学園生活3
初等錬金術の授業の後、私は大食堂に向かった。
質問と板書にきりきり舞いしたり、金縛り状態になったりと散々だったけど、やっとお昼だ。
少し緊張も解けてきたような気がする。
大食堂の入り口で、トリシアやマーキアと合流する。
マーキアは南寮だけど、固い事を言う人はいないみたいなので、三人で西寮のテーブルへ向う。
「それにしてもエーリカ様、よろしいのですか? 生徒会専用の席もあちらに──」
「ええ、でも補佐の身ですし、まだ私は一般席で」
いわゆる特別な生徒に囲まれるのは疲れるしね。
利害関係なんてのが絡んで来たら尚更だ。
それに比べて、この二人の持ちネタは楽しい。
永久機関の研究に代々命を捧げて来た、レイルズ男爵家の末娘トリシア。
小型竜幼体成熟生仮説を長年研究している、ジョーナス副伯家の長女マーキア。
それぞれのご実家の話を聞いていると、私の知らない最先端の技術についての話題がポンポン飛び出してくる。
世間話だって金にも柵にも関係の無い、お気楽なもの。
今日の話題は、素敵な先生たちについてだ。
「そう言えば、初等錬金術はエドアルト様になったというのは、本当でして?」
「はい。兄が入ってきた時はびっくりしました」
「初等召喚魔法がクローヒーズ先生というのも、わたくしは羨ましく存じますのよ」
「エーリカ様は先生運に恵まれていらっしゃいましてよ」
そうそう、この二人はどちらも選択出来なかったのだそうだ。
トリシアは上級錬金術と初等ゴーレム工学、マーキアは竜種研究と古代語だったらしい。
「わたくしの先生は皆さまご高齢でしてよ」
「あら、わたくしの授業は女性の方ばかりですのよ」
私たち三人がやっと一緒の授業を受けられるのは五・六時限の魔法生物学だ。
「次の授業が楽しみでしてよ。ようやく皆さんとご一緒できましてよ」
「とか仰りながら、マーキアさんはアクトリアス先生が楽しみなのでしょう?」
「それは、まあ、その……だって、とても素敵な殿方でしてよ」
「それにはわたくしも同意ですのよ」
いかにもミーハーそうに語ってはいるが、この二人はちゃんと親に決められた婚約者がいるらしい。
でも、生徒会や男性教師を見てはしゃぎたい。
そんな気持ちはよく分かる。
恋がしたいのではなく、恋に憧れていたいのだ。
王子様的な存在に憧れることが許されている、学園で過ごす時間は貴重なのだろう。
「でも、魔法生物学はとても難しいと聞いたことがありますよ」
「え、そうなんですの?」
「大丈夫でしてよ。お二人とも、何かあったら、わたくしにお任せ下さいな」
私が不安を口に出すと、マーキアがフォローを入れてくれた。
そうそう、マーキアは度胸のある魔獣使いなのだ。
そんな風に姦しくお喋りしながら食事を終え、私達三人は魔法生物学の教室へと向った。
☆
本日最後の授業は、アクトリアス先生の魔法生物学だ。
今日の授業は学舎の中の教室だけど、実習の内容によっては野外授業になったりするらしい。
そんな事をトリシアやマーキアと話しながら、蜜蝋色の回廊を歩く。
かなり早めに移動したつもりだったけれど、すでに一人先客がいた。
アクトリアス先生である。
「ああ、皆さん、随分お早いですね」
「先生こそ、こんなに早くにいらっしゃるなんて」
「いえ、その……最初の授業で遅刻は恥ずかしいですからね……」
アクトリアス先生は照れたように微笑む。
相変わらず不器用ながらも真面目な人柄である。
でも掴みはばっちりだったようで、トリシアとマーキアは可愛らしいものを見るような優しい表情になっている。
教卓の上には布で覆ってある箱らしきモノが一つ。
何だろう、これは。
「それは授業でのお楽しみと言うことで。大人しくて無害ですので安心して下さい。見た目はちょっとびっくりするかもしれませんが」
「はい、楽しみにしてます」
今日の授業で使う何かの魔獣なのかな。
この魔法生物学という授業は、主に家畜化された魔獣──魔力を持つ生物についての授業だ。
初等錬金術と同じような造りの机を三人で囲んで座る。
椅子の数に合わせて、大きめの透明ガラス壜と、二種類の水薬壜が置いてあった。
しばらくすると他の生徒達も教室に入ってきた。
クロエとベアトリスもこの授業をとっていたらしい。
彼女達は私達の右隣のテーブルだ。
「みなさんも揃ったようなので、授業を始めようと思います」
アクトリアス先生は少しだけ緊張した様子だった。
眼鏡のつるに人差し指と中指を添えてズレを直しながら授業開始だ。
「魔法生物学担当のエルリック・アクトリアスです。
これから一年間、一緒に楽しく学んで行きましょうね。
では、さっそく本日の皆さんのお友達を紹介します」
先生は教卓上にあった大きな箱らしきものから、布をすっと引き抜いた。
ガラス製の水槽みたいな容器が現れる。
