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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Eチャイルド

作者: 下山 辰季

 頭の中で、ブチブチと音がする。

 切断を思わせる音は、実際にはその逆で。

 私の神経ネットワークが、急速につながっていく。

 長い長い待機モードが解除され、私の心が呼び戻される。


 私のしっている世界には大きな異変が起きていた。

 頭上に君臨していた、煌々たるクリスタルガラスのシャンデリアがない。その代りに豆のように小さい貧相な光が、オレンジがかった明かりを周囲の闇にわけ与えている。

 大地はペルシャのカーペットではなく、植物繊維で構築されたナゾの板だ。長方形の板が八枚しきつめられている。その黄ばんだ色合いに長い時間の経過を感じた。


「……動かないか」


 私は直立不動の姿勢から、声がした方向へとふり返る。


「運が良いんだな」


 彼が私を起動させたのだろう。

 黒髪の青年がいた。使いこんだバールを手にして、ニタリと笑う。

 実用的で素っ気ない洋服の上に、なぜか綿入りの和風ジャケットを着こんでいる。その組み合わせがチグハグであることは、男性の服飾コーディネイトに関する知識が浅い私にも判別できた。


「もう少しお前の反応が遅かったら、諦めてパーツをバラしていたところだ」


 眼鏡の奥で、その目がいびつに細められた。


 彼の足下にあるのは工具箱。

 背後にあるのは古臭い箪笥。


 そして、大きさごとに分類されたガラスの目玉。

 頭部からひきはがされた、ナイロン製の髪の毛が色とりどりに大量に。


「お前はなかなかの年代物だったんでね。ちゃんと動けるように、基本的なメンテナンスはしておいた。感謝しろ」


 私が黙ったままでいると、青年は肩をすくめて話しはじめた。

 やれやれ、といった調子で。


「ここは人格物体再生センターだ。世間さまじゃあ、そう呼ばれている」


「人格……物体?」


 聞きなれない言葉をオウム返しにつぶやいた。


「ほう。一応、言語システムは機能しているんだな。お前はあまりにもリアクションが少ないよ。そこいらの市松人形やフランス人形の方が、ずっと感情表現が強烈だ」


 私は青年の視線を追う。

 乱雑な部屋のすみで、保管されている人形やぬいぐるみの姿を発見した。数十体はいるだろうか。分解どころか、修理された痕跡のある人形も。


「ようこそ、魂の廃棄場に。俺は自分の職場をそう名づけている」


「廃棄……」


「お前は持ち主に捨てられたんだ。しかし、まあ、あれだな。まさかここで、あの六星工房の職人が手がけた特注ドールにお目にかかれるとは、思ってもみなかったが」


 六星工房。

 ヨーロッパに拠点を持つ、老舗の人形屋だ。

 名工の技術はついに心を持った人形を産み出した。金属の欠片に人格設定を刻みこみ、作りものの体に取りつける。

 人工の子供たちに与えられた名は、Eチャイルド。古のゴーレムに生命を吹きこんだEmethの文字が由来である。


 私の魂には、こういった知識がインプットされている。

 Eチャイルドとしての基礎教養だ。

 はじめからこの身に備わっている。

 白と桃色のグラデーションがかかった、腰までとどく髪のように。

 眼窩にはめこまれたドールアイは、それだけで芸術的価値を持つ。

 職人の手で作られた理想的な肢体に、私の服はぴたりと重なる。専門の仕立て屋が、私用に縫いあげた衣装だからだ。薄絹のアオザイ。スリットの深いチャイナドレスに、ズボンを合わせたような格好だ。


 そういった要素があれこれ組み合わされて、レンゲというEチャイルドが存在している。


 物体に心を宿す技。

 人形職人が編み出したこの技術は、様々な分野で応用されているという。


「オモチャに家電にホログラム……。とにかくあらゆるモノに魂を入れてみるのが、流行化した。しばらくして、人間さまはようやく問題に気づく。心を持たせたモノが不要になったら、さて、どうやって処分しよう?」


 青年は私の顔を見た。

 仕事道具のバールを指でなぞりながら。


「人間さまが清々しい気持ちで、気軽に魂を捨てられる施設が必要になった。人格物体再生センターはそんな需要から作られ、多くの利用者さまからご愛用いただいて、俺は今日も飯を喰わせてもらっております」


 青年が箪笥からガタガタと何かを取り出す。ノート状につづられた紙の束だ。


 私は首を傾げる。


「ほれ。これはここでの銭の代りな。なくすなよ。白紙になってるのは自由券。一番役立つ券だからな」


 切り取り線がついた一枚一枚には、修理券、お茶飲み券、お食事券、衣装券だのが、安っぽく印字されていた。


「あ。飲食関係の券は別のに変えてやるわ」


 一度渡された紙束を取り上げられる。

 管理人は何枚かの紙を破き、別の券をはさみこんだ。


「冗談みたいだろ? 捨てられた人形たちはこの施設で楽しく暮らしてますよー、っていう外部へのアピールのためだとさ。アホらしくても、まあ、適当につきあってくれや」


 廃棄場の管理人は、持っていたバールをピッと建物の出入り口にむけた。


「これで施設の説明は終了だ。自分の身の上にふりかかった運命が理解できたら、さっさと俺の根城から出ていけ。人間さまが再びお前の魂を必要とするまで、制限つきの自由を謳歌することだ」


