マッスル×心霊
ヾ(:3ヾ∠)_ アヅイ!
「あれから十年かぁ」
時が経つのは早いなと思いながら、俺は一抹の不安を流すようにアイスコーヒーを飲む。
空調の利いた駅前の喫茶店。昼間とあって客はまばらだ。
テーブルに戻したグラスの中で氷がカランと音を立てる。
小学生の頃の同級生から連絡があったのは三日前のことだった。あいつが転校していってそれっきりだったが、しっかりと記憶に残る奴だ。
「――蝨ー逅??蜀キ繧√k縺ケ縺?」
喫茶店の窓の外、麦わら帽子を被った若い女の幽霊が意味不明な言葉を恨めしそうに呟きながら通り過ぎていく。
これが俺の日常。
一般人には視えないものが見える。いわゆる霊感がある。
この霊感のせいで俺はうそつき呼ばわりされてきた。嘘ではないと証明しようとして同級生が憑りつかれてしまい、怯えられるようにもなった。
だけど、あいつは、直庭鍛次だけは違った。
名前の勇ましさのわりに引っ込み思案な奴だったが、直庭は俺の霊感を否定しなかった。
まぁ、信じていたわけでもなさそうだったが、霊感のあるなしに関係なく一緒に遊べる仲だった。
「相談がある、ねぇ」
何しろ十年だ。人は変わる。霊感のあるなしをすっ飛ばして変な宗教にでもハマっていないと良いんだが。
十年ぶりに聞いた直庭の声はひどく真剣だった。相談できる人間はお前しかいない、とまで言われて、こうして足を運ぶほどに。
その時、喫茶店の入り口、扉に取り付けられたベルの音が響いた。
ガラン、ガランと、少し濁った不快な音が店内を蹂躙したその瞬間、入り口から感じた気配に総毛立った。
先ほど窓の外を歩いて行った麦わら帽子の女とは比較にならない、人間に影響を与える力を持つ本物の悪霊が店に入ってきた気配。
背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
気配が近付いてくる。目を合わせてはいけない。興味を引いてはいけない。自分は空気だと思い込め――
「よぅ、久しぶり! 突然呼び出してごめんな!」
場違いに快活な声が間近から聞こえてきたかと思うと、テーブルの向かいにドカリと重たい音をさせて筋肉質の男が座った。
「オレも何か頼もうかな。あ、ほうじ茶あるんだ。これにしよっ。店員さーん、注文をお願いしまーす!」
なんだ、こいつ。視えなくてもこの重い空気は感じているはずだろう!? なんで平常心で過ごせ――
「直庭、か?」
十年前の引っ込み思案だった少年の面影がないテーブルの向こうの相手に、俺は思わず問いかける。現実逃避がしたかったのかもしれない。
テーブルの向こうで肩幅の広い男が一瞬驚いた顔をした後、噴き出した。
「おいおい、十年ぶりで戸惑うのは分かるけど、オレは一目で気付いたんだよ? あ、相談があるなんて言って、ちょっと警戒させちゃったか? ごめんな」
直庭だ。やたらと筋肉がついているが、直庭だ。
というか、筋肉のつき方が実用的すぎる。魅せる筋肉ではなく、日常生活の延長で必然的についたようなバランスのいい筋肉だ。自衛隊にでも入隊したのか、こいつは。
いや、今はそんなことより重要なことがある。
「相談って言うのは、その……」
「あ、やっぱり視えてるんだな! 良かったぁ。誰にも相談できなかったんだよ」
いやいや。
いやいやいやいや――
「ヤバい霊を付けてくるんじゃねぇよ!」
喫茶店に入ってきた本物の悪霊。俺の目には周囲の光を捻じ曲げて黒い影のような何かを纏っているように見える半透明の少年が直庭の横にちょこんと座っている。
「ぢョコケーぎ」
「おう、いいぞ。お供えな」
「ナチュラルに会話してお供えすんなよ……」
塩を盛るところだろ。なんで仲がいいんだよ、その悪霊と!
