雪銀の剣士3
赤革本の下には、朱鷺を象った徽章も落ちていた。
リーンデースで朱鷺と言えば王の学徒の印である。
落とし主はおそらく例の黒フードの剣士だろう。
ということは、彼は魔法学園の特待生だということか。
あの実力なら納得だ。
でも、特待生って言っても、全学年合わせて百五十人くらいいるんだよね。
下級学年の男子に絞っても四十人以上か。
顔も分からないし、探すのは難しそうだ。
「後でハロルドにでも調べてもらおうかな」
ハロルドには一度、生徒全員の身辺調査をしてもらっている。
その資料を確認すれば、持ち主が分かるかもしれない。
「エーリカ!」
名前を呼ばれて、そちらを振り向く。
パリューグとティルナノグが裏路地から手招きしていた。
拾得物を手に、急いで二人と合流する。
「お疲れさま。怪我がなくて良かったわー」
『流石だな、エーリカ。こんな短時間で二体も仕留めるとは』
「うーん、実は二体目は私一人でやったわけじゃないんだけど……」
「あら、そうなの?」
二人は怪訝そうな顔をする。
どうやら、あの剣士が消えた後で駆けつけたようだ。
「詳しいことは後で。それより、街の人たちは?」
『うむ。安心しろ。死者や重傷者はいない。馬の中には骨折したやつもいたがな』
「人間にも打撲や捻挫くらいはいたけど、応急処置して教会に放り込んでおいたわ」
『衛兵たちは一体目を調べていたようだ。そろそろこちらにも人が来るのではないか?』
おっと、いけない。
この場で衛兵に見つかると、言い訳とか面倒だよね。
「三つ先の通りまで行きましょう。そこなら避難ルートから外れてるから、辻馬車も拾えるはずよー」
「わかったわ」
そうして私達は騒がしくなって来た街から逃げるように寮に戻ったのだった。
☆
食事は寮付きの使用人に自室へ運んでもらい、幻獣たちと分け合う。
うっ、ここでも大食い疑惑が持ち上がりそうだ。
ローストした仔羊肉やベイクドポテトを取り分けながら、恒例となったミーティングを行う。
「では、確定事項の確認から。まずパリューグにお願いしたいことだけど」
「吸血鬼の件ね」
三年前、パリューグの炎によって汚染された祭壇は完全に浄化された。
それ以来、吸血鬼関連の事件はすっかりなりを潜めていた。
用心深く老獪な彼らは天使の活性化に気がついたのかも知れない。
しかし半年ほど前、静かだったはずの吸血鬼たちが再び暗躍を始めたのだ。
霊脈外縁部の祭壇を狙った前回までと異なり、今回の攻撃は霊脈の中心部であるリーンデース近辺の教会や修道院に集中している。
しかも、かなり荒っぽく血腥い方法が取られているらしい。
教会関係者の殺害。村まるごとの屍者化・屍鬼化など。
お陰でパリューグから見れば一目瞭然だが、普通の人間にとっては非常に危険度が高い。
「ごめんね、エーリカ。こんな時期に側にいられなくて……なるべく頻繁に連絡に戻るから、ちゃんと生きていなさいね? 絶対に生き残るのよ?」
「ええ、あなたも気をつけてね、パリューグ」
確かにパリューグが一緒に居てくれたほうが心強い。
しかし、現在進行形で増えている吸血鬼の被害者を減らす方が重要だ。
国中がゾンビパニックになるのも嫌だしね。
『俺はベアトリス・グラウとやらの護衛だったな』
「うん」
『……本当にいいのか、エーリカよ』
ベアトリス・グラウ。
長い黒髪を三つ編みにし、眼鏡をかけた地味な女の子。
主人公クロエのルームメイトで、親友ポジションとなるサブキャラだ。
乙女ゲーム「リベル・モンストロルム」には二つの時報があると言われていた。
一つ目がエーリカ・アウレリア。
二つ目がベアトリス・グラウ。
エーリカ、つまり私は怪奇事件の開始を告げる存在だ。
嫌がらせ行為で散々ヘイトを稼いでいたエーリカは、大半のプレイヤーにとって基本的にどうでもいいキャラである。
むしろ、無惨に死んでざまあ見ろって感じだろう。
はは、辛いね……。
でもまあ、私だってプレイしていたときは溜飲を下げたけどね。
ベアトリスは怪奇事件が悪化するタイミングで死亡する。
彼女は地味で、善良で、クロエにとって日常を象徴するような人物だ。
それなのに、彼女にはエーリカと同じ状況で無惨な死が訪れる。
ベアトリスの死とともに、事件はがらりと逼迫したものに変わる。
彼女の死はバッドエンドルートへのターニングポイントだと言われている。
とは言え、既に原作ゲームのレールから外れていると言えなくもない。
ゲームのようにルートやバッドエンドなんてものが現実に存在するかどうか分からない。
第一、私とベアトリスは基本的に無関係な人物だ。
だけど──
「お願い、ティル」
『やれやれ、自分の命が危うい時に、お人よしが過ぎるぞ。だが仕方がないか。それがお前なのだからな』
だけど、やっぱり見捨てられないよね。
ベアトリスに危機が訪れることを、私は知ってしまっているのだから。
私より先に彼女が死んでしまう事態だってあり得る。
彼女は、何も知らなかった頃の私だ。
無関係だけど、他人事だなんて思えない。
『任せておけ。お前と同じくらい大事に守ってやる』
「ありがとう、ティル」