「……待っていれば、いつかは元の居場所に戻れる、……ということ?」


 青年は、左耳を小指でほじりながら答えた。


「施設運営上の建前ではな」




 小屋の外には、さらに異様な世界が広がっていた。


 サビの浮いたクラシックカー。

 表面が溶けた天使像。

 場違いなほどに豪華な三面鏡ドレッサー。


 経年劣化と夕日のせいで、どれも元の色彩はわからない。

 雑草の海にうもれながら、てんでバラバラに存在感を主張している、モノの群衆。


 くすんだ人工物とは対照的に、植物はあざやかだ。

 朽ちかけた建物は安っぽく、どこかオモチャめいている。


「……」


 私は目についた廃屋の一つに、ふらりと引き寄せられた。




 それからの出会いは散々だった。


「信じられる? あの人は私を裏切ったのよ! 私の怒りは一生消えないんだから」


 グチや恨みごとをしゃべり続ける、モノ。


「お前! 今頭の中で、俺のことをバカにしただろう? 謝れよ! 手をついて俺に謝れ!」


 全方向に敵意をまき散らす、モノ。


「じゅふぇふぇ……。こ、こんにちはぁ。良いですぬぇ、あなたみたいな美人は。楽しいことばかりなんでしょう? 私なんくわぁ、ダメですよぅ。どうせ私はブスですからぁ」


 やたらと自虐と羨望をくり返す、モノ。


 管理人は、ここを魂の廃棄場だと表現していた。

 その意味が、ようやく私にも理解できた。

 ここの人形たちはおかしい。悲しいぐらいに。




 あてもなく歩き回るうち、私は風変わりな建物に迷いこんでいた。


 長い廊下にそって、いくつもの部屋が続く。

 部屋には数十組もの机とイスが、同じ方向に並べられている。


「学校……、だろうか?」


 コツン、と何かが頭にあたる。


「?」


 それは丸めた紙だった。


「くすくす」

 「けたけた」

「ひそひそ」

 「にやにや」


 忍び笑いが、建物の中で反響する。

 背中に紙玉がぶつけられた。また。今度は横から。どっちを向いても、死角から飛んでくる。


「どういう、つもり?」


「キャハハハハハッ!」


 物影から出てきたのは、四人組の少女。

 同じデザインのセーラー服を着ているが、顔にはそれぞれ奇妙な面をつけていた。

 オカメにひょっとこ、般若と白狐。


「これがEチャイルドかー」


「高価なオモチャなんだよねー」


「あれー? そんなEチャイルドさんが、なんでこんなところにいるのー?」


「ホントだー。フシギー。ねー、ねー。どうしてー?」


 思春期の少女ならではの統率された連携プレイだ。

 息がぴったりのかけ合いに、私は少しばかり感心する。

 毒入り綿菓子みたいにふわふわした皮肉は、金属製の私の心を傷つけることはない。


 子供の理不尽さにはなれている。

 そういう風に作られている。

 Eチャイルドは、小さなお子さまのいるご家庭にも対応している。安全で友好的な人形なのだ。


「……」


 特に反応を示す必要もない。さっさと立ち去るだけだ。

 歩くペースを速める。廃墟の廊下に、カツカツと足音がひびく。

 離れることなく、ついてくる笑い声。


 と、何かがバタバタと足音を立てて、こちらに近づいてくる。


「コラー!」


「げっ」


 お面の四人衆が、ぎょっとしたような、うんざりしたような声を出した。


「またそうやってイジワルしてる! ダメなんだから! それは良くないことよ!」


 かけつけてきたのは、小さな少女だ。


「大丈夫? 嫌なことをいわれても、気にすることないのよ」


 くるりと私にふり返る。

 彼女と目が合う。


 魂の廃棄場といわれるこの場所で、こんな瞳の持ち主に相手に会えるなんて、思ってもいなかった。

 ふわりとしたセミロングの髪はミルクティー色。青いカチューシャがよく似合う。

 上品な雰囲気の子供服を着こなしているが、ここまで慌てて走ってきたせいか、片方の靴下がずり落ちていた。


「チビのくせに上から目線で、何さま? っていつも思うんだけど」


 少女にそそがれていた私の意識は、耳ざわりな声で邪魔された。


 ビクッと肩をふるわせながらも、少女は制服姿の集団に立ちむかう。


「うっ……。みんなで仲良くするのは、良いことだもの」


 だけど今にも泣き出しそうな声。


「くすっ。ああいう子って、みんなから一番嫌われるタイプだよねー」


 小さな勇者は、白狐面の言葉であっけなくとどめをさされてしまった。


「ひ、……えぐっ、うく……っ。それでもっ、良い子じゃなきゃダメなの! えぅ、ひっきゅっ! ふぇえええん!」


「はい! きたー。純真良い子ちゃんのピュアな涙攻撃きましたー」


 私はどうするべきなのか。

 組みこまれた知識と、とぼしい経験から、この状況で最適な行動を導き出さねばならない。

 状況シミュレーションに思考容量のほとんどをさいて、解答を探す。


 そのせいで。


「お待ちどー! バケツ水の出前一丁、お持ちしやしたー!」


 こっそり水をくみにいったモノがいることに、その声を聞くまで気づかなかった。


「……っ」


 ぶざまにも、もろにに水をかぶってしまう。


「やっだぁー、びしょぬれー」


「お代はいらないよー」


「じゃーねー」


「バイバーイ!」


 お面をつけた少女四人組は、キャアキャアと笑い合って、廃墟のどこかへと姿を消した。


「う……、ふっぐ……」


 目元を手でぬぐってから、少女がぽつりとつぶやいた。


「……嫌われているなんて、わかっているわ」




 廊下に水たまりを作りながら、私は少女の後ろについていく。

 彼女の名はメイベルといった。

 私は自分の名を告げた。

 まともに自己紹介ができる相手には、再起動してからはじめてお目にかかる。


「ここを私のお家にしてるの。どうぞ、入って」


「……お邪魔、します」


 教室ほどは広くない空間。

 色々なモノが押しこめられているようだ。これ以上の視覚情報は、周囲が暗すぎるためわからない。

 数時間前まで緋色に染まっていた世界は、青白くあいまいに変化していた。


「タオルがあれば良いんだけど、ハンカチしかないの」


 柔らかな布が、私の頬にそっと当てられた。

 まぶた、額、首筋と、小さな手は移動していく。

 私はなすがまま。


「あの四人組は、よくここの学校エリアをうろついているの。時々、ほかのエリアでも見かけるけど」


「エリア?」


「ええと。魂の廃棄場は、いくつかのエリアにわかれているの。思い出が回る遊園地。明日を諦めた病院。新学期がこない学校。混雑無縁のリゾート。過去を作り続ける工場。地図から消えた村。管理人さんが住んでいるのは、廃村エリアのかやぶき屋根の民家ね」


