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いない

作者: 覡天狐
掲載日:2026/08/25

 鍵穴に鍵を差し込み、扉を開ける。


 時刻は九時を回っているが、部屋に灯る明かりはない。妻は既に寝ている。食事はない。


 コートとスーツを脱ぎながら電気ポットの電源を入れる。戸棚から適当なカップ麺を取り出し、湯を入れるだけでいい状態にしてから、洗面台へと向かう。


 暗がりしかない室内に唯一の光。映る自分は我ながら酷いものだ。毎日のように職場で心配されるだけはある。目の下にはベッタリと隈が現れ、生気の抜けた肌は死人と間違えてもおかしくない。


 電気ポットの音に呼び戻されると、すぐにカップ麺に湯を掛け、自室へと籠もる。


 明かりをつけて、立ち上げたデスクトップパソコン。残業ではない。開くのはネットの掲示板に類するサイト。


 こういった掲示板は近年ではSNSや、ネット活動者による動画投稿により、活発ではなくなっているとはいえ、十分に機能している。


 目ぼしい情報を探すように最新の情報を追っていく。


 そして、一通り確認を終えると次は別のサイトへと向かう。それも終われば、一般的なSNSに。キーワードに基づく検索を行えば大体は同じように調べることができる。


 一連の流れは食事を行いながらでも毎日一時間とかからない。


 今日も結果は変わらない。


 凝り固まった体をほぐしながら食べ終えたカップ麺のガラをゴミ箱に投げ捨て、厚手のジャケットを羽織る。用意しておいたリュックと装備一式を拾い上げる。


 向かうのは玄関。鍵を締めたことを確認すると、次は車のエンジンを掛ける。


 ナビの設定は行わない。何千と走った道だ。目を瞑っていようと辿り着ける。


 走らせたのは一時間程。


 この時間でなくとも人の喧騒は聞こえない森の入口。


 立入禁止のロープをくぐると手に持った懐中電灯をつける。


 湿った土の匂いが鼻腔をつく。嫌な匂いだ。


 道は辛うじて道と呼べる形を保っている。獣のお陰もあるのだろうが、自分が進んできた影響も少なくないだろう。


 虫の音を聞き流しながら、私はこれまで通り進んでいく。


 一つ目の目的地はおよそ四十分。馴れたものだ、初めはあの場所まで一時間はかかっていた。



 

 ————そこは、私達の息子のスマートフォンが見つかった場所だ。


 


 あの日は、なんてこともないつまらない一日だった。暑い夏でも、涼しい夏でもなかった。


 変わらない日常だった。


 私はあの日、息子にこう言った。


「今日の宿題を終えたら、森にツチクレに会いに行こう」


 ツチクレは土塊ではない。


 私が考えたお化けか何か。息子はオカルトに属するようなお化けや幽霊、宇宙人が好きだった。信じていた。


 学校でも通学路でも、どこでもいつも探していた。探して見つからなくとも楽しそうに、その話をしてくれた。


 時間帯が悪かった。逃げられた。足跡はあった。次は見つけられる。そう言っては見つけるための方法を考えていた。


 私も妻も楽しんでいた。休日があれば一緒に探していた。


 その日も同じはずだった。


 前日いつものように息子からお化けの話をねだられた。しかし、ちょうどその日までに自分の知っているお化けを出し尽くしてしまっていた。


 困った私はツチクレを教えるしかなかった。何も知らないその化け物を。


「鈴虫の声が好きだから森に住んでいて、カブトムシと同じ匂いがしてて、見た目は黒い毛むくじゃらで、白い嘴を持ってるんだよ」


 探しに行ったとも。二人一緒に。朝から夕方まで森で。


 帰りは妻を拾って夜はファミリーレストランに入った。


 歳による体力の低下を味わいながらも、楽しそうな顔を見られて疲れも感じなかった。


 だから、かもしれない。


 妻にはこう言っていたらしい。


『僕が見つけてお父さんにもっと喜んでもらうんだ』って。




 今日は時間帯が悪かった。足跡はあった。次は見つけられるはずだ。


 ゆっくりと腰を下ろす。汚れた手袋を外すとポケットに入れておいたスマホを取り出す。


 ずっと変わってくれない顔で笑う息子。時刻は午前三時。開くのはあの日の最後のメッセージ。


『ないてる』


 その瞬間までは生きていたはずだ。


 どんな目にあっていたのかは知らない。


 私は言った。


「すごく優しくて、たくさん友達を作ろうとしているんだ。お父さんと一緒に探して友達にならない?」


 だから、酷いことはされないはずなんだ。


 耳鳴りがする。頭痛も。


 このままでは倒れてしまいかねない。今日は帰ろう。


 そう思って立ち上がったのだが、どうにも限界は超えていたらしい。


 踏み出した一歩は体重を支えることができなかった。


 滑るように転んだ。大の大人が尻もちをついて、諦めたように手足を投げ出す。


 虫の声が煩いぐらい響いてくる。


 「あははははははははははは


 


ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは         」


 森の中に響いても、私の頭の中は虫の声でいっぱいだった。


 

 このまま眠れば息子に会えるだろうか。



 

 だめだ。


 まだ、あきらめられない。


 一度は手放した指先に力を込めて立ち上がる。


 震える体を鼓舞するように全身を強く叩く。


 気が付いた。


 雪。降っている。


 

 冬だった。


 リーンリーンリーン


 ——————。




 よかった。本当に良かった。ようやくだ。


 ないていたんだ。


 よかった。見つかってよかった。


 蒼人が見つけたんだ。私も見つけた。見つけられた。よかった。美紀子も喜ぶ。


 手袋を投げ捨てて、スマホを開く。何年ぶりか、妻にメッセージを。


「いた




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