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同期  作者: SHIRO
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その時の僕は、彼の言葉の意味がよく分からなかった。

 得体のしれないトリッパが、既に口の中で拒絶反応を起こしかけていたと言うのもある。吐き出すこともできないし、租借するのも気持ちが悪かった。

彼は今なんて言ったんだ?

確か好きとかなんとか……

好きってどう言う意味だよ。

ぐるぐる廻る思考に焦って、僕は取り敢えずトリッパと彼の言葉を一緒に呑み込んだ。

「大丈夫か?」

 涙目の僕を気遣うように工藤が僕の顔を覗く。

 大丈夫かって、トリッパの事か、それともおまえのその言葉の方か。

 ワインを促がされたところをみると、僕のトリッパ初体験を心配しているようだ。やってはいけない事だと思うけど、僕は口の中を濯ぐような下品な飲み方でワインを流し込んだ。

「やっぱり気持ち悪いか?」

 この場合、どっちとも取れる言い方だ。僕は少し苛立った。

「さっきから、どう言う意味だよ」

 工藤は声を立てずに笑う。

「そうだよな。好きなんて言われたら困るか、やっぱり」

 そっち――

 軽い眩暈さえ覚えるが、これはワインのせいばかりでもなさそうだ。

 そりゃあ、困るだろう。男に好きって言われても。

 いや待て、待て……好きにも種類がある。早とちりの僕が、何か大きな勘違いをしている可能性だってある。ここで変に大騒ぎして、後で恥をかくのもバツが悪い。

もう一度確認してみよう。

「好きって、友達としってことだろ」

 当然そうだろうと確認するような意味で言ったわりには、僕は恐る恐る工藤を窺っていた。

 好きな先輩とか、好きな先生とか、好きな食べ物とか、一般的な好みを表す好きなら別に男に言われても焦る必要はない。

 きっとそう言う好きだよな。

 ところが工藤は、少し困った顔をする。

 そんな顔をされると、ますます僕は落ち着かない。

「俺の好きはそう言った好きとは違う気がする」

 と、来た。

 これは、まさかのカミングアウトなのか?

 生まれてこの方、男に告白されるなんて経験はないから、どうしていいのか分からない。

「ちょっと待ってくれ」

 取敢えず落ち着いてくれと言いたかったが、焦っているのは僕だけで、同期は全く冷静そのものだった。


 こんな場合、器用な人間ならお酒も入っていることだし、酔っているのを良い事に、上手くはぐらかせたのかもしれない。それこそ頭の良い同期なら、不器用な奴がなんだか誤魔化そうとしているのは直ぐに見抜けるだろうし、そっと引き返す事ぐらい訳ない事だ。

 ただその夜の僕は、日頃飲み慣れてないワインの所為もあり、いつになく気が大きくなっていた。最初こそ同期の告白に焦っていたものの、それなら彼の言う好きが何なのか、その正体を突き止めようなんて、今にして思えばかなり無謀な挑戦をしていたわけだ。これは怖いもの見たさなのか、好奇心なのか、闇雲に藪の中を突っついているようなものだった。

 それに彼は掛け替えのない同期の一人であり、もしも彼が異性を好きになるような感情で僕に告白したのだとしたら、それ相当の覚悟のいることだろうし、そんな想いを頭ごなしに拒否するほど、僕は非道な人間でもない。少なくとも、彼がそう思うに至った経緯ぐらいは、聞いてあげられる懐の深さはあるつもりだ。