 私の体をふいていた小さな手が離れた。


「んしょ。これでだいたい水気はとれたかな?」


「メイベルは……、平気だった?」


「ん。平気よ。ほんの少し飛沫をあびただけ。レンゲが盾になってかばってくれたもの」


 名前で呼ばれるのはうれしい。自己の存在が固まっていくように感じる。

 が、彼女の言葉の内容を理解したところで、私は首を傾げた。


「かばう? そんな行動をとったという記録はデータにはない。私はただ、立ち尽くしていただけ」


 メイベルが目を丸くする。それから、少しだけ眉根をよせた。

 私達は薄闇の中でも、そんな表情の変化がわかるぐらいの距離にいた。


「もしかして、レンゲの心は、ロボットなの?」


 私は沈黙する。

 問いかけに答えるための思考時間だった。

 まず私は、ロボットの定義を求めることからはじめた。が、その試みを中断する。

 黙りこんでいる私を見て、メイベルが不安そうな顔をしたからだ。


「私は……。Eチャイルドは……、人型ロボットとして分類されている。しかしこの心は、機械として作られたわけではない。他者と触れ合い変化する心。六星工房の職人が目ざしたのは、完璧な人形ではなく、持ち主とともに成長していく人形。基礎的な情報を入力されてはいるが、それも経験の中で上書きされていく」


 実際には、私は持ち主と深く交流することはなかった。

 私の心は、ほとんど初期状態のままだ。


 それにしても。


 会話というのは、不便で不確実なコミュニケーションだ。

 両者が言語データベースを共有しているわけではない。自分と相手が同一の言葉を使ったとしても、それが本当に同じ意味なのかは確認できず、そのまま話は進んでいくのだから。


「そう。ちょっとびっくり」


「魂の廃棄場には……、そういった人格物体が、集まっている、……のでは?」


「私が驚いたのは、レンゲは変われるってところよ。可能性があるって、とてもうらやましいわ」


 ここのモノたちは、ずっと変われないのだろうか。


「……私の可能性はもう消えて、いる。持ち主だった少女は、私を不要と判断した」


 その少女のプレゼントになるために、私は製造された。

 持って産まれた存在意義は、すぐに否定されることになる。


「……」


 私のどこが気に入らなかったのか。

 何が問題だったのか。

 それは今になってもわからない。


「レンゲはステキよ!」


 メイベルが私の様子を察したのか、大声で意気ごむ。

 それからおずおずと、私の髪の一房を手に取った。


「レンゲは長い髪がキレイね。顔立ちも美人だし。体つきもスラっとしていて、大人っぽいわ」


「メイベルは……」


 メイベルが人間の少女なら、いずれあなたも大人の女性になる、などといえるのだが。彼女は魂の廃棄場の一員。モノだ。変化することのない存在だ。


「メイベルは……、とても良い子」


 月に雲がかかる。

 廃校の小部屋は完全に闇で覆われた。

 だからその時メイベルがどんな顔をしていたのかは、わからない。


「はっ! 大変!」


「な、何……?」


「おしゃべりに夢中でうっかりしていたわ! もうすぐ夜の九時!」


 そのとおりだ。

 私に内蔵された時計も同じ時間を示している。


「良い子は寝る時間だわ」




 こうして私の奇妙な生活がはじまった。

 学校エリアの用具室にメイベルといっしょに住んでいる。

 棚には地球儀が並び、巨大な三角定規や物差しが収納されていた。


「この建物は、似通った部屋が多い。……迷いやすい」


 廃校に住み着いて間もない頃は、よく迷子になったものだ。


「しっかり者に見えて、レンゲってば案外ぼんやりしてるんだもの。放っておけないわ」


「……今はもう、必要な位置情報を記録してある」


 そういう彼女は彼女で泣き虫だ。

 だけど、メイベルを泣かせるつもりはないので、私は黙っている。


「ふふ。気にすることないのよ。好きでこうしているんだから」


「…………、好き……で?」


「うん! 困っている人を助けたり、あれこれお世話するのが大好き! だって、それは良いことだもの」


「……そう」


 メイベルは博愛の笑顔を浮かべている。

 特別扱いされたいという、自分のワガママさを認識して、少しだけ自己嫌悪した。


 けれど私がメイベルに好かれたいと思うのは、当然のなりゆきだと思う。

 彼女は、奇妙な環境に戸惑う私を助けてくれる。

 優しい言葉をかけてくれる。

 ここでは会話が成立する相手は少ない。気の合う仲間となるとさらに貴重だ。


「メイベルと出会えて……、良かった」


 素直な気持ちを打ち明けると、はにかんだ微笑が返ってくる。


「私もよ。レンゲとお友だちで、うれしいわ」


 彼女も私を嫌っている様子はない。そのことにただ安堵する。




「んしょ、んしょ……。もうちょっとよ。待っててね!」


「うん」


 どれだけだって待てる。

 私は一心不乱に花を編むメイベルの姿を眺めた。


 いつもの散歩の途中の偶然だった。

 たまたま立ち寄った廃村エリアの片隅で、レンゲ草が一面に広がる空き地を見つけたのは。


「ふーっ。これで完成よ!」


 ジャジャーンとばかりに、メイベルは桃色の花冠を両手で持ち上げる。

 しかし喜びでほのかに紅潮していたその顔が、じょじょにしぼんでいく。


「んー……。でも、やっぱり、こんなのじゃ……。ダメよね」


 得意げな顔は消え去ってしまった。


「どうして?」


 彼女が泣き出す前に、声をかける。

 無愛想だといわれやすい私の声は、ちゃんと優しく温かい響きになっていただろうか。


「うーと……。作っている時は、良いアイディアだって信じ切っていたの。ステキなプレセントになるって。でも、いざ完成してみると、思い描いていたほどの出来栄えじゃなかった……」