水槽の中には、白い小さな何かがたくさん蠢いているようだった。
前のほうに座っていた生徒の一部から、悲鳴のような声が上がる。
「この生物は白色ワームと呼ばれている生物です」
目を凝らして見ると、蚕を思わせるフォルムのイモムシがみっしり詰まっていた。
最前列で見ちゃった人はお気の毒様だ。
隣にいるトリシアも、何が詰まっているのか理解して「ひっ」と引き攣った声を上げた。
一方、マーキアは「あれなら最初の授業に最適でしてよ」と納得している。
「イクテュエス大陸で飼育されている魔獣の七割は、カルキノス大陸が原産です。現在輸入されている魔獣のほとんどに品種改良が施されており、家畜化されて扱いやすく、人間にも友好的です」
アクトリアス先生は水槽に手を突っ込み、一匹取り出した。
手袋をしてはいるけど、直掴みだ。
白色ワームを手のひらに乗せながら、アクトリアス先生はニッコリと笑って解説を続ける。
「この子も、一見怖い顔をしていますが、大人しくて可愛い子なので安心して下さい」
トリシアの顔色が目に見えて悪くなっている。
この手の虫が嫌いな人は大変だろうなあ。
私はイモムシとか蚕くらいなら、まあ何とか大丈夫。
でも、もしも黒くて素早いヤツに似ていたら、多分身動きすらできないような気がする。
「また、白色ワームは他の魔獣の飼育餌としても便利です。この機会に取り扱いに慣れておくといいでしょう。ああ、そうそう、人間が生食すると腹痛を起こしますので注意して下さい」
餌だったのか。
でもまあ、家畜としての魔獣を扱うなら重要なのかも。
魔獣の餌には魔力を含んだものの方が好ましいのだ。
それにしても、その注意喚起は必要なのだろうか。
冗談なのかどうか分からなくて、生徒たちは反応に困っているようだ。
「白色ワームの特性は分裂です。このワームは一定の魔力を得ると、体内の特殊な生体回路を利用して魔力を体組織に変換して伸長し、最終的には分裂して自分と同一の個体を生み出します」
私の隣で、トリシアが青い顔で身震いした。
気持ちはわかる。私も極力想像しないようにしている。
「生み出された個体もまた分裂能力を持っているため、多量の魔力を一度に与えると爆発的に分裂増殖してしまいます。白色ワーム飼育の際には、魔力の与え過ぎには常に気をつけなければなりません。では、この分裂増殖を止める方法が分かる人はいますか?」
アクトリアス先生が質問すると、マーキアが控えめに挙手した。
マーキアの他に誰も手を挙げないのを確認し、先生は彼女を指名する。
「では、ジョーナスさん」
「白色ワームは気門が油脂に覆われると呼吸が出来なくなります。呼吸が停止すると仮死状態になる習性を利用し、油脂を注ぐか塗布することで分裂を封じます」
「ええ、正解です」
アクトリアス先生は満足そうに微笑んだ。
「これから皆さんには、白色ワームの分裂増殖とその停止を行ってもらいます。
まずは各人に一頭ずつ配りますので、教卓まで机の上のガラス壜を持って来て下さい。
机の上にある壜の大きい方にはオリーブ油が、小さい方にはアルラウネ抽出液と水色スライム抽出液の混合液が入っています。
白色ワームに混合液を与えて三、四頭ほどに増やしたら、すぐに油を流し込んで仮死状態にしましょう」
アクトリアス先生の指示に従い、生徒が順々に白色ワームを一匹受け取って行く。
近くで見ると、威嚇的な模様や突起などがないシンプルな芋虫だ。
思ったより気持ち悪くはない。
トリシアは既に限界っぽい顔で、ガラス壜から全力で顔を背けている。
「あら、大人しくて良い子でしてよ」
ひたすら怯えるトリシアを横目に、マーキアはサクサクと分裂実験を進めていた。
マーキアが白色ワームをピンセットで押さえ込み、混合液を二滴たらす。
白色ワームはプチプチと異音を立てて成長し、三倍の長さになった。
そのまま見ていると、ちょうど三等分にあたる二ヶ所がくびれていき、ぷつんと千切れて三匹になる。
「ふふ、可愛いものですね」
マーキアは慣れた手つきで、さっと油を注ぎ入れた。
油をかけられた白色ワームはすぐにピタリと動かなくなる。
直接かからなかった個体もいたが、マーキアは壜を軽く振って油に落として仮死状態にする。
鮮やかなお手並みだ。
マーキアの本領発揮と言ったところだろうか。
私とトリシアはマーキアに助言をもらいながら、白色ワームの増殖に手をつける。
おそるおそる混合液を一滴垂らしてから、様子を見る。
微かな成長音とともに、伸びていく。
どうも分裂するには足りない量だったらしい。
もう一滴垂らすと、分裂が始まった。
何となくウィンナーとかを作る行程を思い出す。
さすがに美味しそうとまでは思わないけど、それほど気持ち悪くはない。
無難に三匹くらいに増えたところで、さっと油をかけて終了である。
「エーリカ様は初めてなのにお上手でしてよ」
