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金曜日の夜ともなると、定時で潮が引くようにほとんどの社員が退社した。暫くは時間ばかりが気になって、チラチラと時計を窺っていた僕も、何時の間にか作業に没頭していたようで、結局は、突然鳴り出した携帯電話に、約束の時間を突き付けられた。
机に放り出していた携帯電話の震動は、小心者の僕を驚かせるには十分過ぎるほど破壊力があり、慌てふためきすぐさまそれに飛びついた。
「もしもし」
周りを憚るように、声を潜める。なんと言っても隣の席に、油断のならない関本がまだ残っていた。関本の奴、さっさと定時ダッシュをするかと思いきや、今晩のお相手を調達したようで、時間繋ぎかなんだかしらないが、急ぎでもない報告書なんて書いている。不器用な僕が、ここからさり気なく脱出できる確率はかなり低い。
『一之瀬』
工藤の柔らかい声が聞こえた。咄嗟に関本を見てしまって、慌てて顔を背ける。怪しいことこの上ない態度に関本の視線が突き刺さる。
そう言えば、あいつ、どうした?
慌ててフロアを見渡すと、既に工藤の姿は何所にもない。いつもなら一声掛けて帰るはずなのに、鮮やかに姿を消している。
すでに居なくなった工藤の席辺りを睨み、壁の時計に目をやる。
約束の時間は十分ほど過ぎていた。
『出れそうか?』
工藤の気遣うような声がした。
「ああ、ちょっと待てよ」
慌てて席から立ち上がり、作りかけの書類を保存しつつ、忙しなく帰り仕度を始める。
「今、パソコン落としてる」
仕事は結局未完成のままだ。
火曜の会議までに間に合いそうにない。休日出勤は確定だろうな。
「やっとく事あったら言えよ。待ち合わせしてるんだろう」
携帯電話片手にバタバタと撤収中の僕に、親切心から関本が声をかけてくれた。
その声が工藤にも聞こえたのか、『関本も誘ったのか?』と、聞いて来た。いちいち反応しなくてもいいだろうに、僕はまたもや咄嗟に関本をチラリと見てしまう。
「いや、今何処?」
ちょっとぶっきら棒に答える。
工藤に場所を聞きながら、僕の様子を伺う関本には大丈夫だと手の平を見せた。
僕は携帯を肩に挟み、鞄の中に煙草とライターを放り込む。過ぎてしまった時計を睨みながら、上着に袖を通し、コート掛けから自分のコートを引っ掴み、机まで戻って施錠をした。
携帯電話は既に切れていたが、関本から余計な事を言われないように、そのまま耳にあてた状態で、怪訝な顔をした関本に『じゃあな』と、片手を上げて挨拶をして見せ、慌ただしく部屋を飛び出すと、エレベーターに向かって一目散に走り出していた。
『脱出作戦』なんとかクリア。