 素朴な作品を手にして、メイベルはうつむく。


「本来なら、もっと……。あなたの髪には、シルクのリボンやクリスタルビーズの飾りが相応しいんでしょうね。こんなボロボロの花冠なんかじゃなくて……」


 まずい。

 メイベルの声が悲哀の湿り気を帯びてきた。


「う、うっ……。そんなことを考えたら、なんだか悲しくなってきちゃって……。えう、あうぅ……」


 早くも涙目。


「メイベル。でも実際ここにあるのは、その花冠」


 小さな手に、そっと私の手を重ねる。

 泣き虫な彼女を少しでもなぐさめたかった。


 相手の感情を感知、分析して、それに合う反応を返す。自分の意思を織り交ぜて。

 そういった一連の流れが、少しずつ自然にできるようになってきた。


「ここにないリボンやビーズよりも……。メイベルが作った花冠の方が、私にとってずっと意味がある」


「本当?」


「うん」


 ミルクティー色の髪に、するりと手をひたした。サラサラとして心地良い。

 メイベルの頭をなでる。

 そうしていると、私の人格が刻まれた金属パーツがほのかなぬくもりを持つ。

 きっとこれが、満ち足りた気持ち、というものなのだろう。


 上目遣いの視線が、チラリと私にむけられた。


「ん、んと。これ、レンゲにあげるの。下手っぴでも、もらってくれる?」


「喜んで」


 彼女の細く小さな体をぎゅっと抱きしめたくなるのをガマンする。

 今そんなことをしたら、完成した花輪まで押し潰してしまいそうだ。


「うー。レンゲってば! いつまで私の頭をなでてるの? 赤ちゃんあつかいしないでちょうだい」


「それは、失礼」


 彼女の頭から手を離して、私は少し屈んだ。彼

 メイベルが私の頭に花冠を乗せやすいように。


「レンゲ、動いちゃダメよ。今つけてあげるからね。んしょ……。はい! できたわ」


 少女の手で飾られる。

 人形として形を与えられ生を授かったモノにとって、それは至高の喜び。


「うれしい。大切にする」


「ふふ、気に入ってくれた? でも次はもっと上手に作ってみせるわ!」


「ありがとう。メイベルは、優しい。良い子だ」


「……うん……」


 風がうなった。

 土煙を巻き上げて、吹き荒れる。

 桃色の花弁が舞い上がった。


「風が強くなってきたわね」


 カチューシャで押さえられたミルクティー色の髪が、強風になぶられていた。


「今日はもう、帰りましょう」


 彼女はくるりと背をむけて歩いていってしまった。




 廃校舎の窓から外を眺める。

 これはきっと……退屈、という感情なのだろうか……。


「最近は、雨ばかり」


 思ったことをぽつりと口に出したのは、答えてくれる人がいるからだ。


「この季節はどうもお天気がぐずつくみたいね」


「そう。この気象状況はまだ続く?」


「えーと……。ちゃんとした春がくるまでは、こんな天気のままなんじゃないかしら?」


 冷たい長雨に打たれた人工物は色を失い、その一方で植物は貪欲に染まっていくようだった。


「雨の日も悪くないけど、こうも続くとね。さすがにうんざりしちゃうわ」


「同感……」


 ここ数日は、部屋の中でも楽しめる遊びをメイベルから教わっていた。

 彼女の遊びは、じつに品行方正でおしとやか。

 あやとり、しりとり。トランプをめくり、五線譜の響き。

 楽しみ嗜みはするけれど、決してはしゃぎすぎることはない。

 大人しく、お利口に、お行儀良く。そんな風にメイベルは遊ぶのだ。


「ねえ、レンゲ。今日はズズ子さんのところにいってみない?」


 退屈極まりない雨の日に、メイベルの口から思わぬモノの名前が出た。


 ズズ子というのは、不健康そうな女性の姿をした人格物体だ。主に病院エリアを徘徊している。

 卑屈で陰気な性格だが、他者に悪意をむけることはない。そういう意味では悪いモノではないのだが。


「彼女のところ……」


 ただでさえジメジメした雨の日に、わざわざ沼地にいくようなものだった。




 白い病院の中で、真っ赤なワンピースはあまりにも衝撃的だ。

 首に巻きつく細いヒモは、不穏な印象。先端にはシンプルな形状のカギがついていた。あれで首飾りのつもりなのだろうか?


「じゅふっ。こんにちはぁ」


 四人部屋の病室を独り占め。

 簡素なベッドの上でズズ子は正座していた。

 あまりシーツを取りかえていないのだろう。シワクチャになっている。もっとも寝起きしているのは病人ではなく、人格物体。衛生に気を配る必要もないし、そもそも汚れないのかもしれない。


「こんにちは。私たち、ズズ子さんの力を借りにきたの」


 ハキハキとしゃべるメイベル。

 しかし、私は困惑していた。ズズ子の力を借りるとは、どういうことだろう? この不気味な人格物体に、どんな特技があるというのか。


「効き目バッチリの強力てるてる坊主を作ってほしいの!」


「てるてる坊主……」


 脱力。


「良いですよぅ。お安いご用です」


「お代はいつもどおり、髪の毛券一枚で良いかしら? それとも、目玉券?」


「髪の毛券でお願いしまぁす。でも、思いどおりの色と質感の髪はぁ、なかなか手に入らないんですよぬぇ」


 魂の廃棄場の管理人が、色や長さごとに分類していたナイロン繊維を思い出す。

 あれを希望者に分配していたらしい。

 ……使い道はよくわからないが。


「人形作りは私のシュミですからぁ。強力なまじないをこめて、作りませぅ」


 病室の主は、うれしそうに頭を揺らしている。

 海藻に似た長い髪が、ゆらゆら、くらくら。


「きゃあ、うれしい! これでお天気間違いなしよ!」


 まるで明日の晴れが確定したかのように、メイベルはご機嫌だ。

 空を覆う雲は、ぶ厚く灰色のままだというのに。


 それに私には、人格物体と呼ばれている人形が、願いをこめて人形を作るのも、滑稽に思えた。


「じゅふぇっ……。半信半疑といったご様子ですぬぇ。アオザイの美人のEチャイルドさぁん」


 深い海藻の奥で、青白い顔がにやけている。


「そもそも人形とはぁ、呪術的な存在なのですよぅ」


 ズズ子がベッド横の荷物棚に近づく。

 首のペンダントは、この棚のカギらしい。


「人間の形をマネた作りもの。古来より人は人形というモノに、特別な感情を抱いてきましたぁ。思いをこめるぅ。願いをたくすぅ。呪いをかけるぅ。……そして忘れてはならないのはぁ……、人間の身代わりとしての役目です」


 ガチャリと音を立て、カギが開く。

 動物の体内から臓器がこぼれるように、布やボタンがあふれ出した。


「六星工房のEチャイルドは、ゴーレム伝説を下敷きにしていましたっけぇ」


「たしかに。……それが何か?」


 悪いモノではない。とはわかっているのだが、このねっとりとしたしゃべり方には、どうしても反感を持ってしまう。


「命令どおりに動く泥人形。というのが、ゴーレムの定番イメージですよぬぇ。ただ、それだけじゃあないんですぅ。ゴーレムってのはぁ、成長するんですよぅ」


「ん? そうなの? 昔話の中のロボットみたいなものだと思っていたわ」


 話をしながら、ズズ子は古布製てるてる坊主作りに取りかかっていた。

 針を持った手が、怖いほどの速さと的確さで動く。


「さあ〜。物語やゲームなんかに出てくるうちに、だんだんと機械的な要素が付与されていったのでせぅ。本来のゴーレムはぁ、ちょぉっと違ぁうんです。もっと生々しい存在なんですよぅ。ゴーレムの語源をたどりますとぉ……」


