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真壁修司シリーズ

真壁修司のある日常①コーヒーゼリーが固まるまで

作者: lazilywalker
掲載日:2026/09/28

『真壁修司のある日常』第一話です。


事件を追っているときだけが、刑事の人生ではありません。


休日にはコーヒーを淹れ、妙な電話にも出る。

今回は、そんな真壁修司の「何も起きなかった一日」の話です。


本編とは少し違う、肩の力を抜いた短編としてお楽しみください。

真壁修司は、コーヒー馬鹿である。


本人にそう言えば、おそらく否定する。


豆の産地がどうとか、焙煎がどうとか、湯温がどうとか、もっともらしい理屈を並べるだろう。


だが、休日の朝から自宅でアイスコーヒーを淹れ、その一部をコーヒーゼリーにしようとしている男を、世間ではだいたいコーヒー馬鹿と呼ぶ。


キリマンジャロだけでは香りはいいが、ゼリーにすると味が軽い。

今日はマンデリンを混ぜる。

キリマンジャロ六、マンデリン四。


「……いや、五対五でもいいか」


もっとも、今日は少し事情があった。


最近、血糖値が少し高い。


だからといってコーヒーをやめるという発想にはならない。


砂糖をやめればいい。


真壁は計量カップに水を五十cc入れた。


クックゼラチン、一袋。


このゼラチンは常温の水にも溶ける。だが真壁は、そこで終わらせない。


五十ccの水にゼラチンをよく溶かし、鍋を火にかける。


七十度。


七十五度。


八十度。


そこで火を止めた。


残しておいた二百ccと合わせる。


パルスイートを大さじ一杯。


あとは自分で淹れたコーヒーと合わせ、二つの容器に分ける。


これなら一個あたりの糖質はごくわずかだ。


血糖値が気になるからコーヒーゼリーを食べない、という選択肢は真壁にはなかった。


糖質を減らせばいい。


二つの容器を冷蔵庫へ入れた。


このゼラチンは冷えれば固まるが、暖かい場所に置けばまた緩んでくる。


面白いものだ、と真壁は思う。


条件一つで、固体らしく振る舞ったり、液体へ戻ったりする。


冷蔵庫の扉を閉めた。


そのときだった。


電話が鳴った。


「はい」


『この通話は、録音されています』


機械的な女の声だった。


企業のコールセンターでよく聞く類いのアナウンスだ。


数秒後、人間の男の声に変わった。


『こちらは、○○警察署です』


警察署。


休日まで警察か。


真壁は椅子に腰を下ろした。


『あなたの携帯電話が、事件に使われれた疑いがあります』


「私の携帯が?」


『はい。契約された覚えはありますか?』


「いや。ありませんね」


少なくとも、今使っているもの以外には。


『では、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか』


真壁の眉がわずかに動いた。


――名前?


あなたの携帯電話が事件に使われている。


そう言って電話してきた相手が、今から自分の名前を聞く。


順番がおかしい。


だが真壁は答えた。


「真壁修司です」


『真壁修司さんですね。少々お待ちください』


わずかな間があった。


『やはり、二か月ほど前に、東京の六本木にある携帯ショップで契約されていますね』


「六本木?」


『はい』


「行ってませんけどね」


『そうですか……』


男の声が少し低くなった。


『でしたら、第三者が真壁さんのお名前を使って契約した可能性があります』


なるほど。


真壁はテーブルの上に置いてあったコーヒーを一口飲んだ。


そういう話になるのか。


『事情聴取がありますので、こちらまで来ていただけませんか?』


「そちらまで?」


『はい』


真壁は窓の外を見た。


休日である。


そして、遠い。


「そう言われても、かなり遠いですしね。それに、まったく身に覚えがありませんが?」


電話の向こうで男が少し考えたようだった。


『こちらとしては、来ていただいて解約手続きをしていただかないと……』


真壁はコーヒーカップを置いた。


解約手続き。


警察署で?


