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工藤の車はシルバーのBMW。サラリーマン三年目でこんな車を乗り回しているのは、僕とは違ってもともと恵まれた環境に育った人間に違いない。
僕は未だに自分の車は持っていないし、その必要性もあまり感じない。通勤は電車で充分だし、買物だって徒歩圏内にあるスーパーで事足りる。滅多に乗らない車の為に維持費を掛けるのも勿体ないし、第一、車だと飲めないじゃないか。お酒好きの僕にはそれが一番辛い。
そう言えば、女性は運転する男性の何気ない仕草にドキリとするらしい。例えば車をバックで入れる時にさり気なく助手席側に手を乗せて、振り返りながらハンドルを切る仕草が色っぽいとか。
果たして彼もそうだったりするんだろうか?
工藤ほどの男なら、さぞかし女性はキュンとするんだろう。そんなバカな想像をしてしまう僕は、昨日の告白でなんだか可笑しくなっていたのかもしれない。
「少しドライブでもするか」
断る理由は何も思い当らなかった。今日は休みで明日も休み。
僕は素直に頷いていた。それにこんな時でなければ、こんな高級車にはなかなか乗れない。僕も男だから、単純に将来こんな車に乗ってみたいと思ったりした。
「たまに走ったりするのか」
工藤はチラリと僕を見て、唇だけ上げて笑ってみせる。
「そうだな、煮詰まってくるとドライブするのが一番かな。いろんな事考えて、独り言呟いて、家に戻ったら結構スッキリとする」
「へえ、おまえでも煮詰まる事あるんだ」
「意外だったか? 今朝は思いっきりそんな気分だったよ」
それは俺のせいか。
喉元まで出掛かった言葉を呑み込む。同期に特に変わった様子はないが、彼は彼なりに昨日の告白について、考えることがあったんだろう。
僕だったら告白してフラれた翌日に、とてもこんな風には話が出来ない。
「昨日、眠れたか?」
それなのに、まるで僕を気遣うようにそんな台詞を口にした。
「速攻寝たよ」
流石に本当の事は言えない。
「そうか」
同期は微かに笑う。
「おまえは?」
僕は彼の横顔をこっそりと盗み見る。
彼は何を考えているのか暫く黙っている。
「言ってもいいか」
そんな前置きをされると、僕は少しだけ警戒をする。昨日の今日で、工藤が何を言い出すのか十分想像できるからだ。ここが車内で、他人に聞かれる恐れがないのが幸い。
「聞かなかったことにするんじゃなかったのか」
僕なりに最新の注意を払ってそう言った。
「そうだったな」
工藤はそのまま黙り込む。そうなると、車内はなんだか居た堪れない空気に支配される。もともと我慢強くない性格の僕は、自分から墓穴を掘る。
「俺が考え方を変えるとか期待するなよ」
「俺は一之瀬をどうしたいんだろうな」
工藤は自嘲気味に笑う。
そんな事を笑いながら言われても、僕はどうしたらいいんだ?
「おまえ俺に触れたいって言ったよな。それって抱きたいって事なのか?」
自分で言ってその生々しさにドキリとした。SEXしたいのか、と言わなかっただけましだ。
彼は僕の一言で暫く考え込む。考えるってことはそうなのかと、撲は内心穏やかではない。
そのせいで狭い車内は沈黙に包まれ、僕は嫌な汗を掻く。なら、あんな事を言わなきゃいいのに、と今更ながら自分を責め続けた。
「おまえ相手にたつと思うか?」
工藤は平気でその台詞を口にすると、からかうようにニヤニヤと僕を見た。
だから、そう言う事を俺に聞くな!
僕がすっかり絶句してしまうと、工藤は少し真面目な顔をして前を見据えた。
「そう言うことがしたいわけじゃないんだ。ただ、友達と言うだけでは片づけられないものが今の俺にはあるらしい。おまえさ、友達としての好きじゃなければ何だと思う?」
いきなり抱く、抱かない、の話になるのはもちろん困るが、だからと言って僕にそんな質問をされても返答のしようがない。
そう思っているうちに彼はまた喋り出す。
「例えば、関本だって同期で友人だし、好きには違いないだろう。ただ、一之瀬に対するような感情とは明らかに違う。俺は一之瀬を独占したいと思うし、ただ友達というだけでは満足できないんだ。おまえにとっては迷惑な話だろうな」
男が好きなわけでもない僕が、迷惑じゃないって言ったら嘘だ。ただ、ここですっぱりとそう言って、彼を傷つけてしまうのが怖い。いや、そのことで自分が悪者になる潔さが僕にはないだけかもしれない。
だから僕は辛抱強く、彼に説得を試みた。
ここは密室だし、彼はハンドルを握っているし、どうしたって僕は慎重になる。
「好きって言う感情は僕だってなんとなく理解できる。おまえが本来、男が好きってわけじゃないなら、それは独占欲みたいなものじゃないのか。ほら、思春期なんかにさ、そんな風に感じる事あるだろう。友達でも最上級に好きな奴。そいつが誰かと仲良くすると嫉妬するし、自分が一番じゃなきゃ嫌だって思うことあるだろう。おまえはさ、そう言う風に俺を見てるんじゃないのか。なにも、男が女を好きになるような、そんな対象として俺を見ているわけじゃないだろう」
工藤はチラリと僕を見る。そして又暫く黙ってしまう。
この沈黙はかなり重苦しくて、この状況を作り出している工藤が恨めしくなった。
車はいつの間にか高速に乗っていた。エンジンの回転する音で車が鞭を打ったかのように加速する。少しスピード出し過ぎじゃないかと思うのは、気のせいだろうか。
果たして彼は今何を考えているのだろうか。
僕の説得になるほどと思ってくれただろうか。
それともこのまま自棄を起こして、車ごとどこかに突っ込んだらなんて、物騒な思いつきが頭をかすめてはいないだろうか。
そうなったら、多分僕らは死ぬんだろうな。
きっと、痛いなんて思う間もないだろう。
僕は思いつめたように二人が奈落の底に突っ込んで行くような、マイナスのイメージばかりを思い描いていた。だから彼が突然、「お腹すいたな」と言う全く違った発想の言葉を吐いた時、僕はポカンと彼を見つめて、その後急に可笑しくなって笑い出した。
そう言えば、朝から何も食べてない。
「お腹空いてたら、碌な考えが浮かばない。どっかで飯でも食うか」
工藤も笑いだし、張りつめたような空気が一気に和らいだ。
僕らはその後、彼が一度だけ行って忘れられないと言う蕎麦屋を探し回り、遅い昼食にありついた。
僕はなんとなく、それ以上彼の好きの正体を突き止めようとする事もなく、最近どんな本を読んだとか、どんな音楽を聞くだとか、他愛もない話で盛り上がった。
考えたら入社して三年、僕と彼の間に二人きりで過ごすこんな時間はなかったと思う。彼が僕を好きだなんて言わなければ、これから先だってもっと深い絆の友情を築く事ができたはずではないだろうか。彼はどうして、僕に嫌われるかもしれないと言うリスクを犯してまで、告白なんてしたのだろうか。彼くらい頭の良い人間が、そこに気がつかないわけがない。
たとえば関本ではなく彼が僕と同じ課に配属になっていたら、きっと彼は関本に嫉妬する事なんてなく、僕に告白をする事もなかったのではないかと思ったりする。頼りない僕が頼りにするのは一番身近な工藤で、そんなポジションに彼はそれだけで満足したのかもしれない。そのちょっとした運命の掛け違いで、僕らは今振り回されているのではないだろうか。