「そうですか? マーキアさんが一番手慣れてましたよ」
「うふ、わたくしは実生活で慣れておりましてよ」
竜の飼育餌としては一般的らしく、普段からこの手のものには慣れているらしい。
白色ワームの増殖に手慣れている副伯令嬢とは一体何者なのか。
そんな疑問が脳裏に浮かんだが、まあ、頼りがいがあって良いかな。
「こ、こ、こ、こ、こ、このような実習、何て事はございませんのよ、エーリカ様。あっ、なかなか命中しない……」
「あ、トリシアさん、直接かけなくても徐々に魔力を吸収しましてよ。そんなに滴下してしまうと」
「えっ」
トリシアの壜の中では、既に分裂が始まっていた。
さきほどアクトリアス先生が言った、爆発的な連鎖増殖が発生しかけている。
十匹分くらいに増えた辺りで、トリシアは慌てて残りのオリーブ油を全部流し込んだ。
「こ、これくらい楽勝ですのよ……」
トリシアは青ざめながら、私の袖を握って震えている。
虫が嫌いな人にはキツいだろうに。
お疲れ様である。
そういえば、クロエたちの実習も順調だろうか。
私がクロエのほうに視線を移しかけた時に、教室の後方から悲鳴が上がった。
「きゃ、きゃああ〜〜〜〜!」
振り向くと、一番後ろのテーブルで既に白色ワームが壜の口まで増殖して溢れそうになっていた。
テーブルの上には、倒れた混合液の壜。
あ、これはなかなかまずいね。
「ああ〜〜、やっちゃいましたか。今行きますね!」
アクトリアス先生がすぐさま駆け寄って行く。
しかし、今一歩間に合わず、一匹の白色ワームが混合液の上に落下してしまう。
爆発的に増えた白色ワームの塊が机の上にあった他の壜をなぎ倒し、更に魔力を吸って増殖。
さながら雪崩のような有様だ。
周りの生徒達がパニックになりかけた瞬間、ワームの塊が白いシャボンのような膜に包まれた。
アクトリアス先生のかけた、脂の魔法だ。
蠢く白い塊は、すぐさま動きを止めた。
「何とか間に合いました……みなさん、安心して下さい、もう大丈夫ですからね? あなたたちは、そちらの机はそのままにして、空いた机に移動して実験を再開して下さい」
アクトリアス先生はのんびりした様子で箒とチリトリを手に、仮死状態の白色ワームを片付けていく。
教室の各所では、生徒たちが更に慎重に、実験の再開を始めていた。
☆
生徒全員がワームの増殖から仮死状態までの実習を終えた。
隣のテーブルを見ると、クロエは壜いっぱいの白色ワームの油漬けを楽しそうに眺めていた。
意図的に増やしたのだろうか。
目の前に大量の芋虫が入った壜を置かれたベアトリスは、どことなく青ざめた顔だ。
実習は終わったが、アクトリアス先生の講義は続いた。
「白色ワームの野生種もまた、分裂増殖の特性を持ちます。野生種は毒耐性や火耐性も持っていて、閉鎖空間で遭遇するととても危険です。物理耐性も高く、中途半端な剣や魔法での攻撃ではむしろ増殖します」
油があれば最適だけれど、なければ凍らせたり電撃で麻痺させるのが有効だと、アクトリアス先生は続けた。
「そうそう、野生種は強い精神感応の能力を持ち、催眠攻撃をしかけてきます。決して一人で扱ってはいけませんよ」
そんな恐ろしい情報が飛び出す。
そう言えば、来航者の遺跡に用意されていたお兄様の物資の中にも脂の杖があったね。
あのラインナップには、対ワームの意味があったのか。
講義の内容は、生息地域や家畜化の歴史、現在の利用産業についての話に移っていく。
白色ワームの家畜化により竜の兵站問題がほぼ解決してしまったこと。
かつて、この魔獣を得るために、どれだけの狩猟者が犠牲になったかについて。
真面目な説明の後には、白色ワームは何故か毛布に集まってくるとか、薬草と一緒に焼いて食べるとアーモンドのような風味がして美味だとか。
そんな知識まで出て来て面白い。
そして授業終了の鐘の音が鳴り響いた。
みんな口々に先生に挨拶し、解散となる。
増やした白色ワームはアクトリアス先生が回収していった。
クロエがどことなく残念そうに壜を返却していたのが印象的だ。
帰りも三人で蜜蝋色の回廊を進む。
窓からは淡いオレンジ色に染まった光が差し込んでいた。
回廊の床には、生徒たちの長い影が伸びている。
「今日は大変でしたね、トリシアさん、マーキアさん」
「これが毎日なんて、不安ですのよ……」
「あら、トリシアさん、毎日ではございませんよ。第七曜日はお休みでしてよ?」
「もう! そういう意味ではございませんのよー」
そう言ってトリシアが拗ねると、私とマーキアは笑う。
なんだかとてもいい感じの放課後だった。
私にとっては前世から含めて十年以上ぶりの学生生活は、懐かしさと新しさの嵐だった。
こんな日々も悪くない。
後悔の無いように、大事に過ごしていこう。
そんな風に思いながら、魔法学園の授業初日は過ぎていったのであった。