『それに裁判にも出てきていただかないといけませんし……』


今度は裁判まで出てきた。


携帯電話。


事件。


事情聴取。


解約。


裁判。


話がずいぶん大きくなってきた。


「申し訳ない。今、少し手が離せないんですよ」


これは嘘ではない。


コーヒーゼリーを作っている。


『そうですか』


「あとから、もう一度かけていただけますか?」


『分かりました』


意外にも男はあっさり承諾した。


『では、この件の問い合わせ番号をお伝えします』


男は数字を読み上げた。


真壁はメモした。


『私、担当の○○と申します』


その名前も書いた。


『それから真壁さん』


「はい」


男の声が、それまでより少し重くなった。


『この事件には守秘義務が発生します。くれぐれも、他の人には話さないでください』


「分かりました」


真壁は電話を切った。


しばらく受話器を眺める。


守秘義務。


誰にも話すな。


真壁は立ち上がった。


そして別の電話を手に取った。


自分の勤務先ではない。


今日は休日だ。


それに、ここは自分の管轄ではない。


近所の警察署へ電話をかけた。


「すみません。ちょっと妙な電話がありまして」


しばらくして、本物の警察官がやって来た。


真壁は最初から説明した。


録音されているというアナウンス。


警察署を名乗ったこと。


事件に使われた携帯電話。


六本木。


二か月前。


事情聴取。


解約手続き。


裁判。


そして問い合わせ番号と担当者名。


最後に、


「他の人には話すな、と言われました」


警察官は一通り話を聞き、必要なことを確認した。


そして帰り際に言った。


「また電話がかかってきたら、こちらへ連絡してください」


「分かりました」


今度は本当に分かった。


警察官を見送ったあと、真壁は冷蔵庫を開けた。


まだ早い。


ゼリーの表面を少し揺らしてみる。


固まり始めてはいる。


だが、もう少しだ。


冷蔵庫を閉めた。


そして――


電話が鳴った。


真壁は時計を見た。


来たか。


「はい」


聞き覚えのある男の声だった。


『先ほどの○○警察署です』


「どうも」


男は先ほどの話を続けようとした。


真壁は遮った。


「ああ、その件なんですが」


『はい』


「こちらの警察に届け出しました」


沈黙。


ほんの一瞬だった。


だが、先ほどまでにはなかった間だった。


真壁は続けた。


「また電話がかかってくるようなら、ご連絡くださいと言われましたが」


再び沈黙。


『……少々お待ちください』


「はい」


『お調べします』


何を調べるのだろう。


真壁は時計を見た。


十秒。


二十秒。


三十秒。


その間に冷蔵庫を開けた。


容器を一つ取り出す。


軽く傾けてみる。


さっきより固まっている。


四十秒。


五十秒。


そろそろ一分。


受話器の向こうからは何も聞こえない。


そして、


ブツッ。


電話が切れた。


真壁は受話器を耳から離した。


「……調べ終わったらしいな」


それきり、電話はかかってこなかった。


真壁は受話器を置き、冷蔵庫から二つの容器を取り出した。


スプーンで表面を軽く押す。


ぷるん、と揺れた。


こちらは、きちんと固まった。


真壁は満足そうに一口すくった。


甘さも悪くない。


事件にもならない。


逮捕者もいない。


犯人の顔すら見ていない。


真壁修司の休日に起きたことといえば、ただ一本の妙な電話がかかってきただけだった。


そしてその日、一番の収穫は――


砂糖を使わなくても、コーヒーゼリーは十分うまい。


「……マンデリン、もう一割減らすか」

今回の話は、実際にあった特殊詐欺の電話を参考にしています。


「あなた名義の携帯電話が事件に使われている」

「警察署まで来てほしい」

「他の人には話さないでほしい」


こうして不安にさせ、相手を自分たちの話の中へ引き込んでいくようです。


作中の真壁は刑事なので、近所の警察へ連絡して終わりました。


そして、もう一つ。


コーヒーゼリーの作り方も、かなり現実寄りです。


事件は解決しなくてもいい。

犯人を逮捕しなくてもいい。


コーヒーを淹れて、電話に出て、少し妙なことが起きる。


そんな真壁修司の日常を、ときどき書いていこうと思います。


次はどんな休日になるのか。

たぶん本人は、事件より先に豆の心配をするでしょう。

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