顔面蒼白の店員に注文を通した直庭は俺を正面から見た。
「相談というのは――」
「それの除霊とか無理だからな。神社に行け」
「祓うだなんてとんでもない!」
直庭は少年霊を抱きしめる。束ねて捻って伸ばした輪ゴムのような引き締まった筋肉が少年霊を抱え込む。
少年霊はその身にまとう悍ましいまでの禍々しさに反して友好的にVサインをしてきた。
「祓ヴな。呪うゾ」
友好的ではなかったかもしれない。逆らっちゃいけないことだけは確かだ。
気を取り直した直庭が頼んでもいないのに説明を始めた。鍛えるなら口周りの筋肉も引き締めておいて欲しかった。
「オレも最初は興味がなかったんだ。けどさ、ある日気付いちまったんだ」
「おう、なにに?」
「筋肉痛は成長痛だって」
「……ん?」
そこの少年霊について説明するところでは?
俺の困惑を他所に、直庭は続ける。
「ゲームでいうところのレベルアップ時のファンファーレ的なものが筋肉痛なんだよ。それに気付いてからはもう筋トレの毎日だった。でも、限界があってさ。悩んだよ。何日も、何十日も、筋肉痛がこない。ファンファーレが鳴り響かないんだ。悔しくて、寂しくて、切なくて、無力感に苛まれた。ジムにも行ったさ。でも、知っての通り、オレは引っ込み思案でさ。息苦しくなったんだ。そもそも、オレは筋肉そのものには興味がないんだ。味わいたいのは成長の実感、筋肉痛なんだよ!」
「……おう」
帰ろうかな。
筋トレの悩みとか知らんし。
腰を浮かしかけた瞬間、少年霊と目があった。
蛇に睨まれた蛙よりも抵抗できず、俺は席に座り直す。
いや、だって、少年霊の目に書いてあるんだもん。
相談を聞かないなら呪い殺すって。あれ、本気の目だもん。
俺と少年霊のやり取りなんて露知らず、直庭は続ける。
「ジムに行けず、成長もできず、悩み続けていたある日の夜。オレは金縛りにあったんだ。かろうじて瞼を開ければ、目の前にこの子がいた。「辛そう、なにが辛いの? ボクはこんなに辛いのに、生きているお前がなんでっ!」って、聞いてくれてさ。俺は心の底から叫んだね」
そりゃあ、夜に金縛りにあって少年の霊に問いかけられたら恐怖で叫ぶわ。
「このまま金縛りを続けてくれ。良い負荷だ! ってさ」
「……そっかぁ」
変な宗教にハマるより実態がある分、質が悪いんじゃないかな?
俺の気持ちなんて分かるはずもない。直庭は嬉しそうに上腕二頭筋を見せびらかしてくる。
「あの夜以来、この子の睡眠時金縛り筋肉トレーニングのおかげで程よい疲労感と筋肉痛を味わいながら最高の朝を迎えているんだ!」
「よかったねぇ」
これは惚気ってことでいいのか?
もうどうでもいいけど。
興味を完全に失っている俺の前で、直庭は途端に深刻そうな顔を見せる。
「相談はここからなんだ」
あ、そういえば相談があるんだった。
いまさら、なにを相談するんだ?
そこに尋常ならざる存在がいるだろう。なにを悩むことがある。少なくとも、俺にできることはその少年霊がいくらでも代行するだろ。
直庭が少年霊と顔を見合わせた後、意を決した様子で相談内容を口にする。
「この子の睡眠時金縛り筋肉トレーニングは日中のトレーニングができない。日がな一日寝るわけにもいかない。でも、霊に憑かれると肩が重くなったりするって言うじゃないか。日中のトレーニングができるいい高負荷の霊を紹介してくれないか?」
「……出会い系斡旋じゃねぇんだぞ!?」
霊感があるからって都合よく相談を持ち掛けてきやがって。
俺はスマホを取り出した。
「今日は二件、除霊のバイトがあるからついてこい!」
俺が祓えなくても、直庭に連れ帰ってもらえばいいだろ。危害を加えてくる悪霊ならこの少年霊が倒してくれるだろうし!
――直庭がマッスル霊媒体質と業界で称えられるのは半年後のお話。




