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同期  作者: SHIRO
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 脱いだら彼はどんな裸体をしているのだろうか。

 合同研修かなにかで全員でお風呂に入った時、僕は何度か彼の裸体を見た事がある。筋肉隆々ではないが、無駄なぜい肉のない、均整のとれた身体をしていたと思う。そんな彼に触れる自分を想像して、あまりの生々しさに顔が熱くなった。だが、これから僕らがすることは、そんな想像を遥かに超えている。ここに来て、男同士で寝ると言う現実が僕を苛む。

 支払いを済ませた彼が振り返った時、僕はとんでもなく不安な顔をしていたに違いない。大丈夫かと労わるような彼の眼に、僕はうんと頷く。

 店を出るとちょうどタクシー乗り場が前にあって、まだ早い時間のため並んでいる人もいない。電車のある時間にタクシーで移動とは贅沢な話だが、彼も僕を逃さないと言う気があったのかもしれない。工藤に促がされて僕はタクシーに押し込まれる。後から乗った工藤が運転手に行き先を告げている声がぼんやりと聞こえていた。耳がブーンとなって、血液が逆流でもする感じで、彼が何処へタクシーを走らせたのかも耳に入らなかった。

 工藤も撲もそのまま一言も口を開かない。それぞれにこれから先の展開を考えているのか、できるだけ眼を合わそうとはしなかった。景色なんて全く眼に入らない。どこかの見知らぬ土地に初めて降り立った時のような、どこか馴染みのない余所余所しさで車窓の景色が通り過ぎて行った。

 工藤が運転手に向かって細かい指示を出している。どうやら目的地が近付いているらしい。幾つかの路地を入り、タクシーが停まった。

 撲は瀟洒な造りのマンションを見上げて立っていた。

 背中を押されるようにしてエントランスに入る。工藤が暗証番号を押して中に入るから、どうやら彼のマンションだと分かる。ここで豪華なホテルにでも乗りつけられたら、僕はそれこそ走って逃げだしていたかもしれない。

 果たして僕は、今までこのマンションに訪れた事があっただろうか。確か、彼はこの3年間の内に一度転居をしている。引っ越し祝いをするかと言いつつ、伸ばし伸ばしになっていた事をぼんやりと思い出していた。

 彼の新居は、撲と関本が住んでいるマンションとは随分趣が違う。大理石のエントランスに吹き抜けのフロア。安普請の賃貸物件とは造りが違っている。その雰囲気にも、これから僕がやろうとしている事にも頭がいっぱいで、いったい彼が何階のボタンを押したのか、どうやって彼の部屋に入ったのか、実はあまり覚えていない。

 気がついたら、工藤の家のリビングのソファに座っていた。

「何か飲むか?」

 どこか落ち着きなく、工藤は立ったままで僕に聞く。僕が頷くと、ロックグラスに、真四角に切り出した氷を入れて持って来た。うっすらと琥珀色した液体が入っている。

僕は怪訝そうにそれを見つめた。

「ウイスキー……少しは落ち着く」

 アルコールか。そうだな、こんなこと――酔った勢いでもなきゃ、できそうにない。

 握りしめたグラスの中で、氷が鳴った。透明な氷が軋んで悲鳴を上げている。僕と彼との間に亀裂が入ってしまうかのような、暗い予感をさせるような音だった。僕は不安になって、くるくるとグラスを廻す。どっしりとしたロックグラスな中で、真四角な氷が琥珀色の液体と少しずつ馴染んで、角が取れて行く。僕はそんな様子を、ただじっと観察していた。

 工藤は少し迷ってから、そのまま僕の隣に座る。気をつかったのか、少しだけ距離を措いた。

 リビングのソファは二人掛けのようだが、男二人でも充分なゆとりがある。

 工藤も左手でグラスを揺らしながら、暫くは黙ってウイスキーを愉しんでいた。僕には何を話していいのか話題が思い浮かばない。だから気まずい空気をまといながら黙り込むことになる。

 工藤が痺れを切らしたのか、微かに笑ってチラリと僕を見た。

「一之瀬、緊張しているのか?」

 撲はグラスをクルクル廻して、早く氷を溶かそうとする。

「そうでもないよ」

 そう言って一口だけ口に含む。芳醇な香が鼻の辺りでいっぱいに広がった。

「美味しいな、これ……」

 意外な発見に僕は顔を輝かせる。

「ウイスキーのシングルモルト。本当はストレートでゆっくりと香りを愉しむお酒だよ。でも俺は、氷を浮かべて、少しずつ溶かしながら飲むのが好きなんだ。気に入ったか?」

「ああ」

 間を繋ぐように僕はグラスを口元に運ぶ。

「あんまり飲みすぎるなよ」

 組んだ膝の上に頬肘を着いて、工藤は僕を観察者のような目で見ていた。その視線が僕をますます落ち着かなくさせるのだ。

 僕が最初に女の子とそういう雰囲気になった時の、あの緊張感と同じだと思うが、それ以上に緊張するのは、僕が抱かれると言う立場だからなのか。

 女の子はこんなふうに緊張するものだろうか。

 当然のごとく抱かれると決めてかかっている自分にも驚いた。この場合、僕が抱くと言う選択肢も残されている。度団場に来て、男のプライドが頭を擡げた。でも、僕が男を抱くと言う選択肢の方が、遥かにハードルが高そうな気がする。

 却下。

「一之瀬」

 僕の葛藤を知ってか知らずか、工藤が心配げにこちらを見ている。

「え、なに?」

 ちょっと気の抜けた声で工藤を見た。

 工藤はすっかり迷いのない眼をしていた。

 この雰囲気、いまさら逃げられないだろうな。

 緊張した顔に引き攣った笑みを貼り付けて、僕は工藤を見る。

「キスしていいか」

 ゆっくりと確認するように工藤が聞いてきた。

 往生際の悪い僕は、ソファの隅まで後ずさりした。

「これからそれ以上の事、するんだろう」

「そうだな」

 工藤は少し難い表情をして撲からグラスを取り上げる。

 下手にムードを出すのも白々しいが、もう少し他の言い様があったのではないかと、軽い後悔に包まれた。

 それでも工藤は諦めることなく、二人の間を詰めるように僕に寄る。そっと肩に手を置かれた。

 少し傾いた顔が僕に近付く。綺麗に生えそろった睫毛を間近に見たのを最後に、僕は眼を閉じた。

 しっとりと触れてくる唇の感触。この前の触れるだけのキスとは違って、明らかにその先の行為を匂わせてくるような、熱を帯びたキスだった。

『引き返すなら今だ』と言う、関本の声が蘇る。あのバス停で僕を振り返って見ていた関本の顔が、どんな顔をしていたのか。不思議なことに僕はずっと、その顔を必死で思い出そうとしていた。

 やがて、僕はそんな余裕も無いぐらい大きなうねりに呑みこまれる。思考することを放棄して、自分を濁流の中に放り投げる。彼とついにこういう行為に堕ちてしまった。こうなってしまったことへの後悔がないと言ったら嘘になる。

 もう引き返せない。

 僕に圧し掛かる身体の重みが、僕の後悔の重みへとすり替わっていく。


 はたして僕はこれで良かったのだろうか。



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