「友達の好きじゃないなら何なんだ?」

 工藤は煙草を取り出す。ゆっくりとした動作で指に挟むが火を点ける素振りはない。

 彼は彼で、思わず口走った自分の『好き』の正体を推し量っているのだと思った。

「一之瀬と関本が仲良くするのをどこか快く思わない自分がいるんだ。嫉妬だろうな。そう言うのって友達の好きにはないだろう?」

 同期にしては珍しく、その言葉に迷いがある。

 答えになっているのか分からないけれど、僕は撲で、できるだけ彼の好きを修正しようと試みていた。

「友達同士でも嫉妬や独占欲はあるだろう。そんなに特別な感情と思わなくてもいいんじゃないのか」

 この時の僕は好きと言う言葉の正体を突き止める事に夢中で、それが自分自身に向けられている感情だと言う実感が、酔いと共に薄れていた。

 工藤は考える。

 煙草は相変わらず指に挟んだままだ。

 僕は何故だかその指先ばかりを見つめていた。

「俺はね、一之瀬に触れてみたいんだ」

 その一言で僕の心臓は飛び上がった。突っついた藪から蛇が出た。

 彼の好きの正体が、いきなり現実味を帯びて僕に迫って来る。

 同性愛、ホモ、ゲイ。

 どれも自分で口にするのは憚られる言葉が頭の中を駆け巡った。

「工藤、おまえってそうなのか?」

 僕はこの曖昧で微妙な言い回しで、その言葉を逃げ切った。

 ここに来て、どうやら僕は要らぬところを突き詰めてしまったようだと、この時になって自分の失態に気が付いた。そんな僕の動揺に、工藤が笑う。

「別に男が好きなわけじゃない。これまで、一度だってそんな事はなかった。一之瀬だから好きなんだ。分かるか?」

 いや、分からん。

 男を好きなわけじゃないと言われて、「そうか、それなら良かった」と、安心できる状況でもなさそうだ。男を好きな性癖でもない同期が、男の僕を好きだと言う感情が、今一つ分からない。少し行き過ぎた友情なのか、それとも同期は僕に対してだけ同性愛的な感情に目覚めたとでも言うのだろうか。果たしてそんな限定付きの同性愛が存在するのか?

「おまえさ、いつからそんな風に考えていたわけ」

 僕は三年間の彼との付き合いを振り返りながら、そう聞いてみた。

 確かに撲は色恋に関して言えば鈍い方かもしれない。でも、これまでの付き合いで、彼が必要以上に撲を見つめたり、それとなく撲に触れたりする事はなかったと思う。普通、なんとなくだけど、相手が好意をもっているのは分かるものだ。この場合、相手が同性であったから、僕はそのサインを見逃していたのか?

 工藤だってもともと同性愛者でもないのに、どうして男の僕を好きだなんて思いはじめたんだろう。僕の中に、彼にそんな衝動を起こさせるような何かが存在でもするのか?

 考え出したら分からない事だらけだ。

 それにしてもこれは彼らしくないやり方だ。仮に彼が異性に感じるような感情を僕に持ち合わせていたとして、いきなり僕に告白までするだろうか?

 この告白は相当に勇気がいる。はっきり拒絶されるとか、悪くしたら絶交されるとか、もしかしたら誰かに吹聴されるかもしれないとか、そう言ったリスクだって伴う。

 頭の良い彼がそれを考えないわけがない。それとも、彼には僕なら告白しても大丈夫だと思えるような、勝算があるのだろうか? 

 焦る僕とは対照的に、同期は少しも動じない様子で僕を見ている。

 身の置き場のないような状態に、僕は取敢えず落ち着こうと煙草を取り出した。口に銜えてライターを捜すが、動揺からか直には見つからない。鞄やジャケットのポケットを必死で探る。

 そんな僕に工藤の手が伸びた。今の僕は、それだけでも十分脅威だった。

 ヒヤリと凍りついたまま動けなくなる。

 何のことはない、口に銜えた煙草の前にカチリとライターの火が灯っただけだ。僕はおっかなびっくりで、差し出されたライターに顔を近づけ、火をもらう。そんな僕を、工藤は黙って見つめていた。

 指先がどうしても震えてしまう。

 僕の25年の人生で、男に告白されるなんて初めてなんだ。これくらいの動揺は当然じゃないか。

 工藤もやっと思い出したように、自分の煙草に火を点けた。

「いつからだろうな」

 立ち上る煙草の煙を目で追いつつ工藤は囁く。

 関本の際立つような通る声とは違って、工藤はそっと囁くように話す。

 いつかの飲み会の席で、工藤の声がセクシーだと女子社員が騒いでいたのを思い出す。耳元で囁かれたらグラッと来る声だそうだ。

 男の僕はグラッとは来ないが、状況が状況なだけに、どうしても口説かれているのではないかと錯覚する。いや、実際口説かれているわけだろうな、これは。

「もともと男が好きじゃないなら、いきなり男の俺を好きになったりはしないだろう。俺、おまえになんかしたのか。どうしたらそんな風に思えるんだ」

 焦っていた撲は、かなり感じの悪い言い方で彼を突き放そうとしていた。今や全力でこの場から逃げ出したい。

 工藤は別に気にした風でもなく、相変わらず薄っすらと笑いながら、思い出話でもするような遠い眼をして話し出した。

「一之瀬が関本って口にする度、なんだろうな……自分でもどうしようもなく心がザラつくんだ。俺はどうやら一之瀬を独占したいらしい。今日おまえを誘った時、関本って言うのに、自分でも驚くぐらいに嫉妬したんだ」

