二十日目: 新しいヒト
Dear Diary,
今日は少し肌寒い。 なので朝の黒茶をホットチョコに変えた。 なみなみと注いだ牛乳を朝食作ってる合間にゆっくり温め、無糖チョコと蜂蜜を適量溶かして、小さいマシュマロをたっぷりいれて、少しとろけた所で頂きます。 私の心労を分かっているのか、料理人さん方は蜂蜜を大量にぶち込んでいる私に何も言ってはこなかった。
ピーマンと何かのひき肉が余っていたので、それを適当な味で炒めて目玉焼きを焼いた。 味からして鳥だった。 それをバターを塗ってから焼いたトーストに乗せると、どうしようもなく美味しい。 ご主人様方が召し上がっておられるようなお食事とは比べようもない程庶民的だとは分かっているが、それらとこっちを並べられたらおそらくこっちを取るぐらいに好きだ。 気をつけないと溢れるのも良い。 うん、今日も私は幸せだ。 午後の仕事? ご主人様の為だ、やってやんよ。
ご主人様から、補佐役が変わると聞いた。 今までの方が定年退職するらしい。 結構おじいちゃん猫だったから、さもありなん。 ほぼ灰色の長毛の方で、顔立ちすっきりの美人さんだ。 いつも床まで届きそうな長い紺色のローブを着て、時々中庭をゆったりゆったり散歩している。 抱きつくと嬉しそうにゴロゴロ言ってくれる。 時折ぷるぷる小動物のように震える事もあるが、皆わざと年寄りに見えるようにそうしていると分かっているので誰も騙されない。 何故なら、欲しい物がある時などにしかそうならないからだ。
じいちゃんは良く可愛がってくれるから、本音を言うと辞めてほしくない。 図書室の歴史書によると、昔の戦争で腕に酷い傷を負うまでは聡明かつ慈悲の欠片も無い策士かつ、王陛下に忠実な大隊長だったということだが、私の知っている彼は悪戯心満載の所謂【小学生】男子そのものだ。 儂は全部分かっておるよという顔でこっそり絶版のエロ本を渡された事もある。
誰にも一度も話した事などないのに好みど真ん中だったのには血の気が引いた。 一応本命のお宝本の場所には入れておいたが、どうしてバレたのかは未だに分からない。 魂と汗と涙と持てる知識のすべてを総動員して作った隠蔽工作とトラップだって作動していなかったのに。 買いに行く時だって、ごく自然な顔が見れない格好をして、裏街まで新月の夜に行ったのに。 お化けが出やしないかと警戒しながらも決死の覚悟で魂の栄養を取りに行った私の苦労をどうしてくれる。
とりあえずまあ、彼は首都に住んでいらっしゃる息子夫婦の所に移住するらしいので、もう会えないなんて事は無いが寂しい事は寂しい。 次の方が優しいと良いな。
日中は特筆すべき事もなかったが、ご主人様の勤務終了時間頃に新しいヒトが来たと噂が届いた。 これから一ヶ月かけて引き継ぎをするらしい。 どんな方なのだろうか。 同僚さんと上司さんが何故か気遣わしげに私を見ていた事がとても気にかかった。 それほど心配せずとも私はご主人様一筋なのだが。
さて私の日記よ、今日のご主人様も麗しかった。 例えるなら真夏の雲ひとつ無い晴天の真下に立つ一本の木の、陽光によって透けた葉々の優しい色彩のような麗しさだ。 分かり難いかな、じゃああれだ。 健康的な幼女の艶々とした髪の如き麗しさだ。
本当にご主人様は神なのではないだろうか。 最近そう思うようになってきた。 側によれば胸は高鳴り頬は己でも分かるぐらいに朱色に染まり、少々鼻を蠢かせればその芳しき芳香に歓喜のあまり卒倒しかけ、抱きとめられれば心地よい低い体温と完璧な造形のその全てに己を投げ出したくなる。 簡単に言うと三十路の男が初な娘子に変えられてしまう。 私が本当に外のエグさも醜さも知らない純潔の乙女だったとしたら、膝にのせていただけた時点で思考なぞ吹っ飛んでしまうだろう。
これは一介の生き物が持っていて良い属性であろうか。 むしろ持てるような物なのであろうか。 もしそうでないとすれば、ご主人様は神ですら嫉妬するそれをどこでどうやって手に入れたのだろう。 人の間ならとにもかくにも、魔のつく種族全般の間じゃあ整形は変わり者しかやりはしない。
というのも、以前にも書いたが、彼らは基本よほどの不自由さえしていなければ自分達から動こうとはしない。 そして人とは違い、彼らは顔の良し悪しではなく(そもそも造形についての良し悪しの概念があるのかどうかすら怪しくなってきている)完全に能力で全てを、地位も付き合う層も仕事も恋人も、決めている。 つまりは完全なる実力主義者の集まりなのだ。 彼らという種族は。
それなのに私がここで生きていられる理由は、単純にペット扱いされているからだろう。 特に年を取っている方々はその傾向が顕著だ。 犬用ビスケは案外美味しかったと同僚さんに言ったら物凄い微妙な顔をされた。 やはり普段からご主人様の犬だと公言するのは止めるべきだろうか。 割とお茶に合ったんだが。
いや、恐らくくださった方々も微妙な顔をしていた所から見るに、やはりからかい目的だったのだろう。 つまりは意趣返し成功という事だ。 次に行くときはお礼だと言って塩と砂糖を間違えた紅茶でも淹れて差し上げよう。 今からそれが楽しみだ。
ご主人様「……」