 針をあやつる手を一瞬休め、ズズ子が私の目を凝視する。


「胎児……、という意味になります」


 ズズ子の視線は、すぐに手元の作業へと戻っていく。


「だからぁゴーレムは、成長する宿命を持った人形なのです。目的を果たさなければハサミで首を切られる運命の、哀れなてるてる坊主とは違ってぇ。じゅふっ。はい、できましたよぅ」


「わあ! とってもかわいいてるてる坊主さん!」


 無邪気にはしゃぐメイベルの顔を見ると、とてもどこが? とはいえなかった。


「ズズ子さん、ありがとう。これできっと明日は晴れるわね。ズズ子さんが作るてるてる坊主は、とっても強力だもの!」


 喜ぶメイベル。

 しかしそのてるてる坊主から、鬼気迫る邪気が満ち満ちているように感じるのは、私の気のせいだろうか。


「じゅふぇふぇ……。そう褒められると、照れますよぅ。人形が必要になったら、いつでも私のところへきてくださぁい」


 陰気な声に送られ、ジメジメとした廃病院から立ち去る。


「メイベル。私はその人形の制作過程を観察していた。構造的に天候を変えるだけの機能は、備わっていないと思う」


 メイベルが大切そうに持っている、簡素な白い人形を横目で見る。


「ふふ。レンゲはまだ、ズズ子さんの爆裂オカルト不思議パワーをしらないのよ! 本当にすごいんだからね!」




 翌日。


「ふふっ! ね? いったとおり、ちゃんとお天気になったでしょう?」


 あれだけ曇っていた空は、ウソのように晴れた。

 魂の廃棄場近辺だけが不自然に。


「……」


「レンゲ。こうやって、二人で外を歩くのは久しぶりね!」


「……うん。ああ、メイベル。そこは、地面がぬかるんでいる。気をつけて……」


 点在する水たまりを避けて、雨上がりの道を散策。

 それはそれで、なかなか楽しい時間なのだが……。


「……」


 これだけ空が晴れているのに、時折ゾクリと寒気を感じるのは、私の温度センサーの調子が悪いだけに決まっている。そうに決まっている。




 てるてる坊主に願わなくても、すんだ青空が広がるようになった頃。


「レンゲは、喫茶店やレストランにいったことがあるかしら? 魂の廃棄場にもね、ステキなカフェがあるの」


「カフェ?」


「そうよ。トカゲなダンディーさん、じゃなくて、ダンディーなトカゲさんがマスターなの。お店は、遊園地エリアとリゾートエリアの境界にあるのよ」


 カフェとは。人間たちが飲食して一休みする場所、のはずだ。


「私たちのようなモノには……、必要ないのでは?」


「あら。人格物体にも楽しみは大切よ。あくまでも嗜好品でしかないって意味では、必要ではないけれど」


「そういうもの?」


 本物の食べものではなく、ごっこ遊びのような店なのかもしれない。


「……うん。面白そう。いって、みよう」




 カフェ、トカゲの尻尾。


「いらっしゃいませ」


 カラコロと鳴るベルとともに、店主の落ち着いた声が、私たちを出迎えた。


「うーん。コーヒーの良い香りね」


 メイベルがいったとおり、ダンディーなトカゲが、カウンターの中にいた。トカゲの顔をした人形だ。

 彼も人格物体なのだろう。白いシャツから伸びる手先は、人と同じ造形だった。ただし色だけはいかにも爬虫類といった緑色をしている。


 店の内装は美しく、キレイに整えられていた。


「魂の廃棄場には、老朽化した建築物が多い、けど……。この建物は、活気がある」


 古びてはいる。が、見捨てられたような冷たい乱雑さはない。時間の厚みとぬくもりがあった。


「ここは今でも現役として使われていますからね」


 トカゲのマスターは、木のカウンターを愛おしそうに一なでした。


「人格物体再生センターになる前は、ここは一風変わったテーマパークだったんですよ。開園したは良いものの採算がとれずに閉鎖。解体する費用もなく、しばらく放置されていたのです」


「あら? そうなの?」


 メイベルも、この話は初耳だったのだろう。


「テーマパークの跡地っていうと……。遊園地エリアとリゾートエリアが、そうだったのかしら?」


「いいえ。全部ですよ。思い出が回る遊園地。明日を諦めた病院。新学期がこない学校。混雑無縁のリゾート。過去を作り続ける工場。地図から消えた村。この全部がテーマパークだったんですよ」


「ええっ? 病院や学校まで?」


「そうです」


「まあ、変テコね! 以前はどんなテーマパークだったのか、私にはちょっと想像がつかないわ」


「廃墟です」


「……廃墟?」


 マスターの答えはこうだった。


「人間の世界で、かつて廃墟が注目をあびたことがありましてね。人間が一度手放したはずの建物に、強く惹きつけられる人間たちが出てきたんです。それで写真を撮ったり、探索したり。まったく、逆説的ですな」


 一度は捨て去ったものに、別の誰かが価値を見出す。

 人間の美意識は複雑だ。


「しかし本物の廃墟には、危険がつきもの。抜け落ちる床。サビついたドア。クモの巣とホコリ。それに勝手に立ち入って良いわけでもありません。そこで、気軽に安全に廃墟の魅力を堪能できるテーマパークが作られた、という次第でして」


