや、そういうのは地下書庫だな。危険なのは閲覧するにも司書か館長の許可が必要だぜ」
「六階の鎖付き図書棚にあるのは普通の稀少本だな。内容的な話をするなら、危険な異端思想も含まれているが」
「危険思想……なるほど」
「主に、南方大陸で書かれた本だ。例えば人の血肉を用いる呪術や、終末思想カルト関連の聖典などがある」
王立魔法図書館では、どんな危険思想でも破棄せず保存していると聞いたことがある。
これは単に寛容な気風のためではなく、危険な思想が外部から入ってきたり、自然発生したときに対抗するためだ。
過去の危険思想の足取りを源流まで遡り、解明するためである。
「有名な書物としては〈最高存在の祭典にして祭壇〉、〈屍者の詩篇〉辺りだな〜」
オーギュストは気軽な口調で物騒な禁書のタイトルをあげていく。
〈最高存在の祭典にして祭壇〉は、過去カルキノス大陸において流行した神なき狂信カルトの聖典だ。
土地に根ざした神や宗教の一切合切を否定し、破壊するという教義を含んでいる。
寛容さはゼロに近く、迫害や虐殺が異常なほど頻繁に起こったそうだ。
〈屍者の詩篇〉はキャスケティア、つまり吸血鬼の聖典だ。
手短に言うと、生の柵から抜けて、みんなで楽しい死に浸りましょうみたいな思想らしい。
「他には吸血鬼が書き散らかし垂れ流した廃退思想だとか、錬金術師の異端派閥〈祝祭派〉が南方大陸に逃れる前に記した書物も残ってるぜ」
「そんなモノまであるんですか?」
〈祝祭派〉というのは、ザラタン殺しの主犯の一派だと言われている。
つまりティルナノグを裏切って殺した人たちだ。
彼らはティルナノグとその友人を殺した後、アウレリアの禁術を持ち出してカルキノス大陸に逃亡したという伝説がある。
その痕跡なのか、南方では怪物としか思えない錬金術師の逸話がちらほらと残っている。
思想的には「全ての生は祝祭であるべき」というもので、永遠の生を求めたりするらしい。
「俺が知る限り、触れたら発狂したり石化したり襲ってくるような奇書は地下だけだな」
「そんな奇書があるんですか……」
「見たいのか? 今度許可をもらってやろう」
「クラウス様、どう考えても私は力不足ですので遠慮いたします」
「そんな奇書を難なく閲覧出来るのはお前くらいだからな、クラウス」
おそらくクラウスからしたら親切心だろけど、さりげない死亡フラグだよね。
読んだだけで何が起こるか分からない本なんて無理ですよ。
私もだいぶ物資や知識を蓄積しているので、対応できる事象は増えて来た。
それでも錬金術師である都合上、どうしても想定外の事態に弱い。
この辺りが、現場対応能力の高い魔法使いとの大きな違いだ。
そんな風に話しながら階段を昇ったり降りたり、ぐるりと遠回りするようなルートを通って、やっとのことで六階に辿り着いた。
どことなく他の階より空気が埃っぽい気がした。
見渡しにくい狭い部屋に、年季の入った図書棚がずらりと並ぶ。
天井まである本棚に詰め込まれている本は、その全てが鎖で繋がれている。
ここまで厳重に管理されている書棚は初めて見た。
「本当に全部に鎖がついてる……壮観ですね」
うっかり口に出した言葉が、静かな部屋に予想以上に響いた。
すると、本棚の上の方から人影が現れる。
どうやら浮遊の魔法で飛行していた魔法使いのようだ。
「申し訳ありません。ここから先の立ち入りはご遠慮下さい。霊体を隔離するための結界を張っておりますので」
蚤色のローブを纏い長杖を持った、二十代くらいの栗色の髪の青年が、ふわりと着地する。
見た感じ、図書館の職員の方っぽい。
おや、お仕事中に邪魔しちゃったかな。
「おっと、あなたは新入生の方ですね。初めまして、司書のチャールズ・オーエンです」
そう言ってオーエンはぺこりと頭を下げた。
真面目なそうな雰囲気の、頬のふっくらした愛嬌のある顔立ちの青年だ。
「霊体って言うと、もしかして例の首吊り幽霊か?」
「お察しの通りです、殿下」
オーギュストが問い返すと、オーエンはゆっくりと頷いた。
その話題が出た瞬間に、ピリピリした空気が流れる。
「やっと原因が解明できそうです。何年もかかってお恥ずかしい限りですが」
「本物の幽霊だったか?」
「いいえ。本物ではなく、タチの悪い卒業生の悪戯のようです。おかしいと思ったんですよ。何度も階層全体に聖別や浄化をかけたのに、全然効かないんですから」
「へ〜、なるほどね」
オーギュストは納得した様子だが、クラウスが訝しげな表情になった。
どうやら何種類かの魔眼で周りを確認しているようだ。
「図書館にそんな現象があるなんて、初耳だぞ」
「六階にしか出ないからな。クラウスは地下ばっかりだったんだろ?」
「俺の使っている魔眼にも映らないとはな」
「そうなんですよ。魔法使いが調べても、なかなか解析できませんでした」
「学園の七不思議の一つにもなってたんだぜ。こんな迷宮みたいな図書館の六階なんて、ほとんど人が来ないから、有名じゃないけどな」
こんなファンタジー全開な魔法の学校にも、七不思議なんてあるんだ。
いやいや、そういえばサードシナリオでは「魔の万霊節」って怪談があったっけ。
秋の万霊節に沸き立つ魔法学園都市リーンデースで、名家の子女たちの神隠し事件が発生する。
そんな中、皆は口々に「魔の万霊節」について噂する。
万霊節の夜には、毎年必ず誰かが消えるか、さもなくば誰かが死ぬ。
祭の喧噪の中、神隠しに遭った生徒の死体が河岸に流れ着く──
──って、私の死体なんだけどね。
フラグは折ったつもりだけど、まだ川に流れる原因は不明なままなんだよね。
まさか、この首吊り幽霊も死亡フラグじゃ無いよね?
ああ、何もかもが疑わしい。
私も調べた方がいいんだろうか……いや、それはそれで薮蛇になりかねない。
とりあえず六階の幽霊のことは覚えておこう。
結局、その日は気になる本を見て回るだけにして、大人しく寮に帰ったのだった。