その気持ちを知ってか知らずか、ティルナノグはそう答えた。
私がお礼を言うと、彼は答えずに静かにお茶を啜る。
分りにくい彼の表情からは、呆れているようにも満足しているようにも思えた。
「まあ、こんな感じで各自タスクをこなしましょう」
『うむ、俺はせめて夜ぐらいは合流しよう』
「妾は、三、四日に一度は戻るつもりよ」
私は用心しつつも学生の本分である学業に励むつもりである。
余裕があれば、学園生活も楽しみたい。
ここ数年は死亡フラグ対策ばっかりしているせいか、普通の生活が恋しい……。
それに社会人を一回体験していると、なんだか学校にはノスタルジックな思いが募る。
前世の学生時代は辛い思い出が多かった。
せめて今世くらいは、普通で平凡な学生生活を送りたいよね。
「さてと、行動予定はこんな感じかしら」
『む? 何か忘れているのではないか、エーリカよ』
「昼に拾った冊子本は調べないの?」
ああ、そうだった。
私は空いた皿を片付け、革鞄から黒フードの剣士の落とし物を取り出す。
赤革表紙の冊子本。
朱鷺の徽章。
明日、入学式の後にでもハロルドに渡して持ち主を特定してもらうつもりだった。
「そうね、少しは調べておいた方が、ハロルドも助かるかしら」
例えば、持ち主の蔵書票があれば特定は容易くなるだろう。
本の内容を読んでしまうのは気が引けるが、このくらいなら問題ないだろう。
(あ、でも下手に開いて呪われたりしないかな)
前世でそんな展開の有名小説があったのを思い出す。
主要キャラの妹という立場の私としては、他人事ではない。
私は本を開く前に短杖で霊視の魔眼を起動した。
特に何かの呪文が働いている様子はない。
警戒する私を見て、二人の幻獣も身を乗り出して匂いを確かめる。
「何かが憑いているような匂いもしないわー」
『中から妙なものが現れたとしても、俺たちがいるのだ。安心しろ』
私は頷き、本を開いて中表紙を確認する。
蔵書票には「奇譚蒐集者の会」という文字が記されていた。
そして「怪奇日誌」という題字。
なるほど、これは個人的な日誌なのか。
ものものしい装丁だけど、魔導書ってわけじゃなさそうだ。
閉じようとすると、ページの間から一枚の羊皮紙がひらりと落ちてきた。
「おっと……」
テーブルから落ちそうになった羊皮紙を捉まえる。
読むつもりはなかったが、そこに書かれた文字がたまたま目に入ってしまった。
「落ちた少年の幽霊」「無限回廊」「人食い鏡」「死の世界への階段」。
目次だろうか。
いかにも怪談・奇譚といった題名が並ぶ。
怪奇日誌という名の通り、そういう出来事を記した体験記なのかな。
どうやら学園にはエドアルトお兄様と似たような趣味の人間がいるらしい。
『裏にもなにやら書いてあるぞ、エーリカ』
「えっ、そうなの?」
ティルナノグに指摘されて、ぺらりとメモを裏返す。
そこには初めて見る文字で何かが記されていた。
「現代の文字じゃないから、古代文字かな?」
「カルキノスの古代文字じゃないわね〜。この妾が知らないもの」
『アウレリアの古代文字とも違うな』
ティルナノグとパリューグが覗き込んで来た。
二人が知らないとすると、ある程度絞り込みができる。
「字の形は現代のルーカンラントの文字に似てるかも。北の古代文字かな」
何となく気になる。
確か、北方言語の辞書は持ってきていたはずだ。
現代の文字と共通の字形があれば、そこから多少は読み解けるかも知れない。
私は念のため、その古代文字を自分の手帖に書き写しておくことにした。
筆記用具を取り出し、文鎮代わりの星鉄鋼の塊をメモの上に置く。
ちなみにこの文鎮、星水晶の細かな結晶も含まれていて、手元の照明代わりにもなる優れものだ。
……というはずだったのだが、半分くらいの結晶が光っていない。
「被覆材が剥げて酸化したのかな?」
文鎮を持ち上げると、星水晶の結晶は淡い光を放ち始めた。
もう一度メモの上に置くと、やはり一部分だけ暗くなる。
「あれ……なんでこんなことに?」
『ほう、面白いな』
呪文の類いは働いていないはずだ。
だとすると、呪文以外の方法で光が消えていることになる。
例えば、星水晶が発光する原因である魔力が遮断されているとか。
そこまで考えて、私は一つの鉱物を思い出した。
雪銀鉱だ。
昼間も見たあの鉱物なら、魔力を遮断することができる。
透明なインクに雪銀鉱を混ぜれば、こんな効果も発生するかも知れない。
星水晶を使えば雪銀鉱の塗られた場所がわかるが、文鎮の星水晶では大雑把な位置しかわからない。
どうすれば読めるだろう。
私は別の星水晶の小さな結晶を乳鉢に放り込んで砕いた。
そうしてできた星水晶の粉末を、化粧用のパフを使って羊皮紙に塗布していく。
準備ができたら、幻獣たちに部屋の照明に覆いをかけてもらう。
思った通り、ところどころから青い光が抜け落ち、文字が暗く浮き上がった。
「今度は現代の文字みたい」
『首無し王子の霊安室で、待つ……か?』
「なんだか、いかにも怪しい言葉が出てきたわね」
透明インクで書かれていたのは、どこか剣呑さと不気味さの漂う呼び出しのメッセージだった。