 マスターの口ぶりで、私は管理人の言葉を思い出した。

 魂の廃棄場、すなわち人格物体再生センターができたいきさつを聞いた時の感覚が、ふわっとよみがえる。

 人間はとにかく便利で快適な世界を作ろうと、そういう方向へ進んでいるようだ。


「私たちって、そういう場所に住んでたのね。なんだか変わったところだとは思ってはいたけれど」


「廃墟を模して作られた新築の建造物が、やがて本物の廃墟となり、今では多くの人格物体の居場所となっている。いやはや、じつに逆説的ですな」


 トカゲのマスターは、逆説的という単語を気に入っているらしい。




 私とメイベルは席について手書きのメニューを広げる。


「レンゲ。何にするか決まった?」


「……少し、待って」


「ええ、良いわよ。あれこれ悩むのも娯楽の一つだもの」


 メイベルはそういったけれど、私にはまったく楽しむ余裕はなかった。

 メニューに並ぶのはごく普通の飲食物で、人形である私はどれを選べば良いのか判断に迷う。

 いっそ、メイベルと同じものを頼もうか。

 いっしょにいるとつい忘れてしまうが、彼女も私と同じ、人形のはずだ。


 店のベルが鳴る。


「いらっしゃったぞ。憩いの一時をよこせ」


「いらっしゃいませ。店内にバールは持ちこまないでほしいと、何度もいわせないでください」


「そういうわけにはいかん。ここは俺の職場で、こいつは俺の仕事道具だからな。いわば相棒である」


 トカゲの尻尾にやってきたのは、魂の廃棄場の管理人だった。


 初見ではわずかな違和感しかなかったが、メイベルとの暮らし中でさまざまな知識を修得した今の私にはよくわかる。

 管理人は、とても奇異な人間だと。


 着ているものは黒いジャージ。以前会った時には、その上に着古してくたびれた綿入り半纏をはおっていた。そして素足に雪駄。手にしているのは赤と青がポップなことで有名な破壊工具、バールである。


「あんだよ、人のツラをジロジロと。俺はガラスケースの中のお人形さんじゃねーぞ」


「こんな怪しい風体の人形があったら、困る……」


 私がすぐに返事をすると、管理人は意外そうに片眉を上げた。そのせいで、彼の眼鏡が少しズレる。


「ほう。これがEチャイルドの本領発揮ってやつか。半年前に起動した時とは、対人反応が比べものにならないほど進歩している」


「そうね。毎日いっしょにいるから意識していなかったけれど、レンゲと最初に会った時より、口数も表情も豊かになったと思うわ」


 メイベルは、満ち足りた吐息をついた。


「はうー。レンゲは日々成長しているのね。誰かの成長を見守るなんて、お姉さんになった気分」


「それは結構だが、メイベル。いくら六星工房のEチャイルドとはいっても、成長には限界があるぞ」


「ん? どういうこと? レンゲがどうかしたの?」


 管理人は、カウンター席に腰をおろした。


「いくら飯を喰う練習をしても、食べものを消化できるようにはならない、ってことだ」


 メイベルは目をパチパチさせて、私の顔をのぞきこむ。


「レンゲ。あなた……」


 小さな手が、私の顔へと伸びた。

 メイベルの指が、私の唇に、触れそうになる。


「食事をとる機能がついていないの?」


 意味がよく理解できなかった。


「だって、メイベル……。人形は、食事をしない」


 私は当然のことを述べただけ。


「ごめんなさい……!」


 なのに、メイベルは自分の口を手で覆った。

 予想外の事実をつきつけられたように。


「だいたい、今から一世紀以上前の旧式タイプだな」


 カウンター席の管理人が、脚を組んだままくるりと私たちの方をむいた。足先では雪駄がぱたぱたと浮いている。


「六星工房の作品だけあって、基本構造はしっかりしているが、さすがに最近開発されたばかりの有機物消化機能はついちゃいない。そいつは百年もの間、休眠モードのままで屋敷に放置されていた骨董品だよ」


 出されたコーヒーをすすりながら、管理人が淡々としゃべり続ける。


「百年前のお人形……。だからEチャイルドのレンゲが、魂の廃棄場に送られてきたのね」


「ああ。現在流通している自我つき人形には、人間から必要とされなくなった時に備えて休眠モードだけでなく、ご丁寧に永眠プログラムが組みこまれている。いらなくなった時のことまで、開発者がちゃんと考えるようになったからな。だが古いタイプには、いらなくなった時の機能なんて、そんな便利なもんはついてない」


 話の内容を。

 少しずつ、少しずつ。

 咀嚼するように理解していく。


 飲めもしないミルクティーを頼もうとした指は、メニューの上で凍ったように動かなくて。


「レンゲ。大丈夫?」


「……私は、平気」


「なんだ? 気分を害したのか? ふーん、あー、悪い。軽率だった」


 たいして悪いと思っていない口調で、管理人が詫びた。


「それは、気にして、ない」


 自分が百年もの間、人間から忘れ去られて眠っていたことには驚きを感じた。が、それだけだ。

 本当の不安な疑問はもっと別のこと。


 私が眠っている間も、人形作りの技術は進歩し続けた。

 管理人によれば、最新の人形は食事をし、さらには死ぬ機能までつけられたという。


 それでは、魂の廃棄場にいる彼らはいったい?


 人格物体とはなんなのか。

 私はずっと、人間の手によって自我を与えられたモノの総称だと理解していた。


 ズズ子や四人組少女、トカゲのマスター。

 彼らは私と同じように、人間から捨てられた人形ではなかったのか?


 私は事実を誤解をしている?

 だとしたら、メイベルは?

 彼女は、何者だ?




 あれから数日。

 晴れた青空とは対照的に、私の心はいつまでもモヤモヤと曇ったままだった。


「……」


 いくら考えても疑問は解けない。


「んっと……。きょ、今日も良いお天気ねっ。そろそろ初夏になるわ。それがすぎたら、夏よねっ」


 ぎこちない会話をメイベルがはじめる。


「夏はね、楽しいことがいっぱいあるのよ。たとえばね、夏休みっ。人間の子供たちは、スイカを食べたり、海に泳ぎにいったり、キャンプをしてすごすの。でもでもっ、宿題もいっぱい出るから、それもやらなくちゃいけなくて。良い子でいるのは、大変なの」