 あの時の違和感がここで繋がった。関本の名を口にした僕に、怒ったような素振りを見せた事情がやっと呑み込めた。

 なるほどね。

 そうは理解できても、これは落ち着いてはいられない状況だ。

 凡そ嫉妬と言う言葉が似合いそうもないこの男が、ドロドロと僕への気持を吐き出す。僕は僕で、出来るだけ冷静さを装い、ここに至ってもまだどうやって工藤を説得しようかと、気持ちは後ずさりしながら考えていた。

「俺達、三人同期じゃないか。俺と関本が嫉妬するような関係じゃない事ぐらい、おまえだって分かるだろう?」

 取敢えず、嫉妬される理由なんてないことを僕は必至に訴えていた。

「好きになるって理屈じゃない。そんなに聞き分けの良い感情なら俺だって悩まないさ」

 ここまで言われたら、工藤の好きが、もはや友情の範囲を超える好きであるとしか認めざる得ない。ただ、認める事はできても、それを受け入れるのは別の次元の話だ。

 僕はここで、なんとしても工藤を説得しなければならない。

 果たして僕にそんな芸当ができるのか?

 ほとんど吸わないままの煙草から立ち上る煙を、じっと眼で追いながら僕は考える。

 何も整理できないまま、それでも僕は手探りで喋りだす。

「好きか嫌いかの二者択一なら、好きなんだと思う」

 心なしか工藤が嬉しそうな顔をするから僕は慌てて先を急ぐ。

「だけど俺の好きはおまえが期待するような種類の好きとは違う。俺にとってはおまえも関本も同じように大切な存在で……どちらが好きだとか、友情以上の感情とか……そんなことは考えられないし、今の関係を崩したいとは思わない。もちろんどちらが好きとかも考えられない。もし、おまえが今の状況にどこかに疎外感を感じると言うのなら、出来る限りそれを埋めるような努力はする。今の俺には、これ以上の約束はできないし、おまえの期待には応えられないと思う」

 少ない経験の上に、『男に告白される』なんて項目はないから、これで良いのか悪いのか全く分からない。今言えることはこれが全てで、これ以上は僕には考えられなかった。

 意気地なしの僕はまともに同期の顔を見ることができず、手元の煙草を玩びながら相手の反応を静かに待つ。

「一之瀬」

 こんな時に僕の名前を呼ぶのはずるい。

 しかたなく僕が顔をあげると、薄っすらと笑みを浮かべた工藤が僕を見ている。特に悲観したふうでもなく、反対に気遣うような素振りさえある。

「一之瀬を困らせるつもりはないんだ」

 もう十分困っている。

 そうとも言えない僕は煙草を口に運ぶ。

「一之瀬をどうこうしたいってわけじゃないんだ。でも、今までとは違うものが俺の中にあって……やっぱり、そういうのは困るか」

 店内は適度に灯りが落ちていて、テーブルの上にはキャンドルグラスが揺らめいている。それでなくとも、舞台効果は満点で、こんな話は大きな声ではできないから、声を潜めるように話す。少し身を乗り出し、気遣うように覗き込む視線が僕をますます落ち着かなくさせた。

 僕が女だったら、工藤ほどの男にこんな風に告白されたら、すんなり頷いているじゃないだろうか。

「だから、こういうのは……」

 それ以上、次に続く言葉が見出せない。彼を傷付けたくないと思いつつ、僕をこんな状況に追い込んでいる事に少なからず苛立ちを感じるから、ここで何か口を開いたら取り返しのつかない言葉を発しそうで、僕は何も言えなくなっていた。

 僕らの前に沈黙の川が横たわる。

 すっかり冷めきった料理が、精巧にできた蝋細工のように見えてくる。

 トマトベースのあの妙な食べ物。

 なんだっけ……そう、トリッパだ。二度と食わない!

