19
工藤を生贄に僕らは夜の街を疾走する。その子供じみた振る舞いに関本も同調してくれて、僕らは解き放たれた羊のように興奮していた。あの二人が追って来ないことなど重々承知の上で、それでも僕らは走らずにはいられなかった。何かを誤魔化すために、僕は走る。いや、現状から逃げ出す為に走るのだ。そうすることで、何かを吹っ切れるような気さえしていた。僕は笑っていた。面白いことなどこれっぽっちもないのに、悲しいぐらいに可笑しいのだ。
「待てよ、一之瀬」
とうに二人の姿が見えなくなっているのに、僕が止まろうともしないので、関本は僕の腕を掴んで制止する。心臓は限界に来ていて、酸欠になりそうな状態だった。
「無茶するな。酔いが回るぞ」
確かに、気分が悪かった。両手を膝について、大きく喘ぐ。
マズイと思った時は、遅かった。関本に被害が及ばなかったことがせめてもの救い。僕は今夜食べたものを道にぶちまけていた。
吐くと気分がスッキリする。一般的にそう言われるが、僕に限っては当てはまらず、返って頭痛がして、悪酔いの道を辿る。
「いいから全部吐け」
関本は僕を道端の植え込みへと引っ張って行き、好きなだけ吐かせてくれた。一度吐くと、その臭いで出しきるまで止まらない。僕がフラフラの状態で顔をあげると、ひんやりと冷たいペットボトルが頬に押しつけられた。
気持ち良い。
「ほら、口を濯げ」
親切にペットボトルの蓋まで開けてくれて、関本が僕の手に握らせたくれるので、言われるまま口に含み、何度も口を濯ぐ。
「最悪。走るんじゃなかった」
行儀悪く上着の袖で口を拭い、僕は半笑いの顔で関本を振り返る。
「歩けるか?」
関本の神妙な顔に、僕はバツの悪い思いをする。そのまま腕を取られて操り人形のように歩き出す。全部吐くと少しは楽になったが、案の定、酷い頭痛に襲われ始めた。酔いが一気に回って来る。こうなると立っているのも辛い。広い通りに出てタクシーを拾おうにも、明らかに一人で立っていられない僕がいては完全に乗車拒否。仕方なく夜道をぶらぶら歩いて、最終が行ってしまったバス停のベンチを見つけた。
「体調悪かったのか?」
相当迷惑を被ったはずの関本の声は、僕を労わるようだ。新人の頃ならいざ知らず、自分の酒量を弁えない飲み方は、サラリーマン失格だ。そう思いながらも、何度も同じような失敗をするから、僕は学習能力がないって言われるのだろう。こうやって関本の世話になるのも、一度や二度ではない。
瞬きをすると、スライド写真のように、景色が駒送りで落ちて来る。気持ちが悪くなるから僕は目を瞑る。そうすると頭の中の脳味噌がゆっくりと頭蓋骨の中を回り出す。ベンチに身体を預けて、僕は眼を開くことをすっかり放棄した。意識はあった。
「一之瀬」
返事をするのも億劫で、僕はそのまま黙っていた。
「工藤の言った事は気にするな」
関本の奇妙な顔と、いつぞやのキスシーンがフラッシュバックのように僕の脳裏に浮かぶ。
僕は、ゆっくりと瞼を上げようとする。僕の隣で、前屈みの姿勢で両ももに肘を突き、手を組んだ関本が僕を窺っている。その顔は電灯の逆光で、表情までは分からない。
瞼が重い。
「あいつの言ってることはある意味当たってる。同じ同期でもおまえの方が人一倍手もかかるし、眼が離せない。俺はそんなおまえの面倒を見るのが楽しいし、心配なんだよ。工藤に指摘されて気が付いたけど、俺にもそれなりの独占欲があったんだろうな。それが、工藤の嫉妬心を煽ったのかもしれない。あいつは、おまえに近付くものは全て敵に見えるんだろう。もう、限界だ。これ以上、あいつに近付くな」
「簡単に言うんだな」
僕は鉛のような上体を起こし、関本と同じ姿勢なる。込み上げる吐き気に何時でも対処できるように、顔だけは下を向いた。
「あいつと寝る覚悟があるのか?」
「だから……そうはならないって」
そう言っている自分自身が、一番不安なのは分かっていた。
「おまえを手に入れる為なら、どんな事でもするぞ。それぐらい、今のあいつは危険だ」
「そうなったら……俺を軽蔑するか?」
僕は、多分それを一番恐れている。
「一之瀬」
思いのほか強い力で肩を掴まれた。
「いいから、もう手を引け。引き返すなら今だ」
その夜の関本の声が、僕の頭の中でいつまでもリフレインしていた。