 上滑りなおしゃべりは、ついにそこでとぎれてしまった。


 少し前まで、二人きりでの沈黙は気まずいものではなかった。

 それは、心地良いぬるま湯の中で、夢を見ているような時間。穏やかで満ち足りた静けさ。


 今では違ってしまった。私もメイベルも、静寂の中で溺れてしまう。


「出かけてくる」


 思えばメイベルと出会ってから、単独で行動したことがない。


「そう、なの。気をつけてね」


 私物を置いているスペースに手を伸ばす。

 といっても、私が所有しているモノは多くはない。

 身につけているアオザイの他には、管理人から渡されたものの結局未使用のままのチケット各種ぐらいだ。


「……」


 それから、ドライフラワーになったレンゲの花冠。




 むかったのは、地図から消えた村。

 廃村エリアに暮らす管理人を訪ねる。


「へえ。お前がここにくるなんて珍しいな。それも、一人で」


 タイミングが悪いことに、バールを手に仕事にはげんでいた彼とはち合わせてしまった。

 農家風の土間には、完全にモノになり果てた人形の頭部が、収穫物みたいに転がっている。


 ……多分、その人形には、もう人格が宿っていなかったのだろう。


「どうした? 不幸な生い立ちでも、聞いてほしいってか? 辛気臭い話には、飽き飽きしているんだがな」


「私は自分を不幸だとは思って、いない」


「持ち主から百年も放っておかれたのに? そのワガママ娘のために、特注で作られたEチャイルドでありながら? 産まれ持っての存在意義を否定されておいて?」


 管理人はつらつらと、あげつらった。


「百年眠っていたから、私は今ここにいる」


 そしてメイベルに会った。


「魂の廃棄場は……。人格物体再生センターは、心を持ったモノを人間が捨てる場所だと、いっていた」


「ああ」


「そして、最近の人形は有機質の食事を摂り、必要とされなくなったら死ぬこともできる、とあなたはいった」


「そうだ。イマドキのお人形は永眠プログラムで、人格をキレイさっぱり消去できる。んで、魂を手放してモノになったモノは、こうやって解体処理をする」


 彼は愛用のバールで、自らの仕事の成果をさししめした。


「それなら。ここにいる人格物体たちは……、何者?」


「さーてね。お前みたいに、お茶を飲むことも、死ぬこともできない、旧式の人形なんだろ」


「……その情報は矛盾する。飲食をする人格物体は多いはず。娯楽施設として、カフェが存在しているのだから」


「あー。はい。そうだな。そのとおりだね、名探偵」


 観念したような、これ以上問い詰められるのが嫌になったような。

 そんな調子で管理人は話しはじめた。

 人格物体の歴史を。




 まず六星工房が、心を持つ人形を作ることに成功。

 金属片に人格を宿らせる画期的な技術が、人間の社会で様々な分野に応用される。

 一時はあらゆるモノに魂を持たせることが流行したが、その後人間たちは不要となった心あるモノの処分に困り果てた。

 そういう経緯で、人格物体再生センターが作られた。


 ここまでは、すでに私もしっている情報だ。


「で、廃棄問題の解決策として、不要になれば人格を消去できるようなプログラムが、新しく作られましたとさ。めでたし、めでたし。おしまい」


 無言で睨みつけると、管理人は話を続けた。


「……というのは、あくまでもモノに焦点をあてた物語。これから先は、人間さまの視点で見てみよう」


 多くのモノに囲まれながら、人間は快適な生活を送っていた。

 より便利に。より効率良く。予定どおりの毎日を。


「しかし、そう上手くはいかないもんだ。百年前の世界がどうだったかはしらないが、人間さまは少しずつ歪んでいった。あまりにも便利で正確すぎる世界に、ついていけない脱落者が続出。はい、これが現在の話」


 管理人の口から語られたのは、人間たちの苦悩。

 私にとって、それは意外な話だった。

 目覚めてからの私は、人間に捨てられたモノの中ですごしてきた。心を持ったモノたちに共感したことはあっても、人間のことまで考えることはなかった。


 管理人が口を開く。


「なあ、Eチャイルド。人形に心を持たせる技術を応用すれば、人間の心の一部を分離させることもできるんだよ」




 私の記憶データベースから、意図せずに過去情報がピックアップされる。

 トカゲの尻尾のマスターの口癖が、私の頭に思い浮かんだ。


「苦痛となる記憶、ストレスの原因、社会に順応しづらい性格。そんなあれこれを自分から切り離して、捨てる」


 逆説的。


「切り離したい心の一部を金属片に刻む。他者としての存在を固定させるために、名前と作りものの体を与える。そういう心理治療をおこなう。最初は、ごく限られた救済措置だったと聞く。虐待、犯罪、天災の犠牲者。そういう、心に大きな傷を負った者を助けるためのな」


 反転した。

 裏返しの。

 当たり前に。

 おかしい世界。


「だけど心の傷の深さなんて、誰が計れる? 助けがほしいって奴は大勢いたんだよ。自分の心の一部をモノに変えても良いから、とにかく救われたいって者たちが」


 トカゲの尻尾のように、自分の一部を切り離す。


「今や魂の廃棄場には、生きた人間さまの心の一部がジャンジャン捨てられている」


「……それなら」


 ようやく、私が一番しりたいことが聞ける。


「……メイベルも……?」


「メイベルか。良い子だよな。廃棄場にはロクでもない魂が集まるから、アイツは見ていて気分が良い」


 管理人は、さして感情をこめずにつぶやいた。


「だけどメイベルの本体は、そんな良い子の自分が大嫌いだったんだろうなあ」


 適切な言語の選択が実行できない。

 私は言葉に詰まる。


「なぜ、人間はそんな……。そんなことは、おかしい……」


「ああ? そんなことは良くない? 間違っている? そんなら、Eチャイルドは正しいのか? 人間の心を切り離すことは許されないが、人形に心を与えるのは構わない。その線引きの根拠はなんだ?」


「……」


 何もいい返せなかった。


「ま。六星工房の職人が産み出したEチャイルドが、たとえ禁忌の技術だったとしてもだ。お前がこの世に産まれちまった以上、今更どれだけ他の奴らがケチつけてもムダだけどな。産まれちまったモノは、生きるしかない」


「その言葉は……、あなたなりの配慮?」


「ああ。仕事上の。お前がヤケを起こして、Eチャイルド初の自殺! なんて騒動になったら、管理人として色々と厄介なことになるからな。いくら変化し成長するEチャイルドだからって、そんな変化をされたら困る」