 僕は考えることと会話を続けることをすっかり放棄して、目の前の料理をじっと見つめるしかなかった。

 気まずい沈黙を破ったのは工藤だった。

「弱ったな……一之瀬にそんな顔をさせるつもりで言ったんじゃないんだ」

 工藤は困ったなと言うように、頬杖を突く。ちょっと考えるように視線を逸らしてから、灰皿の煙草を押し潰す。ずるい僕は、そんな工藤の次の言葉を静かに待つ。

 微かにため息が聞こえた。

「ごめん、今日のは聞かなかった事にしてくれるか」

 多分この状況で工藤に何が言えただろう。それでも僕はそんな工藤に腹を立てていた。

 こんな爆弾発言を今更聞かなかったことにできるか? 

 僕はそんな器用な男ではないし、明日から平気で顔を合わせる自信もない。

 そんなに簡単に取り消せるなら、告白する前にもっとよく考えろよ。

 どうしてくれるんだ。

 僕は明日からどんな顔しておまえと付き合えばいいんだよ。

 それにおまえはこれで満足なのか?

 明日から何もなかったように、普通に友達として接することができるのか?

 そんなに簡単なものなのか?

 何故だか言いたいことが沸々と沸き上がってきたが、これ以上深入りするのは危険だと僕の頭の中で半鐘が鳴っていた。僕は全てをそのまま呑み込む。途轍もなく大きな塊が、ゆっくりと咽喉を落ちて、途中で痞えるような嫌な感覚だけが残った。

 工藤は実に彼らしいと言うか、何事も無かったような引き際をみせた。

「帰るか」

 同期は残ったグラスのワインを飲み干す。僕もそれに倣うが、胸の痞えは降りなかった。

 冷めた料理はこれ以上咽喉を通りそうにない。

「そうだな」

 僕らは中途半端に食べ残したまま、席を立つ。

 誘ったから俺が払うと言う同期に無理やり半分押付けて、僕は先に一人で店の外に出た。

 ガラス扉の外で同期が勘定を済ませているのを待ちながら、改めてこの店を振り返った。

 心地よい店だが、僕は誰かを誘ってここにもう一度足を運ぶ気にはなれない。彼の告白ごと記憶から抹殺してしまいたい場所だ。

 今更だけど、あの時の同期のきっかけの言葉まで、時間をリセットできないだろうか?

 僕らの関係が元に戻れるのなら、どんな事だって僕はやってみせただろう。何が何でも関本を誘って、いつもの三人で、考えもなしに笑って飲んで騒いでいただろう。

 取り戻せない時間を儚んで、僕は大きなため息を吐く。 

 凍りついた冬の空に、吐く息が白く靄になる。思わず身震いしてしまったのは、何も寒さだけではないような気がして、慌ててコートの襟をかき寄せた。


 同期が出てくるのを確かめてから、僕は丁度路地を入ってきたタクシーに手を上げた。

 今日はこのまま暗い夜道を二人で歩く気にはなれなかった。

「タクシーで帰る」

 開いたドアに、まるで逃げるように滑り込む。

 ここから一刻も早く立ち去りたい。

 僕を好きだと言った同期を気持ち悪いとか嫌だとかは思わなかった。ただ、落ち着かない状態のまま二人でいる事に気詰まりを感じるから、せめて今だけは一人になりたかった。

「気をつけて帰れよ」

 僕に向けられる気遣いに何故だか苛立ちを感じながら、運転手に行き先を告げる。いつもなら途中まで一緒に乗り合わせるはずなのに、今日はどちらからもその言葉は出ない。 彼だって僕と狭い空間を共有するのは気まずいはずだ。

 工藤は閉まる扉の横に、僕を見送るように立っていた。

 顔を上げて『おやすみ』の一言ぐらい言うべきなのは分かっていた。でも、僕にはそんな余裕すらない。

 僕に断られた工藤がどんな顔で僕を見ているのか。

そこに傷ついた様子を少しでも見てしまったら、僕は明日からまともに彼と顔を合わせることができないだろう。

 タクシーは僕と工藤をゆっくり引き剥がすように発進をする。路地を抜けて角を曲がる時になって、やっと工藤を振り返えることができた。車中の人となった僕を見つめる仮想の視線を想像していたが、彼は僕など見てはいなかった。

 まるでスポットライトのように、彼に外灯が当たっていた。

 少し俯き加減に地面の一点を見詰める同期の姿。

 その表情が見える距離でもないのに、僕は彼が今どんな顔をしているのかさえ想像ができた。

 後悔と失望。

 リセットしたいのは、寧ろ同期の方かもしれない。

 情けない自分の醜態に、僕は深い溜息と共にタクシーの後部座席に身を沈めた。


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