 やはりこの青年のことは、好きにはなれない。

 素直で明るいメイベルとは大違いだ。


「魂の廃棄場管理人。あなたは、本当に人間? それとも、人形? 人間が捨てた心の一部?」


「さーて。一応寒けりゃ風邪もひくし、ケガすりゃ赤い血も出るが」


 冗談めかして、管理人は答える。


「自分は正真正銘、間違いなく人間さまだと断言できる奴なんて、もう圧倒的少数派になっちまったよ」




 かやぶき屋根の家を後にする。


「あの時いわれた言葉が、ずっと耳から消えないの。この怒りが、もう何年もおさまらない」


 グチや恨みごとをしゃべり続ける、モノがいた。


「死ね! なんで俺だけが、こんな目にあわなきゃならない? 死ねっ! ……死にたい」


 全方向に敵意をまき散らす、モノがいた。


「学生時代! イジメたあの娘が不登校! 私は悪く、ないんだもーん」


「万引き常習、日々好調」


「暗い過去は封印しちゃおう。捨てちゃおう」


「これですっかりキレイさっぱり。外にいるのは、無垢なる私」


 面で顔を隠した制服の四人衆が、ケタケタと笑いながら走り去っていった。


「じゅふふ……。ごきげんよぅ。アオザイの美人さぁん」


 そして病院の前。

 赤いワンピースを着たズズ子がいた。


「今日はお一人でお出かけですかぁ。これはこれは、珍すぃ」


「ちょっと、管理人のところに……」


 ズズ子の黒目が、グルリと回転した。


「ああぁ、管理人さんのところにですかぁ。なるほどぉ。あなたが、お一人で。とすると、アオザイさんは、ようやく気づいたんですぬぇ。ここのモノたちが抱えている事情に」


「気づいたところで、どうしようも、なかった。メイベルが……、何者なのか」


 トカゲの尻尾の一件から、私はずっと考えていた。


「私は魂の廃棄場での暮らしに、満足していた。メイベルといっしょにいられる……。毎日が幸せ。彼女もそうだと、信じ切っていた」


 私もメイベルも、同じ境遇だと思っていたから。

 私たちは、人間に捨てられた人形。でも、今はこうして友だちがいる。二人とも幸せ。

 自分一人でそう納得して、満足していた。


「本当は、そうじゃなかった。メイベルは無から作られた人形ではなくて、元々は……人間の魂の一部」


「そうですよぉ。成長するEチャイルドさぁん。私たちはぁ、人のマイナス面を固定化したモノ。どんなに嫌な自分でも、変われなぁい。逃げられなぁい。ずぅっとこのままぁ」


 そういうズズ子の不気味な笑い顔も、どこか悲しげだった。




「メイベル」


 新学期がこない学校の物置部屋。


 メイベルは一人で泣いていた。


「レンゲなの?」


 この少女は本当に泣き虫だ。


「も、もう帰ってきてくれないと思っていたわ。えっく……。それとも、お別れの挨拶?」


「いいえ」


 メイベルの近くに屈みこむ。


 小さなハンカチが彼女の手に握られていた。

 記録データと識別する。

 はじめて会った日、水びたしの私の体をふいてくれたものと同じだ。


「管理人さんから、色々聞いてきたんでしょ……?」


「そう。……時代遅れの旧式Eチャイルドが、最新の人格物体と交流するための、助言をもらいに……、といったところ」


 洒落た言い回し、というのは難しい。

 少しの間やテンポを間違えるだけで、それは嫌味のように聞こえたり、意味のとおりにくい言葉になってしまう。


 メイベルが怪訝な顔をしたので、私は無理に気の利いた話し方をするのはやめておくことにした。


「彼は魂の廃棄場についての事実を話してくれた。けど……、アドバイスの方は役に立たなかった」


 魂の廃棄場のモノたちは、誰しも逃げられない苦しみを背負っている。

 目の前で泣いているメイベルも。


「本当? 私のことが嫌いになって、管理人さんに相談しにいったわけじゃないのね?」


「うん。どうしてどう思ったの?」


「だって、レンゲが私のことを避けているように見えたから」


「ごめんね。あなたにどういう風に接すれば良いのか、少しわからなくなっていたの」


 サラリとした彼女の髪をなでる。


「……もう。レンゲはすぐにそうやって、私の頭をなでるんだから」


「嫌?」


 メイベルはちょっと考えてから、やっぱり唇をとがらせ不服を唱えた。


「赤ちゃん扱いされるのは嫌よ」


「それなら私の髪をなでて。メイベル」


 彼女の華奢な肩に、私は軽くもたれかかる。

 しばらく待っていると、やがて心地良い感触が訪れた。


「レンゲ。あなたが黙ってそうしていると、ただのお人形さんみたいよ。せめて、目を開けていてちょうだい」


「うん」


 少女と人形の、穏やかな時間。


「あのね。もうしってるかもしれないけれど……、私は良い子なの。嫌な良い子よ」


 秘密の話を打ち明けるように、メイベルが口を開いた。


「私の本体は人間たちの世界で一生懸命頑張ったの。周りから嫌われないようにって。そうして、良い子の私を作り出した。良い子の人格でいるために、悪い心の一部をどんどん切り離すの」


 彼女の話を静かに聞く。

 私が製造された存在意義など、とっくに失われたはずなのに。

 今はメイベルの思いに耳を傾けることこそが、私が世界に産み出された意味のように感じられた。


「たくさんの、たくさんの悪い心を犠牲にして、良い子の私はどうにか存在していたんだけど……」


 私の髪をなでる手がとまる。


「でも本体は、そんな私が大嫌いで大嫌いで仕方がなかったのよ」


 メイベルの声は震えていた。


「……」


 人間の世界は、いつからこんなにも生きづらく息苦しくなっていったのだろう。

 人形の私がついそんなことに思いを馳せた。


「だからね。私はそういうモノなの。変われないの。逃げられないの。嫌な自分を閉じこめた棺でしかないの」


 六星工房の技術は人を救うと同時に、傷を背負わされた無数のモノを産み出した。


 だが、はじめてEチャイルドが作られた時。

 はじめて心を持つ人形が作られた時。

 六星工房の職人は、そんな未来を望みはしなかったはずだ。


「あなたがどれだけ自分を嫌っても、私はどこまでもあなたのことが好き」


 人形だからこそ、人の気持ちに深く静かに寄り添える。

 メイベルの心に私はずっと寄り添っていく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 凄くすんなり読めるお話だった 成長できると変われる、ですね [一言] ガールズラブ?いってもライクまでじゃないかなぁ
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